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厚生・労働2008年11月13日 羨ましい介護・・・ 執筆者:古笛恵子

 先日、朝食の準備をしながら、たまたま朝のワイドショーを見たところ、俳優である夫が、女優であった妻を介護している様子が映し出されていました。30年以上も前になるのでしょうか、私が子供のころ、その夫婦がクイズ番組に出演していた記憶がうっすらと蘇りました。とてもきれいな女優さんでした。面影を残しつつも、大きく変わったその容姿に、何ともいえない気持ちになりました。夜に放映する番組の紹介だったのですが、女性レポーターは、「とても羨ましいですね。」とそのコーナーを締めくくりました。
 何気ない一言だったのかもしれません。夫が妻を献身的に介護する様子を「羨ましい」と表現したのかもしれません。しかし、それ以来、ことあるごとに、「羨ましい・・羨ましい介護」と脳裏にひっかかっています。
 これまで見てきた介護の現場に、「羨ましい」という表現はなじむものではないと思えたのです。
 弁護士として見てきた介護の現場は、介護の一面にすぎないことは確かです。結果の大小はあるものの、トラブルがあるからこそ、弁護士が関与し法的判断を求められるのですから。だからといって、介護は暗いもの、辛いもの、悲しいもの・・羨ましいなどとんでもない、という思いでもありません。

 高齢社会を迎え、介護の必要性が高まることはあっても、なくなることはありません。いつ、誰かが、誰かを介護しなければならなくなるかもわかりません。介護が必要となった被介護者とともに、介護者の人生も大きく変わってしまいます。ゴールのない介護であるからこそ、「持続可能な介護」を作り上げていかなければならないと思います。それは、個人の責任としてではなく、社会の責任として作り上げていくべきです。
 そのためには、介護の現実に目を向ける必要があると思います。

 弁護士として関与した介護の世界ですが、そこは、法律や理論、理屈のなじみにくい世界でした。扶助、奉仕、情誼、道徳・・・といった温かい気持ちに支えられているがゆえに、良くも悪くも、現実から目を背けがちではないか思うことがままありました。介護事故の場合もそうです。過失だとか結果回避義務だとか、法的責任について法的に判断する前に、自責の念から介護の現場を離れてしまう方をたくさん見てきました。もちろん例外もあるでしょうが、本当に一生懸命の方ばかりでした。それぞれが何らかのきっかけ(常に具体的に確認しているわけではありませんが、それはとても温かいもののように感じます)から介護の世界に飛び込み、それなりの思いをもって介護の職に従事していただけに、とても残念でした。
 介護事故の防止、その思いは、介護者も被介護者も、その家族もみな同じはずです。しかし、現実に避けることの不可能な事故もあります。介護事故について問うべき責任は問わなければなりません。しかし、問わなくてよい責任は問わない。こういったスタンスで臨まないと、将来的に持続可能な介護はありえないと何度も感じました。

 11月11日は介護の日、「いい日、いい日、毎日、あったか介護ありがとう」だそうです。多少、複雑な思いがないわけではありませんが、国をあげてみんなで介護のことを前向きに考える取り組みはとても良いことです。
 私自身、「羨ましい」ではなく、もっと介護にふさわしい表現ができるように、介護について今後も考えたいと思っている次第です。

(2008年11月執筆)

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