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解説記事2020年05月04日 論考 最高裁第三小法廷の司法判断に見る法律家の良識(2020年5月4日号・№833)

論考
最高裁第三小法廷の司法判断に見る法律家の良識
 岩田合同法律事務所弁護士 東京大学客員教授 佐藤修二

1 はじめに

 近年、最高裁判所第三小法廷は、固定資産税を巡る事件で、納税者サイドに好意的な判決を複数、下している。第三小法廷には、著名な租税弁護士(タックス・ロイヤー)出身の、宮崎裕子判事が所属されている。
 本稿では、第三小法廷の2つの判決を素材にしつつ、通常の判例解説とは異なる形で、租税事件における第三小法廷の判断の傾向について、雑感を述べてみたい(脚注1)。なお、両判決とも、裁判所のウェブサイトに掲載されており、容易に閲覧可能である。

2 最高裁平成30年7月17日判決(①事件)

 本件は、京都市所在の土地の所有者が、土地の登録価格を不服として京都市固定資産評価審査委員会に審査の申出をしたところ棄却されたため、委員会決定の取消しを求めて、京都市を相手取って取消訴訟を提起した事案である。
 建築基準法は、同法第3章の規定が適用されるに至った際に現に存在する道で、幅員4メートル以上のものを道路とする旨定めている(同法42条1項柱書・3号)。ある土地が、建築基準法42条所定の道路(以下「42条道路」という。)に接していない場合、接道義務を充たさないために原則として建築物を建てることができない(建築基準法43条1項本文)。したがって、その分だけ、土地の価値は下がると考えられる。
 本件では、問題の土地の西側に接する街路(以下「本件街路」という。)は、建築基準法42条1項3号所定の道路に該当するとの京都市長による道路判定(以下「本件道路判定」という。)がなされていた。これに対し、納税者は、本件街路は、昭和25年当時、幅員が4mに満たなかったことから、42条道路には該当しないと主張した。しかし、原審の高裁判決は、本件道路判定は行政処分としての拘束力を有することから、所定の方式による取消訴訟を経ない限り、本件街路が42条道路に該当しないものとして取り扱うことはできないとして、納税者の主張を斥けた。
 ところが、最高裁は、本件道路判定は行政処分としての拘束力は有しないと判断して高裁判決を破棄した上、本件街路が42条道路に該当するか否かの事実関係について審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻した。

3 最高裁平成31年4月9日判決(②事件)

 本件は、昨年の台風19号で、被害の軽減に役立ったと言われる調整池と関係する事件である。事案は、現況が調整池となっている土地につき、宅地として評価して固定資産税が賦課されたことにつき、納税者が争ったというものである。
 原審の高裁判決は、問題の土地は、都市計画に係る開発許可との関係で、近隣のショッピングセンター所在の宅地と一体として見るべきこと等を理由に、問題の土地は宅地と評価されるものとし、納税者の主張を斥けた。
 しかし、土地の実態はと言えば、調整池として水が溜まっていたのである。水が溜まっており、居住できないはずの土地を「宅地」と評価して課税することには、素朴に見て、違和感がある。
 やはりというべきか、最高裁は、原判決は、問題の土地に水がたまっているという現況を考慮していない、と指摘し、事件を高裁に差し戻した。

4 二つの判決から読み取れるもの-コモン・センス(良識)に基づく司法判断

 これら二つの判決は、原判決の事実の見方に最高裁が疑問を呈したケースと見ることができると思われる。
 まず、①事件であるが、控訴審判決は、原告が証拠提出した昭和25年当時の地図に、幅員が3m以上あることを示す記号がないことを指摘する一方で、昭和21年当時の空中写真によれば、幅員が4m以上なかったとも言えないと述べるなど歯切れが悪い部分がある。おそらく、原判決は、本件街路が42条道路に昭和25年時点で該当していたのか否かについて確信がなかったのではなかろうか(脚注2)。もし、事実として本件道路判定が誤っていた可能性が残る(すなわち、本件街路が42条道路に該当しない可能性が残る)とするならば、これを前提としていない固定資産評価(=建物が建築できない、という点を考慮に入れない高い価額による評価)には、常識的に考えて、違和感が残らざるを得ない。
 また、②事件についても、宅地として評価された土地の実態はと言えば、調整池として水がたまっていたのである。水がたまっていて、居住できない状況にあるのに、宅地と評価して課税することには、社会通念に照らして違和感があろう。
 アメリカ合衆国連邦裁判所裁判官を長く務め、アメリカ法の歴史上、最も著名な裁判官の一人であるオリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア判事(脚注3)が、その著「コモン・ロー」において、「法の生命は、論理ではなく、経験であった」と語ったことは有名である(脚注4)。ホームズ判事のこの名言は、法は、一つ一つの事件の個性に照らした、妥当な解決を要請する、ということを含意するものではないだろうか。第三小法廷は、①事件と②事件のいずれにおいても、事実関係に照らして違和感が残る控訴審判決をそのまま是認することは、事案の解決として妥当ではないと考えたのであろう。
 こうした第三小法廷の判決に接して、筆者がその源流的なものとして思い出したのは、「林試の森公園」事件の最高裁判決である(最高裁平成18年9月4日判決・判例時報1948号26頁)。これは、東急目黒線の武蔵小山駅近くにある林試の森公園の整備に係る都市計画決定が、公園整備に当たって近隣所在の官舎を移転させるのではなく、民家を移転させることとなる計画を採用したことが、行政庁(当時の建設大臣)の裁量の範囲内か否かが問われた事案である。この事案は、第一審では、公有地を優先するべきであるとの判断から住民が勝訴したが(脚注5)、控訴審で、公有地と民有地でそれほどの区別をすべきでないとして住民逆転敗訴となった。
 しかし、最高裁は、第一審の考え方を支持し、本当に公有地でなく民有地を使用する必要性があったのかの事実関係について審理を尽くさせるため、事案を高裁に差し戻した。その後、建設大臣は、法廷での争いを継続せず、当初の都市計画決定を取り消したようである。その結果、住民の「再逆転勝訴」となった。やはり、社会通念に照らして、官舎を温存したまま民家を移転させることに、最高裁も躊躇があったのではないかと思われる。
 本稿で取り上げた第三小法廷の二つの判決は、原判決の事実認定に疑問を呈したという点で、林試の森公園事件と共通のものがある。
 興味深いことに、本年4月3日の全国紙各紙は、最高裁第三小法廷が、泉佐野市のふるさと納税に係る事件について、泉佐野市を敗訴とした高裁判決を見直す見込みであると報道した。報道によれば、本件の裁判長は、宮崎裕子判事のようである。泉佐野市の事件では、新しい仕組みに変更されたふるさと納税制度に泉佐野市の参加を認めない根拠として、制度変更「前」の泉佐野市の行動が考慮されており、国の対応は、「法の支配」の重要な要素である、予測可能性を害するものではないかとの感が否めない。最高裁の判断が注目される。
 コモン・センス(良識)を基礎とした、文字通りに「コモン・ロー」というべき見識ある司法判断が租税事件の妥当な解決を導いていることを目の当たりにし、最高裁への敬意を新たにした次第である。

脚注
1 本稿は、高橋祐介「固定資産税に関する最近の最高裁判例の動向」租税研究2019年11月号に示唆を得たものである。
2 山口俊「判批」ジュリスト1526号11頁参照。
3 ホームズ判事については、ハーバード・ロースクールで法制史を講じた著者による、モートン・J・ホーウィッツ著・樋口範雄訳『現代アメリカ法の歴史』(弘文堂、1996)第4章に詳しい。なお、この2、3年ほどの間に就任された法学者・弁護士出身の最高裁判事では、宮崎判事のほか、山口厚、宇賀克也、草野耕一の各判事が、ハーバード・ロースクールでの留学経験や、客員教授としての研究・教育経験を有しておられる。自ずと、英米的(個々のケースの個性に応じて、具体的に妥当な解決を図る、判例法的)なのものの考え方が、最高裁の判断に滲み出てくる可能性があるのではないか。
4 オバマ大統領が、ヒスパニック系で初となる女性の最高裁判事、ソニア・ソトマイヨール氏を任命した際の演説にも、ホームズ判事による本文記載の警句が引用されていたことが、樋口範雄『はじめてのアメリカ法』(有斐閣刊。筆者の手元にあるのは2010年刊の初版であるが、2013年に補訂版が刊行されている)の第12回で紹介されている。また、筆者自身、ボストンの連邦地方裁判所を見学した際に、ホームズ判事の警句が、裁判所の白壁に荘重に刻まれていたことを見た印象的な記憶がある。
5 「国破れて3部あり」で知られた当時の東京地裁民事3部の藤山雅行裁判長の合議体による判決であった。

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