カートの中身空

閲覧履歴

最近閲覧した商品

表示情報はありません

最近閲覧した記事

民事2025年09月01日 まかり通る「逃げ得」を教えてくれたのは、飲酒ひき逃げで逝った16歳の息子だった  「誰にもあんな思いをしてほしくない」事故根絶を訴え続ける母の22年 提供:共同通信社

 飲酒運転の「逃げ得」を決して許さない。北海道江別市の高石洋子さん(63)は22年間、そう声を上げ続けている。
 2003年2月12日早朝、息子の拓那さん=当時(16)=が車にはねられて亡くなった。運転手の男は、事故前にバーで酒を飲んでいたが、飲酒に関する罪は適用されなかった。男が現場から逃げ、直後に逮捕できなかったためだ。酒が分解されるまで身を隠すことで飲酒運転の証拠を隠滅し、結果的に罪が軽くなる「逃げ得」がまかり通っていた。
 倒れている拓那さんを通行人が見つけたのは、事故から約15分後。体には雪が積もっていたという。加害者がすぐに救急車を呼べば、温かい体に触れることができたかもしれない…。
 高石さんの闘いが始まった。(共同通信=羽場育歩)

 ▽曲がった自転車
 その日、拓那さんは早朝から新聞配達のアルバイトに出かけていた。午前6時ごろ、高石さんは警察からの連絡で息子の事故を知った。車で病院に向かう途中、規制線の先にぐにゃりと曲がった自転車が見えた。
 病院の一室で目にしたのは、眠ったような黄土色の顔だ。ショックで動けなくなり、ベッドに寝かされた。夜になり、現場から逃げていた運転手の男が逮捕されたと聞かされた。
 のちに刑事裁判で認定された事故の状況はこうだ。午前4時50分ごろ、男は女性を助手席に乗せて、手に持ったMDを選ぼうと脇見しながら時速約60キロで車を運転し、自転車で同じ方向に走行中の拓那さんに追突したが、救護措置をとらなかった。
 拓那さんは持ち前の明るさで多くの人に慕われた。中学からバレーボールに打ち込み、高校では上級生の引退などで部員が自分だけになっても「辞めたら廃部になる」と練習を続けた。家族皆に愛され、一家に笑顔をもたらす存在だった。
 気が付けば葬儀の日を迎えていた。苦しさのあまり火葬場には行けなかった。当時中学生だった拓那さんの妹は、後でこう言った。「拓ちゃんね、骨になってもかっこよかったよ」。一生懸命口角をあげて話す姿に、涙があふれた。

 ▽飲酒は認められない
 警察から、男が事故を起こした経緯を聞くと、驚くべきことが分かった。事故前にバーで飲酒していたというのだ。警察は、男は飲酒を認めていると説明した。
 実際、後に高石さん夫妻が損害賠償を求めて起こした民事訴訟で、男はビールやカクテルを飲んだと自ら語っている。事故後、同乗していた女性に「人をはねた」と告げていったんは現場に戻り、倒れて動かない人影を確認したとも。
 しかし、男の罪を問う札幌地検の検察官が男を起訴した罪名は、道交法違反(ひき逃げ)と業務上過失致死罪。併合して最大で懲役7年6月となる。飲酒運転を立証できるなら、より刑が重い危険運転致死罪(併合して最大懲役20年、当時)での起訴も想定されたとみられるが、そうはならなかった。なぜなのか。
 検察官は公判が始まる前、高石さんにこう告げた。「飲酒運転は認められませんから」。男が現場から逃げ出し、事故直後の血中アルコール濃度を測ることができなかったので、飲酒運転の立証はできない―。これが検察官の見解だった。
 警察の捜査の過程では、バーでの注文伝票も見つかっていたが、立証にはつながらなかった。男と一緒にいた女性の注文も含まれ、男の飲酒量が特定できなかったのだ。
 人事異動があり、新しく担当になった検察官は、懲役4年を求刑した。
 結局、検察官が男を起訴した罪名は、道交法違反(ひき逃げ)と業務上過失致死罪。併合して最大で懲役7年6月となる。飲酒運転を立証できるなら、より刑が重い危険運転致死罪(併合して最大懲役20年、当時)での起訴も想定されたとみられるが、そうはならなかった。人事異動があり、新しく担当になった検察官は、懲役4年を求刑した。
 結局、男には懲役2年10月の実刑判決が下された。判決が言い渡されると、検察官の唇は「勝った」と動き、傍聴していた高石さんらの前でガッツポーズをした。検察官は、実刑判決を得ることが難しいと考えていたのかもしれない。しかし高石さんは、そもそも飲酒運転が罪に問われないことに納得できないまま。検察官の行動は理解できなかった。
 公判の後、高石さんの夫は検察官に問いかけた。「逃げたら軽い罪になるのは『逃げ得』じゃないか」。検察官は、当然だというように答えた。「そうです」。当時は、飲酒運転の上に逃走と、罪を重ねた男を罰する法律がなかった。

 ▽署名活動を10年間
 「『逃げ得』がまかり通ってるのを、拓が教えてくれたぞ」。夫のその言葉がきっかけとなった。事故から半年後の2003年8月12日、飲酒ひき逃げに厳罰を科す法律の成立を目指し、署名活動を始めた。次第に全国の事故遺族とつながり、2005年に全国連絡協議会を発足させた。悲惨な事故が起きれば遺族の元へ駆け付け、各地で署名を集めた。
 活動を始めて10年目の2013年11月、ついに大きな山が動いた。「発覚免脱罪」(最高で懲役12年)を盛り込んだ新たな法律「自動車運転処罰法」が成立したのだ。発覚免脱罪は、拓那さんの事故のように、現場を離れるなどの飲酒を隠す加害者の行為、すなわち「逃げ得」を罰することができるようになる。活動の中で面会した法相は9人、集めた署名は60万3080筆に上る。仲間と国会で抱き合い喜んだ。きっと世の中が変わる。そう思った。

 ▽「無関心」
 しかし、闘いは終えられなかった。
 施行から2ヶ月後の2014年7月13日。高石さんが暮らす北海道江別市から数十キロしか離れていない北海道小樽市で、女性4人が死傷する飲酒ひき逃げ事件が発生した。「法律ができようが、飲酒運転をする人にとっては関係ないのか」。絶句した。翌2015年6月6日には、北海道砂川市で男2人が飲酒の上、競い合って高速で走行し、衝突された車に乗っていた一家5人が死傷した。
 被害者家族を支援し、裁判を傍聴、事故現場に足を運んだ。見えてきた問題が「無関心」だ。厳罰化されても、知らなければ抑止力にならない。加害者だけでなく、飲酒運転を見過ごしてきた家族や友人の意識も、事故を助長させていると痛感した。
 もっと知ってもらうために、学校や企業などで講話も行う。多くの被害者家族と出会う中で、「逃げ得」を許さないという思いは次第に、飲酒の絡む事故全体の撲滅を目指すという思いにまで広がっていった。

 ▽声を上げ続ける
 自動車運転処罰法は昨年、施行から10年を迎えた。高石さんは今年1月、遺族仲間と鈴木馨祐法相と面会し、危険運転致死傷罪の見直しに関する要望書を提出した。文書には「そもそも飲酒運転による死傷事故が過失罪で裁かれるのが適切なのか」とも記した。飲んだら、運転しない。たったそれだけのことを軽視して、人の命を奪う行為が「うっかり」「不注意」とされるのはおかしいという思いを込めた。
 拓那さんが亡くなったのは、雪の多い年だった。通報者は、雪が積もった姿を「白い塊のようなものだと思った」と語った。「すぐに救急車を呼んでくれていたら…」。息子の最期を思うと、胸が張り裂けそうで言葉が詰まる。「これから社会を作る人たちの命を守ることを考えてほしい」と要望書に願いを託す。
 活動ではつらいことも少なくない。あるときは街頭で署名を集めていて、見知らぬ人に暴言を吐かれた。同じ無念を共有しているはずの被害者家族から「どんなに頑張っても世の中は変わっていない」といらだちをぶつけられたこともある。
 「息の仕方が分からなくなり、1人で自宅にいてとてつもない寂しさに襲われたこともあった」という。「やめたい」という思いが頭をよぎったことは一度や二度ではない。
 それでも踏ん張っているのは、伝えたいことがあるから。事故は突然起こるということ。まさか自分の身にふりかかるなんて、考えてもみなかったということ…。
 「誰にもあんな思いをしてほしくない。だから必死になって立ち上がり声を上げている」
 自宅の壁は今も、拓那さんの笑顔の写真でいっぱいだ。着ていた学生服も大切に保管している。拓那さんの友人が、代わりに着て学生生活を送り、卒業式を迎えた。多くの友人がメッセージを書き込んだバレーボールも置かれている。
 22年間、何度も拓那さんに背中を押されていると感じてきた。照れ屋の息子はきっと、あごをさすって少し照れながら見守っている。

(2025/09/01)

(本記事の内容に関する個別のお問い合わせにはお答えすることはできません。)

ここから先は新日本法規WEB会員の方のみ
ご覧いただけます。

会員登録していただくと、会員限定記事・動画の閲覧のほか、様々なサービスをご利用いただけます。登録は簡単・無料です。是非ご利用ください。

ログイン新規会員登録

人気記事

人気商品

関連カテゴリから探す

  • footer_購読者専用ダウンロードサービス
  • footer_法苑WEB
  • footer_裁判官検索