民事2025年08月10日 「日本は逃げる男の天国」ろくに養育費を出さなくても責任なし…女性の絶望と怒り 提供:共同通信社

東京都内でグラフィックデザイナーとして働く松本アイさん(仮名、40代)は2022年、妊娠した。彼に「結婚しよう」と言われ、婚約。広めの新居に引っ越した。
ところが、状況は一変する。彼は親族に結婚を反対されると、婚約を破棄。アイさんが里帰り出産のため新居を空けた隙に、鍵を置いて姿を消した。
翌年、息子を出産。その2カ月後、彼は弁護士を通じて連絡してきた。内容は「養育費は月1万6千円を支払う。育児には協力しない」。
がくぜんとしたが、悲劇はこれで終わらない。息子に小児がんが見つかったのだ。致死率50%。不安に襲われた。今後どうしていけばいいのか。一番に相談すべき彼は行方知れずだ。
生活費に加え、後遺症がある息子の闘病費用もかかるのに、健康体で働ける彼が宣言した養育費はたった1万6千円。しかも、いまだに1円も支払っていない。
アイさんは理不尽さに怒りが収まらない。
「養育費を出さないのに、なぜ責任を問われないのか。この国は逃げる男に甘すぎませんか」
養育費を受け取っていない母子家庭は約7割に上る。政府は昨年、養育費の不払い対策を盛り込み法改正した。ただ、専門家によるとそれでも「不十分」。一体どうなっているのか。(共同通信=宮本寛)
毎日陥る自己嫌悪
保育園が休みの日、アイさんの起床は午前7時だ。すぐに朝食を作り、2歳の息子に食べさせる。片付けをして9時に仕事を始めるが、2時間ほどで昼食の準備に取りかからなくてはならない。正午からの会社とのオンライン会議中、息子はずっと泣き叫んでいる。
会議を終えると、40分かけて自転車で療育施設へ。帰宅すると、すぐにおやつの時間だ。15時からの会議でも、息子の号泣が響き渡る。16時に調剤薬局へ。大暴れする息子をどうにかなだめる。17時から再び会議だが、息子の様子は言うまでもない。
会議後は夕食の支度に追われる。ここまでの食事はすべて息子のもので、自分は飲み物以外、何も口にしていない。
息子が寝てから家事や残りの仕事を片付ける。土日問わず深夜まで仕事をしており、睡眠時間はほとんどない。
アイさんは吐露する。「まったく仕事にならず、キャリアはとっくに諦めた。生きていくので精いっぱい。自分の都合で叱ってしまうこともあり、スキンシップの時間も短い。毎日、自己嫌悪に陥っている」
風邪を引くことも許されない日々
実は、アイさんの記事を書くのは2回目。1回目の記事「養育費は月1万6千円です」を昨年6月に配信している。その翌日、ミュージシャンの彼はそれまで続けていたSNSへの投稿をぴたりと止めた。
記事を読んだのかどうかは定かではないが、その後もアイさんが求めた慰謝料と養育費の支払いはない。アイさんが求めているのは、慰謝料500万円と、養育費月3万円×20年分の一括払い。
一括払いは過大な要求に聞こえるかもしれないが、これには理由がある。彼が息子に関与せず、将来誰かと結婚して子どもが生まれた際には「養育費の支払いを止める」と既に通告してきたためだ。
その後、彼から四十数万円が振り込まれた。アイさんが求めた引っ越し費用や家賃など、初期費用の「半額」。それだけだ。彼の弁護士を通じて、こんな回答があった。
「(アルバイトをしている)介護の職場が変わった」「音楽での収入はゼロ」
しかし、源泉徴収票などの根拠は一切示されない。しかもアイさんが風邪一つ引かずに休まずフルで働くことを前提とした主張だ。アイさんには「そもそも法律が女性親の母性に依存し、不平等だ」としか思えない。「私が病気で倒れれば生活は破綻。私が死ねば息子は…」
終わらない悲劇 父の最後の笑顔
必死に生きるアイさんに、またも悲しい出来事が起きる。2月中旬、アイさんの父が死去した。
実家の兄から着信があったことに気付いたのは、病院で息子と面会を終えた後。折り返した時、父はすでに息を引き取っていた。
葬儀にも駆けつけることができなかった。息子の容体に万一、何かあったときのために東京を離れることができなかったからだ。
実家には里帰り出産をした後、一度も帰れていない。気むずかしく寡黙だった父が、生まれたばかりの息子を抱くと、顔をくしゃくしゃにして「精悍な顔をしとるわ」と言ってくれた。
息子の退院 感じることのできなかった四季
3月、息子が退院した。1年前の入院時も同じように病院の近くで桜を見たが、その後の景色をはっきり覚えていない。必死だったからだ。ひたすら息子の健康を祈り、仕事をこなし、わずかな面会時間のために死にものぐるいでこの道を通った。「四季なんて感じる余裕もなかった」
息子は小さな体で過酷な抗がん剤投与と放射線治療を耐え抜いた。病院では、子どものベッド脇で仕事をする父親や、夫婦交代で看病する家庭ばかり。「病室は家族の絆や愛情を感じることのできる場所だった。疎外感を感じなかったと言えばうそになる」
彼の言動に傷ついて落ち込み、どす黒い気持ちを抱えたまま息子に向き合わざるを得なかった時間は「つらかった」。
「保育園が決まらなければ、母子の生活は詰む」
息子の退院後、最大の懸念は保育園探しだった。
医療的ケア児の入園には困難がつきまとう。シングルマザーでフルタイム勤務、そして実家による支援もなし。条件は有利なはずだった。それでも、4月からの入園はかなわなかった。
「このままでは母子の生活が詰んでしまう」。行政に掛け合い、なんとか特例による緊急措置として認めてもらえた。
逃げ得? 法改正でも残る課題
綱渡りの生活を続けるうち、彼との協議に無力感を覚えるようになった。
「行方をくらまし、支払いを渋る相手に時間とお金と精神力をかけて裁判や調停をする意味があるのか」
SNSを通じ、同じような境遇の女性の訴えを目にするようになり、こう感じている。
「逃げられた側のコストばかり高い。そんな現実に直面し、養育費を諦める人がかなりいる。それに気付いていて救済しないこの国って、逃げる男に甘すぎませんか?」
逃げ得? 「養育費よりも税の取り立てを優先」
養育費を巡る日本の状況は、世界的に見てもかなり遅れていると言える。
厚生労働省の最新の調査によれば、母子家庭の約7割が養育費を受け取っていない。ひとり親世帯の子どもの約半数が貧困に直面している。
政府は重い腰を上げ、2024年5月の民法改正で「法定養育費」と「先取特権」の導入を決めた。
法定養育費とは、離婚時に取り決めがなくても一定額を請求できる制度。先取特権とは、和解調書や公正証書がなくても、相手の財産を差し押さえることができる権利だ。
ただ、これだけでは十分とは言えなそうだ。養育費問題に詳しい服部勇人弁護士は「不十分」と断言する。
「確かに民法改正によって、ちゃんと働いている親からの徴収はしやすくなったが、居場所が特定できない親への実効性は乏しい」
働いている親であれば、勤務先に照会して源泉徴収票を取り寄せ、それによって養育費の額も決められる。しかし、居場所が分からないと市区町村に問い合わせて課税証明書を取り寄せることもできない。結局は、逃げ得がまかり通ってしまう。
服部弁護士によると、アメリカの状況は日本とは正反対で、7割が養育費を払っている。この状況を支えているのは、税務署の関与という。
「行方不明でも、税金を納めているケースは多い。税務署が情報開示に協力するアメリカと、個人情報を理由に協力しない日本との大きな違いだ」
日本でも税務署の協力を強く求める声が上がったが、今回の民法改正に盛り込まれることはなかったという。
服部弁護士は力説する。
「税務署が守秘義務を盾に情報開示に協力しないということは、子どもを守るための養育費よりも、税金の取り立てを優先していることになる」
アメリカでは、養育費の不払いに対する制裁もある。不払い額が増えたり、払わない期間が長くなったりすると、「法廷侮辱罪」で懲役刑を科されることもあるという。
いま一度、彼に問いたいこと
アイさんの息子は病気の後遺症で発達が遅れ、片耳は聞こえない。再発や晩期障害の恐れは消えず、定期的な検診も欠かせない。
それでも最近は発する言葉が増え、歌をフンフンと口ずさむようになった。お気に入りは「とれたんず」。新幹線をモチーフにした絵本やアニメだ。
何かを訴えるようにはいはいしながら近づいてきて甘える息子の姿が救いだ。
最後に、養育費を出さない彼に向けて語った。「私を傷つけ、幼い子どもの心や生命を犠牲にしてまで守りたかったものは何なのか、いま一度問いたい」
彼の反応は
彼の代理人弁護士に取材を申し込むと、こんな回答が来た。
「養育費について具体的な金額を提案しているが、当事者間で合意が成立しておらず、支払いができていない状態だ。これ以上、話し合いが進まないままなのは望ましくないことから、公平な裁判所を介した調停手続きで解決したいと考えている」
(2025/08/10)
(本記事の内容に関する個別のお問い合わせにはお答えすることはできません。)
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