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訴訟・登記2009年03月26日 「抗告・異議申立て」今昔物語 執筆者:佐藤裕義

 日本において、「裁判」は、いつ頃、どのようにして始まったのだろうか。「裁判」の歴史は、「法」の歴史ほど明確ではない。日本における最初の「法」は、諸説あるが、聖徳太子の「憲法十七条」(604年)であると考えられる。これは、弘仁格式の序に「上宮太子親カラ憲法十七箇条ヲ作ル、国家ノ法制ハ、茲ヨリ始ル」とあるからである。
 我が国における裁判の起源・発生は、これよりもさらに古いと思われる。日本書紀に「盟神探湯」(くがたち。沸騰した湯の中に手を入れさせ火傷の有無により正邪を判定した古代の神誓裁判の一形式)が行われた記録があり、300年か400年頃に行われたこの「盟神探湯」による裁判が、我が国における裁判の起源・発生と考えることもできよう。
 裁判制度は、古代、中世を経て近世に至るまで形を変えながら脈々と続いた。江戸時代になると大岡越前などの奉行による裁判があり、これは真偽のほどはさておき我々にもなじみがある。ちなみに、江戸時代の裁判は、「吟味筋」と「出入筋」という2つの訴訟手続があった。大ざっぱにいうと、「吟味筋」は刑事訴訟であり、「出入筋」は民事訴訟である。また、江戸時代には、訴訟事件を「出入物」あるいは「公事(くじ)」といい、判決に該当する「結果裁許」や和解調書に該当する「済口証文」もあった。その後、幕末・明治初期の動乱の後、明治8年大審院創設、同13年治罪法制定、同23年裁判所構成法制定という司法制度の変遷をたどり現代の裁判制度の原型が形成されたのである。
 このように裁判制度の歴史は古いが、昔から裁判に対し不服申立てができたわけではない。裁判に対する不服申立てが許されるようになったのは、明治になってからである。その不服申立ても、当初は一部の判決に対する上訴が中心であり、抗告や異議申立てが多少なりともできるようになったのは、明治23年に裁判所構成法や裁判の基本手続法である民事訴訟法及び刑事訴訟法が制定されてからと考えられる。
 現在では、各種法規に抗告や異議申立てができる場合が多数規定され、しかも最終的には最高裁判所に憲法判断を仰ぐ道が用意され、裁判を受ける権利が保障されている。近時、抗告や異議申立ての件数は多い。平成20年度の司法統計年報によれば、民事・行政事件の抗告に関する年間新受件数は、約1万7000件である(抗告、抗告提起、特別抗告、特別抗告提起、許可抗告、許可抗告申立て、再審抗告の総計)。抗告以外にも訴訟事件、非訟事件等の各種事件において異議申立ての手続が各手続ごとに規定されており、これらも含めると、抗告・異議申立ての件数は相当な数になる。
 抗告や異議申立ては、申立ての可否が対象裁判(処分)によって異なり、申立方法も手続も多種多様であることから、分かりにくいとの声も多い。中には、不服申立てができないにもかかわらず堂々と申立てをするケースもある。また、「この裁判には意義がある。」と、「異議」ならぬ「意義申立書」が提出されることもある。お褒めにあずかり光栄と思い、思わず口元が緩む。とにかく、折角の権利なのだから有効に行使していただきたいものである。濫用などもってのほかである。
 裁判に不服があれば抗告や異議申立てができることは、今では当然のことである。不服申立てなど許さなかった時代の大岡越前や遠山金四郎が聞いたらびっくりするだろう。「今は昔」である。

(2009年9月執筆)

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