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教育・宗教2012年03月15日 震災復興と宗教法人課税 執筆者:長谷川正浩

 今日は、東日本大震災からちょうど1年目、亡くなった人の一周忌である。
 というのに、復興の目途はたっていないし、福島原発事故の被害は依然として拡大しつつある。最近になって、宗教者の活躍ぶりが大手マスコミによっても伝えられるようになったが、当初は、あまり報道されなかった。遺体を仮土葬しているテレビ放映を見た人が、(財)全日本仏教会に抗議の電話をかけてきた。こんなときに坊さんは何をしているのだ、と。映像に坊さんは映っていなかったのだ。ところが、イギリスのBBCは、仮土葬における坊さんの活躍を放映し、日本の聖職者をたたえていたという。
 増税論議になると、いつも出されるのが宗教法人への課税案である。復興税にあてるために「宗教者たちにも応分の負担を願うのは理にかなっている。」と言われる。イタリア在住の塩野七生氏の意見だ(「文藝春秋」平成23年5月号93頁)。これに呼応された桜内文城参議院議員は、宗教法人への課税による税収は「少なく見積もっても数兆円規模」とおっしゃっている(同11月号131頁)。どういう計算をされているのか、不思議である。宗教法人は公益法人として課税されている。従って法人税は34種類の収益事業を行っていない限り、課税されない。もし宗教活動収入にも課税するならば、他の公益法人の公益活動収入にも課税しなければならなくなる。
 文化庁宗務課の調査結果から推計すると、収益事業を行っている宗教法人は全宗教法人約18万1,500法人のうち9.9パーセントにすぎず、収益事業収入を得ている宗教法人のうち、事業収入が年間5,000万円以上ある法人は6.4パーセントにすぎない(いずれも文化庁発行「宗務時報」No.111 20頁以下による平成20年4月1日現在の統計)。ちなみに聖職者は宗教法人から給与をもらっている給与所得者であるから課税関係は一般のサラリーマンと同じである。しかも、半数近くの宗教法人は、住職や神主さんに給与を出せるだけの収入がない。学校の先生をしたり、役場で働いたりした収入で宗教施設を維持している。このことは、周りのお寺や神社を見れば、容易に想像がつく。
 もっとも、莫大なお金を動かしている巨大教団があることも確かである。しかしこれらは全国の信者の布施・献金を本部に集めて、一体的運営を図っている。全国の信者の布施・献金が集まってくるのだから大金になるのも当然、それが、それぞれの信者の宗教目的に費やされるのである。これが宗教目的に使用されないのであれば、これに課税するというのも一つの考え方であろう。とするならば、企業における内部留保にも課税しなければ公平を欠く。ちょっと古い数字ではあるが、平成20年度の全産業の内部留保は約428兆余円あると言われている(富山泰一著『庶民増税によらない社会保障充実と震災復興への道』53頁(あけび書房、平23))。
 企業に税金をかけると景気が悪化するという反対論がある。しかし内部留保は企業内部に貯め込まれて流通しないお金である。これが賃金にまわされたり、施設に投資されたなら、需要を喚起して景気回復に寄与する。企業の内部留保は何ら景気回復に寄与しないのである。企業の内部留保に課税すれば、わずか1%で数兆円という税収が出てくる。宗教団体には、この担税力はないかもしれないが、被災地復興のため、企業が内部留保を放出するというのなら、宗教界も率先して受け入れるべきであろう。ちなみに復興費は5年間で19兆円を予定され、既に18兆円が予算として組まれている。
 塩野七生氏や桜内文城参議院議員には、宗教界の現状を理解いただいていないのではないか、と思われる。塩野七生氏は言われる。「イタリアのように国民のほとんどがキリスト教徒であれば、精神の導き手だから教会への税は免除するというのはわかる。しかし日本は多神教の国で、宗教も数多い。このような国では、精神の導き手も数多く、そのすべてを免税にする根拠がない。」(前掲5月号93頁)。日本の宗教の価値をイタリアにおけるキリスト教より低くみておられるのではないか。これは塩野七生氏の誤解に基づくものだが、この種の誤解を多くの人が持っていることも事実であり、その原因は宗教者の怠慢にあることもまた事実である。公共宗教、宗教の公益性を論ずる上で課税問題は大きな論点でもある。

(2012年3月執筆)

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