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一般2025年09月08日 「本当は前川君を見ていなかった」福井中3殺害で再審無罪、男性はなぜうその証言をしたのか 事件から39年の告白と、元裁判官が感じた疑問、後悔、そして失望 提供:共同通信社

 「本当は前川君を見ていなかったのに、見たと言った」。裁判で有罪につながる証言をした男性はこう語り、審理に携わった元裁判官は事件を「砂上の楼閣」と評した。1986年に福井市で女子中学生が殺害された事件で逮捕された前川彰司さん(60)は、有力な物証がない中「事件後、服に血を付けた前川さんを見た」などという男性らの証言で有罪となり、服役した。この春、やり直しの裁判(再審)が開かれ、事件から39年を経て、8月1日にようやく無罪が確定した。ただ、再審無罪となっても福井県警や検察は謝罪や検証をする意向を示さないまま。証言をした男性や元裁判官の話から、事件をひもといた。(共同通信=中野湧大、片山歩)

▽「あのときは俺といた」警察で聞いた驚きのストーリー
 事件は1986年3月19日の夜、福井市の市営団地の一室で起きた。この部屋に住み、中学校の卒業式を終えたばかりだった15歳の女子生徒が、顔や首を多数刺されるなどして殺害された。福井県警はむごたらしい現場の様子から、薬物中毒者や非行少年グループの関与を疑った。しかし、有力な物証はなく、捜査は難航した。
 約7カ月後、事態は大きく動き出す。覚醒剤事件で捕まり、留置場にいた暴力団組員(当時)が「犯人は前川じゃないか。服に血を付けた前川を見た」と打ち明けたのだ。組員は、前川さんの中学の先輩で、シンナー遊び仲間だった。そして、事件前後に前川さんと関わったという複数の男女の名前を挙げた。
 事情を聴きたいと言われたものの、何のことか分からないまま警察署に赴き、捜査員に聞かれる通り事件当日のことを話したA氏。「3月19日の夜は、うどん屋でけんかを見た。その後、警察の検問にあった」。これがその日の出来事、のはずだった。
 ところが取り調べが進むと、警察に捕まっているはずの組員が捜査員と一緒に現れ、話に同調するように迫ってきた。「あのときは俺といたんや」「前川を迎えに行ったやろ」「洗濯機で血の付いた服を洗ったやろ」―。
 自身の記憶とは違ったが、傍らの捜査員も「あの日おまえは組員といたんやで」と繰り返し、仕方なく調書にサインした。
 裁判記録などによると、組員に「関与している」と名指しされた他の男女も、同様の経緯で組員の話に沿った供述をした。これらの証言などをもとに、事件から約1年後、前川さんは殺人容疑で逮捕された。

▽「記憶と違う」二転三転、揺らぐ証言
 逮捕された前川さんは「被害者を見たこともない」と一貫して容疑を否認。裁判では組員やA氏らの話が信用できるかどうかが争点になった。しかし、記憶とは違う調書にサインをしたA氏の証言は揺れ動いた。
 一審の福井地裁で、A氏はまず検察側の証人として法廷に立ち「前川さんを迎えに行き、服に血が付いているのを見た」と証言した。しかし、審理の終盤、今度は弁護側の証人として「その日前川さんとは会っていない」と語った。
 「前川さん犯人説」を言い出した組員の証言もあいまいだった。血の付いた服の処理について「川に捨てた」「市内に埋めた」と二転三転し、県警がそのたびに捜したが、結局見つからなかった。
 福井地裁は1990年、組員や男性らの証言は信用できないとして、無罪判決を言い渡した。当時の記事によると、前川さんは法廷でガッツポーズ。逮捕から約3年半ぶりに釈放された。
 しかし、検察が控訴し、二審名古屋高裁金沢支部に審理が移った。A氏は再び検察側の証人となり、「前川さんを見た」と証言し直した。高裁金沢支部は1995年、一審とは逆に、A氏らの証言は信頼できるとして、懲役7年の逆転有罪とする判決を言い渡した。最高裁も書面のみの審理で支持。判決は確定し、前川さんは刑務所に入った。

▽自身の弱み、浅はかな気持ちで…
 A氏はなぜ、うその証言をしたのか―。記者はたびたびA氏に取材を申し込んだが「判決が出てから」と断られてきた。再審無罪判決後、初めて取材に応じたA氏は、事件の内幕を次のように明かした。
 元々組員と知り合いで、組員を通じて前川さんを知ったA氏。事件とは別の日、前川さんを迎えに行ったが、結局前川さんは現れなかったという出来事が実際にあった。警察署の取り調べで、組員に「前川を迎えに行っただろう」と言われ、このことが浮かんだが、事件の日ではないと記憶しており、当初は否定した。それでも捜査員に「こうだったやろ」とたたみかけられ「そうですね」と応じてしまったという。
 A氏は当時覚醒剤を使っていた。一審判決後に警察の取り調べを受けたとき、捜査員から「薬物のことは許してやる。警察の調書に間違いはない、この通りに話してくれ」と言われた。保身に加え「もしかしたら自分の記憶違いだったかもしれない、それならば…」という浅はかな気持ちから誘導に乗り、二審で再び県警に有利な証言をしたと打ち明けた。
 前川さんへの逆転有罪判決後、特段親しい間柄でもなかった捜査員が突然自宅に訪ねてきた。「結婚おめでとう」と5千円の入った祝儀袋を渡され「警察に有利な証言をした見返りだと直感的に思った」と振り返る。

▽自宅にあった祝儀袋を提供、再審判決は「誘導を推認」
 前川さんは出所後、裁判やり直しを求め、再審請求を申し立てた。A氏は前川さんの弁護士から連絡を受け、自責の念から改めて「証言はうそだった」と伝え、協力を申し出た。自宅のたんすに残っていた祝儀袋も弁護団に提供した。
 今年7月の再審判決は、組員やA氏の証言は信用できず、組員が保釈など自身の利益のため虚偽の発言をし、捜査に行き詰まっていた県警が弱みを持つ男性らを誘導した疑いがあると認定。捜査員が渡した「結婚祝い」からは、県警側の誘導が推認できるとも指摘し、前川さんは無罪と結論づけた。
 記者が前川さんが犯人だと思ったことがあるかと聞くと、A氏は「思っていなかった」と即答。昨年春、検察官や裁判官らの前で、事件の日には前川さんを見ていないと話したタイミングで、事件後初めて前川さんと電話で話した。「もう気にしていない」と伝えられたと言い「心のしこりが取れた」とほっとした表情を浮かべた。
 取材の最後には「前川君にはただただ申し訳なかった。苦しんできたと思う」と贖罪の言葉を並べ、ようやく取り戻した「自分の人生」を歩んでほしいと語った。

▽「シロ」の結論を出した元裁判官
 A氏と同じように、前川さんへ複雑な思いを抱く元裁判官がいる。前川さんが申し立てた1回目の再審請求で2011年に「無罪を言い渡すべき明らかな証拠がある」と認め、裁判やり直しを認める決定に関わった人物だ。検察はこの決定に不服を申し立て、その後取り消された。前川さんの裁判やり直しが昨年秋にようやく決まり、この夏に無罪になったのは、2回目の再審請求による結果だ。本来ならもっと早く前川さんは無罪になっていたのではないか―。元裁判官が、匿名を条件に報道機関の取材に初めて応じ、心境を明かした。
 2004年、前川さんが再審請求を申し立て、名古屋高裁金沢支部に所属していた元裁判官は、一審からの記録に目を通した。ある人が供述したら他の人もそれに従って供述が変わっていた。「供述だけで支えられていて、ぐらぐらしている事件。非常に危ない。『砂上の楼閣』だ」という印象を抱いた。
 もう一つ気になったのが、犯行現場の様子と有罪判決で認定された犯行に至った動機のずれだ。突発的な犯行と認定されていたが、遺体の頭部には灰皿で殴られたような跡があり、首は電気カーペットのコードで絞められ、顔や首、胸は包丁でめった刺しにされるなど、犯人が強い殺意をもって執ように殺害行為に及んだ痕跡が残っていた。

▽覆された決定、じくじたる思い
 「犯人像が合わない」と感じた元裁判官。渋る検察に、知人の供述調書など証拠30点を開示させた。非公開の審理を続け、服役後も闘い続ける前川さんの姿勢を通じて「裁判所として十分に検討する必要がある」「救済されるべきだ」との考えに至った。凶器とされた包丁を使い、有罪判決通りの傷ができたか疑わしく「前川さんと犯人とを結び付ける客観的事実は一切存在しない」と踏み込み、裁判やり直しを認める決定にまとめた。
 検察側は不服を申し立て、上級審の名古屋高裁(本庁)は2013年、検察の主張を認めて決定を取り消し、最高裁も支持した。
 元裁判官は「制度上(裁判所の判断で決定が覆ることは)あり得ないことはないが、あの事件の場合はどうだろうか。相当おかしくて、最初から疑問だった。じくじたる思いはある…」。言葉少なに当時を思い返した。

▽「まさか」の証拠隠し、深い失望
 1回目の再審請求が失敗した後、前川さんは2回目の再審請求を申し立てた。担当裁判官の強い促しがあり、検察側は大量の証拠を開示した。その一つから、組員や県警の筋書き通り話していたA氏の証言に、決定的な誤りがあることを示す捜査報告書が見つかった。この事実は元裁判官の心を大きくかき乱した。
 A氏は取り調べで、事件の夜、前川さんと合流する前「テレビの歌番組で、吉川晃司とアンルイスが歌いながらいやらしい動きをするシーンを見ていた」と語り、有罪判決でもそう認定されていた。
 第2次再審請求中、弁護団のメンバーが偶然、事件の日と問題のシーンの放送日が違う可能性に気づいた。テレビ局に問い合わせたところ、このシーンは事件前年の1985年10月に初めて放送され、事件1週間後に再放送されたことが確認された。
 さらに、検察が開示した証拠から、福井県警が一審福井地裁の審理中、テレビ局に同様の問い合わせをして、放送日の違いを把握していたことを示す捜査報告書も出てきた。
 弁護団は組員やA氏らの証言が信用できないことを示す事実と主張。今年7月の再審判決は警察による供述誘導の指摘とともに、検察についても放送日に関する捜査報告書を隠し「事実と反することをぬけぬけと主張し続けた。誤りを明らかにしていれば二審で無罪が確定した可能性も十分あった」「不誠実で、罪深い不正の所為と言わざるを得ず、到底容認できない」と異例の厳しさで断じた。
 元裁判官は自身が見た訴訟記録に、放送日を巡る問題をうかがわせる記述は一切なかったと明かし「まさかと感じた。かつては検察への信頼みたいなものがあったが…」と深い失望を口にした。無実の前川さんにとって刑務所生活は「地獄のような日々だったろう」と語り、一連の経緯を振り返り「裁判所全体として、長い時間がかかり本当に申し訳ない」とうなだれた。
 近年、再審無罪が相次ぎ、証拠開示のルールがなく、裁判やり直しを認める決定が出ても検察が不服を申し立て、審理が長引くといった再審制度の問題があらわになっている。
 「人間の判断には誤りがあり得る。少なくとも現在、一般の裁判で認められている程度の証拠開示はルール化しても良いのではないか」とも指摘した。
 再審判決に先立つ6月下旬、元裁判官は匿名を条件に取材に応じた。相次ぐ冤罪事件で警察や検察の捜査に疑問があり、話せる範囲でなら話すのが務めと考えたためだという。記者が記事に実名を出せないかと依頼したが「私の力では、前川さんを救済できなかった。恥ずかしくて申し訳なくて、名前を出すのは控えたい」とかたくなだった。

▽「一度やり玉にあげられたら…」終わらない冤罪
 検察が再審無罪判決への上告を断念し、無罪が確定した8月1日。記者団の取材に応じた名古屋高検の浜克彦・次席検事は「無罪になったことは厳粛に受け止めている」、福井県警の増田美希子・本部長は「判決を重く受け止め、疑念が抱かれることのないよう緻密かつ適正な捜査に努める」と語ったが、ともに前川さんへの謝罪や捜査の経緯を検証するかどうかは明言しなかった。
 この日、記者会見した前川さんはほっとした表情を浮かべ「開かずの扉を皆さんの力で突破できた」と家族や支援者に感謝を口にする一方、警察や検察に対して「今後、同じような失態を起こさないよう、当局には重く受け止めてほしい」「謝罪をするのが常識だ」と怒りをにじませた。
 事件から39年、ようやく無罪が確定し、前川さんの名誉は回復したかに見える。あるときの取材の際、前川さんは記者にぽろりと「一度やり玉にあげられたら終わりはない。無罪が証明された後でも、『前川がやったんじゃないか』と疑う人がいても仕方がない」と漏らした。一度着せられた汚名が一生ついて回る残酷さを思い知らされた。
 捜査が振り出しに戻り、犯人も分からなくなった今、若くして無残に命を奪われた被害者遺族の無念は計り知れない。誘導に乗ったA氏、無罪を確信していた元裁判官ら、事件に何らかの形で関わり、自責の念にかられてきた人も少なくない。警察や検察による経緯の詳細な検証は不可欠、そう強く感じた。

(2025/09/08)

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