民事2025年10月22日 社会の不幸浮き彫りに 「凶弾の問い」 提供:共同通信社

安倍晋三元首相銃撃事件の裁判が10月28日から始まる。事件は孤独や虐待による「生きづらさ」を浮き彫りにし、「真犯人」を巡り陰謀論も広がった。この社会が抱える不幸にどう向き合えばいいのか、探った。
最後のSOS、気付けるか 「つながれない」孤独
深夜や未明、時間帯に関係なく「つぶやき」を続けた。「オレが14歳の時、家族は破綻を迎えた」「オレが憎むのは統一教会だけだ」
安倍晋三元首相銃撃事件で殺人などの罪に問われた山上徹也(やまがみ・てつや)被告(45)は、ツイッター(現X)に1300件以上の投稿を残した。事件前のフォロワー(読者)は0人。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)や、1億円を献金した母親への思いを書き連ねた。
被告の家庭は母親による莫大(ばくだい)な献金で破綻し、困窮。自殺を図り、周囲に「兄と妹に死亡保険金を渡したかった」と語ったこともある。しかし、兄や父とは死別した。
事件1週間前には、切羽詰まったような内容の手紙を島根県のルポライターの男性に送った。「安倍の死がもたらす政治的意味、結果、最早それを考える余裕は私にはありません」
安倍氏銃撃事件は、独りで社会に不満を募らせて事件を起こす「ローンオフェンダー(LO)」型犯罪の可能性が指摘されている。警察は交流サイト(SNS)などの「予兆」把握を強化。警察庁が「LO脅威情報統合センター」を設置し、7月の参院選ではSNS上の投稿を分析、事件につながらないか実際に確かめるケースもあった。
しかし、犯罪心理学が専門の福岡大の大上渉(おおうえ・わたる)教授によると「警察が全てを拾い切れるわけではない」。投稿は当事者の「最後のSOS」のようなもので「周囲が気付くことが重要だ」という。
内閣府が2024年に実施した孤独・孤立の実態調査によると「困ったときに頼れる人がいる」と答えた人の頼り先は「家族・親族」の96・2%が最多で、「友人・知人」「仕事・学校関係者」が続く。「行政機関」は5・5%にとどまり、人間関係が希薄なケースの対応は難しい。
近年は「孤独」を自治体が掘り起こす施策も行われている。大阪府高石市は22年度から市内約2万6千の全世帯を対象に福祉専門職らによる戸別訪問を進め、141世帯の支援につなげた。
自身も「宗教2世」で、自助グループを主宰する京都府立大の横道誠(よこみち・まこと)准教授によると、当事者同士が話せる環境づくりも重要という。「自分だけが苦しいわけではないと実感し、不安解消につながる。追い詰められる前に扶助し合える社会を目指すべきだ」と訴えた。
心の穴、満たす陰謀論 「事実こそ対抗策」
「ケネディと同じではないか」。5月、東京都内のホール。安倍晋三元首相銃撃事件の「真相を求める」と題した集会で、登壇者は殺人罪などで山上徹也(やまがみ・てつや)被告(45)が起訴されたことに疑問を呈した。外国勢力による暗殺説が消えないケネディ元米大統領と同様、安倍氏も政治的理由で殺害されたのではないか―。典型的な陰謀論だ。
さまざまな陰謀論を取材し、この集会に潜入したウェブライターの黒猫(くろねこ)ドラネコ氏は「参加者は安倍氏を慕うあまり、喪失を受け入れられないようだった」と振り返る。会場の約200人の大半は高齢者。安倍氏がピアノを演奏する動画がスクリーンに映されると静かに見入っていた。
「不安や不満で穴があいた心を、陰謀論が満たしている」。黒猫氏は、あらがいがたい〝魔力〟をまざまざと感じた。
交流サイト(SNS)で誤情報が急速に拡散する社会で、陰謀論の脅威は決してあなどれない。
国際大が2023年、15~69歳の1万3千人を対象にした調査で「安倍氏銃撃はスナイパー(狙撃手)が真犯人」という陰謀論を見聞きした人は10・7%だった。このうち真犯人説を「正しい」と答えた人は14・3%に上り、「正しいか誤りか分からない」との回答は34・3%。合わせると半数弱は誤りと見抜けていなかった。
調査した国際大の山口真一(やまぐち・しんいち)准教授(社会情報学)は、陰謀論は「自分は真実を知っている」という優越感を刺激し、否定情報より人を信じさせやすいと分析する。
21年の米議会襲撃事件にはトランプ大統領を崇拝する陰謀論勢力「Qアノン」が加わったとされる。山口准教授は「一つ一つを信じること自体はたわいなくても、社会の分断を加速させる危険性を内包している」と警鐘を鳴らした。
処方箋はあるのか。ジャーナリストや弁護士らでつくる「司法情報公開研究会」は、山上被告の裁判を別室のモニターで傍聴できるようにするなど、情報公開の強化を奈良地裁に要望した。共同代表の福島至(ふくしま・いたる)龍谷大研究フェロー(刑事法)はこう強調する。「『裁判所が情報を隠している』と思われれば、陰謀論を助長する。ファクト(事実)こそ対抗策だ」
教訓得てこそ社会は前進 作家の平野啓一郎さん インタビュー
安倍晋三元首相銃撃事件は社会にさまざまな課題を突き付けた。政治や社会情勢に関する言論活動を展開してきた小説家の平野啓一郎さんに話を聞いた。
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事件を機に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題は動いたが、山上徹也(やまがみ・てつや)被告(45)が選んだ手段は肯定できない。
「正義」は「目的」の正しさと、実現のための「手段」の正しさとの二つに分けて考えるべきだ。被告の宗教2世としての苦悩は理解できるが、暴力による解決はあってはならなかった。
大きな事件が起きると、社会はそこから何かを学ぼうとする。1999年に発生した埼玉県桶川市ストーカー殺人事件では、ストーカー規制法が成立した。だからといって事件が「良い結果をもたらした」と肯定されるわけではない。今回も同様に考えるべきだろう。
安倍氏や岸信介元首相と教団との関係は一部で知られていたが、山上被告の犯行後、奇妙な陰謀論が続出した。陰謀論は当人が信じている場合だけでなく、交流サイト(SNS)の閲覧数稼ぎが目的の場合もある。メディア各社が協力して、ファクトチェックをストックする場所をインターネット上につくるべきだ。
自分たちの社会から出てきた犯罪だからこそ、なぜ起きたのか理解する必要がある。それは犯罪の肯定とは区別されるべきだ。ドストエフスキーは『罪と罰』で主人公の殺人を肯定はしないが、犯罪に及ぶ過程に理解を示した。それなくして将来の犯罪抑止は不可能だ。犯罪寸前で思いとどまった人も社会の中には一定数いるだろう。文学者の立場としては「なぜ踏みとどまれたのか」を考えたい。
根本的には、誰もがこの世界で生きる喜びを感じられることが重要だ。「この社会で得るものはない」「失うものはない」と思えば人は自暴自棄になる。人生を持続させたいと思えるためのセーフティーネットも必要だ。困窮者救済や相談窓口の整備だけでなく、他人の生きづらさに共感できる社会の雰囲気をつくっていかなければならない。人間はどうすれば孤独に陥らずに済むのか。考え続けるしかない。
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ひらの・けいいちろう 1975年愛知県生まれ、北九州市出身。「日蝕(にっしょく)」で芥川賞。著書「マチネの終わりに」など。
(2025/10/22)
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