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解説記事2017年02月13日 【特集インタビュー】 借用概念を巡る学説を検証する─第3回(2017年2月13日号・№678)

特集インタビュー
ヤフー・IBM事件や収益計上基準で弊害浮き彫り、納税者に実害も
借用概念を巡る学説を検証する─第3回

 これまでのインタビューでは、法的安定性やヤフー・IDCF事件判決を含む過去の裁判例における判断など様々な角度から、借用概念を巡る学説のうち現在日本で通説となっている「統一説」の問題点について話をうかがってきた。
 最終回となる今回は、朝長税理士が財務省で携わってきた立法の現場では借用概念がどのように捉えられていたのか、また、統一説を採ったことにより企業や納税者にどのような“実害”が及ぶのか、さらに、IBM事件や現在進行中の有利発行課税事件、企業会計基準委員会(ASBJ)が現在進めている新たな収益認識基準を巡る議論でも問題となる法人税法22条2項の収益の額の計上基準の原則の解釈などにも触れていただきながら、借用概念問題の核心に迫っていただいた。

Ⅶ 税法の立法の立場からの判断

1 税法の立法においては、同じ用語でも「概念」は異なることがあると認識
――朝長先生は、税法の立法に係る業務に携わっておられたわけですが、税法を立法する立場からは統一説についてどのようにお考えでしょうか。
朝長
 税法の解釈論を語る場合には、少なくとも「立法の常識」と言われるものは知っておかなければなりません。
――林先生が『立法の常識』で述べておられるようなことでしょうか。
朝長
 そうです。
 いずれの「法」も、自らが描くあるべき姿は自らの言葉で語っているわけであって、他の「法」と同じ用語を用いている場合であっても、その概念が違うことがあるということは、立法の常識の一つです。
 ですから、税法の解釈においてだけ、用語の概念を他の法におけるその用語の概念と同一であると解釈すべきという主張は、特別な他事を考慮しない限り、出てくるものではありません。
 立法に係る業務に長く携わり立法に関する十分な知識を持つ人達に、統一説と無限定目的適合説の2つを並べてどちらが正しいかと問うたとしたら、統一説が正しいと答える人は居ないと思います。
――立法時には、統一説で言うような概念の「借用」は行われていないということですね。
朝長
 そうです。
 私の経験を申し上げると、税制改正時に、他の法令等にある用語の意味内容を参考にしたり他の法令等に新たに用いられるようになった用語の意味内容を踏まえたりして、税法における同じ用語の意味内容を考えることは何度もありましたが、同じ用語だからといって意味内容も同一であるという認識で税法の改正案を作ったことは一度もありませんでした。
 同じ用語でも、税法と他の法令等とでその範囲等が異なるということは当然有り得ることであり、また、「概念」というものを厳密に捉えると、税法と他の法令等における用語の「概念」が同一ということは有り得ません。
 「概念」という用語を辞書で開くと「ある物事の概括的大まかな意味内容」という意味になっていますが、「概括的で大まかな意味内容」を借用しているのか否かという議論をしても実益はありませんので、統一説で言う「概念」は、「概括的」でなく「大まか」でもない「意味内容」を指すということになるはずです。他の法令等において用いられている概念と同一の概念を税法が用いているということでなければ、そもそも統一説の存在意義はありません。
――そもそも同じ用語の意味内容が同一でないことがあるのか否かということが、目的適合説と統一説の違いになっているわけですからね。
朝長
 法案を作る際には、条文の多数の用語の全てについて詳細にその意味内容を想定するなどということは行っていませんし、そのようなことは現実には不可能なわけですが、同じ用語を使っていたとしても、その範囲等が異なることが有り得ると考えていることは間違いありません。
 平成16年1月14日に、昭和40年に現在の法人税法の企画立案及び条文案の作成を主導された武田昌輔先生と原一郎先生に当時のお話をお聞きしたことがありますが、その際、武田先生も「「借りる」なんてことは、そりゃ無いですよ。「借用概念」というのは、おかしいよ。税には税の目的があるからね。」と明確に仰っていました。立法過程においては、他の法令等から概念を借りて税法における概念を同一にするというようなことは無い、ということです。
 立法がどのように行われているのかということを正しく理解してさえいれば、統一説のような解釈が正しいと判断することは有り得ないはずです。
 言い方を換えれば、立法の意図に反する解釈は採り得ないはずである、ということです。

2 税法の解釈でのみ「借用概念」「固有概念」という特殊な概念を用いる理由はない
――他の法の解釈論には、「借用概念」や「固有概念」というものはないわけですね。
朝長
 そうです。
 会社分割を例にとると、商法に「会社分割」という制度が創設されて「会社分割」という用語が使われるようになり、これに伴い、他の多くの法において「会社分割」という用語を用いた上で会社分割が行われた場合の取扱いが定められましたが、これら他の法の解釈論を見ても、いずれにも「借用概念」や「固有概念」という言葉は用いられていません。
 林先生の『法令作成の常識』、『法令用語の常識』や『法令解釈の常識』、そして、荒井先生の『税法解釈の常識』にも全く出てきません。
 税法以外の法分野においては、他の法令等にある用語と同じ用語が用いられている場合、各用語を法令等の目的等が異なるごとに違う概念として捉えなければならないことがあり、それを「概念の相対性」と呼んでいます。
 荒井先生の『税法解釈の常識』においても、「同じ用語でも法令によって概念の相対性がある」という見出しを付して、次のように述べられています。
A 同じ用語であれば、違う法令の規定の中で出てきても、同じように解釈するのではありませんか。
講師 それは、必ずしもそうだとはいえません。同じ用語でも、法令の趣旨、目的、前後の関係等が違っていれば、違う意味で用いられる場合もあります。これを概念の相対性といいますが、たとえば所得税法上の「所得」と法人税法上の「所得」とは必ずしも同じではありませんし、所得税法上の「居住者」、「非居住者」と外国為替及び外国貿易管理法上のそれらとは同じではありません。(58・59頁)
 税法だけに特殊な立法原理があるわけではありませんので、税法の解釈においても特殊な解釈論を採る理由はない、ということです。

3 統一説は「立法者の意思」にも「規定の趣旨・目的」にも合致していない
朝長
 「租税法と私法」の中では、次のとおり、「立法者の意思」が統一説の根拠として挙げられていますが、「立法者の意思」については、今述べたとおりです。
 租税法が、他の法分野で用いられている概念を使用した場合には、特段の根拠がない限りは―別意に解すべきことが明らかでない限りは―それは本来の意味において用いられていると解するのが、立法者の意思に合致しており、また規定の趣旨・目的に合致していると思われる。(12頁)
 また、この「特段の根拠がない限りは―別意に解すべきことが明らかでない限りは―それは本来の意味において用いられていると解する」という主張も、正しくないと考えています。
 「租税法と私法」の中では、この主張の正当性の論拠として、次のとおり、「利益の配当」の概念について争われた事件の最高裁昭和35年10月7日第二小法廷判決が挙げられています。
 たとえば、「利益の配当」という概念を立法者が用いた場合には、利益の処分がその中心的要素として考えられていた筈であり(中略)。その意味でも、借用概念は原則として私法におけると同義に解すべきであろう。(12頁)
 この判決では、次のような判示がなされています。
 所得税法の中には、利益配当の概念として、とくに、商法の前提とする、取引社会における利益配当の観念と異なる観念を採用していると認むべき規定はないので、所得税法もまた、利益配当の概念として、商法の前提とする利益配当の観念と同一観念を採用しているものと解するのが相当である。
 金子先生はこの判決を取り上げ、1968年(昭和43年)2月に『租税判例百選』の中の「11 実質課税の原則(2)―納税者の利益に適用した例―」で次のように述べておられ、これが先ほど紹介した「租税法と私法」の記述に繋がっているものと解されます。
 借用概念は私法におけると同義に解すべきであるという考え方は、すでに最高裁判所の「利益の処分」の意義に関する判決(中略)の中に現われている。(29頁)
 しかし、上記の最高裁昭和35年10月7日第二小法廷判決の考え方は、同じく「利益の配当」の概念について争われた事件である最高裁昭和43年11月13日大法廷判決において、明確に否定されています。
 また、上記の「租税法と私法」からの引用の最後の部分においては、「また規定の趣旨・目的に合致している」と述べられていますが、税法の規定の趣旨・目的は、その税法の規定の創設や改正に際して述べられている解説、当該規定の創設や改正に至る税制調査会の資料等によって確認すべきものであって、借用概念を私法におけると同義に解釈すれば趣旨・目的に合致したものとなるなどということにはなっていません。

4 「利益の配当」の判例は統一説ではなく「概念の相対性」の論拠となるもの
――統一説と目的適合説のいずれを採るかということがいかに重要かを分かり易く確認できる具体的な事例があればご紹介下さい。
朝長
 分かり易いという点からすると、先ほどの「利益の配当」の概念について争われたケースが「租税法と私法」と『税法解釈の常識』の双方において取り上げられていますので、一番良いのではないかと思います。
 「租税法と私法」の中で述べられていることは先ほどご紹介したとおりです。
 一方、『税法解釈の常識』の中では次のように述べられています。
 この点に関連して、税法上の用語と一般私法上の用語との関係が問題になったことがあります。その適例として、税法上の配当所得(法人から受ける利益の配当)が商法上の配当と等しいかどうかが争われました。
 これは、不特定多数の者から金銭を受け入れ、これを相互金融の資金に回すため、法律に基づかない金銭の受入れが「出資の受入、預り金及び金利等の取締等に関する法律」により禁止されていることに対する脱法行為として、株主相互金融会社の方式が編み出され、無尽に類した相互金融を行っていましたが、この会社がその株主に対して株式数に応じて供与した株主優待金が利益配当として源泉徴収の対象となるかどうかをめぐっての問題です。
 これについては、下級審で判断が分かれましたが、最高裁判決で両者は同一観念を採用しているものと解し、株主優待金は利益の配当ではないとして源泉徴収に対し否定的な判断が出されて終止符を打ちました。(59・60頁)
 金子先生と荒井先生のこれらの記述だけを見ると、税法における「利益の配当」は、私法における「利益の配当」の概念を「借用」したものということになります。
 しかし、これには、まだ続きがあります。
 『税法解釈の常識』には、上記の引用部分に続けて、上記の株主優待金が損金算入できるか否かが争われた事件の最高裁昭和43年11月13日大法廷判決について、次のような記載があります。
 ところが、次に株主相互金融会社自体の法人税について、その株主優待金が法人の所得の金額の計算上、経済的実質に従って預り金に対する支払利子の性質をもつものといえるか、形式的には株主たる地位に基づいて支払を受ける金銭であるから商法上違法があるにしても利益の配当とみるべきかということが問題となったのに対し、最高裁判所は、下級審の判決をくつがえし、利益の配当として損金の額に算入されないものと判決したのです。(60頁)
 要するに、最高裁は、源泉所得税の課否の争いについては、税法上の「利益の配当」は私法上の「利益の配当」と同じ概念であるとして、株主優待金に対する源泉所得税の課税を取り消していますが、法人税の課否(損金算入の可否)の争いについては、税法上の「利益の配当」は私法上の「利益の配当」と同じ概念ではないとして、株主優待金の損金算入を否認した国の課税処分を認めています。
 法人税の課否が争点となったこの最高裁昭和43年11月13日大法廷判決は、認定配当が存在することからも分かるとおり、当たり前のことを述べた判決に過ぎません。
――『税法解釈の常識』に書かれている「ところが、……」の部分が、その前の部分よりも重要ということですね。
朝長
 当然そのように理解すべきであり、同じ法人の同じ株主優待金に関する二つの事件の最高裁の昭和35年10月7日の第二小法廷判決と昭和43年11月13日の大法廷判決は、荒井先生のように同列に取り上げて説明するか、または、解釈変更後の大法廷判決に重きを置いて説明する、というのが妥当です。
――なるほど、そうでなければ読者は誤解してしまいますよね。
朝長
 この「利益の配当」の事例は、「借用概念は原則として私法におけると同義に解すべき」という統一説の論拠となるものではなく、同じ用語でも法が異なれば概念が同じとは限らないという林先生や荒井先生が述べておられる「概念の相対性」の論拠となるものです。
 ところが不思議なことに、この事例に関しては、最高裁の昭和35年10月7日の第二小法廷の判決を取り上げ「統一説が正しい」と主張する論考はいくつか存在するものの、最高裁の昭和43年11月13日の大法廷の判決を取り上げた論考が見当たりません。
――それは不思議ですね。

5 立法過程に課題があることは統一説を擁護する理由にはならない
朝長
 谷口先生は、「借用概念と目的論的解釈」の最後の部分で、次のように、我が国の税法の立法のあり方に関係する重要なことを指摘されています。
 立法者の意思は必ずしも明らかでない場合もあり、強いてそれを突きとめようとすれば、実際には、そこに恣意の介入する余地が生じ法的安定性を害することにもなりかねない。(中略)我が国には、租税立法者の意思を個々の規定ごとに逐条的に確認し得る、公表された法案理由書等の立法資料が必ずしも整備されているとはいえないが故に、なおさらである。税法の解釈においても民主主義原理、したがって立法者の意思は尊重されるべきであるが、そうである以上、立法者自身としても個々の規定について立法理由を明確にすべきであろう。(133頁)
 「立法者の意思」を明確にするべきという部分は非常に重要な指摘であり、税制改正法案が3月末に国会を通過してから4か月も後の7月になって毎年度の『税制改正の解説』が公表され、初めて納税者が改正の趣旨・目的や理由の詳細を知ることができるという我が国の立法の進め方には問題があると言われても止むを得ない、と考えています。このような問題は税法の立法にだけ存在するものではありませんが、可能な限り変える努力は必要であり、7月に公表される『税制改正の解説』の簡略版を国会審議に間に合うように提出することも検討してはどうかと考えます。
――もしそうなれば、国会でも改正の趣旨・目的の適否や改正案の適否についてこれまで以上に充実した審議ができるでしょうね。
朝長
 『税制改正の解説』と同じものを3月までに作るのは、現在の立法の進め方を抜本的に変えない限り無理ですが、簡略版であれば、現在のような立法の進め方の下でも、少し前倒しで改正案の作成作業を行う工夫をすれば、3月までに作ることができるのではないかと思っています。
――ただ、現在の税法の立法過程を変えるというのは現実には簡単なことではないですよね。税法の解釈において立法者の意思が尊重されるべきという谷口先生のご指摘はもっともだと思うのですが、立法者の意思が見えにくいという状況が今後も続くとすれば、それは税法の解釈論を変える(すなわち統一説に向かう)理由になるのではないでしょうか。
朝長
 そうは思いません。
 その理由は、納税者が改正後の法令の規定を解釈する場合、財務省から出される毎年度の『税制改正の解説』や国税庁から出される通達及びその解説などにより、最終的には、ドイツにおける「法案理由書等」と同等と言ってよい材料が存在する状態になっていると考えられるからです。
 そもそも、立法過程がおかしいから解釈論を歪めてよいということにはなりません。
 確かに我が国においては、他の先進諸国以上に、税法の立法を国会ではなく行政が主導しているという実態にあることは否定できませんが、その一方で、我が国においては、他の先進諸国と比べると、納税者を性善説で捉えて税法の立法が行われていることもまた事実です。
――確かに、「日本は、租税回避に甘い」という話を聞いたことがあります。
朝長
 ドイツでは目的適合説が適切で我が国では統一説が適切であると主張するには、我が国の税法はドイツの税法と違って私法を優位に置いて解釈をしなければならなかったり、私法の概念を税法の概念としなければならなかったりする事情にあるということを、具体的な根拠を示して説明する必要があります。
 私は、財務省主税局で税法の企画立案と条文案の作成を行ってきた経験から、我が国の税法は他の先進諸国の税法と比べて納税者にとって厳しいものになっているわけではないと感じています。
 平成12年にデリバティブ取引やヘッジ取引などの取扱いを定めた時から、「通達行政」などと言われる状況を改めなければならないという想いで法令を詳しく書かせて頂くこととしたわけですが、その後、現在までそのような姿勢で改正が行われてきていますので、税務執行の現場も、かなり変わってきていると感じます。
――確かに、「通達行政」という言葉は、聞かれなくなってきましたね。
朝長
 我が国の税法の立法過程の問題は、立法の課題として解決して行かなければならない大事なことですが、立法過程がおかしいから解釈論で調整してバランスを取るというような対応では、いつまで経っても何も変わりません。
 立法に当たっては趣旨・目的を事前に詳しく説明するべきであると主張し続けるとともに、成立した法に関しては、都度、問題があるところを具体的に指摘して改正するように主張する、ということが必要です。平成18年や22年の改正のように、税の理論と実務や従来の制度を正しく理解しないまま不適切な趣旨・目的で改正が行われるというものが出てくることも、現実にあるわけですから、改正の都度、問題点を具体的に主張するということは、非常に重要となります。それを行わずして、解釈論を歪めて対応するということでは、筋違いとの指摘を免れ得ないと考えています。

Ⅷ 法人税法と商法・会社法の関係

1 私法と税法の間に優先劣後の関係は存在する?
――統一説と無限定目的適合説のいずれが正しいのかという話が税法の規定の解釈にどのように関係するのかということが、いま一つ良く分かりません。
朝長
 問題の本質を正しく認識すれば容易に理解できるはずです。統一説と無限定目的適合説のいずれが正しいのかという問題は、言い換えると、商法・会社法において用いられている用語の解釈を法人税法において用いられている同じ用語の解釈に優先させるのか否かという問題です。
――なるほど。要するに、「商法・会社法で「会社分割」とはこういうものとされているのだから、法人税法上の「分割」もそれと同じものでなければならない」と主張するのか否か、という問題ということですか。
朝長
 そうです。そのような問題であるからこそ、統一説は誤っている、と言っているわけです。
 「概念の相対性」という捉え方をすれば、私法を税法よりも優位において私法の解釈を税法の解釈とするという関係にはなりません。
 この問題に関しては、谷口先生が「借用概念と目的論的解釈」の中でドイツにおける議論を紹介されていますので、少し長くなりますがそのまま引用することとします。
 ドイツでは、第一次大戦前から、税法と私法との関係が議論されてきており、借用概念論は、このいわゆる「税法と私法」論との密接な関連において、展開されてきた。そのような中で、1950年代半ば以降、「税法に対する民事法の優位」を唱える統一説が、優勢になったのは、一つには、租税法律は経済的事象ないし状態を課税の対象としようとするが、その際に民事法の用語を借用することが多いという認識を、基礎としてのことであったと考えられる。
 これに対して、目的適合説は、同じような認識に立脚してはいるが、そこから、借用概念は民事法と同義に解釈すべきであるという価値判断を伴う、民事法の優位(「民事法の目的論的優位(中略)」)を導き出すことはしない。Tipkeは、早くから、「それ〔=上述のような認識〕にもかかわらず、税法は、民事法の従属法(中略)ではない。税法は-他の単純法(中略)と同様-憲法のもとには服しているが、民事法とは対等の地位にある。」と述べ、税法と民事法との対等性を強調してきたが、最近では、Kirchhofに倣って、両法の関係について「民事法の先行(中略)」という表現を用いるようにもなっている。Kirchhofのいう「先行」という概念は、統一説のいう「優位」とは異なり、価値的な概念ではなく、時間的な概念にすぎない。すなわち、「個人の経済的形成意思に法的拘束力を与えるために、法治国家は、市民に民事法を自由に使わせる。租税によって把握される個人的給付能力に係る事実は、まず第一に、民事法を使って自由に形成されるので、民事法と税法の適用の時間的順序に関して、税法に対する民事法の先行という言葉を用いることができるのである。」
 統一説は、また、法秩序の一体性の見地を重視するものでもある。これに対して、目的適合説は、先に引用した各論者の所説にもみられるように、税法と民事法との「目的論的一体性(中略)」を否定し、両法の目的の相違に基づき「法概念の相対性」を説く。(111・112頁)
 この部分には、統一説を採れば民事法の解釈を税法の解釈に優先させることになり、無限定目的適合説を採れば民事法と税法は対等の地位にあるということになるためそのような優先劣後の関係を考慮せずに税法を解釈することになる、ということが明確に書かれています。
 既に述べたとおり、ドイツにおける通説は無限定目的適合説になっているということですか
ら、民事法の解釈を税法の解釈に優先させるというようなことはないはずです。
――なるほど。2つの説のいずれが正しいのかによって税法の個々の規定の解釈の仕方が大きく変わってくるわけですね。
朝長
 そういうことです。

2 無限定目的適合説では税法と他の法は対等の関係
――林先生や荒井先生のような解釈論を採るとすれば、税法と他の法の関係は対等の関係にあるということですよね。
朝長
 そうです。
 実際に解釈をする場面を考えてみると、他の法における用語の解釈や過去の判例等において示された解釈などを必要に応じて参考としつつ、その用語について文理解釈を行い、規定の趣旨・目的を踏まえて目的論的解釈をする、ということになります。
 他の法令等における用語の解釈は参考に止まるものである、と考えておくべきです。
 そうすると、税法と他の法の関係は自ずと対等の関係になります。
――統一説と無限定目的適合説とでは、税法と他の法の関係の捉え方が大きく異なるわけですね。
朝長
 そういうことです。

3 我が国でも無限定目的適合説が妥当
――これまでのお話をうかがっていると、我が国の税法の解釈論としては、ドイツと同じように無限定目的適合説を採るしかない、ということですね。
朝長
 そうです。税法の解釈論において、趣旨・目的が重要であるということを明確にした上で、それを踏まえて、税法の立法に際しては趣旨・目的を明確にすべきである、と主張して行くべきだと考えています。税法の立法が急に大きく変わるということは期待できないとは思いますが、それでも粘り強く、正しい解釈と適用を積み重ねていくことが必要だと考えます。
 無限定目的適合説に基づく解釈と適用の積み重ねが出来てくると、法人税法と商法・会社法の関係は自ずと対等と捉えられることになります。
 現在の憲法体系の下では、法人税法と商法・会社法の関係は優劣が無いことが自明であり、その点からも統一説が誤りであることが明らかなわけですが、それにもかかわらず、税法の解釈論において統一説を採ることにより、優劣をつけようとしているところに大きな問題があるわけです。

Ⅸ 統一説を採ったことによる弊害

1 統一説、無限定目的適合説それぞれに基づく解釈の有利不利は一概に言えず
――税法の創設や改正の趣旨・目的に合うように解釈するとなると、国側に有利で納税者側に不利になるという結果にならないのでしょうか。
朝長
 税法の解釈の結論をいずれかにとって有利にするという特別な意図をもって税法の解釈論を変えるなどということは、適当ではありません。
 また、「結果」が納税者側に不利にならないかという点ですが、有利不利は一概には言えません。
――しかし、税法の趣旨・目的に沿って判断しなければならないということになると、やはり、課税当局にとって有利に解釈されてしまうのではないかという懸念が残るような気がしますが……。
朝長
 実際には、むしろ納税者側が有利になり得ると思われます。
 税法の条文の解釈が争いになる場面を考えてみると、その殆どのケースにおいて、その条文を実際に企画立案して法案を書いた人達は既に退官しています。
 当然ですが、法令の条文をどのように解釈するべきかということを一番深く詳しく知っているのは、それを作った人です。
 アメリカなどでは、法案を書いていた人達が退官して民間で活躍しているという話をよく聞きますが、我が国では、そのような人達を納税者が十分に活用していないケースが結構あります。これまでに複数件発生している有利発行課税事件は、そのようなケースの典型例です。最初に発生した大手総合商社の有利発行課税事件は、関連条文の趣旨・目的を踏まえれば間違いなく課税を受けずに済んだはずのものですが、最高裁で納税者側が敗訴し、巨額の追徴課税が確定しました。しかし、裁判になった時点で、昭和48年に有利発行税制を創られた方々が現に税理士として活躍されていたわけですから、そのような方々に助言と意見書の作成を求めさえすれば、当然、課税にならないという判断をしてその旨の意見書を書かれたはずです。多くの著名な税法学者や会社法学者の意見書を求めるよりも、有利発行税制を自ら創られた方々の意見書を求める方がはるかに良かったはずだと考えています。我が国でも、そのような人達を納税者が広く活用するようになれば、納税者と課税当局との関係は、かなりバランスが変わることになるはずです。
――そういう意味では、朝長先生が国側に助言を行い鑑定意見書を書かれたヤフー・IDCF事件も同じですね。裁判当時、朝長先生は既に退官されていたわけですし。
朝長
 そうですね。組織再編成税制に係る税法の規定の趣旨・目的は何かというような話になれば、実際に条文案を書いた者の方が良く分かっているということになるのは、当然です。制度の創設や条文の改正から時間が経てば経つほど、国と言えども、情報源は、改正に至る過程の税制調査会の資料や改正時の解説といった周知の資料や書籍などに頼らざるを得なくなるわけですが、このような資料には一般の方でもアクセスすることができます。このような状況下では、一概に「趣旨・目的が重視されるのであれば国が有利」とは言えないわけです。
――少し聞きにくい話ですが、もしヤフー・IDCF事件で納税者側から朝長先生に助言の依頼があったとした場合、どうされていたのですか?
朝長
 仮定の話に対する回答は差し控えたいと思いますが、基本的には先に正式な依頼があった方のお仕事を引き受けるというのが私のスタンスです。

2 ヤフー事件や収益計上基準の誤りは統一説の弊害の典型例
――税法の解釈論の学説が正しくないと、どのような弊害が生ずることになるのでしょうか。
朝長
 我が国の学説が統一説を通説としてきたことにより、①税法の趣旨・目的の軽視という問題、そして、②「租税国家の憲法原則が変性させられる」というドイツで指摘されている問題と同じ問題が生じていると考えています。この②の問題は、本来は私法と税法には優劣がないにもかかわらず、統一説を採ったことによって私法が優位、税法が劣位に置かれ、その結果、私法の概念が税法の概念とされることによって起こるものです。
 この①の問題と②の問題は、相互に密接な関連を持っています。税法の趣旨・目的を重視すれば、税法の趣旨・目的に合うように解釈をしなければならなくなりますので、私法の解釈を税法の解釈に持ち込みにくくなってしまうわけです。
――①の問題と②の問題との関係は、前者が後者を生じさせていると見ることもできるわけですね。
朝長
 そうです。①の問題が顕著に表れる問題であり、目的適合説との相違点でもあるということになります。
――統一説を採ったことによって生じた分かり易い具体的な弊害の例を挙げて頂けないでしょうか。
朝長
 最近の重要事件であるヤフー・IDCF事件、IBM事件や有利発行課税事件もそのような弊害があることを確認できる事件であり、昨年10月に貴誌に寄稿させて頂いた収益の額の計上基準の原則の解釈の件もそのような弊害があることを確認できるものであると考えています。
 ヤフー・IDCF事件とIBM事件は租税回避の事件ですが、貴誌の対談(「検証・IBM事件 高裁判決〔第2回〕、2015年5月25日号、No.595参照)でも詳しく述べたとおり、租税回避についての解釈の通説は、法人税法132条が創設された大正12年の創設の趣旨・目的を全く顧みないものに変質してしまっていました。大正12年には、132条は、税制度の潜脱を図るものに対して課税をするという趣旨・目的で創設されたことが明確に確認できるわけです。当時、個人株主に配当課税が始まったことを受け、財閥等がこれを回避するべく、個人株主と事業会社との間に「財産保全会社」と呼ばれる持株会社を設けて事業会社からの配当を受け取ることとしていたことに対して、その持株会社の留保所得を個人株主の配当とみなす「みなし配当」の仕組みが設けられたわけですが、この「みなし配当」の仕組みを設けただけでは足りませんでした。それは何故かというと、個人株主が配当含みの事業会社の株式をその持株会社に高値で譲渡し、配当落ち後に、その事業会社の株式をその持株会社から安値で買い戻すということが行われており、個人株主においては株式の譲渡益に対する課税が行われない仕組みとなっている一方で、その持株会社に事業会社の株式の譲渡損が計上されてそれが課税所得を減らすために使われるということになっていたからです。そこで、この持株会社に計上される事業会社の株式の譲渡損を使って税負担を減少させることを防止するために、132条を設けることとされたわけです。このように、株主において株式の譲渡益に対する課税が行われず、持株会社において株式の譲渡損が発生してそれが税負担を減少させるという構造は、IBM事件と同様です。つまり、132条の趣旨・目的を正しく理解していれば、IBM事件は全く違った展開になったものと考えられます。
 しかしながら、現実には、IBM事件においては「行為又は計算が、異常ないし変則的であり、かつ、租税回避以外に正当な理由ないし事業目的が存在しないと認められる場合に法人税法132条が適用される」という通説の解釈に基づき、課税の可否が争われるということになってしまったわけです。
 そして、昨年2月に上告受理申立ての不受理決定で確定した高裁判決においては、この通説の後段の「租税回避以外に正当な理由ないし事業目的が存在しないと認められる」という部分は132条の適用の要件とはならないとして、この通説の前段の「行為又は計算が、異常ないし変則的」という部分に相当する「行為又は計算が、純粋経済人として不合理、不自然なもの、すなわち、経済的合理性を欠く」ということが同条の適用要件であると判示しました。この高裁判決が確定した結果、132条の適用範囲は、明らかに広くなり過ぎてしまいました。これからは、一旦132条で課税されてしまうと、争っても納税者が勝つことは非常に難しくなると考えられます。既に、このIBM基準ともいうべき基準を用いて132条の適用を可とした国税不服審判所の裁決も出ています。
 132条を従来の通説のように解釈することで、同条の適用範囲は非常に狭くなり、納税者にとっては好ましい状態となっていたわけですが、例えて言えば、解釈を歪めてきた付けを10倍返しで払わされることになってしまった、ということです。
 132条を創設の趣旨・目的どおりに正しく解釈していれば、当然のことながら、このような困った事態が起こることはなかったわけです。
――昨年の2月に確定したヤフー事件やIBM事件は、戦後最も重要な税務訴訟であったと思いますが、その後も、租税回避についてこれらの事件の前のまま説明したり、従来の通説は否定されていないというようなことを言ったりしている税理士や弁護士が居ると聞いていますが、大丈夫なのでしょうか。
朝長
 大丈夫ではないと思います。一般的には、租税回避として課税を受けた場合には専門家責任は問われないと考えてよいわけですが、ヤフー事件やIBM事件を正しく理解しないまま租税回避の説明を行って課税を受けたり裁判で負けたりしたということであれば、責任を問われても止むを得ないと思われます。
――それはリスクが高いですね。
朝長
 弊害の話に戻しますと、2件の有利発行課税事件も同様で、有利発行が行われた場合に受贈益課税を行う旨を定めた法人税法施行令119条1項4号について、昭和48年の創設の趣旨・目的に従った解釈をしてさえいれば、これらの事件は明らかに同号の対象とはならないものです。
 1件目の事件では、納税者側は、会社法学者にも意見書を書いてもらってそれを大きな拠り所とする主張を行っていますが、この事件においては、本来は、商法・会社法の話が必要なのではなく、法人税法施行令119条1項4号の創設の趣旨・目的の話をすることが必要でした。
 1件目の事件で納税者側が敗訴してしまったために、本来は課税の対象とならないにもかかわらず2件目の事件まで起こることとなってしまいました。この2件目の事件が敗訴で確定するようなことになれば、さらに誤った解釈による課税が拡大するという憂慮すべき事態になってしまいます。
――本誌(2016年10月10日号、No.662参照)に掲載させて頂いた法人税法22条2項の収益の額の計上基準の原則の解釈に関しても、同じように創設の趣旨・目的に明らかに反する解釈が見受けられるということでしたね。
朝長
 そうです。
 法人税法22条2項の収益の額の計上基準の原則に関しては、『租税法』では、次のとおり、法人税法においても権利確定主義が妥当すると述べられています。
3 収益および費用の年度帰属
(1) 原則―実現主義
  法人の収益・費用・損失等をどの年度において計上すべきかについては、考え方として現金主義と発生主義の2つがある(本節第1款第4項1(2)参照)が、(中略) 企業会計上は、発生主義によって損益を認識すべきものとされている(企業会計原則第2損益計算書原則1)。法人税法は、この点について一般的な定めをおいていないが、法人所得の計算についても発生主義が妥当すると解すべきである(22条4項からそのような解釈が導き出される。東京高判昭和48年8月31日行裁例集24巻8=9号846頁)。所得の発生の時点については、所得税法の場合と同様に、所得の実現の時点を基準とすべきであり、原則として、財貨の移転や役務の提供などによって債権が確定したときに収益が発生すると解すべきであろう(最判平成5年11月25日民集47巻9号5278頁)。その意味で、法人税法においても、権利確定主義が妥当する。(327頁)
 見出しには「原則―実現主義」とあり、文章では「権利確定主義」と述べられていますが、「実現主義」と「権利確定主義」が違うものであることは改めて言うまでもありませんので、どちらを「原則」と主張されているのかよく分かりませんが、昨年10月の貴誌の記事(2016年10月10日号、No.662参照)でも詳しく述べたとおり、法人税法22条2項の収益の額の計上基準の原則は「引渡基準」とされており、「実現主義」も「権利確定主義」も採らないこととされたということは、創設時の解説等を見れば直ぐに確認できることです。
 「権利確定主義」は、私法の基準を税法の基準とするという性格のものであり、統一説の立場からすれば好ましいものであることは間違いありませんが、立法時に「引渡基準」を採ることとされたという事実があることが明確なわけですから、収益の額の計上基準の原則に関しても、事実を無視して解釈を述べることは許されません。
 また、上記の引用部分においては、「現金主義」と「発生主義」のことも書かれていますが、法人税法における収益の額の計上基準の原則に関しては、「現金主義」と「発生主義」のいずれが基準となるかというような切り口で判断がなされているわけではありませんので、「現金主義」と「発生主義」のいずれかという立論自体が誤解を生むものであって適切ではないと考えています。
 また、上記の引用部分には、法人税法22条4項から「発生主義」が導かれるという旨の記述も見られますが、収益の額の計上基準の原則の問題は、通達に定められた収益の額の計上基準がどのようなものかという問題ですから、通達を読めば分かることであって、企業会計原則がどうなっているのかということは問題になりません。
 収益の額の計上基準の原則を「引渡基準」とするべきところ、「権利確定主義」や「実現主義」としたということになると、所得の金額が間違った金額になってしまいます。
――税法の創設・改正の趣旨・目的を軽視する統一説は、現実に大きな弊害をもたらしているということですね。
朝長
 そうです。
 我が国の法人税法は全世界所得課税となっており、我が国における収益も外国における収益も同じように取り扱うことになるわけですが、例えば、外国における収益について、いつの時点で法的な権利が「確定した」と言えるのかということを考えてみると、国ごとに法制は異なるわけですから、判断が非常に難しく、かつ、国によって判断が異なることも少なからずあるはずです。そのような基準に法的安定性や予測可能性があるはずがありません。
 法人の活動が複雑化したり国際化が進んだりした状況の下では、権利確定主義は収益の計上基準の原則とは成り得ない、というのが常識的な判断であり、昭和40年に権利確定主義を採らないとした判断は、非常に適切な判断であったと考えられます。

Ⅹ 既に借用概念論の正否を正面から議論しなければならない状況にある

――統一説が納税者にも実害を及ぼすということが良く分かりました。本インタビューの冒頭では、我が国においては、税法の解釈論の学説をドイツのような統一説・目的適合説・独立説という3分類に整理するのは適当ではないという話がありましたが、結局我が国の学説は現在どういう状況にあるのでしょうか。
朝長
 まず、我が国にドイツの独立説と同じ説を唱えられている方が居るのかという問題があります。独立説は、税収の確保と公平な課税という二つの税法に固有の目的を考慮して税法の規定を独自に解釈するべきであるという説で、ナチスの時代に濫用された説とされていますが、それと同じ説を唱えられている方は我が国には居ないのではないかと考えています。他人の説を独立説と評価するのは自由とはいえ、本人が自らの説を独立説と言っていないにもかかわらず、「あなたの説はドイツの独立説と同じ説だ」と言うのは大変失礼なことです。
 次に、我が国には、分類しようとすれば、無限定目的適合説を含むドイツの目的適合説と同じ説と分類することが可能な説が多く存在すると思われますが、それらの説の多くは、ドイツの目的適合説を借用して唱えられているものではないと思われます。
 政府が国会に提出する法案は内閣法制局の審査を経なければなりませんので、内閣法制局の立法のルールに従って法案を作ることになりますが、このルールとは、簡単に言えば、林先生の『法令作成の常識』に書かれているようなものということになります。そのようにして作成される法案は、林先生の『法令解釈の常識』や荒井先生の『税法解釈の常識』に書かれているように解釈することを前提にして作られているわけです。このため、私は、常々、税法は荒井先生の『税法解釈の常識』に書かれているように解釈するべきであると申し上げてきたわけですが、この荒井先生が『税法解釈の常識』で述べておられる税法の解釈論は、ドイツの目的適合説を借用したものなどではなく、税法を作る立場から当然に出てくるものです。
 我が国の統一説はドイツの統一説を借用したものでしょうが、荒井先生が『税法解釈の常識』で述べておられる税法の解釈論や武田先生の税法の解釈論などは、ドイツの目的適合説を借用したなどというものではありません。
――我が国の税法の解釈論をドイツの学説の分類に入れ込もうとするところから既に適切ではない、ということですね。
朝長
 そうです。我が国には、趣旨・目的に合うように解釈するべきであるという当然のことを述べる説とドイツの統一説を借用した説とが存在する、と整理するのが適切ではないかと思っています。そして、これまでのお話からお分かり頂けるとおり、現在、既にこの二つの説のいずれが正しいのかということを正面から議論しなければならない状況になっている、と考えています。
――本インタビューをきっかけに、我が国でも、借用概念に関する議論が、税法学者のみならず実務家を巻き込んで盛り上がることを期待しております。本日はお忙しい中、貴重なお話を聞かせていただき、誠にありがとうございました。(了)
朝長英樹 ともなが ひでき
 財務省主税局において、金融取引に係る法人税制の抜本改正(平成12年)・組織再編成税制の創設(平成13年)・連結納税制度の創設(平成14年)などを主導。
 税務大学校研究部において、事業体税制等を研究。平成18年7月に税務大学校教授を最後に退官。
 現在、日本税制研究所 代表理事、朝長英樹税理士事務所 所長

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