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解説記事2024年02月05日 論考 「企業買収における行動指針−企業価値の向上と株主利益の確保に向けて−」の課題と展望(2024年2月5日号・№1013)

論 考
「企業買収における行動指針−企業価値の向上と株主利益の確保に向けて−」の課題と展望
 神奈川大学名誉教授 葭田英人

1 はじめに

 2023年8月31日、経済産業省は、「企業買収における行動指針−企業価値の向上と株主利益の確保に向けて−」(以下、本指針という。)を公表した。経済産業省の「公正な買収の在り方に関する研究会」における議論を取りまとめ、M&Aに関する公正なルール形成に向けた経済社会で共有されるべき原則論およびベストプラクティスを提示することを目的としたものである。
 企業買収の目的は、①既存事業とのシナジー効果、②国内外への事業規模の拡大、③収益性の改善、④経営の効率化、⑤事業承継、⑥リスク分散、⑦経営資源の獲得、⑧組織再編、⑨節税効果、などである。つまり、自社の短所を、その分野の長所を持つ企業の買収によって補強し、市場での競争力を強化することにある。
 本指針は、企業買収における買収対象会社の取締役の行動の在り方を、企業価値の向上と株主利益の確保の観点から提示し、買収者に対しても、法令を遵守し、買収に関する情報提供により透明性を確保することを要求している。
 買収者が経営支配権を取得するために上場会社の株式を取得した場合においても、買収者が遵守すべき行動規範を示すものであり、法的拘束力のないソフトローである。しかしながら、取締役の善管注意義務・忠実義務違反のリスクを下げるとともに、当事者間で合意した取引条件が尊重されやすくなることが期待されているものである。
 本指針は、「原則と基本的視点」において、買収一般において尊重されるべき3つの原則を示したうえで、「買収提案を巡る取締役・取締役会の行動規範」において、買収提案を受けた企業の取締役・取締役会が守るべき行動規範について整理し、「買収に関する透明性の向上」において、買収者と買収対象会社の双方の観点から、買収に関する透明性の在り方を提示している。さらに、「買収への対応方針・対抗措置」において、買収への対応方針・対抗措置に関する考え方を示している。
 本稿において、本指針を検討し、その意義と今後の買収の課題と在り方を考察する。

2 本指針の策定経緯と趣旨

 現在、M&Aの増加、敵対的買収の活発化、買収防衛策に対する機関投資家の反対増加、など、日本企業のM&Aを巡る状況には、さまざまな変化が生じている。
 経済産業省は、このようなM&Aを巡る状況の変化を踏まえ、公正なM&A市場が健全に機能することにより、望ましい企業買収が活発に行われることを目標とし、2022年11月、「公正な買収の在り方に関する研究会」を立ち上げ、2023年8月31日、「企業買収における行動指針」を策定・公表した。
 本指針は、買収者が、公開買付けや市場内買付けなどにより、上場会社の株式の過半数を取得して経営支配権を取得する、いわゆる「企業買収」を対象とし、望ましい買収が活発に行われることを目指している。このように本指針は、経営支配権取得を伴う広範囲な取引を対象とした企業買収を巡る行動規範を提示するものである。

3 原則と基本的視点

 本指針は、上場会社の経営支配権を取得する企業買収における次の3つの原則を掲げている。
第1原則:企業価値・株主共同の利益の原則
 「望ましい買収か否かは、企業価値ひいては株主共同の利益を確保し、または向上させるかを基準に判断されるべきである。」
 本原則は、企業価値とは、企業の将来のキャッシュフローの割引現在価値の総和を表し、定量的な概念であり、経営陣が保身を図るための道具とすべきでないとして、企業価値の概念の恣意的な解釈を戒めている。
 なお、日本に存在しない新たな法人形態として、ベネフィット・コーポレーション(Benefit Corporation)を導入する取組みが注目されている。これは岸田政権の経済政策の目玉である「新しい資本主義」の1つの柱として盛り込まれた。
 近年、格差の拡大、異常気象など世界の危機が深刻化し、株式会社における株主中心の資本主義の見直しが迫られている。企業のコーポレートガバナンスに関しては、取締役は、株主の利益を最大化する義務を負うとする株主資本主義に対して、取締役は、従業員、取引先、消費者、地域社会、環境など株主以外のステークホルダーの利益も保護すべきとするステークホルダー資本主義が、企業の社会に与える影響の重大さにかんがみ主張されている。
 本原則においても、「経営陣はその期待に応えて迅速・果断な意思決定、ガバナンス体制の構築、地域社会や地球環境を含む多様なステークホルダーにも配慮したサステナブルな事業活動を通じて経済的な企業価値の向上を実現する。」とし、多様なステークホルダーに配慮する必要性にも触れている。
 ただし、「会社の企業価値を向上させるか否かの観点から買収の是非を判断することに加えて、株主が享受すべき利益が確保される取引条件で買収が行われることを目指して合理的な努力が行われるべきである。」と整理されている。
第2原則:株主意思の原則
 「会社の経営支配権に関わる事項については、株主の合理的な意思に依拠すべきである。」
 本原則は、通常、買収における株主意思の尊重は、公開買付けへの応募等を通じて株主の判断を得る形で行われるものであり、会社を支配する者を株主が決めるべきであるというわが国の裁判所の考え方を企業買収における一般原則とすべきであるとする。
第3原則:透明性の原則
 「株主の判断のために有益な情報が、買収者と対象会社から適切かつ積極的に提供されるべきである。そのために、買収者と対象会社は、買収に関連する法令の遵守等を通じ、買収に関する透明性を確保すべきである。」
 本原則において、買収者と対象会社が透明性を高め、株主に十分な情報や時間を提供することで、株主の適切な判断(インフォームド・ジャッジメント)が行われる必要があるという基本的な視点が提示されている。

4 買収提案を巡る取締役・取締役会の行動規範

 わが国において、買収提案を受領しても取締役・取締役会に速やかに報告がされない場合や、報告されても取締役・取締役会での検討が不十分な場合など、買収提案を巡る取締役・取締役会の行動規範が明確に示されていない。本指針において、買収提案を受領してから取締役・取締役会への付議または報告、検討などの一連の流れを、買収提案を巡る取締役・取締役会の行動規範として考え方の整理が行われている。
 買収提案を受領した場合、取締役会に速やかに付議または報告し、取締役会では、企業価値の向上に資するかどうか「真摯な検討」が行われる。特に、買収後の経営方針、買収価格などの取引条件が問題となる。そのための判断の合理性について説明責任を果たす必要があるとしている。
 また、個々の事案ごとに、利益相反の程度、取締役会の独立性を補完する必要性、市場における説明の必要性の高さ等に応じて、社外取締役を中心とする特別委員会の設置の要否を検討すべきであると言及している。

5 買収に関する透明性の向上

 買収者が株式の取得を進める場合には、5%以下で株式を取得する段階(当初段階)、5%超の株式を取得し、大量保有報告書を提出した後の段階(5%超の段階)、市場内での株式取得や公開買付けの実施等により経営支配権を取得する段階(買収時の段階)などによって、投資の性質、市場への影響、求められる透明性が異なる。
 市場内買付けの場合には、公開買付制度に基づく情報開示規制が適用されないが、本指針は、短期間のうちに市場内買付けを通じて経営支配権を取得するような場合においては、株主が買収に応じるか否かの判断をできるよう、買付の目的、買付数、買収者の概要、買収後の経営の基本的な方針等の重要な項目については、少なくとも公開買付届出書における記載内容と同程度の適切な情報提供を、資本市場や対象会社に対して、適時任意の方法で行うことが望ましいとする。
 また、買収後にステークホルダー(従業員、主要取引先等)との関係に重要な変化を想定している場合、株主・投資家にとって重要な情報であるため、その情報を開示・提供することも株主・投資家にとって有益であると言及している。
 実質株主については、大量保有報告制度において一定の開示制度が措置されているが、当該規制の対象とならない段階(5%以下の保有等)では、実質株主が明らかではない場合がある。このため、買収提案をする者が実質株主である場合には、自らが実質株主である旨や名義株主との対応関係に関する情報を対象会社に提供することが必要である。なお、共同保有者に該当することが推測される事情がある場合には、その点についても情報提供をすることが望ましいとする。
 また、買収が実施される場合、取締役会や特別委員会が設置されているときには特別委員会における検討経緯や、買収者との取引条件の交渉過程への関与状況に関し、充実した情報開示を行うことが望ましいとする。
 さらに、買収を検討中の段階で、報道や噂の流布がされた場合には、情報の真偽等の事実関係について開示をすることが必要になり得るため、この点に留意して検討する必要があるとしている。
 また、対抗提案に関する事実は株主による判断において一定の重要性をもつため、買収提案に賛同する理由の説明の中で、対抗提案をした者の名称や提案の詳細は非開示とした上で、対抗提案があった旨やその検討の有無について一定の開示をすることが望ましいとする。
 なお、報道などがなされていないにも関わらず検討中の段階で開示をすることは、さまざまな憶測を生じさせるとともに、それによる市場の反応により買収が頓挫する可能性があるなど、マイナスの面が大きい。徹底した情報管理を行うか、情報開示を行うかについては、この点を考慮し、慎重に判断すべきであるとしている。
 このように、本指針は、上場会社の経営支配権を取得する買収一般に関する第2原則及び第3原則(株主意思の原則・透明性の原則)を実現するために、買収者及び対象会社の双方の観点から、公開買付届出書や大量保有報告制度等に立脚して、買収に関する透明性を向上させることが望ましい在り方であると提示している。

6 買収への対応方針・対抗措置

 本指針は、買収を巡る当事者が適切に行動することにより真摯に検討・交渉がされるとともに、対象会社及び買収者の双方から必要な情報が提供され、透明性・公正性が確保された上で株主が買収者による株式の取得に応じるか否かを判断(インフォームド・ジャッジメント)することが本来在るべき姿である(第2原則及び第3原則)としている。
 したがって、対応方針に基づく対抗措置の発動は、会社の経営支配権に関わるものであることから、株主の合理的な意思に依拠すべきであるとする。そして、対応方針の導入の段階、またはこれに基づく対抗措置の発動の段階で、株主総会における承認を得ることは、株主の合理的な意思に依拠していることを示すための措置といえる。これまでの裁判例を踏まえると、株主総会における決議を経ることで、対抗措置の発動の適法性が相対的に認められやすくなるものと考えられる。
 なお、株主総会を経る場合においても、取締役会は、形式的に株主総会の判断に委ねるのではなく、対抗措置の必要性や公正性の確保(例えば、独立性の高い取締役会や特別委員会の関与)等について慎重に検討し、十分な説明責任を果たすべきであるとする。
 対応方針に基づく対抗措置の発動は、株主平等の原則、財産権の保護、経営陣の保身のための濫用防止等に配慮し、必要かつ相当な方法によるべきである対抗措置の発動の差止め事由は、著しく不公正な方法による発行(不公正発行)または法令違反(株主平等原則違反)(会社法247条1号2号類推適用)であるが、従前より日本の裁判所は、不公正発行または株主平等原則違反に該当するかについて、必要性と相当性の観点から審査を行っているものと考えられるとしている。
 対応方針を平時に導入し、開示することによって、一定以上の株式を取得する場合には対抗措置が用いられ得ることについて、買収者、株主等の事前の予見可能性が相対的に高まると考えられ、対応方針の内容を見て投資の意思決定を慎重に行う買収の手法を工夫して買収を試みるなどの対応が可能となりうる。他方で、事前に開示されていることで、導入企業は(望ましい買収も含めて)潜在的な買収先候補から除外されている可能性があり、経営への外部からの規律が弱まるという指摘もある。
 わが国においてはこれまで、業績が低迷するなど経営を改善する余地が大きく、買収の経済的意義が発揮されやすい企業において対応方針が導入されやすい傾向があったことには、留意する必要がある。このような会社において買収への対応方針が導入され、これが経営陣の保身のために設計・運用されることとなれば、望ましい買収提案の躊躇や、買収を通じた規律付けの低下、買収提案に対する真摯な検討の阻害を生む結果となりかねない。したがって、会社としては、対応方針の導入を検討するのであれば、まずもって平時から企業価値を高めるための合理的な努力を貫徹するとともに、それが時価総額に反映されるよう取り組むことが求められると言及している。
 このように、本指針は、これまでの裁判例も踏まえ、株主意思の尊重、必要性・相当性の確保、事前の開示、資本市場との対話という観点から、実務や判例等を勘案しながら、買収への対応方針・対抗措置の基本的な考え方・在り方を提起している。

7 むすび

 経済産業省は、今後、わが国における経済社会にとって望ましい買収が生じやすくすることを目指し「企業買収における行動指針」を策定した。確かに、本指針の内容に目新しさはないが、企業価値の向上と株主の利益の確保のために経営支配権が移転するM&Aが活発に行われることは、わが国の企業の新陳代謝にとって必要不可欠なものである。
 本指針は、公正なM&A市場の健全な発展に貢献するために重要な役割を果たすことが期待され、わが国の経済社会にとって目指すべき姿といえる。将来的には、本指針の一部は、企業買収のハードローになっていくものと思われる。
 一方、企業は、株主利益の最大化という株主資本主義から、社会公益を目的としたステークホルダー資本主義に変遷している。近年、SDGsやESGの観点からステークホルダーの概念が大幅に拡張され、地球環境やサプライチェーン等まで包含したものとなっている。企業の事業目的として、地球環境や社会問題までも包含した拡張されたステークホルダーの利益を重視し、その実行を機関投資家が企業に迫るというESG投資が急速に活発化しつつある。このように、ESG・サステナビリティ投資に象徴されるようなステークホルダー資本主義が拡大している。企業買収においても、株主の利益、ステークホルダーの利益、公益のバランス調整が今後の課題となる。

葭田英人 よしだ ひでと
筑波大学大学院修了。専門分野は、会社法・税法・信託法。近著は『コーポレートガバナンスと社外取締役・社外監査役』(三省堂・2020)、『会社法入門(第六版)』(同文舘出版・2020)、『合同会社の法制度と税制(第三版)』(税務経理協会・2019)など

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