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厚生・労働2021年03月29日 「異国からの担い手―移民への資格」 提供:共同通信社

震災きっかけに日本選ぶ 列つくる被災者に感銘

 津波にのみ込まれ、がれきが散乱した街で、整然と列になって物資を受け取る人々―。埼玉県所沢市のベトナム人、グエン・バン・トゥアンさん(32)は、2011年に東日本大震災を伝えたベトナムのテレビニュースが印象に残る。「大変な時に争いをせず、落ち着いていた。日本で働こうと思ったきっかけです」
 所沢市の建設会社で18年から技能実習生として働いてきた。20年8月、国内で初めて実施された特定技能「建設分野」の試験で、鉄筋に熱や圧力を加えてつなぐ「鉄筋継手」の学科、実技に合格。21年中にも特定技能1号に切り替え、引き続き日本で働く予定だ。
 ベトナム北部タインホア省生まれ。3人きょうだいの長男で、実家は田園が広がる山間部にある。両親はコメや果物を作っていたが、暮らしは苦しく、妹が生まれたばかりの頃は、卵一つを母と半分ずつ食べた。思い出すのもつらい幼少期だ。
 今、母国の両親を支えるのは、トゥアンさんと、岐阜県で働く技能実習生の妹。ベトナムで仕事をしていた頃の月給は約1万5千円で、約20万円の日本とは大きな差がある。「月10万円仕送りしている。両親に恩返しできている」とはにかむ。
 日本での休日は、3人の同僚ベトナム人らと暮らす社員寮でうどんやカツ丼を作ったり、公園に出掛けたり。日本の生活にも徐々になじんできた。「食べ物や人柄が好き。できる限り長く暮らしてお金を稼ぎたい」
 技能実習生として来日した際、研修費用などでベトナム側の送り出し機関に約100万円を支払い、大きな借金を抱えた。親方から特定技能の試験を紹介された時は、迷わず挑戦を決めた。「普段からやっていることで、試験は難しくはなかったが、(合格して)日本に滞在し続けられると思うと、一安心」と顔をほころばせる。
 親方の指示を通訳しながら、仕事を教えてきた同僚のボ・バン・ダンさん(29)は「真面目で仕事熱心。日本の料理も得意」とトゥアンさんの印象を語る。
 2年かけ来日時の借金を完済。技能実習生の立場上、仕事や環境が厳しくても転職は難しく、苦しい時期もあった。耐えきれず逃げ出した同僚を見てきたから、正規の労働者として扱われる特定技能の資格に期待している。「転職ができ、給料も上がるだろう。自分に合う職場を探したい」
  ×  ×  ×
 外国人労働者を受け入れる新在留資格「特定技能」で、建設など2分野は将来的に永住も可能となり、「真の移民」となる道が開ける。共に社会を形作ることになる試験合格者の素顔を伝える。

特定技能の「建設分野」

 2019年4月に導入された外国人労働者の新しい在留資格・特定技能の一つの分野。14分野のうち「建設」と「造船・舶用工業」は、在留期間が5年の1号のほか、2号が設けられている。2号に移行すれば家族を呼び寄せて事実上永住することが可能。特定技能は、技能実習制度の研修名目とは異なり、高度専門職以外の「中度人材」や“単純”労働にも門戸を開き、外国人を受け入れる。

この会社でもっと働く 周囲が支え、リーダーに

 慣れない日本語や企業文化に戸惑う外国人労働者は多い。ベトナム人のファム・トゥアン・ヒエップさん(24)=埼玉県ときがわ町=も、来日後間もなくホームシックになった。周囲の支えもあり、今では技能実習生らのリーダーに成長。昨年、特定技能1号の建設分野試験に合格し「この会社でもっと働きたい」と考えるようになった。
 2015年、ベトナムの首都ハノイ。技能実習生を希望する10人ほどが面接に集まった。「若くて背が高い。ヒエップの採用は即決でした」と「松栄工業」(同町)の山西淳平(やまにし・じゅんぺい)常務(43)は回想する。高校を卒業して16年に来日。松栄工業で技能実習生として働き始めた。
 「最初は全部が大変。日本語や仕事に慣れなくて、ベトナムに帰りたいと泣いたこともあった」。ヒエップさんは恥ずかしそうに振り返った。
 ところが現場で3年間ペアを組んだ長瀬博明(ながせ・ひろあき)さん(49)とはすっかり息の合うコンビに。「パパ」と慕い、鉄筋に印を付けて溶接作業を補助する。午前4時半に起床、同5時には会社から現場へ向かう日々を送る。
 「頑張り屋。どうしたら効率よく作業できるか、考えながら動く」と長瀬さん。最初は日本語に難があったが、最近は他の業者とも積極的に会話していると舌を巻く。
 一軒家の寮にベトナム人5人で暮らす。週末はベトナム料理で山西常務や長瀬さんをもてなす。優しくて穏やか。普段は、はにかんで多くを語らないが、仲間が集まると一変。「モッ、ハイ、バー、ゾー! (1、2、3、飲むぞ)」と威勢良く乾杯の音頭を取る。
 日本に住む恋人のグエン・ティー・フォンさん(23)は「仕事で疲れているのに、メッセージすると『元気だ』と返ってくる。大変だとか、困っているとかは言わない」と、ほほ笑む。
 「親代わりに少しでも面倒を見たい」。山西常務は酒席で作業手順や日本語を質問されるうち、こう考えるようになった。生活も楽しんでほしいと国内旅行に連れ出す。
 ヒエップさんはフェイスブックで新設の特定技能を知った。「みんな優しくて楽しい」。20年8月、社長に頼んで建設分野を受験した。鉄筋をつなぎ合わせる実技の練習は社員が付き添い、会社総出で応援してくれた。
 1号の在留期間は5年。試験合格にベトナムの父は喜び、母は悲しがった。いずれ2号に移行すれば、在留期間の更新制限がなくなる。「日本で家族と一緒に暮らしたい」と今は願う。経験を積んだら、祖国で建設会社をつくるのが、将来の大きな夢だ。

未来へ、日本語猛勉強 父の国でチャンス生かす

 東京都内の建設会社の技能実習生、森岡弘明(もりおか・ひろあき)ラクサマナさん(25)はフィリピン人の母と日本人の父(73)を持つ。首都マニラから車で1時間半ほど北西に離れた町で、母に育てられた。高校卒業後、実習生の送り出し機関で仕事をしていた際に「日本で働かないか」と誘われ、2018年に父が暮らす日本に来た。
 鉄筋を扱うのはもちろん、建設現場の仕事は初めてだった。親方から何かを「持って来い」と言われても、意味が分からなかった。来日前後の7カ月間、日本語クラスで習ったのは「持って来てください」などの丁寧語だったからだ。
 午前5時すぎに起き、同5時半に出社した。フィリピンにいる母や兄と離れ、慣れない仕事と外国語に囲まれた生活。楽しみを見いだせず、1週間で辞めたくなった。父に相談すると「石の上にも3年」と諭され、「今つらくても、乗り越えれば必ず力になる。ネバーギブアップ」と励まされた。すぐ辞めてしまうのは悔しいと、思いとどまった。
 「この野郎」「てめえ」―。一歩間違えれば命の危険がある現場では、親方が声を荒らげることもある。人生で怒鳴られた経験はなく、ショックだった。「間違えて叱られるのは当たり前だが、怒鳴るのは違うのではないか」。フィリピン人の同僚と一緒に上司に訴え続けたら、怒鳴られることはなくなった。「もう慣れたから、何を言われても大丈夫だけどね」と、意外にあっけらかんと話す。
 週末に1、2週間分の食料を買いだめし、寮で鶏肉や魚を使ったフィリピン料理を作る。夕食の残りを弁当にして節約し、給料の半分以上を母へ仕送りしている。
 生活に慣れると、治安が良く、仕事もある日本でずっと暮らしたいと思うようになった。「コミュニケーションを取れないと働けない」と、日本語の勉強は欠かさない。現場へ移動中の車内や就寝前などに時間を見つけては、日本語能力試験の対策本を開く。
 19年に日常的な場面で使われる日本語を理解できる「N3」に合格。昨年末は上の「N2」に挑戦した。目標は最難関の「N1」。「日本語で息子と話せるなんて、思ってもいなかった」。父も驚く上達ぶりだ。
 昨年、父は突然、自分を子どもと認知した。予想もしていなかった展開だったが、日本国籍取得も選択肢になった。特定技能1号に合格、2号取得と同胞女性との結婚を見据えてきただけに、悩ましい決断を迫られている。「フィリピンには仕事がない。日本にいられるチャンスを生かしたい」とたくましく笑った。

                                                (2021/03/29)
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