一般2025年09月11日 「不正労働省」に怒り 勝訴も扶助費減額分返さず 裁判元原告の千代盛学さん 提供:共同通信社

「年収5千万円の超人気芸人」の母が生活保護を利用していると、週刊女性セブンが2012年4月26日号でスクープした。その芸人が「むちゃくちゃ甘い考えだった。申し訳ない」と謝罪する様子が広く報道されたことなどから「生活保護バッシング」が起こった。
野党の自民党は、同年12月の衆院選で「生活保護10%引き下げ」などを公約に掲げた。公明党とともに民主党から政権を奪還すると、第2次安倍晋三内閣の田村憲久厚生労働相は早速、生活保護の生活扶助費(日常生活に必要な費用)の基準額を改定し、13~15年度は段階的に最大10%、平均6・5%引き下げることを決めた。3年で総額670億円を減額する。
具体的には、母30代、子4歳の受給世帯は都市部が月15万円から14万1千円、町村部は月12万円から11万7千円へ。夫婦70歳以上の世帯は都市部で月11万4千円が10万9千円、町村部は月9万円が8万8千円となる。
愛知県刈谷市の千代盛学(ちよもり・まなぶ)さん(71)は鹿児島県で生まれ、料理人として各地の旅館や和食店で30年近く働いた後、電力会社などへ派遣される作業員に。糖尿病を患ったが、日給なので仕事を休めず、悪化させて、55歳のときに合併症の網膜剥離で失明。解雇され、生活保護を利用してきた。
受給額は障害者加算や自治体の手当を含め月13万~14万円。ほとんど外出せず、1日1食、入浴せずにシャワー週1回でも家賃、食費、光熱費でほぼ使い果たす。3千円近く減らされることを知り、相談窓口に電話したところ、弁護士から訴訟を勧められた。
生活保護の利用者が改定取り消しなどを求める提訴は14年2月の佐賀地裁から始まり、千代盛さんたちが名古屋地裁に訴訟(愛知訴訟)を起こしたのは同年7月。作家の雨宮処凛さんが「いのちのとりで」と名付けた裁判は29地裁計31件に上り、原告は千人を超えた。
「どんなに苦しい生活をしているのか、裁判で知ってもらいたい」。千代盛さんはそう思った。
▽「物価偽装」
原告側は各地のいのちのとりで裁判で、生活扶助費の減額は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障した憲法25条と、その趣旨を実現するための生活保護法に反すると訴え、愛知訴訟では、1人1万円の慰謝料も求めた。国と自治体は「改定については、厚労相には広範な裁量が認められている」などと主張した。
改定された基準額は、社会保障審議会の生活保護基準部会が生活保護世帯と一般の低所得者世帯を年齢別、世帯人数別、地域別に比較した結果を踏まえて増減させた「ゆがみ調整」と08~11年の物価下落率4・78%を反映させた「デフレ調整」によって算出された。
16年6月になって、厚労省が基準部会にも伝えず、ゆがみ調整の増減幅を一律2分の1にしていたことが北海道新聞の報道で明らかとなった。
安倍内閣当時、厚労省の村木厚子社会・援護局長らが世耕弘成官房副長官に説明した際の資料を情報公開請求で入手したところ「2分の1処理」の記載があった。受給者の過半数を占める単身高齢者世帯の増額分を半分にし、全体で90億円減額を実現していたという。
一方のデフレ調整には厚労省が基準部会に諮らず、総務省の消費者物価指数(CPI)の数値を使って算定した「生活扶助相当CPI」が使われた。総務省のCPIで08~11年の物価下落率は2・35%にとどまるが、テレビやパソコンといった、生活保護世帯の購入が想定できない教養娯楽用耐久財の値下がりを反映させるなどして、2倍を超える下落率を算出し、580億円を減額していたことが分かった。
07~08年の物価上昇を考慮せず、08年以降の下落だけの変動率は恣意(しい)的であり、デフレ調整を取材してきた元中日新聞編集委員の白井康彦(しらい・やすひこ)さんは愛知訴訟の法廷で「物価偽装だ」と証言した。
しかし、一審名古屋地裁(角谷昌毅(かくたに・まさたけ)裁判長)は20年6月の判決で「厚労相の判断に過誤、欠落があるとは言えない」として請求を退け、千代盛さんは「やっぱり変わらないのか」と失望した。
▽「政治的判断」
ただ、いのちのとりで裁判の原告は最初の名古屋地裁で負けたものの、大阪、熊本、東京各地裁などで勝訴し、津地裁の竹内浩史(たけうち・ひろし)裁判長は「改定の背景には、専門的知見を度外視した政治的判断があったことがうかがえる」(24年2月の判決)と指摘した。愛知訴訟も23年11月の二審名古屋高裁判決で逆転する。
同高裁の長谷川恭弘(はせがわ・やすひろ)裁判長は、ゆがみ調整の増額分まで2分の1としたのは「裁量権の逸脱」と認定。デフレ調整も従来の消費水準ではなく、物価変動を指標とする生活扶助相当CPIを使ったことなどには過誤、欠落があり違法と断じた。
改定を取り消した上に「客観的合理的な根拠のない手法等を積み重ね、あえて生活扶助基準の減額率を大きくしている」などとして国に慰謝料の支払いも命じた。
国などが上告し、最高裁第3小法廷(宇賀克也(うが・かつや)裁判長)で今年5月27日に開かれた口頭弁論。千代盛さんの自宅アパート内、購入後25~30年の冷蔵庫や掃除機、残高534円の預金通帳などのスライドが映し出された。
千代盛さんは「生かさず殺さず、ずっとです。毎日お金のことばかり考えて暮らすことがどれだけ大変か、亡くなった原告のことも含めて、私たちの生活の実態を少しでも分かっていただき、公正なる判断をしていただきたい」と陳述した。
第3小法廷判決の6月27日までに、原告勝訴は地裁が31件中20件、高裁は12件のうち7件。
第3小法廷も原告勝訴だった。物価変動率だけを指標としたデフレ調整について「厚労相の判断の過程および手続きには過誤、欠落があった」として生活保護法違反を認め、改定を取り消した。慰謝料は認めなかった。
国などの敗訴が確定したが、厚労省は元原告たちに謝罪せず、改定を取り消されたのに、減額分を返そうともしない。一方で対応を話し合う専門委員会を設けた。
「『不正労働省』は、うやむやにしようというのか。私たちの生活はどうでもいいのか」と千代盛さんの怒りは収まらない。愛知訴訟の女性をはじめ、230人を超える原告が最高裁判決を聞かずに亡くなったことが残念だという。(共同通信編集委員 竹田昌弘)
判断過程や手続きで過誤 裁量権の逸脱・乱用認める
最高裁は憲法25条について、結核患者が生活保護変更決定の取り消しを求めた朝日訴訟判決(1967年5月)や、目の不自由な女性が障害福祉年金と児童扶養手当の併給を求めた堀木訴訟判決(82年7月)で、次のような解釈を示してきた。
①「健康で文化的な最低限度の生活」の具体的内容やその趣旨に応えた立法は、厚相(現厚生労働相)と立法府の広い裁量に委ねられている
②その具体化には、高度の専門技術的な考察とそれに基づく政策的判断が必要となる
③厚相や立法府が裁量権を逸脱・乱用した場合は司法審査の対象となる
その後、70歳以上の生活保護受給者への老齢加算廃止を巡る訴訟の判決(2012年2月)で、③の裁量権の逸脱・乱用を認定する基準として、最低限度の生活の具体化に関する「判断の過程および手続きでの過誤、欠落」などを挙げた。
「いのちのとりで」裁判では、これらの解釈や判断基準に基づいて審理された。
(2025/09/11)
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