一般2026年04月10日 「当たり前」の権利大切に 102歳、投票欠かさず 提供:共同通信社

山口県柳井市の友瀬慶子さん(102)は、女性が初めて参政権を行使してからの80年間、ほぼ全ての選挙に足を運んできた。家父長制の頃や戦争を経験し、参政権のない時代を知っている。今「当たり前」のようにある権利や価値の尊さを感じているからこそ、その権利を大切にしてきた。
5人きょうだいの一番上。東京・日暮里で、祖父や両親らと暮らした。武家出身だが明治維新で浪人となり、家族は盆栽の販売などで生計を立てた。だが、両親を病気で亡くし、数え年19歳のときに祖父も他界。きょうだい5人だけが取り残された。
太平洋戦争下の東京では初の空襲があり、山口県にいた親戚が「東京はこれから危ないから」と、5人を引き取ってくれた。あのまま東京にいたら「きっと身を売らなきゃ暮らしていけなかった」。
人であふれた寝台列車で横になれないまま、18時間かけて移動した。その後、まもなくお見合いで結婚した。「まだお嫁に行きたい年じゃなかった」が、面倒を見てくれる親戚に「わがまま」は言えなかった。
日本で女性が参政権を行使できるようになった初の選挙は1946年の衆院選。友瀬さんが22歳の頃だ。夫と農業をして子宝にも恵まれていた。近所の人から「この人に投票してください」とお願いされた。突然の機会に「誰に投票していいか分からなかった」ので、当時はその通りにした。
山口県選挙史によると、当時の県内有権者数は約69万人。戦後で女性が男性より10万人近く多かった。投票率は73%を超えた。地元紙の「防長新聞」は、午前7時のサイレンと同時に投票所に列ができ、女性が圧倒的多数を占めたと報じた。投票所には託児所が設けられ、孫とそろって投票に来た80歳の女性が「冥土のいい土産ができた」と話していたと紹介した。
友瀬さんは40代以降、地域の民生委員や調停委員として活動し、高齢者への給食サービスなどボランティア団体を複数立ち上げた。戦時中に命を救われた「恩返し」だった。選挙は、若い頃の1回を除いて国政・地方選を含め必ず投票してきた。雨でも雪でも欠かさなかったのに「その1回、なんで行かなかったのか」と今も悔やんでいる。
参政権がなかった頃は「不公平だとか大げさなことは思っていなかった」というが、今は「責任を持って1票を入れたい」と新聞を読み、自分の意見を持つようにしている。「選挙はその人の大切な権利」だと思うから。
(2026/04/10)
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