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民事2026年01月25日 「同じ不幸を繰り返すな」 最高裁で和解、立法運動も 過労死遺族の中原のり子さん 提供:共同通信社

 昨年10月4日午後、東京・永田町の自民党本部で開かれた同党の両院議員総会。党総裁選の結果が発表され、新総裁に選出された高市早苗氏(その後首相)は「馬車馬のように働いていただきます。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てます。働いて働いて働いて働いて働いてまいります」と述べた。
 この「働いて」を5回繰り返した部分が12月1日、この年の流行語大賞に選ばれた。
 「夫は『馬車馬のように働かされて…』と私に言い残して自殺した。さらに過労死を増産するのか。(発言と大賞は)死者にむち打つ行為であり、遺族には最大の侮辱だ」
 同11日に記者会見し、怒りの声を上げたのは、東京都中央区の薬剤師、中原のり子(なかはら・のりこ)さん(69)。「仕事上の強いストレスが原因で精神障害を患って、労災と認められた人が2024年度は過去最多の1055人に上ったことを首相はご存じないのか」と問いかけた。
 中原さんの夫利郎(としろう)さんは小児科医だった。1987年から当時東京都中野区にあった立正佼成会付属佼成病院の小児科に勤務。当初は内科と共同だった当直が96年以降、小児科の常勤医6人で担当する態勢に変わった。
 さらに99年1~3月には、小児科部長を含む常勤医3人が相次いで退職し、3月は利郎さんの当直が月8回に及ぶ一方、休日は2日だけ。部長代行に就いた利郎さんは医師を補充しようと手を尽くしたが、全国的な小児科医不足もあり、うまくいかなかった。
 睡眠導入剤の服用回数が増え、不機嫌で怒りっぽくなって、家族に「落ち着けないんだ」などと泣きながら打ち明けた。
 同年8月16日早朝、利郎さんは新しい白衣を着て病院の屋上から飛び降りた。44歳だった。
 書き残した「少子化と経営効率のはざまで」と題する遺書には「経済大国日本の首都で行われているあまりに貧弱な小児医療…この閉塞(へいそく)感の中で私には医師という職業を続けていく気力も体力もありません」とあった。
 ▽労災認定も賠償敗訴
 中原さんは遺書を読んで「夫が過労死であることを明らかにし、過酷な小児医療の現状を訴える夫の思いを社会に伝えていこう」と決めた。
 弁護士に依頼し、労災保険法による遺族補償給付を申請。労働者の健康や安全を守るための配慮義務を怠ったとして、病院側に損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。業務が原因の自殺と認めない病院側は労災申請に協力せず、賠償請求も退けるよう求めた。
 新宿労働基準監督署は2003年3月、利郎さんのうつ病発症は認めたものの、当直中の実働時間は少ないなどとして、精神疾患の労災認定に必要な「業務による強い心理的負荷」を否定し、不支給の決定をした。
 「当直のときは朝8時に家を出て翌日夕方5~6時の帰宅だったが、労基署が許可すれば当直は労働時間とみなされないと知り、驚いた。こうした理解を超える現状が裁判の原動力になった」と中原さんは振り返る。
 新たに不支給決定取り消しを求めて提訴。07年3月の東京地裁判決は、当直明けに勤務が組まれ、残業が83時間を超えた月もあったことなどから「心身に対する負荷となる危険性のある業務」と評価して決定を取り消し、労災と認めた。国側は控訴せず、確定した。
 一方、中原さんは家族が自殺した人たちの集まりで「東京過労死を考える家族の会」のメンバーから誘われ、02年に家族の会とつながった。
 また03年には「小児科医中原利郎先生の過労死認定を支援する会」が結成され、多くの医師や元看護師、子どもが利郎さんの診察を受けた人たちが会員となった。
 病院側への賠償請求訴訟では、かつての同僚医師が「(利郎さんは)子ども3人の学費欲しさに自ら当直していた」などと証言。労災と認めた07年3月の判決の半月後、東京地裁は過重労働も業務とうつ病発症の因果関係も認めず、請求を棄却する判決を言い渡した。
 ▽「たくさん寝て」
 「同じ証拠を出し、良い裁判官に当たればラッキーで、外れたらアンラッキーという現実を知った」と中原さんは当時の無念の思いを語る。
 控訴した中原さん側は当直勤務の実情を示すため、小児科医へのアンケート結果を証拠として提出。二審東京高裁は08年10月の判決で、過重労働とうつ病発症の因果関係は認めたが、病院側は健康を損なうことを予見できなかったとして、やはり賠償責任を否定した。
 中原さん側は上告受理を申し立て、支援する会は病院側の責任を認めるよう求める3万3千人の署名を最高裁へ届けた。
 10年に入り、最高裁は和解を勧告し、同年7月に成立した。和解条項では「医師不足や医師の過重負担を生じさせないことが国民の健康を守るために不可欠であることを相互に確認(する)」とされ、病院側が和解金700万円を支払うことなども定められた。
 和解成立後の会見で中原さんは「病院の経営者には、二度と同じ不幸が繰り返されないよう配慮をお願いしたい」と述べ、利郎さんと同じ小児科医となった長女は「患者第一で頑張る医師が燃え尽きない社会になってほしい」と求めた。
 裁判を終えた中原さんは「東京過労死を考える家族の会」の代表となり「過重労働対策基本法」や「過労死防止基本法」の制定運動へ。その立法目的は、個人の尊重(13条)や健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(25条)、勤労の権利(27条)を定める憲法の理念とかけ離れた過重労働を防ぐことで、運動は14年成立の過労死等防止対策推進法に結実した。
 「(同法は)衆院も参院も全会一致。高市氏は賛成していながら『ワークライフバランスを捨てる』と言い放った。『ストップ!過労死』の署名集めでは『過労死するほど間抜けじゃない』と若い人に言われ、一人一人の思いを変えていくのは難しいと感じた」
 そこで中原さんは、高校や大学などで年に十数回、利郎さんをはじめ過労死した人たちのことを話し「働き過ぎて倒れてからでは遅い」と伝えてきた。最近は「(ドジャースの)大谷翔平さんのように、たくさん寝るように」と呼びかけているという。(共同通信編集委員・竹田昌弘)

使用者に健康注意義務 電通社員過労自殺で最高裁

 労働者の過労自殺について使用者の賠償責任を全面的に認めた裁判例として、電通事件の最高裁第2小法廷判決がある。2000年3月24日に言い渡された。
 広告会社の電通に入社して2年目の大嶋一郎(おおしま・いちろう)さん=当時(24)=が1991年に自殺し、両親は「長時間労働による過労からうつ病になったのが原因」として同社に損害賠償を求めて提訴した。
 第2小法廷は労働基準法と労働安全衛生法に基づき「使用者は(労働者に従事させる)業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」との判断を示し、この義務を怠った賠償責任を認定した。
 また大嶋さん側の落ち度を一部認め賠償を減額した二審判決を破棄し、差し戻し審で賠償額を算定し直すよう求めた。
 この判決は企業の労務管理や労働行政に大きな影響を与えたが、電通では、2015年にも入社1年目の高橋(たかはし)まつりさん=当時(24)=が過労自殺している。

(2026/1/25)

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