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解説記事2024年01月01日 判例評釈 和解条項の解釈と債務免除益課税(2024年1月1日号・№1009) −東京地裁令和5年3月14日判決−

判例評釈
和解条項の解釈と債務免除益課税
−東京地裁令和5年3月14日判決−
 弁護士 平野双葉


 債務免除益の有無等が問題となった表題の判決(双方控訴)について、事案の概要と債務免除益の争点に関する裁判所の判断の要旨を概観したのち、和解の解釈論と債務免除益課税の根拠の観点から検討を行う。

Ⅰ 事案の概要(脚注1)

 X1(原告)はAの子、X2(原告)はAの妻であり、AはBの子である。なお、X1はBの養子でもある。平成5年9月6日付の某銀行(以下「本件銀行」という。)を貸主、Bを借主とし、Aを保証人とする16億円の金銭消費貸借契約(以下「本件貸付」という。)が存在し、同じころB名義で千代田区内の土地建物(以下「本件マンション」という。)が購入されていた。
 平成14年2月、本件銀行は、B及びAを被告として、本件貸付にかかる16億円並びにこれに対する利息及び遅延損害金の支払を求めて訴えを提起した。これに対し、Bは、同年4月、本件貸付の時点で、Bには自らの行為を認識しその結果を判断する精神的能力がなかったが、本件銀行の担当者がAと通謀してB名義の署名を自ら行ったなどと主張して、本件銀行に対する本件貸付に基づく根抵当権設定登記の抹消登記請求訴訟を提起し、これら2つの訴訟は併合審理された(両訴訟を併せて「前訴」という。)。その後Bが死亡し、Bの相続人(A、X1を含む6名。以下「B相続人ら」という。)が訴訟承継人として前訴の当事者となった。
 平成15年8月、前訴裁判所(東京地方裁判所)は、骨子以下の内容の「和解に向けての見解」との書面(以下「本件書面」という。)を作成し、前訴当事者に提示した。
(1)Bは、平成5年3月5日にアルツハイマー型老年痴呆で入院しており、本件貸付が行われたとされる同年9月に回復していたことは考えにくく、本件貸付時にはBに意思能力がなかった可能性が大きい。Aが本件貸付の手続を行っていることについてはほぼ争いがなく、Bを本件貸付の主体と見ることは難しい。
(2)AにBから包括的な代理権が与えられていたかには疑問があり、Aに表見代理が成立すると考えることも困難である。また、Aは、Bの後見人として、本件貸付について弁済期・利率変更の合意等を行っているが、AとBは、AがBの無権代理人として本件貸付の手続をした点で利益相反の問題が生ずる関係に立ち、Aによって黙示の追認が行われたと考えることには疑問があり、そもそも利益相反で追認自体が許されないとも考えられる。よって、追認によってBに本件貸付の効果が帰属すると認めるには疑問がある。
(3)和解としては、本件貸付の全額を前提とするのではなく、①本件貸付の貸付金を原資に購入した本件マンションの価格相当金額を本件銀行に返還すること、②保証人又は無権代理人として本件貸付について全額の責任を免れないAについては、Bの相続財産の6分の1相当額(約2億4000万円)を本件銀行に返還することを基本として調整を行うのが相当である。
 その後、Aは本件マンションを4億1100万円で売却した。また、Bの遺産についての遺産分割協議により本件貸付に係る債務はAが承継し負担することになった。
 平成16年4月、本件銀行とB相続人らは、東京地方裁判所において、前訴について、骨子以下の内容の和解(以下「本件和解」という。)をした。
(1)B相続人らは、本件貸付に係る借入債務について法定相続分に従って支払う義務があることを確認し、Aは、自身を除くB相続人らの支払債務をそれぞれ引き受け、Aを除くB相続人らは、Aによる債務引受を承認する。
(2)Aは、本件銀行に対し、以下の金員を支払う。
a 平成16年9月30日限り金3億7130万円
b 平成18年12月31日限り金2億5000万円
c 平成19年から平成28年まで毎年6月30日限り金50万円(10回、合計500万円)
d 平成28年7月31日限り金9億7370万円
(3)Aが本件銀行に対し、(2)aないしc記載の分割金合計6億2630万円を期限の利益を失うことなく支払った時は、本件銀行は、Aに対し、その余の9億7370万円〔(2)d〕の支払義務を免除する(以下「本件債務免除」という。)。
(4)Aが(2)記載の分割金の支払を怠り、本件銀行がその履行を請求してから1週間以内に遅滞した全額を支払わないときは、Aは当然に期限の利益を失い、本件銀行に対し、直ちに(2)記載の金員から既払金を控除した残金全額及びこれに対する期限の利益喪失時から支払済に至るまで年1割の割合による遅延損害金を併せて支払う。
(5)本件銀行は、Aが、前記(2)a及びbの支払をした場合には、本件貸付に関連して設定した根抵当権を順次解除し(aの支払につき本件マンション、bの支払につき東京都杉並区(中略)に存する土地14筆及び建物10棟)、根抵当権設定登記の抹消手続をする。
 Aは、本件和解に基づき、本件銀行に対し、本件和解(2)a及びb記載の金員並びにc記載の金員のうち平成26年6月30日までに支払うべき合計400万円の分割金を支払った。これにより、本件和解(2)cの残額が100万円(50万円の分割金が残り2回分)となっていたところ、平成26年10月にAが死亡した。
 平成27年6月、X1とX2(以下「Xら」という。)を含むAの相続人ら4名(以下「A相続人ら」という。)は、本件銀行との間で、本件貸付に係る残債務9億7470万円〔本件和解(2)cの残額100万円及び同dの金額の合計〕を、Xらが引き受けることを内容とする債務引受契約を締結した。また、同年8月、A相続人らは、Aを被相続人とする遺産分割協議を行い、本件貸付に係る残債務については、Xらがそれぞれ2分の1ずつ承継することとした。
 Xらは、本件和解に基づき、本件銀行に対し、平成28年6月30日までに、本件和解(2)cの分割金の残金(2回分)合計100万円を支払った。
 平成29年3月、Xらは、それぞれ、平成28年分の所得税及び復興特別所得税の確定申告を行ったが、平成30年4月、杉並税務署長から、Xらは(当該確定申告において一時所得の金額を申告していないが)本件債務免除により合計9億7370万円の利益(以下「本件債務免除益」という。)を得たから、その各2分の1を平成28年分の確定申告において総所得に加えるべきであるとして、平成28年分所得税及び復興特別所得税の更正並びに過少申告加算税の賦課決定(以下「本件各処分」という。)の通知を受けた。Xらは本件各処分について審査請求を行ったが、Xらの審査請求はいずれも棄却されたため、Xらは国(以下「Y」という。)を被告として、東京地方裁判所に本件訴訟を提起した。

Ⅱ 裁判所の判断の要旨

 本件の争点は、(1)本件債務免除益の存否、(2)資力喪失(所得税法44条の2)の有無、(3)二重課税の排除(所得税法9条1項16号(現17号)の適用の有無)(脚注2)、(4)理由附記の不備の有無、(5)前訴の弁護士費用等を「その収入を得るために支出した金額」(所得税法34条2項)として控除することの可否の5点であるが、裁判所は、これらのうち、(5)弁護士費用等の控除の争点についてのみXらの主張を認めて処分の一部を取り消した。
 以下、本稿で検討の対象とする(1)本件債務免除益の存否の争点に関する裁判所の判断の要旨を記載する。

本件債務免除益の存否に関する判断の要旨
 Xらは、「本件債務免除の前提となる16億円の本件貸付は存在しない前提で本件和解が成立している」などとして、「本件債務免除は、実態のない名目・形式のものにすぎないのであるから、それによって原告らに債務免除益が発生したということはできない。」と主張したが、裁判所は、以下のように指摘・判断して、Xらの主張を認めなかった。
 「本件和解の条項がどのようになっているのかを見ると、本件和解は(中略)B相続人らが本件貸付に関わる16億円の債務について本件銀行に対し支払義務があることを認め、その支払義務についてAがこれを引き受け、Aが、平成28年6月30日までに合計6億2630万円の支払を行った時には、本件銀行が、同年7月31日限りでAが支払義務を負っている9億7370万円の支払義務を免除するというものである。これによれば、本件債務免除は、Aが、平成28年6月30日期限の分割金までを全て支払ったことを停止条件として行われるものであり、仮に分割金の支払を怠った場合には、Aは期限の利益を喪失し、本件債務免除の対象となっている9億7370万円も含めて支払義務を負うことになる。以上からすると、本件和解の条項上は、Aは、同日を期限とする分割金の支払までは本件貸付の残債務全額を支払う義務を負っていたこととなる。」
 「本件和解の文言からはAの9億7370万円の支払義務が形式的かつ名目上のものであったことを読み取ることはできない。そして、本件和解のように、訴訟の係属中に訴訟代理人たる弁護士も関与して成立した訴訟上の和解について、その表示された文言と異なる意味に解すべきであるとすることは、その文言自体相互に矛盾し、又は文言自体によってその意味を了解し難いなど、和解条項それ自体に内包する瑕疵を含むような特別の事情のない限り、容易に考えられないところである〔最高裁昭和43年(オ)第1246号同44年7月10日第一小法廷判決・民集23巻8号1450頁参照〕。また、Aが亡くなった際にも、本件銀行とA相続人らは(中略)この9億7370万円の支払義務が残っていることを前提として、Aの債務を原告らが引受ける債務引受契約を締結しており、少なくとも、本件銀行は、原告らに対する9億7370万円の貸付債権が存在することを前提として債権管理を行っていたものと解されるのであって、他に9億7370万円の支払義務が形式的かつ名目上のものであったことを推知させるに足りる証拠はない。」
 「原告らは、本件和解は裁判所から提示された本件書面の方針に従って行われたものであり、本件貸付がBに帰属しないことを前提としている点を強調するが、本件書面は、Aについて、全額について責任を免れないとも記載しており、その上で、和解による解決としては、Bのマンションの価格相当金額を除くAの支払額を、Bから相続した遺産の範囲内に限定することが相当であるとしたものである。そうであるとすると、本件書面は、飽くまでもBについては支払義務が否定されるとの方向性を示したものではあるが、Aについては全額を支払うべき責任を認めており、その上で、事案の経緯等に照らして、Aの支払義務の範囲を上記のとおり限定することで和解を促したものと解するのが相当であり、そのような本件書面を踏まえた本件和解において、Aが本件貸付の全額について責任を負う形にした上で、うち上記のとおり限定された範囲内の金額が支払われた場合に本件銀行が残債務を免除する形にしたというのは、Aに上記支払義務の履行に向けたインセンティブ(及び上記支払義務を果たさないことに対するディスインセンティブ)を与えるための合理的な定めと考えられる。したがって、原告らが指摘する本件書面に記載された裁判所の方針は、本件貸付の全額についてAが一旦責任を負うとされる点でも本件和解とその内容面において必ずしも矛盾するものとはいえず、原告らの主張を基礎付けるものとはいえない。」
 「原告らは本件貸付について設定していた根抵当権設定登記を順次解除することとしているのは、本件銀行が9億7370万円を回収する意思がなかったためであると主張する」が、「本件銀行は、Aの資産状況等からすれば(中略)期限の利益を喪失する可能性が低いと考えていたものと推認し得るから、これに対する担保権の設定をしていなかったとしても特段不合理とはいえない。」
 「以上からすると、本件債務免除は、正に債務免除の実質を有していたものというべきであり、これにより、原告らには現に本件債務免除益が生じたものと認められる。」

Ⅲ 検 討

1 民事訴訟上の和解の解釈
 本判決は、最判昭和44年7月10日(脚注3)(以下「昭和44年最判」という。)を引用して、Xらの本件債務免除の対象となっている9億7370万円の支払義務(以下「本件債務」という。)ないしは本件債務免除が実態のない形式的かつ名目上のものにすぎなかった旨のXらの主張を否定しているので、昭和44年最判について若干説明する。
 昭和44年最判より以前の大審院・最高裁の判例は、訴訟上の和解によって負担した給付義務の内容が和解調書の文言の解釈によって定まることは勿論だが、その文言を解釈するにあたっては、一般法律行為の解釈と同様に使用された文字のみに拘泥することなく文字と共にその解釈に資する他の事情、殊に当該訴訟事件の従来の経過等をも参酌して、当事者の真意を探求し、その真意が表示されていると認められるか否かを判定するべき、との旨の判断をしていた(脚注4)。昭和44年最判は、上記の「大審院以来の判例の見解を維持し、その和解条項の文言の解釈にあたっては、和解の成立に至った経緯、和解成立後のもろもろの事情をも考慮に入れうる」し、「訴訟上の和解につきその和解条項の文言を正反対の趣旨に解し得る場合があるとの立言は正しい」(脚注5)けれども、当該案件が弁護士も関与した訴訟上の和解であることや和解の効力からすると、そのような解釈がなされるのは本判決が引用した判旨にあるように特別な場合でなければならないところ、昭和44年最判の原審が確定した事実ではなお特別な場合にはあたらない、との旨の判断をしたものである。
 昭和44年最判は、上述した昭和44年最判以前の大審院以来の判例で示された解釈基準よりも和解調書の文言を重視する方向に傾いたように見える判断と評価されており、一般法律行為の解釈基準を基礎としながらも和解調書の文言と異なる意味に解釈することは特別の事情がない限り許されないとする昭和44年最判のほうが、その後の判例の基本的な考え方や多数説だと言われている(脚注6)。当事者が事実関係を正確に認識して、言葉を慎重に選んだ場合には、文言に拘泥することこそが、当事者の意思の尊重につながる(脚注7)ことなどが、昭和44年最判の判断を支持する立場の背景にある考え方だと思われるが、かかる多数説に対しては、多様な成立経緯を有する訴訟上の和解については、事件ごとにその具体的状況に対応して当事者間の利害の調節ができるような枠組みを与えておくのが適切であるから、一般的に文言を重視する傾向にある多数説の立場には賛成できない、との見解もある(脚注8)。

2 租税法における訴訟上の和解の解釈
 課税要件事実の存否の局面での和解条項の解釈基準に関する見解としては、例えば、「当事者の用いた文言を無視できないことはもちろんではあるが、反面、その文言ことに当事者の使用した法律(的?)用語に拘泥しなければならないものでもない。要は、その合意の内容を事案に照らし、社会の通念に照らし、諸般の事情を考えたうえ、その実体を実質的、経済的に観察し合理的に確定する必要があるのであって、このことは、一般私法上、契約の解釈をする場合と原理的には同様であるといわなければならない。」(脚注9)と論じるものがある。裁判例では、和解調書に記載された条項の意義を解釈するに際しては、それが多義的、不明確なものでない限り、文言に即して合理的、客観的に行われるべきである、とするもの(脚注10)があるが、損害賠償請求訴訟で訴訟上の和解により支払われる和解金等の性質が問題になった事例に関し、当該和解金等の性質は一律ではないことから、その事案の事実、和解成立に至る経緯等を勘案して、裁判上の和解によって支払われる和解金等の法的性質を判断する必要もある(脚注11)との指摘もある(脚注12)。
 和解の解釈のあり方と契約の解釈のあり方は共通する部分もあるので、租税法の契約解釈に関する議論の状況を見ると、租税法の適用の前提となる事実認定は証拠の積上げにより真実の事実関係を確定する作業であり、形式ではなく実質によりなされるべきである(脚注13)が、租税法律関係における納税者の予測可能性と法的安定性を確保するためには、契約書等の処分証書が課税要件の認定において重視されるべきである(脚注14)という要請も指摘されているところである(脚注15)。
 以上のとおり、訴訟上の和解の解釈のあり方、特に、和解条項の文言と事案の実質のいずれに比重を置いた解釈をするのか、そして、実態に即した実質的・合理的解決の要請と法的安定性・予見可能性の要請等のバランスをどうとるのかという問題については、各方面の見解にやや幅がある状況のように見受けられるところであり、本件和解の解釈あたって昭和44年最判の解釈基準に則って文言を重視した判断をすることの是非及び当該基準を本件にあてはめるなどして裁判所が認定した事実と判断の当否については、議論がありうるところであろう。

3 債務免除益課税の根拠
(1)裁判所が用いた債務免除益課税の根拠

 本判決は、本件和解条項上Aは分割金の支払までは本件貸付の残債務全額を支払う義務を負っていたと認定した上で、昭和44年最判を引用するなどして本件債務(9億7370万円)の支払義務が形式的かつ名目上のものであった旨のXらの主張を否定した後、「本件債務免除は、正に債務免除の実質を有していたものというべきであり、これにより、原告らには現に本件債務免除益が生じたものと認められる。」と述べて、本件債務発生時の受益の有無等に言及することなく、本件債務免除があったとの認定からただちに本件債務免除益が生じたとの認定をしている。本判決で裁判所がいかなる債務免除益課税の理論的根拠に依拠しているのかは必ずしも明らかではないが(脚注16)、上記のような認定の仕方からすると、本判決は、債務免除益課税の根拠については①債務の発生時に経済的利益を受領した(受益があった)か否か等について言及・検討をするまでもなく、当事者が「債務免除」をすれば当然に「債務免除益」が収入金額に該当することになるのであり、そのことは自明である、との立場に立っているか、②債務の発生原因等にかかわらず、返済をすることなく本件債務が消滅したことにより、将来返済にあてるはずであった資産が利用可能になった点を所得と捉える考え方(いわゆる「純資産アプローチ」的な発想)に則って、債務消滅自体を経済的利益と考える立場に立っているかのいずれか(脚注17)である可能性がうかがわれるように思われる。
(2)いわゆる「借入金アプローチ」
 ところで、債務免除益課税の根拠に関する学説の主なものとしては、上述した「純資産アプローチ」のほか「借入金アプローチ」があり、学説を見る限り、後者の「借入金アプローチ」が妥当だとの論調で占められていると言ってよい(脚注18)とされている。「借入金アプローチ」とは、「借入金の借入時に、その借入金が収入金額に算入されないのは、それが最終的に返済されることを前提にしているからであり、この前提が崩れ、借入金の返済が行われない場合には、返済が行われなくなったことが明らかになった時点で、いわば過去の取引を現年度に修正する形で借入金を収入金額に算入すべき」という考え方である(脚注19)。すなわち、借入金アプローチ的な発想に立つ場合、債務免除(義務の消滅)から債務免除益が生じたか否かの判断は、債務の消滅のみならず、債務の発生時に受領した経済的利益(受益。これは資産化・費用化されるか、消費に充てられる。)に着目して債務免除益発生の是非を検討し、取引全体を見て課税結果を決定することになる(脚注20)。そのため、「一見すると債務の免除があるように見える場合であっても借主の純資産に変化が生じない場合には、債務免除額は所得とすべきではないことになる」、「債務免除それだけに着目すれば免除額を収入金額に算入してよいように見える場合であっても、所得概念の角度からすると、純資産の増加も消費もないことがあり得る。その場合の債務者には利得がないのであり、所得税法を機械的に適用して収入金額を計上してよいのかが大いに問題となる」(脚注21)ということになる。これと同様の立場から、民事法的な観点から「債務免除」ないし「債務の消滅」があるようにみられる場合でも、所得税法上の「債務免除益」が生じたとは見られない(見るべきではない)場合がある(脚注22)、と論じているものもある。
 なお、本判決は、(1)債務免除益に関する争点では、上述のとおり「純資産アプローチ的」と思われるような論理展開をしているようにも見られる一方で、(5)弁護士費用に関する争点に関する部分の判断は「純資産アプローチよりも借入金アプローチに親和的と評価」(脚注23)できるとされており、債務免除益課税の根拠に関する本判決のスタンスが「純資産アプローチ」的なものなのか「借入金アプローチ」的なものなのか、各争点の判断を通じて一貫してはいない(脚注24)。

4 本件債務免除によって「所得」は生じたのか
(1)純資産アプローチ的発想を前提とする場合

 債務免除益課税の根拠付けにつき、債務免除をすれば当然に債務免除益が収入金額に該当することは自明であるとの立場や、債務消滅自体を経済的利益と考える立場(純資産アプローチ的発想)が前提となる場合には、債務免除があったとされればただちにその免除額が収入金額に算入されて債務免除益課税がされることに直結してしまう。そのため課税すべき債務免除益がないことを示すためには、Xらが主張したように、そもそも「免除の対象となる債務は(実質的には)存在しない」とか「債務免除は(実質的には)されていない」といった議論をすることが必要になりそうである(脚注25)。
(2)借入金アプローチ的発想の場合
 ここで仮に、借入金アプローチ的な発想から本件を考えてみると、債務免除益の有無の判断をするには、免除されたように見える債務の発生時に受領した経済的利益(受益)があるかに着目して取引全体から検討を行うことになるので、まず、本件債務の発生時期や法的性質を考えてみるに、本件和解(1)は、「本件貸付に係る借入債務について法定相続分に従って支払う義務があることを確認し」と規定し、同(2)dにより「平成28年7月31日限り金9億7370万円」を支払うこととされている点からすると、文言上は、本件債務はBから相続した借入債務の一部と位置づけられているように読める。そうすると、特に和解条項の解釈は文言を重視すべきとの立場からは、本件債務はBから相続した借入債務である、と捉えることになるであろう。そのように考える場合、本件債務はBが平成5年に本件貸付を受けたときに発生していたことになり、本件債務の免除によって、本件貸付の際に受けた借入金というプラスの財産だけが、AないしXらの手元に残ることになるから、Xらには受益があったゆえ課税すべき債務免除益が発生したものと見るべきである、という結論になりそうである(脚注26)。
 他方で、仮に、和解条項の解釈は文言を重視しすぎることなく実態に即して合理的に判断すべきとの見解に立ち、かつ、本件書面の記載内容が事案の実態でありそこに書かれた解決をするために本件和解がなされたという前提に立つならば、本件貸付の成立、効力ないしBへの効果帰属に疑義があること等を根拠として、本件債務はBから相続した借入債務ではない、という議論をすることが考えられそうである。その先の議論として、本件債務が借入債務ではないとするなら本件債務の性質をどう見るべきなのか、そして、本件債務の発生時にいくばくかの受益があったと見るべきなのかについては、議論がありうるところと思われる。本件債務の免除によってAないしXらに課税すべき所得は生じないという結論を導くためには、例えば、本件和解は本件銀行とAないしXらとの間の損失の分担を定める合意であって、本件債務はA自身の借入債務と見るべきでもなく、むしろ9億7370万円は本件銀行が負担すべき損失部分であったと見るべきであること、本件債務はAに支払義務の履行に向けたインセンティブ(及び支払義務を果たさないことに対するディスインセンティブ)を与えるための定めにすぎないこと(脚注27)などを指摘して論じることなどが考えられそうである。

5 結 語
 以上のように、純資産アプローチ的発想を前提とした議論をする場合と、借入金アプローチ的発想による場合とでは、債務免除がなかった(債務免除の対象となる債務ないし債務免除が名目的・形式的なものだった)という形で議論をするか、本件債務の発生時に受益がなかったといった形の議論をするか、議論の仕方に相違が生じることになりそうであるが、いずれにせよ、和解条項の文言からは離れることになる解釈論を展開する場合には、これに反対する立場からの、なぜ和解条項の文言を端的に実態(本件書面から認められるべきだという事実や法律構成)に合致したものにしなかったのか、との疑問や、税法律関係における納税者の予測可能性と法的安定性を確保する必要性の観点からの問題指摘がなされうるところ、そうした疑問や問題指摘にどう応えるかは課題だろう。
 本件は双方から控訴されており、債務免除益課税の根拠及び和解条項の解釈のあり方についてどのような判断がされるのか等、今後の展開に注目をしたい。

脚注
1 本判決の事実、争点及び当事者の主張並びに判決要旨を詳しく紹介した上で、「そもそも、所得税法上の『所得』とは何か」という問題を中心に本判決を解説したものとして、品川芳宣「実質的に債務ではない債務が免除された場合の『所得』の有無 東京地裁令和5年3月14日判決(令和元年(行ウ)第615号)」T&Amaster982号23頁(ロータス21,2023)がある。本判決の判決本文等は、TAINSコードZ888-2487参照。なお、TAINS掲載の判決本文は一部マスキングがされている為、X1とX2のいずれがBの養子でBの相続人なのかを確実に判別することができない。本稿は上記記事等を参考にする等して、X1がAの子でありかつBの養子・相続人であるとの前提を置いて記載をしている。
2 本件の二重課税の排除の論点に関連する国税不服審判所の裁決に関する解説として、山田庸一「相続債務について相続税法14条1項の『確実と認められるもの』にあたらないと判断した事例〜生前の和解に基づき相続人が受けた債務免除による一時所得課税と債務控除の可否」税務通信3753号13頁(税務研究会,2023)参照。
3 訴訟上の和解の和解条項に「本件家屋についてこれを占有する正当な権限のないことを認め、(中略)日限り明渡す」という文言(明渡猶予の規定と読める文言)が記載されていたが、これを賃貸借と解するべきとした原審の判断が争われた事案。
4 大決昭和8年11月24日裁判例(七)民267頁参照。大判昭和9年1月23日裁判例(八)民4頁及び大判昭和15年10月15日新聞4637号8頁も同趣旨。また、最二小判昭和31年3月30日民集10巻3号242頁は「裁判上の和解の有効無効は、調書の文言のみに拘泥せず、一般法律行為の解釈の基準に従ってこれを判定すべきである」(裁判要旨)としている。
5 鈴木重信「48 訴訟上の和解の解釈」最高裁判所判例解説 民事篇 昭和44年度(上)481頁,489頁・490頁(最高裁判所調査官室編,法曹会,1972)
6 川嶋隆憲,民事訴訟法研究会「(最高裁民訴事例研究383)和解調書の解釈(最高裁昭和31年3月30日第二小法廷判決)」法学研究76巻9号102頁,105頁(慶應義塾大学法学研究会,2003)参照。
7 谷口智紀「法人税法における訴訟上の和解に基づく解決金の損害賠償金該当性」ジュリスト1569号138頁,140頁(有斐閣,2022),遠藤歩『和解論』401頁以下(九州大学出版会,2019)参照。
8 川嶋・前掲注6 106頁,112頁注(33)参照。
9 後藤勇・藤田耕三編『訴訟上の和解の理論と実務』517頁,522頁[畑郁夫](西神田編集室,1987)
10 名古屋地判平成14年12月20日税務訴訟資料252号順号9250
11 牛嶋勉「商品先物取引に係る裁判上の和解金の非課税所得該当性」税研178号78頁(日本税務研究センター,2014)参照。
12 谷口・前掲注7 140頁参照。
13 増田英敏『リーガルマインド租税法(第5版)』126頁(成文堂,2022)参照。
14 谷口勢津夫『税法基本講義(第7版)』62頁(弘文堂,2021)参照。
15 谷口・前掲注7 140頁参照。
16 Yは、所得税法基本通達(同36−15(5)を指すと思われる)に依拠して、債務の免除があった以上所得が生じたという議論を展開しているように見受けられるが、裁判所は、判決理由中では当該通達への言及もしていない。なお、判決理由中で同通達に言及している裁判例(大阪地判平成24年2月28日税務訴訟資料262号順号11893)がある。同通達に関し併せて高橋祐介「損害賠償なんか踏み倒せ!−債務の消滅をめぐる課税関係に関する一考察−」立命館法学2013年6月号(352号)252頁(立命館大学法学会,2013年)参照。
17 これら2つの理由付けや裁判例等につき、高橋・前掲注16 251頁参照。
18 高橋・前掲注16 249頁参照。
19 高橋・前掲注16 245頁参照。
20 高橋・前掲注16 247頁参照。
21 増井良啓「債務免除益をめぐる所得税法上のいくつかの解釈問題(下)」ジュリスト1317号268頁,268頁,271頁
22 高橋・前掲注16 249頁参照。
23 藤間大順・神奈川大学法学部准教授「一時所得として得た債務免除益から控除できる『その収入を得るために支出した金額』:東京地判令和5年3月14日の検討」TAINSだより2023夏 235号2頁(日税連税法データベース,2023)
24 本判決の判断の一貫性に関しては、債務免除益の有無の争点では、本件債務の債務性が強かったことを強調している一方で、二重課税の排除の争点ではX1らが本件和解に係る分割金の支払を行えば免除されるものであったことからすれば、「確実なもの」とは言えない旨判断している点で矛盾した判示を行っているとの指摘がある。品川・前掲注1参照。なお、その点に関し異なる視点の見解として、山田・前掲注2参照。
25 なお、本件で、「免除された残債務全体が一時所得の総収入金額(所法36①)に算入される『経済的な利益の価額』(所法36①及び②)といえるのか疑問が残る」とするものとして、木山泰嗣「被相続人の支出した弁護士費用等と相続人に対する債務免除益課税(東京地裁令和5年3月14日判決・LEX/DB25595840)」税理66巻14号120頁,121頁(日本税理士会連合会監修,2023)参照。
26 資金の借入れがなされた後に借入債務が免除されたケースでは、当該免除がなされるとプラスの財産としての借入金のみが借主に残ることになるから、借入から債務免除に至る一連の取引によって借主にとっての純資産の増加が生じていることになる、とされている(増井・前掲注21 268頁)。
27 履行を確保するための仕組みのひとつに保証債務があるところ、「保証債務の免除のように、債務発生時に債務者が経済的利益を受けていない場合において債務免除益が課税されていない(あるいは課税されるべきない)」と述べているものとして、高橋・前掲注16 249頁参照。

平野双葉 (ひらの ふたば)
1995年東京大学法学部卒業、2006年ハーバード大学ロースクール卒業(LL.M.)。
京都地方裁判所判事補、経済産業省(課長補佐)、外務省(課長補佐)等を経て、2005年-2018年西村あさひ法律事務所(2009年-2018年カウンセル。同事務所在籍期間中2006年-2007年ハントン・アンド・ウィリアムズ法律事務所(ワシントンD.C.))に勤務。
行政事件、資源エネルギー系・金融系企業等の企業法務、競争法案件、国際経済法案件等に従事。執筆物に友岡史仁・武田邦宣編著「エネルギー産業の法・政策・実務」(弘文堂,2019)のXIV章「国内石油産業およびLPガス産業に関する諸課題」等。

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