「資金需要者と会社法」 要 旨 〈久保田 安彦〉

平成2(1990)年のバブル経済の崩壊にともない,わが国は長期経済不況の幕開けを迎えたが,それは会社法制の変革期の幕開けでもあった。とりわけ企業金融をめぐる法改正は,過去に例をみないほど頻繁に行われ,また改正の規模も大きいものであった。そうした改正は,おおよそ規制を緩和する方向にあり,種類株式の発行が自由化され,新株予約権制度の創設によってコール・オプションの発行が自由化されただけでなく,自己株式の取得も自由化され,さらに自己株式の長期保有まで許容された。そこで強調されたのは,もっぱら資金受領者たる会社の自由度を高めるという観点,あるいは調達資金の運用者としての経営者の裁量権を拡げるという観点であり,それがベンチャー企業の育成はもとより,「資本市場(証券市場)の活性化」にも資すると考えられた。

本論文の第一次的な目的は,こうした企業金融をめぐる平成改正を取り上げ,それがどのような背景事情の下で実現したのか,改正にあたってどのようなアクターがどのように行動したのかを考察することにある。ただ,第二次的な目的は,かかる考察を通じて,会社法制と資本市場ないし資本市場法制との相互関係の一端を明らかにすることに置かれており,そのこととの関係から,上場会社を検討対象の中心に据えている。

より具体的に,本論文で明らかにされたのは,平成改正の原動力として,〈1〉長期経済不況から脱却するには「資本市場の活性化」が必要であり,そうした経済政策実現のツールとして会社法制を利用したいという経済界と政界の思惑が合致したこと,〈2〉規制緩和は経済学上の理論に基づいて正当化されうるところ,そうした経済学上の理論に商法学者が賛同−実際には消極的な賛同も少なくなかったが−したこと,〈3〉規制の不均衡を解消するために規制を整理したいという商法学者の欲求が高まったこと,が認められることである。一般的には上記〈1〉が強調されることが少なくないが,〈1〉は平成以前から観察されたものであるから,むしろ平成改正の特徴は〈2〉〈3〉にあるといえる。そのことをアクターに着目して言い換えれば,平成改正の中心的なアクターは,平成以前の改正の場合と変わらず経済界・政界と商法学者であったが,過去に何度も経済界が要望しながら未実現であった規制緩和を導いたのは,商法学者の考え方・行動の変化であったという評価が可能である。

本論文は,このような企業金融をめぐる平成改正−より一般化すれば会社法のパラダイム・シフト−の意義を積極的に評価しながらも,資本市場との関係性に着目した批判的検討も加えている。すなわち,本論文は,自己株式取得規制が緩和された結果,上場会社の経営者が自己株式の取得を通じて会社の株主構成を制御しようとする危険が大きくなったこと,その危険は募集株式発行規制に典型にみられるような会社支配問題に対する会社法の機能不全によって増幅されること,この結果,株価の動向に示される市場の評価を考慮しようとする経営者のインセンティブが弱められ,効率的な資源配分という資本市場の機能発揮が阻害される危険があることを指摘している。また,種類株式発行とコール・オプション発行の自由化は,エクィティ型金融商品設計の柔軟化を実現し,商品設計のイノベーションを導きうる反面,金融商品の内容の複雑化をもたらして,投資者の情報収集・分析コストを増加させるだけでなく,有利発行規制をはじめとする会社法上の規制の機能発揮を阻害し,投資者のリスクをも増加させる結果,資本市場の流動性,ひいては資本市場の効率性にも悪影響を及ぼしうることを指摘している。