一般2015年05月01日 囲碁雑感(法苑175号) 法苑 執筆者:園田寿

1 碁好きはだれでも不思議と「碁」という看板には目がいくものだけど、この碁会所が初心者にとっては結構敷居が高いのである。自分のような弱い者でも構わないのだろうか、屈辱的な扱いを受けはしないだろうか、周りの人に迷惑ではないのだろうかなど、初心者にとって碁会所の扉は心理的にかなり開けにくいところではある。
幸い、自分はとても良い碁会所に巡りあい、六段の席主(碁会所の主人)に初心者の頃から二段になる頃まで、本当によくしてもらった。
小さな長屋の一軒の一階が碁会所、二階が住居だった。碁盤は一〇面ほどしかなく、猫好きの夫婦は、二階に一〇匹ほどの猫を飼っていた。
冬になると、なぜかその碁会所を思い出す。建て付けの悪い戸をかじかんだ手で開けると、エビス顔をした席主がいつもの場所に座って、新聞の囲碁欄を見ながら棋譜を並べている。「園田さん、いらっしゃい!」と奥さんがお茶を出してくれる。あの暖かい碁会所を思い出す。入口の石油ストーブの上にはおでんの大鍋が掛けられている。どれも一個三〇円で冷や酒が一〇〇円。私は、駅から帰る途中に、少し遠回りをしてここにやってきて、おでんを二〜三個食べながら碁を打って、負けた碁や勝った碁を思い出しながら家路につく。
恒例の忘年会や新年会。常連ばかり一〇名ほどが集まって、料理を一品づつ持ち寄る。スーパーで買った巻きずしやコロッケ、焼き鳥、家から持ってきた漬物や玉子焼き、どれもこれもご馳走である。昼から店を閉めて、碁の大会をやって、その後宴会となる。囲碁を肴に酒を酌み交わし、カラオケを歌って、フィナーレは決まって奥さんの粋な都々逸だった。
結婚して、引っ越してから、その碁会所も遠くなった。何年かして久しぶりに、碁を覚えたばかりの息子を連れて行って、教えてもらったことがあった。その日は、日曜日だというのに閑散としていて、三人ほどしかお客さんがいなかった。狭い碁会所が広く見えた。
「もっと近かったら、毎日、打ったんのになぁ」
「園田さん、また、ぼん、連れといでや」
持って行った土産の寿司を食べながら、席主は何度も息子の頭を撫でていた。
十数年ほど前に席主も奥さんも亡くなられ、碁会所も消えてしまった。
碁会所の名前は、『天狗クラブ』といった。常連のみんなが、囲碁の天狗になれた碁会所だった。
2 アマ全国ベスト8にまで上りつめたMさんと出会ったのも、天狗クラブである。今思い出しても、Mさんと碁を打つときの楽しかった気持ちがよみがえる。Mさんには、私が三〜四級から二段の頃までよく教えてもらった。
高校の将棋部員だったMさんが、ある日ふらりと天狗クラブにやってきた。一面だけあった将棋盤がふさがっていたので、何となく席主から碁を習うことになった。そして、この偶然がその後のMさんの人生を大きく変える(狂わせる)ことになったのである。
Mさんはすぐに碁の世界に魅了され、のめり込み、腕前をどんどん上げていった。才能があったので、席主も力が入る。しかし、段位が上がるにつれて、学校の成績は落ちる。何とか卒業し、大手の電器メーカに就職するも、頭の中にあるのは囲碁のことだけ。住んでいるアパートも、碁盤と碁石、碁の本以外にはほとんど何もない。新聞も読むのは囲碁欄だけという生活である。とうとう、会社勤めをしていれば碁が打てないと、退社してしまった。
会社を辞めると一日のすべてを碁の勉強に費やすことができるので、アマチュアの大会ですぐに名前が知られるようになった。しかし、なかなか優勝ができない。あるとき、優勝の一歩手前まで行った年があった。ギャラリーで応援している私が見ても盤面で一〇目以上の差をつけた楽勝の碁であったが、終盤、相手は無駄な手を詰め続け、時間稼ぎにまわった。アマの大会であっても時間制で、碁盤の横に置かれた時計を一手打つたびにカシャっと押して、自分の持ち時間の進行を停めることになっている。そして、時間が切れると、どんなに優勢な碁でも負けとなる。Mさんはこの時計を押すことを忘れてしまう。自分の持ち時間の多くを相手にくれてやるのである。そして、彼の時計は無情にも切れる。これも勝負である。しかし、本人も私も無念さが残る。私は、帰りに彼を寿司屋に連れて行く。彼は大好物のハマチばかりを注文し、負けた碁のことをブツブツと反省するのであった。
このような年が四〜五年続いたのち、とうとうMさんは大阪府の大会で優勝し、大阪府アマのトップに立った。全国大会に出場する権利を得たのだった。
「Mが優勝しよった!」
席主は、来る人来る人に何度も自慢して、碁会所に賞状を飾っていた。
しかし、Mさんは出場を辞退するというのである。
東京まで行く旅費がないのである。
そこで碁会所の常連でカンパをし、何とか旅費を工面することができた。
ささやかな壮行会も行い、こうしてMさんは無事全国大会に出場した。が、準々決勝で強豪と当たってしまったのだった。勝負は時の運である。負けたMさんは、碁会所の隅っこでカンパしてくれた人たち一人ひとりに、負けた自分の碁を並べ直し解説してくれたのであった。
あるとき、
「Mさんほどの力があればプロでもいけるんとちゃうやろか?」
と言ったところ、
「園やん、アホなこと言いな。碁で飯食うなんて、怖わぁてようせんわ」
と、相変わらずハマチを食べながらMさんはつぶやくのであった。
おそらく、今でもMさんの囲碁修行は続いていることだろう。
3 最近は、碁会所に足を運ぶ時間もないので、深夜でも碁が打てる「ネット碁」(インターネット対局)を楽しんでいる。ネット碁では互いに仮名で対局するから、相手の顔や年齢、性別すらも分からない。ただマウスを握りしめてパソコンの画面と向かい合う。その意味では、囲碁の対局ソフトと打つのと変わらない。しかし、対局ソフトと違ってネット碁では、ディスプレイの向こうに確かな〈人の気配〉を感じるのである。
対局ソフトも今ではアマの高段者くらいの実力はあるが、その着手は何か直線的かつ無機質で、どうもそこに〈人間臭さ〉が感じられないのである。相手を挑発する手、相手を焦らす手、妥協を持ちかける手、傲慢な手、ミスを誘う手など、勝負の駆け引きとでもいうべき機微が感じられない。だから、対局ソフトでは、囲碁の魅力のほとんどを味わうことができないのである。しかし、あと二〜三〇年もすれば、〈人間臭さ〉を漂わせた対局ソフトが開発されるにちがいない。そして、そのときに初めて、プロの域に達する「AI棋士」が誕生するのだと思う。人間と囲碁の歴史にとっての善し悪しは別として。
4 ネット碁では便利な棋譜の保存機能があって、いつでも自分の打った碁を見返して勉強できるようになっている。しかし、負けた碁は悔しいからすべて消去して、勝った碁だけを残すようにしている。
三〇年ほど前、天狗クラブにやってきた小学二年生くらいの院生(プロの卵)に打ってもらったことがあった。当時私は二段くらいで、その子はアマの六段格で打っていたと思う。途中でその子が読みを間違えて単純なポカを打ち、白の大きな石が死んでしまった。途端に、その子は碁盤に大粒の涙をボロボロと落とし、ただただ声もあげずに泣きだしたのだった。びっくりした私は、「ぼく、がんばりや」と声をかけるのが精一杯であった。
しばらくしてその子を見ると、碁会所の隅で私に負けた碁を棋譜に録ってじっと見つめ、反省していた。高段者になると打った碁を並べ直すことは難しいことではないが、プロを目指す者は勝った碁を誇るよりも、負けた碁を反省するのかと感動したのであった。
5 論語にはすでに囲碁に関する記述があるので、少なくとも今から二千数百年前頃の中国では、囲碁は庶民の娯楽としてよく打たれていたはずである。しかし、現在まで同じ碁はどれ一つとして存在しない。これは確かめようはないが、碁のパターンは気の遠くなるほどの数であって、同じ碁は存在しえないのである。
どうも一〇の七六〇乗ほどのパターンがあるらしい。宇宙全体の原子の数が一〇の八〇乗個ほどであるとされているので、一〇の七六〇乗という数は、思うだけで気が遠くなるような数なのである。だから、まったく同じ碁が打たれる可能性は限りなくゼロに等しく、かりに同じ碁が打たれたとしたら、それは猿が見よう見まねでキーボードを叩き、源氏物語を一言一句違わず入力してしまったのと同じくらいの奇跡といえる。
プロ棋士がタイトル戦で一時間も二時間も長考することは、普通にある。ひと目三〇〇手といわれるプロの読みの凄さだが、そのときおそらく対局者の頭の中では、何万手、何十万手、いや何百万手の変化図がもの凄い速さで流れていることだろう。しかし、それとて無限の変化のごく一部でしかない。難しい局面で勝敗を決する一手の打着にどの点を選ぶべきかは、とうてい人智の及ぶところではないのである。先日一〇〇歳で亡くなられた昭和の棋聖、呉清源九段が、「天授の一石」という言葉を残している。囲碁に限らず何事にも通ずる、なんと含蓄に富む言葉ではないだろうか。
(甲南大学法科大学院教授)
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