解説記事2023年10月09日 巻頭特集 上場準備会社向け 新たなSO・非上場株式の評価ルールを踏まえた資本政策上の留意点(2023年10月9日号・№998)
巻頭特集
~税制適格SO、有償SO、信託型SO、株式譲渡等……検討すべきポイントは?~
上場準備会社向け 新たなSO・非上場株式の評価ルールを踏まえた資本政策上の留意点
朝日税理士法人 パートナー 公認会計士・税理士 松山浩也
はじめに
国税庁から2023年7月に公表された「租税特別措置法に係る所得税の取扱いについて(法令解釈通達)」等の一部改正および「ストックオプションに対する課税(Q&A)」は、信託型のストックオプション(以下「SO」とする。)を導入している企業のみならず、これから上場を目指す企業にとっても大きな影響を与える内容となった。改正通達では税制適格SOを利用しやすいものとする趣旨から、未上場の株価についていわゆる「セーフハーバールール」が導入された。セーフハーバールールは、取引相場のない株式について財産評価基本通達により株価を算定している場合、税制適格SOとしてこれを認めるものである。今後上場を目指す企業にとっては歓迎すべき改正であり、優秀な人材確保や役職員のモチベーションアップ等、企業が成長するための有効な手段となり得る。
こうした中、日本公認会計士協会や企業会計基準委員会(ASBJ)からはセーフハーバールールによる税制適格SO(以下「セーフハーバーSO」とする。)を念頭に、「自社株式の評価額」と「権利行使価額」との差額で計算される「本源的価値」がある場合にはこれを「株式報酬費用」として処理すべき見解が公表されている。実務では当該会計処理の影響を考慮してセーフハーバーSOの発行を躊躇する企業もあり、注目すべきポイントといえる。なお、当該会計処理は既存の会計基準に基づくものであり、改正通達の前後で変わるものではない。
本稿では改正通達およびSOの会計基準を解説するとともに、上場準備会社が今後資本政策を策定するうえで留意すべきポイントをケース別に整理する。
1. 今後税制適格SOの発行を予定している場合
<point>
・セーフハーバーSOの発行により役職員等のモチベーションアップが期待できる
・自社株式の評価額(会計上の株価)と権利行使価額に差額がある場合、本源的価値について費用処理が必要となる
・本源的価値が一時の費用となるか期間按分となるかについては、権利確定日が合理的に見込めるか否かによる
(1)セーフハーバーSO 税務面の取扱い
今後税制適格SOの発行を予定するケースでは、セーフハーバーSOをベースに検討することになるであろう。セーフハーバーSOは、純資産価額方式により株価を算定した場合、株価が1円となるケースもある。これは優先分配条項のついた種類株式を発行している場合、優先分配額を考慮して普通株式の株価を算定できることによる。また、付与対象者の属性によって配当還元方式で算定した比較的低い株価で権利行使価額を設定することも可能である。配当還元方式は少数株主に適用される株価であり、税制適格SOの付与時点で株式を所有していない、あるいは数パーセントしか所有していない役職員等を対象とする場合に適用可能である。
セーフハーバーSOによる株価(特例方式)をまとめると図表1のようになる。
権利行使価額の低いセーフハーバーSOは、付与対象者である役職員等にとってのメリットは大きく、発行企業にとっても優秀な人材の確保として有効な手段となるであろう。今後SOの発行を予定している場合は、最初に検討すべき手法となる。一方、無償で付与され、かつ、権利行使価額も低いSOが企業価値を向上させるためのインセンティブとして適切であるかについては企業ごとに十分検討する必要がある。
(2)セーフハーバーSO 会計面の取扱い
上述のようにセーフハーバーSO発行によるメリットは大きいが改正通達後もこれまでと同様、直近の増資等に基づく高い株価としている企業も多い。これは「はじめに」で触れたSOの会計基準で求められる「本源的価値」の費用処理による影響が大きい。
ここで「本源的価値」は「自社株式の評価額」と「権利行使価額」との差額で計算される。セーフハーバーSOにおける株価(権利行使価額)の算定方法は上述の通りであるが、SOの会計基準が想定している「自社株式の評価額」は、「当該株式を第三者に新規に発行する場合の価格を決定する際に用いられるような合理的な評価方法」(企業会計基準適用指針第11号「ストック・オプション等に関する会計基準の適用指針」第60項)とされており、セーフハーバーSOによる権利行使価額と差額が生じるケースが多いと考えられる。
この「本源的価値」は、企業からみれば従業員等から取得する労働サービスに対する報酬であり、原則としてSOの付与日から権利行使確定日までの各会計期間に費用処理する必要がある(企業会計基準第8号「ストック・オプション等に関する会計基準」第4項、第5項)。仮に権利行使の条件が税制適格SOの権利行使期間要件(付与決議の日後2年経過した日から10年を経過する日まで)のみであるとした場合、付与決議の日から権利行使の確定日までの2年間で費用処理を実施することになる。上場準備会社にとって当該費用計上が上場直前期や申請期の業績を大きく悪化させるようであれば、セーフハーバーSOの発行には慎重にならざるを得ないだろう。
この他、SOの会計基準では、「権利確定日を合理的に予測することが困難なため、予測を行わないときには、対象勤務期間はないものとみなし、付与日に一時に費用を計上する」(ストック・オプション適用指針 第18項)としている。この点、上場準備会社が発行するSOは「上場するまで行使できない」といった条件や「上場日を起点として1年に〇%ずつ行使可能」といったべスティング条項が付されていることが多い。これらの条件が付されている場合、「権利行使の確定日=上場予定日」となるが、これを合理的に予測できるのであれば、各会計期間での費用処理、合理的に予測できない場合は、付与時に一時の費用、として処理することとなる。セーフハーバーSOの発行を検討している上場準備会社は、権利確定日が合理的に予測できるか否かにより、期間損益計算はもとより予算策定にも影響を受けることになるため、この点にも留意したい。
なお、「権利確定日を合理的に予測することが困難」であるかどうかは各企業の置かれた状況により異なるが、例えば上場の準備を始めたばかりで具体的なスケジュールが定まっていない状況においては、権利確定日=上場予定日を合理的に予測することは困難と考えられる。反対に上場予定日までのスケジュールが引かれ、その通りに進捗する見込みが高いのであれば各会計期間に渡り費用処理する必要があるだろう(図表2、3参照)。
2. 過去に税制適格SOを発行しているケース
<point>
・「契約変更」により権利行使価額を引き下げる場合でも税制適格SOとして認められる
・過去のSOを消却し、セーフハーバーSOの発行も選択肢
税制適格SOは「新株予約権に係る契約により与えられた新株予約権を当該契約に従って行使すること」(租税特別措置法第29条の2第1項)が要件とされており、当該契約で定めた事項を変更した場合、原則として税制適格SOには該当しないこととなる。
他方、本改正通達は税制適格SOの権利行使価額が税制適格性を否認されないため、高めに設定されていたという実務を踏まえたものである。「ストックオプションに対する課税(Q&A)」問10では、同通達が公表されていれば権利行使価額を高めに設定しなかったであろう点に鑑み、税制適格SOの要件を満たしている契約について、以下の①、②をいずれも満たす場合は引き続き税制適格SOとして認められることとなった。
① 通達改正後に権利行使価額の引き下げに関する契約変更を行っていること
② 当該契約変更後の権利行使価額が改正通達に定めた権利行使価額に関する要件を満たしていること
また、税制適格SOは会社法第238条1項に反しないで行われることが要件とされているため(租税特別措置法第29条の2第1項5号)、権利行使額が付与決議で定めた権利行使価額に反する場合には、新株予約権の発行決議をした機関での決議が必要となると考える。
過去に発行した税制適格SOが、直近の増資等の影響で高い権利行使価額となっているケースは実務上頻繁に見受けられるが、問10の要件を充足する限り、税制適格性を維持したまま権利行使価額の引き下げが可能であり検討すべき事項となる。
この他、付与対象者や個数を見直す場合には、既発行の税制適格SOについてこれらを消却し改めてセーフハーバーSOを発行する方法も考えられる。ただしこの場合、税制適格要件の一つである権利行使期間(付与決議の日後2年を経過した日から10年を経過する日まで)がリセットされる点は留意が必要である。なお、権利行使価額を引き下げた結果、本源的価値が生ずる場合の会計上の取扱いは「1.(2)セーフハーバーSO 会計面の取扱い」と同様である。
3. 有償SOの発行が有効なケース
<point>
・有償SOは税制適格SOの付与対象者要件を満たさない人材にSOを付与したい場合やM&A等の可能性がある場合に有効である
・業績条件等を付すことによって、有償SO自体の公正価値を引き下げるとともに業績達成へのインセンティブを期待することもできる
・有償SOは権利行使価額=付与時の株価として設計されることが多く、非上場会社において費用処理は求められない
有償SOは付与対象者が公正価値を払い込み、取得する新株予約権である。「ストックオプションに対する課税(Q&A)」問2では適正な時価(公正価値)で取得した有償SOの課税関係について、以下の①から③の区分に応じ整理されている。
① 購入時:適正な時価で取得した有償SOは、経済的な利益が発生せず課税関係は生じない。
② 行使時:当該SOの行使時の経済的利益(SOの値上がり益)については、所得税法上、認識しない(所得税法第36条第2項、所得税施行令第109条第1項1号)
③ 売却時:当該SOを行使して取得した株式を売却した場合、株式譲渡益課税の対象となる。
権利行使時点で課税が生じない②の部分が有償SOの特徴であり、有償SOを発行するメリットの一つである。この点税制非適格SOの課税関係と比較するとより明確になる(図表4、5参照)。
さて、税制適格SOは主に前頁の要件を充足しなければならないが、これを満たさない付与対象者、例えば大口株主や外部コンサルタント等にSOを付与したい場合は有償SOが有効である(図表6参照)。
また、業績条件等を付した有償SOはその公正価値を引き下げるとともに、付与対象者に業績向上のインセンティブが期待できる。さらにM&A等IPO以外の選択肢がある場合も活用を検討すべきだろう。税制適格SOを発行していたとしても、M&Aにより保管委託要件等の税制適格要件が満たせず非適格の扱いとなってしまうことが多いためである。
なお、有償SOは権利行使価額を時価として設定することが多く、非上場会社においては公正価値部分も含め費用処理は求められない。
4. 信託型SOを発行しているケース
<point>
・税制適格SOへの移行が可能
・信託受益権付与時の株価は判断要素の一つとなる
周知のとおりいわゆる信託型SOについては、非適格SOとして権利行使時点で給与課税とされることが明らかになったが、以下に挙げる一定の要件のもと税制適格SOに移行して運用を続ける方法も認められた。
信託型SOの今後の取扱いについては個々の契約によるところが大きいが、税制適格SOへの移行を検討する場合は、特に要件⑤の「信託受益権の付与に係る契約の締結時における1株当たりの価額」がポイントになる。すなわち、いつの時点で信託受益権の付与が行われ、その時の株価はいくらになるか、という点である。付与時点で発行会社が未上場であれば、株価をセーフハーバールールによって算定することも可能と考えられ、移行のメリットは大きいであろう。ただし、この場合も本源的価値に関する会計上の取扱いは「1.(2)セーフハーバーSO会計面の取扱い」と同様となり検討の際は考慮する必要がある。
税制適格SOへの移行に関する要件は、以下の通りである(「ストックオプションに対する課税(Q&A)」問12)。
① 信託型SOに係る信託契約において、原則として、信託の受託者が自身の判断で、そのSOの行使又は第三者への譲渡をすることができないとされていること
② 信託型SOは、発行会社の取締役等に無償で付与されること
③ 信託型SOの行使は、信託型SOに係る受益者を指定する日(以下「受益者指定日」という)の日後2年を経過した日から受益者指定日後10年(発行会社が設立の日以後の期間が5年未満の株式会社で、金融商品取引所に上場されている株式等の発行者である会社以外の会社であることその他の要件を満たす会社である場合には15年)を経過する日までの間に行わなければならないこと
④ 信託型SOの行使の際の権利行使価額の年間の合計額が1,200万円を超えないこと
⑤ 信託型SOの行使に係る1株当たりの権利行使価額は、信託受益権の付与に係る契約の締結時における1株当たりの価額相当額以上であること
⑥ 取締役等において、信託型SO及びその信託受益権の譲渡が禁止されていること
⑦ 信託型SOの行使に係る株式の交付が、会社法第238条第1項に定める事項に反しないで行われるものであること
⑧ 発行会社と金融商品取引業者等との間であらかじめ締結された取決めに従い、金融商品取引業者等において、信託型SOの行使により取得した株式の保管の委託がされること
5. 個人間の株式譲渡、資産管理会社への株式譲渡等
<point>
・改正通達はSOに関するルールであり、資産管理会社への株式譲渡等における株価はこれまで通り所得税基本通達59−6に従う
・株式の移動は改正通達にとらわれず株価が低い時期での実行を検討する
改正通達は、租税特別措置法第29条の2第1項3号(税制適格SO契約締結時の株価)及び所得税法施行令第84条3項本文(譲渡制限付株式の価額等)はSOにおける株価算定のルールである。そのため、個人間の株式譲渡や個人から法人への株式譲渡において、改正通達により株価を算定することは想定されていないと考える。オーナーが資産管理会社へ株式を譲渡する際には、これまでの実務と同様、所得税基本通達59−6(株式等を贈与等した場合の「その時における価額」)をベースに株価を算定することになるであろう。資産管理会社への譲渡や役員間での譲渡等を検討しているオーナーは、改正通達にとらわれず株価が低いフェーズでの実行を検討すべきだろう。
おわりに
社会の課題解決や経済成長をけん引するスタートアップを育成することを目的としたスタートアップエコシステム。その一環である本改正通達により、税制適格SOの利便性は高められ柔軟な資本政策が可能となった。付与対象者にとってのメリットも大きく優秀な人材確保の有効な手段となるだろう。セーフハーバーSOについては上述のように本源的価値を費用処理することが求められるが、当該費用は役職員等への報酬であり人材投資に他ならない。近年企業価値向上のために投資家が最も重視するのは「人材投資」である。この点セーフハーバーSOの費用処理は人材投資に対する企業の方針を表すものとなるだろう。
資本政策の本質は企業価値向上のための施策である。目先の業績のみに囚われず中長期的な成長の手段として本改正通達が広く利用されることを期待したい。
松山浩也 (まつやま ひろや)
2012年朝日税理士法人入社。前職の大手監査法人時代からIPOの支援に関与。現在は税務顧問として多数の上場準備会社を支援。税務、会計だけでなく、資本政策の立案や事業計画の策定、内部統制構築等、上場のための課題解決にワンストップで対応する。著書に『業種別収益認識基準の適用実務』(共著、中央経済社、2019年)、『IPO実務検定公式テキスト第7版』(共著、中央経済社、2022年)早稲田大学商学部卒。
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