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衛生・食品2013年09月20日 「栄養士と法」と困りごと相談の論理 執筆者:早野貴文

 5、6年前だろうか、ある県の栄養士会から、「栄養士と法」という題名の講演を頼まれた。講演の資料を作ろうと、題名を入力したところ、「栄養士途方」と出た。栄養士(管理栄養士を含む。)に限らず、私のワードプロセッサーの辞書は、いろんな人を途方に暮れさせる。とはいえ、少なくとも栄養士については、この誤変換は、本質的な論点を突きつけたのかもしれない。なぜ「栄養士と法」なのか、一度途方に暮れてみてはどうか、と。栄養士は、市民であり、勤め人であり、ときどき自営業者である。演題は「栄養士と法」でも、たとえば、「市民と法」を語るにとどめ、後はそれを聴いた栄養士に自ら考えてもらえば足りるのではないか。それで求めに応じたことになるかは、社会制度としての栄養士のアイデンティティをどう見定めるかによる。栄養士は、資格か職業か、サービス業か専門職(プロフェッション)か、である。
 栄養士とは何か。「食卓の医師」である。私はそう喩えている。栄養士の法定の固有業務である「栄養の指導」は、医療行為たる性質を有する保健・医療・福祉上の介入である。「栄養の指導」は、人の生命活動そのものである代謝に容喙してこれを統御する企てである。その施術には大なり小なり侵襲を伴う。「食卓の医師」とする所以である。かくして栄養士は専門職(プロフェッション)として、職業倫理(プロフェッショナル・エシックス)を課され、その業務に過誤があれば、専門職責任(プロフェショナル・ライアビリティ)を問われる。「栄養士と法」は、栄養士がそういう法的存在であるがゆえに、まさに「栄養士と法」として論じられなければならない。
 栄養士の困りごとも、「食卓の医師」であるがゆえに直面するものである。一例を挙げる。給食利用者の好き嫌いに、栄養士はどう対応すべきか。好きなものを中心に、嫌いなものは外した献立にすべきか。それとも、そんなわがままは許されないと切って捨てるべきか。まずは、給食の利用者と給食を提供する機関・施設等との入院・入所、在学、その他の在籍関係の法的性質を捉える。この法的性質に照らして、給食の法律関係を同定する。その法律関係から、好き嫌いに応ずべき義務、ことに嫌いな食品・料理を除外すべき義務が導かれうるかを検討する。こうして給食を提供する機関・施設等の義務が解明されても、そこで働く栄養士が好き嫌いにどう対応すべきかについては、別途の考察を要する。献立の調製という形態での「栄養の指導」において、栄養士は、専門職として、給食を摂る人の疾病の予防・治療、健康の増進に適う給食を提供する義務を負う。もちろん、食欲の喚起や食事の悦びを体感してもらうことも重要な要請である。だからといって、好き嫌いをそのまま受け入れることにはならない。栄養管理の見地から、嫌いでも食べてもらうか。「あなたの健康のためです。」と。これに対し、「いくら躰によくても嫌いなものは嫌いだ、これを拒否するのは自己決定だ。」と反論されたらどうするか。好き嫌いによる偏食は一種の自傷行為ともいえるが、栄養士は、これをその人の自己責任で済ませてよいか。安易に自己責任という言葉を使わないのが、専門職ではないのか。
 もちろん栄養士の困りごとには、業務上の過誤に起因する事故への対応もある。誤嚥・誤飲、アレルギー原因食物の誤摂取、食事療法・栄養管理の不備(患者であれば医師の診療過誤も競合しうる。)などによる健康被害の発生にどのように対処すべきかなどがその典型である。「栄養士と法」の講演依頼の問題意識もこの辺りにあったのだろう。だが、事故が起きたときだけが、法や弁護士の出番ではない。事故を起こしても責任を問われないように予め手を打っておくための法や弁護士というのも、その役割の一端でしかない。栄養士に日々よい仕事をしてもらう。よりよい結果を求めて、科学的な慎重さを保ちながらも、ときにチャレンジングな仕事もしてもらう。法と弁護士の登場はこの場面からであるべきだ。「管理栄養士・栄養士のための困りごと相談ハンドブック」を編んだ心である。

(2013年9月執筆)

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