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一般2024年04月17日 ワリエワ選手CAS裁定(本案) 執筆者:大橋卓生

2022年2月に開催された北京冬季オリンピック、ロシアが団体戦で優勝した後、ワリエワ選手がその前年12月に出場したロシア選手権大会でのドーピング検査で陽性となり、ロシア・アンチドーピング機構(RUSADA)から暫定的資格停止処分を課されたことが発覚しました。ワリエワ選手の異議により、ロシアのアンチドーピング規律委員会(Disciplinary Anti-Doping Committee; DADC)は暫定的資格停止処分を解除しました。この処分に対して、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)・国際スケート連盟(ISU)・国際オリンピック委員会(IOC)がスポーツ仲裁裁判所(CAS)に上訴しました。女子のショートプログラムが実施される前日にCASは、暫定的資格停止処分を課すべきではないと裁定しました。この裁定については、物議を醸し、賛否両論ありました。このあたりは、拙稿でまとめています。

さて、2022年2月に争われたのは、ワリエワ選手を暫定的資格停止にするか否かです。暫定的資格停止とは、ドーピング違反の疑いが強いため、最終的に違反かどうかが決まるまでスポーツ活動から排除するというものです。この裁定から約2年、2024年1月にCASで裁定が出て、ワリエワ選手のアンチドーピング違反が確定し、4年間の資格停止処分が課されました。

約2年もの間、何が行われていたのでしょうか。

まずは、今回のドーピング検査を実施したRUSADAは、ワリエワ選手がアンチドーピング規則に違反することを立証する必要がありますので、検査を担当したスウェーデン・ストックホルムの研究所にワリエワ選手の検体(A検体)を分析・報告させています。オリンピック期間中に検体から禁止物質トリメタジジンが検出されました。冒頭述べた暫定的資格停止に関する争いの後、2022年3月に、ワリエワ選手の要請で、RUSADAは、B検体の分析を実施し、B検体がA検体の陽性結果を追認したことを確認しました。
こうした分析に対し、ワリエワ選手側は、検査機関の検査等が国際基準から乖離しているのではないかと疑い、同年5月から10月まで質疑応答が繰り返されています。
この間、RUSADAは、ワリエワ選手や関係者(母親、祖父、チームのコーチ。ドクターなど)からヒアリングを行っています。ワリエワ選手は、それまでは自宅で祖父が飲んだグラスに薬が残っていて、そのグラスで飲んだことが原因と話していましたが、7月のヒアリングで、祖父が薬をまな板の上でナイフで砕き、水に溶かして飲んでいたのを見たので、そのまな板で祖父が作ったイチゴのデザートをロシア選手権の遠征に持って行き、それを食べたのが原因という説明が加わりました。

2022年12月、DADCにおいてワリエワ選手の処分の可否を決定する手続が始まり、翌2023年1月、DADCは、ワリエワ選手の供述を全面的に信用し、ワリエワ選手に過失がなく、資格停止処分を課さないこと、ロシア選手権の成績のみを失格とし、オリンピックの成績を維持する旨を決定しました。

RUSADA、ISUおよびWADAは、DADCの決定に異議を申立て、2023年2月、CASに上訴し、同年11月の聴聞会が開催されました。
ワリエワ選手側は、CASにこの紛争を扱う管轄がないことやRUSADAが依頼したストックホルムの研究所の分析等が国際基準に乖離していること等を争いましたが、最終的には、アンチドーピング規則違反を認め、CASにおける争点は、どのくらいの期間の資格停止処分を課すべきか、に落ち着きました。

禁止物質トリメタジジンによるアンチドーピング規則違反は、原則として4年間の資格停止処分が課されることになります。これを短縮するには、アスリートが「意図的に使用していない」ことを立証する必要があります。

CASパネルは、ドーピング違反当時、ワリエワ選手は15歳であり、要保護者としてアンチドーピング規則上、一部、成人とは異なる扱いを受けているが、意図性の立証に関しては、成人と要保護者とで異なる扱いをする理由はないとしました。
この点、暫定的資格停止を判断したCASパネルは、アンチドーピング規則上、要保護者が成人と異なる扱いを受けていることを強調し、暫定的資格停止処分の解除理由に不備があるとして、アンチドーピング規則の明文で認められていない対応をしたことと対照的です。

ワリエワ選手側の証拠としては、ワリエワ選手の供述と祖父の供述、祖父の供述を裏付ける専門家証人です。

まず、パネルは、ワリエワ選手の祖父の供述について、心臓の疾患でトリメタジジンを服用したことを示す証拠としては、ワリエワ選手がドーピング違反の疑いを通告された後の医療記録として提出されていないこと、ロシア選手権前にトリメタジジンが処方されたことやこれを購入した証拠もない、2022年2月のDADCの聴聞では祖父はイチゴのデザートに言及してないこと、ワリエワ選手の練習時の送迎などできる程度に健康と思われるのに、健康上の理由でCASの聴聞にはビデオ参加も拒絶したことなど祖父の供述の信用性を疑問し、祖父の供述を排斥しています。
また、祖父の供述を裏付ける専門家証人の証言は、今回検出された濃度は、2.1ng/Lについて、21日モスクワでトリメタジジンを摂取した説明とは合致しないが、祖父が作ったイチゴのデザートに混入したトリメタジジンを遠征先で食べたという説明と矛盾しない、というものでしたが、根拠があいまいという理由で排斥されています。CASパネルは、祖父の供述やワリエワ選手の供述が変遷したのは、科学的なデータに合わせるためのものと心証を得ています。
ワリエワ選手の聴聞については、正直で信頼できるとしながら、その説明を支える証拠が不十分としました。

WADA等はワリエワ選手が意図的にトリメタジジンを摂取したと主張していますが、CASパネルは、意図的でないことを立証できないこと=意図的に摂取したことを推定しないとしました。この点は、CASの裁定でも、意図的でないことを立証できなかった場合に、意図的に摂取したこと推認するとするものもあるようですが、このCASパネルはそれを採用しませんでした。これは立証責任はありませんがWADA等の調査によってもワリエワ選手が意図的に禁止物質を摂取した事実は出てこなかったこともありますが、ワリエワ選手が要保護者であることに配慮したことが大きいと思います。
意図的でないことを立証できない以上、過失がないこともまたしかりですので、過失の有無の議論はなく、原則どおり、4年間の資格停止処分となりました。
その処分の開始時期も議論されましたが、ドーピング検査が実施された2021年12月25日から4年間とされました。ドーピング違反となったロシア選手権の成績が失効し、その後に出場した北京冬季オリンピックの成績も失効することとなりました。

最後に、CASパネルは、この決定はワリエワ選手の違反が意図的でないことを立証できなかったことを判断したもので、ワリエワ選手がロシア選手権や北京冬季オリンピックで不正行為をしたことを判断したものではないことを強調しています。
また、当時15歳の要保護者に対して4年間の資格停止処分は厳しすぎるということがCASパネル内でも議論になったようですが、過半数で4年間を維持した経緯も記載されています。過去、アンチドーピング規則の制裁規定が現在ほど充実していなかった時代は、CASパネルの裁量で資格停止期間を短縮する等の決定がありました。しかしながら、2015年規則改正以降、柔軟な制裁規定が設けられており、現行の制裁規定を変更するようなパネルの裁量権行使はないように思います。孫楊選手の第一次CAS事案でも、規則の適用上8年の資格停止処分となり、事案に照らして厳しすぎるという議論がありましたが、維持されています。このCASパネルも同様の判断をしたようです。要保護者の制裁の変更は、今後の規則の改定の協議で行うのが適切だと締めています。
日本のスポーツ仲裁でも付言として色々書くことがありますが、なかなか刺さるものがありません。書かなくていいものも書いている印象が強いですが、付言とはこういうことを書くべきと言うお手本のように思いました。

(2024年4月執筆)

執筆者

大橋 卓生おおはし たかお

弁護士

略歴・経歴

1991.03  北海道大学法学部卒業
1991.04~
 2003.01 株式会社東京ドーム勤務
2004.10〜 弁護士登録(第一東京弁護士会)
2011.11~ 虎ノ門協同法律事務所
2012.01~ 金沢工業大学虎ノ門大学院 准教授(メディア・エンタテインメントマネジメント領域)
2018.04~ 金沢工業大学虎ノ門大学院 教授(メディア・エンタテインメントマネジメント領域)
2021.08~ パークス法律事務所

【著書】
「デジタルコンテンツ法の最前線」共著,商事法務研究会,2009
「詳解スポーツ基本法」共著,成文堂,2010
「スポーツ事故の法務 裁判例からみる安全配慮義務と責任論」創耕舎、2013
「スポーツ権と不祥事処分をめぐる法実務―スポーツ基本法時代の選手に対する適正処分のあり方」共著,第一東京弁護士会総合法律研究所研究叢書,清文社,2013
「スポーツにおける真の勝利-暴力に頼らない指導」共著,エイデル研究所,2013
「スポーツガバナンス 実践ガイドブック」共著,民事法研究会,2014
「スポーツにおける真の指導力ー部活動にスポーツ基本法を活かす」共著,エイデル研究所,2014
「スポーツ法務の最前線ービジネスと法の統合」共著,民事法研究会,2015
「標準テキスト スポーツ法学」共著,エイデル研究所,2016
「エンターテインメント法務Q&A」共著,民事法研究会,2017
「スポーツ事故対策マニュアル」共著,体育施設出版,2017

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