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税務・会計2008年06月12日 最高裁と節税策 執筆者:岩渕正紀

 近時、最高裁の税務訴訟に対する積極姿勢が目に付く。高裁判決を覆して、ハッとするような納税者寄りの判決を出すことが時にある。その代表例が、銀行(母体行)の3760億円余りの貸倒損失の計上を認めて、課税処分を取り消した興銀事件(最高裁平成16年12月24日判決)で、社会の耳目を集めた。
 これは、最高裁が意識的にやっていることで、一口でいえば、司法積極主義の表れである。「霞ヶ関」の地盤低下が著しいといわれ(マスコミ等が中央官庁を叩きすぎるとは感じるが)、政治が選挙で勝つことばかり考えて矮小化してしまった今の時代に、我が国における司法のウエイトが相対的に高まってきた。最高裁は、当然このことを意識して、行政訴訟を重視するようになってきた。特に税務訴訟は、従来、国民に重大な利害関係があるのに、通達行政がまかり通っていて、法律による行政が十分浸透していないとされてきた行政分野に司法が介入しようという訴訟であるから、恰好のターゲットになったと思われる。こういうわけで、税務訴訟はまず勝てないし、やるだけ損だといわれた一昔前とは状況が一変した。弁護士会で税務訴訟の研修会を開くと、新しい活躍分野を求める若手弁護士を中心にかなりの人が集まるようになった。税務訴訟が弁護士の重要な業務の一つとして定着する日も、そう遠くないように思われる。
 ところで、我が国の社会では、節税策というと、脱税や租税回避行為と混同されたりして、明確に認知されているとはいい難い。節税策とは、合法的かつ合理的な税負担の軽減策で、決してマイナス評価を与えるべきものではない。納税者が合法的に少しでも税負担を軽くしたいと考えて行動するのはごく自然のことで、健全な課税関係というのは、そのような納税者の行動を包み込んで構築されていく。課税当局は、「節税策」ときくと目の敵にしがちであるが、節税策が成り立つということは、国民と課税当局との間の課税関係が成熟しているということでもある。そもそも、税金というのは、本来自ら申告して自ら納めるのが原則であるから、ある取引や事象について課税されるかされないかについて、納税者自らが明確に判断できる状況にあることが不可欠である。言葉を変えれば、課税関係が透明でなければならない。つまり、法律による課税が浸透していなければならない。このような段階に至って初めて、納税者は自らの判断で節税策を策定することが可能となるのである。
 最高裁が節税策に対しどのような感覚をもつているかは、まだ未知数であるが、興味深い事件が現在最高裁に係属している。それは、武富士事件といわれる。我が国の消費者金融の最大手である武富士の元経営者の長男である原告は、平成11年両親から約1600億円の評価の海外資産の贈与を受けた。原告は、平成9年から平成12年まで香港に滞在し、その間の滞在日数の割合が香港が65.8%、日本が26.2%であったことなどかから、日本に住所がないので海外資産についての贈与税の納税義務はないとして、その申告をしなかった。これに対し、国税当局は、この香港滞在は租税回避を意図したもので、住所は実質的には日本にあるとして約1150億円の贈与税を課し、原告はこの課税処分の取消訴訟を起こした。
 争点は単純で、住所すなわち生活の本拠がどちらにあるかである。一審では、生活の本拠は香港にあるとして原告勝訴であったが(東京地裁平成19年5月23日判決)、控訴審では、それは日本にあるとして、原告敗訴の逆転判決となった(東京高裁平成20年1月23日判決)。原告の香港滞在は大がかりな節税策といえる面があるが、そこに租税回避の意図があることにマイナス評価を与えるか否かで、1審と2審の結論を分けたようにみえる。
 もし、最高裁がこの事案で生活の本拠は香港にあると判断すれば、課税要件の有無の判断において租税回避の意図はあまり評価しないということになるから、節税策新時代の扉を開くかもしれない。

(2008年6月執筆)

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