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医療・薬事2024年05月02日 水俣病68年、犠牲者慰霊式 遺族代表「混乱終結を」 救済求める訴訟、今も 提供:共同通信社

 四大公害病の一つ、水俣病が公式確認から68年となった1日、熊本県水俣市で犠牲者慰霊式が営まれ、患者や遺族が祈りをささげた。被害者救済策の対象から漏れた人らが国などを訴えた訴訟は今も続く。大阪など3地裁で判決は判断が割れたが、新たな罹患(りかん)の認定が相次いだ。早期解決を望む声は高まり、遺族代表は「水俣病による混乱状態が一日も早く終わることを願う」と訴えた。
 水俣市内の不知火海(しらぬいかい)(八代海)沿岸で、多くの認定患者が住んでいた地区出身の川畑俊夫(かわばた・としお)さん(73)は遺族らを代表して「祈りの言葉」を朗読。「水俣病で亡くなった多くの命を決して無駄にしないように、二度と公害病を起こさないように願う」と呼びかけた。
 参列した伊藤信太郎環境相は「健康被害や地域で生じたあつれきで苦しんだ皆さまに申し訳ない気持ちだ」と陳謝。水俣病の原因企業チッソの木庭竜一(こば・りゅういち)社長は「(認定済みの)患者に対する補償責任の完遂」が最重要課題だと強調した上で「その決意は変わらない」と述べた。
 政治解決による救済策として水俣病特別措置法が2009年に施行されたが、対象外の人らが水俣病の症状を訴え、国などに損害賠償を求め各地で提訴。昨年9月から先月までに言い渡された大阪、熊本、新潟各地裁の判決では賠償を巡る判断は分かれたが、原告の一部、または全ての罹患を認めた。
 慰霊式後、被害者7団体が伊藤氏に共同要求書を手渡した。被害の全容が明らかになっていないとして、特措法が国に求めた住民健康調査の早期実施などを求めた。チッソによると、3月末時点で熊本、鹿児島両県の認定患者のうち約9割が既に亡くなっている。団体の一つ「水俣病不知火患者会」の岩崎明男(いわさき・あきお)会長は「一刻の猶予もない」と訴えた。

偏見恐れ、出身隠した過去 水俣病「全面解決望む」

 「現在も苦しんでいる方が多くいる」。1日の水俣病犠牲者慰霊式で遺族代表を務めた熊本県水俣市の川畑俊夫(かわばた・としお)さん(73)は「奇病」と呼ばれた水俣病への偏見に苦しみ、転勤先でも「水俣出身」だと明かせなかった。救済を求める訴訟が続く現状に心を痛め、国などに「全面解決を切に望む」と訴えた。
 1950年、現在の水俣市月浦に生まれた。眼下に広がる不知火海(しらぬいかい)にメチル水銀を含む排水が流出し、後に多くの水俣病患者が出た地域だ。
 5歳頃、近所の親戚の家に遊びに行くと、よだれを垂らしたまま、いつも布団に寝かされている同年代の女児がいた。
 手足は折れ曲がり、やせこけ、話す姿は見たことがない。「一緒に遊びたいのに、かわいそうだな」と思った。女児は8歳で亡くなった。
 79歳で死去した川畑さんの母も認定患者だ。近所には漁師が多く、日常的に魚を買って食べた。戦後の「食糧難の時代」で、海で拾った巻き貝やカキも口にした。
 手足のしびれを感じ始めたのは10代のころ。2009年施行の特別措置法で、救済対象と認められた。3人いた姉妹にも同様の症状があったが、他界した父はかつて「嫁に行けなくなる」と娘たちの被害をさらすのをためらった。
 水俣病は伝染するとのうわさが立ち、差別や偏見に苦しんだ。中学生時代、乗っていた列車が水俣に近づくと、同年代の子が「(水俣の空気を吸うとうつるから)息を止めろ」と叫んだ。大学卒業後に大阪の企業に就職し、西日本各地を転勤して回ったが、出身地を聞かれても「熊本県」としか答えなかった。
 慰霊式で「祈りの言葉」を朗読した際には、「国と県、(原因企業の)チッソ」に解決を要求すると読み上げる予定だったところを、参列した環境相や熊本県知事、チッソ社長の名前を挙げ、3人に向かって一礼した。
 式典後、取材に応じた川畑さんは「早く全面解決してほしいとの願いを込めた。未来の子どもたちが水俣出身と堂々と言えるようになってほしい」と話した。

3地裁「未救済者も罹患」 原告ら、国に新枠組み要求

 水俣病特別措置法の救済対象外の人らが典型的な症状を訴え、国などに損害賠償を求めた訴訟は全国4地裁に起こされ、法廷闘争は今なお続く。国は救済対象の拡大に否定的だが、3地裁で下された判決は、いずれも未認定患者の罹患(りかん)を認めた。原告側は救済制度の不備が司法で裏付けられたと訴え、新たな救済枠組みの創設を求めている。
 最初の判断を下したのは、昨年9月の大阪地裁。熊本、鹿児島両県に面する不知火海(しらぬいかい)周辺に居住歴のある128人の原告全員について、手足のしびれなどの症状が「水俣病以外に説明ができない」と判断、国などに賠償を命じた。
 今年3月の熊本地裁判決では、メチル水銀への暴露状況などから原告の一部25人の罹患を認めたが、損害賠償請求権が20年で消滅する除斥期間が過ぎたと判断し、原告側の請求を全て棄却した。
 翌4月の新潟地裁判決も原告の一部26人について、新潟水俣病への罹患を認定。原因企業に賠償を命じた一方、健康被害を「認識・予見できたとはいえない」として国の責任は認めなかった。
 3訴訟は全て控訴審に持ち込まれた。同種の訴訟は東京地裁でも係争中で、4訴訟の原告数は計1700人超に上る。
 熊本訴訟の森正直(もり・まさなお)原告団長(73)は「特措法が掲げる『あたう限り』の救済がされていないと裁判で認められた。不十分な所を変えるだけでいいんだ」と強調。より対象を広げ、恒久的な救済枠組みの確立を求めた。

特措法、検証可能性に言及 環境相、水俣病巡り

 伊藤信太郎環境相は1日、水俣病特別措置法の検証や新たな救済策を講じるかについて「現時点ではノーだが、将来イエスになる可能性もある」と述べた。熊本県水俣市であった犠牲者慰霊式後の記者会見で発言した。
 伊藤氏は「現行の法律を柔軟に丁寧に運用し水俣問題に取り組みたい」とした上で、特措法については「法律を直すとなると、議員立法だから行政府ではなく立法府の話だと思う」とこれまで通りの主張を展開した。
 特措法に基づく住民の健康調査については「本年度は脳磁計とMRIの研究や、調査実施に当たっての課題の研究をさらに深め、早くできるように進めたい」と述べた。

水俣病の経過

 1956年5月1日 熊本・水俣保健所に「原因不明の疾患発生」と届け出、水俣病公式確認
 68年9月 政府がチッソ工場排水のメチル水銀による公害と認定
 74年9月 認定患者に医療費などを支給する公害健康被害補償法施行
 77年7月 患者認定に原則として複数の症状を求める基準を国が通知
 2004年10月 関西訴訟で最高裁判決が77年基準より広く患者認定するべきだと判断
 09年7月 未認定患者救済の特別措置法施行
 13年6月 特措法救済策の対象外とされた人らが熊本地裁に提訴。その後、同様の人らが新潟、東京、大阪各地裁に提訴
 23年9月 大阪地裁が原告全員を水俣病と認定、国などに賠償命令
 24年3月22日 熊本地裁が原告全員の請求棄却。一部原告の罹患(りかん)は認定
 4月18日 新潟地裁が一部原告の罹患を認め、旧昭和電工に賠償命令
 5月1日 公式確認から68年

水俣病

 熊本県水俣市のチッソ水俣工場から不知火海(しらぬいかい)(八代海)に流された排水に、毒性の強いメチル水銀が含まれ、汚染された魚介類を食べた住民らに手足のしびれや感覚障害、視野狭窄(きょうさく)といった症状が相次いだ。1956年に公式に確認され、68年に国が公害と認定した。母親の胎内で影響を受けた胎児性患者もいる。根本的な治療法は見つかっておらず、今も患者認定を求める申請や訴訟が続く。新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくと並ぶ四大公害病の一つ。

(2024/05/02)

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