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一般2025年07月22日 国民スポーツ大会は生まれ変わるか? 執筆者:菅原哲朗

1、2025年6月13日改正スポーツ基本法が参議院本会議で可決成立した。
 2025年6月29日、千代田区平河町のホテルで全日本スキー連盟日本スキー指導者協会総会が開催された。坂本祐之輔会長(衆議院議員)は日本スポーツ少年団の本部長を歴任し、改正スポーツ基本法について国会での立法論議に造詣が深い。私は挨拶の中で理事各位に改正スポーツ基本法の概要を紹介した。改正スポーツ基本法のポイントとして①日本における共生社会の実現とウェルビーイングの向上をめざし、人種・性別・年齢・障害の有無等にかかわらず楽しいスポーツを希求する環境の整備が理念の土台にある。②改正スポーツ基本法第29条から同条2ないし5には具体的に選手に対する暴力や盗撮の防止、SNS等ネット上の誹謗中傷の防止を含むスポーツハラスメント対策の強化、アンチ・ドーピング教育・啓発の推進が規定され、第14条に熱中症防止などスポーツ事故防止の徹底が定められた。③改正スポーツ基本法第24条の2にはeスポーツ等情報通信技術の活用を新設し、同法第17条の2で国の補助と地方自治体の施策の努力義務を定め中学校の部活の地域展開が大きく進みスポーツが学校体育から地域社会活動になる、と指摘した。スキー競技も北海道ニセコのスキー場開発等外国人観光客(インバウンド)によるスキーの地域経済と連携をめざす要素として「街づくり」の視点を強めるべきと語った。

2、私の関心はいわゆる「国体」と呼ばれ慣れ親しんできた各県持ち回りのスポーツ競技大会というお祭りが、2024年佐賀県開催から国民スポーツ大会つまり「国スポ」と愛称を変え、トップスポーツと地域スポーツの好循環を生み出し、三巡目も着実に足元を固めるのか?それともJSPOの提唱する「ジャパンゲームズ」と包摂されるのか?である。
 国民スポーツ大会(旧名称:国民体育大会、以下国体あるいは国スポと略称する。)は、終戦の翌年である1946年に第1回国体(註1)が開催されスポーツ精神の高揚で国民の健康増進を図ろうという目的で、天皇皇后両陛下が競技場に臨席し、各県選手団の行進とブルーインパルスが国体開会式で競技場の天空に飛来するというスタイルが確立し、2025年9月に開催予定の滋賀県大会は第79回大会である。
 国スポはスポーツ全般について直接規定する改正スポーツ基本法第26条第1項(国民スポーツ大会)において公益財団法人日本スポーツ協会(JSPO)・国(文部科学省スポーツ庁)・開催地の都道府県が共同して開催するとされている国内最大のスポーツの祭典であり、新たに三者共同開催に「各運動競技に係るスポーツ団体と連携して」との文言と、「広く国民がスポーツに親しむ機会を提供することにより、地域振興に資するものとする。」との文言も追加した。

3、私は外部有識者枠の弁護士として平成13(2001)年に国体委員に就任し、当時は日比野弘さん(元早稲田大学ラクビー部監督)が国体委員長だった。私は国体の歴史も、県民感情の右も左も分からないまま、国体は都道府県持ち回りで開催県が常に天皇杯・皇后杯を取る(優勝する)のでスポーツ観戦として面白くないと国民は思っている、実力で勝負が決まるスポーツらしくない、と発言した。その時、岡崎助一さん(当時・日本体育協会事務局長)から各県は何年もかけて国体選手を養成しているので人口の少ない県でも優勝するととがめられた。ルールとして立候補した開催予定の県は一年ごとに「開催申請書提出順序了解県」の段階から、「内定県」、「決定県」いう順序で進み、当初申し出た開催基準要綱を修正しつつ開催年に至る。
 確かに県民が国体開催のための大きな競技場や体育館、いわゆる「国体道路」という箱もの、つまり土木建築に税金を投入するには県民の賛同を得ることが大切だ。1988年から国体も二巡目に入り、2002年第57回高知国体で橋本大二郎知事が、天皇杯を無理に取る必要がないと発言して東京都が天皇杯を獲得し準優勝となり、以後は必ず開催県が天皇杯を取るべきとの世論の圧力はなくなったはずだった。
 しかし、翌年の2003年から9年連続開催県が優勝してきた。平成23(2011)年東日本大震災復興支援第66回国民体育大会(「おいでませ!山口国体」当時は二井関成山口県知事)でも山口県は天皇杯・皇后杯を取得した。その前年に国体委員会は2010年第65回千葉国体における山口県所属の選手団の参加資格違反があるとして元裁判官・元検察官・法学者・弁護士等7名で組織した聴聞会を第三者委員会形式にして15回にわたり調査を重ね、ガバナンスに問題ありとして2011年2月17日に山口県体協と県内各競技団体に反省と再発防止を答申し、記者会見をした。

4、全国知事会会長の村井嘉浩知事(宮城県)は2024年4月8日、国体開催三巡目に入りマンネリを打破するには国体の廃止も一つの考えと発言して、国体の存廃も含めて国体見直し論がメディアの注目を集めた。
 それを契機に組織された日本スポーツ協会「今後の国民スポーツ大会の在り方を考える有識者会議」が令和7年3月21日に提言を出した。
 その提言書「8.関連事項」の「(3)スポーツホスピタリティの推進」が「国スポにおけるスポーツホスピタリティを推進することにより、開催を契機とした地域経済の活性化をはじめ、新たなスポーツ観戦スタイルの定着に寄与することが考えられる。」とスポーツをする人、見る人、支える人の三要素のうち焦点になる「見る人」を強調した。
 国民スポーツ大会委員会では、「国民スポーツ大会開催基準要項」という基本ルールを一部変えることを決めた。
 ポイントは同基準要項7開催基本方針に次の1項目を追加したことだ。
「(6)観戦者サービス(スポーツホスピタリティ)
 大会の開催にあたっては、大会の価値・魅力の中核をなす選手のパフォーマンスを踏まえた「みる」スポーツの充実及び開催県ならではの文化や特色を発信するため、観戦者への多様な観戦支援や地域資源を活用したスポーツホスピタリティの提供に配慮する。」
 これには、観戦ラウンジの充実や地元食材を用いた飲食提供、体験型観光等が含まれる。
 このルールは改正スポーツ基本法第26条第1項の定める地域振興を具体的に進めるために、マンネリに陥った国スポを「見る人」の立場に重点を置かないでは、楽しいスポーツの祭典である国スポの発展はないという姿勢である。


(註1) 国民体育大会は、第二次世界大戦直後の日本再建を目指し、1946(昭和21)年京阪地区の第1回大会以来、永年にわたり国民の心身の健全な発達、明るく豊かな国民生活の形成、活力ある社会の実現を求め、アマチュアスポーツの振興を図るべく計画し毎年実施されてきた。規模・実施方法とも都道府県対抗方式による形式の国内最高・最大の国民的なスポーツ行事といえる。大会役員・参加選手は、約3万名弱に及び選手は郷土の代表として成年男女種目・青少年種目で、参加得点・競技得点により天皇杯・皇后杯の獲得を争う都道府県対抗形式により実施され、トップアスリートに求められるドーピング検査も2003年の静岡国体から実施されている。第78回国民スポーツ大会(愛称は「SAGA2024」)は2024年に佐賀県で開催され、佐賀県大会から国民体育大会から国民スポーツ大会と名称が変更された。

(2025年7月執筆)

(本記事の内容に関する個別のお問い合わせにはお答えすることはできません。)

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執筆者

菅原 哲朗すがわら てつろう

弁護士

略歴・経歴

(出 身)1948年 東京都生まれ

(学 歴)1972年 東京都立大学法学部卒業
     1975年 司法研修所卒業 (司法修習27期)

(職 歴)1975年 弁護士開業 (第二東京弁護士会)
     2000年 中国大連市外国法弁護士事務所開設

(役 職)

 元日本スポーツ法学会会長
 公益財団法人日本スポーツ協会国民スポーツ大会委員会委員
 公益財団法人日本スポーツ協会アンチ・ドーピング委員会委員長
 第二東京弁護士会スポーツ法政策研究会代表幹事
 一般財団法人モーレイ育英会理事
 一般社団法人心身統一合氣道会理事
 元独立行政法人国立国際医療研究センター理事
 独立行政法人日本スポーツ振興センタースポーツ団体ガバナンス支援委員会委員長

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