一般2025年10月10日 “スポーツ仲裁”をぶっ壊す!? 執筆者:大橋卓生

スポーツにおける紛争は、国際的にも日本においても、原則としてスポーツ仲裁にて解決されています。スポーツ仲裁は、国の司法裁判所とは異なる、合意に基づく迅速・専門的な紛争解決制度で、国際的にはスポーツ仲裁裁判所(CAS)、日本国内では日本スポーツ仲裁機構(JSAA)などが利用されています。
スポーツ仲裁が主たる紛争解決手段となっている理由は、主として迅速性と専門性です。例えば、代表選考が争いになる場合、代表選手が決まる時点よりも後に判決が出たのでは実益がありません。また、競技規程やドーピング規則、医学的知見等の専門領域を巡る判断は一般裁判所よりも専門的知見を有する仲裁パネルが適しているといえます。スポーツ仲裁は、こうした需要を満たすものとして設計されているからこそ、スポーツ界で主たる紛争解決手段となっています。
仲裁制度を利用するには、紛争当事者の合意が必要となります。一般的には、各スポーツ団体において、具体的な紛争についてスポーツ仲裁(JSAA/CAS)に付託することを規則に定め、当該スポーツ団体に選手等の登録をする過程で当該規則に同意をするという方法で仲裁合意をしています。
こうして仲裁に付された紛争について、スポーツ仲裁パネルの行った仲裁判断は、原則として最終的なものとし当事者を拘束します。そのため、同一の当事者・同一の紛争について、原則としてこれ以上争うことはできなくなります。
もっとも、スポーツ仲裁の仲裁判断は、まったく争う余地がなくなるものではありません。例外的に、所定のルートと限定された理由に基づき、仲裁判断を争うことは可能です。
典型的な例として、仲裁合意の不存在(または無効)を争う場合です。近時の東京高等裁判所の決定において、JSAAのスポーツ仲裁判断(JSAA-AP-2022-013)が、そもそも有効な仲裁合意が存在しないことを理由に取り消され、同決定は2025年7月に確定しました。この事案は、選手登録が二重になされていたことから登録が凍結されたことを、懲戒処分に関する処分規程に定められていた不服申立条項(不服はスポーツ仲裁で解決)をもって、当該登録事案についての仲裁合意があったとしたものです。登録手続と懲戒処分とは異なるものであり、懲戒処分に関する不服申立(仲裁)条項をもって登録に関する紛争の仲裁合意とすることに無理があったように思います。
スポーツ基本法の制定以降、スポーツ団体ガバナンスコード(原則11)で求められていることもあり、各スポーツ団体においてスポーツ仲裁の自動応諾条項を整備されています。しかしながら、十分な検討をすることなく、包括的な自動応諾条項を導入されている例があるように思います。今後は、スポーツ仲裁を前提としつつも、紛争の性質に応じた適切な紛争解決手段の選択を検討すべき時期に来ていると考えます。
海外の事例になりますが、欧州において、CASの仲裁判断に影響を及ぼす重要な判決が2つ出ています。
CASはスイス・ローザンヌを本拠(仲裁地)とします。このため手続法はスイスの国際私法(PILA)が適用されますが、実体法は当事者の合意や適用される競技規則に従います。さらに、欧州人権裁判所(ECtHR)および欧州司法裁判所(CJEU)の判例により、各国裁判所が国家の側からCAS裁定の取扱いを審査する枠組み(人権・EU公序の観点)が示されました。
まず、欧州人権裁判所(ECtHR)は、2025年7月10日、スイス連邦最高裁判所が審査したセメンヤ選手のCAS裁定について、同最高裁の審査が欧州人権条約(ECHR)6条に照らして十分に審査がなされていないとして、スイスに同条約違反を認定しました。
セメンヤ選手はスイス連邦最高裁判所に対し、World Athleticsの定めたDSD(性分化疾患)に関するルールを支持したCAS裁定がPILA190条2項(e)号(公序)に反するとして取消しを求めていましたが、同裁判所は棄却しています。
これに対して、ECtHRは、スイス連邦最高裁が「公序」を狭く解釈しすぎており、セメンヤ選手が中心的に争ったテストステロン値規制と競技の公平のバランスに関する主張を、十分に掘り下げて検討しなかったと評価し、公正な審理を受ける権利の侵害を認めました。ECtHRは、欧州人権条約を“欧州公序”の憲法的基盤と位置づけ、強制色の濃いスポーツ仲裁ではとりわけ厳格な審査が要請されることを確認しています。この判決は、CAS裁定そのものを無効とするものではありませんが、スイス側での再検討等の国内措置が求められることになります。
次に、欧州司法裁判所(CJEU)は、2025年8月1日、RFC Seraing事件のCAS裁定(CAS 2016/A/4490)に関連して、EU域内で同裁定の効果を主張する場合、加盟国裁判所がEU公序(競争法・基本的自由等)に照らし、実質的かつ掘り下げた審査を行う途を塞いではならないと判示しました。
このCAS裁定は、ベルギーのサッカークラブRFC Seraingが外部投資家と締結した契約が第三者保有(TPO)禁止に抵触するとしてFIFAから制裁を受け、CASが罰金を維持し登録禁止を一部減軽した事案です。ベルギーの国内訴訟では、クラブ側はCAS裁定の取消し自体を求めるのではなく、国内でその効果(既判力・推定効)やEU法適合性を争っており、最終的にベルギー破棄院がCJEUへ予備的判断を付託し、上記の判決に至りました。
このCJEUの判決は、CAS裁定に対し、EU加盟国の司法裁判所はEU公序(競争法・基本的自由)への適合性について形式審査ではなく、実質的審査を行うこと、CAS裁定の既判力や第三者への推定効の付与によって審査機会を奪う運用はEU法に反する、という点を明確にしました。背景には、スポーツ仲裁が事実上強制的に課される実態があるという認識があります。
スポーツ仲裁は、当事者の合意によって、司法裁判所の審査を排斥する効果がありますが、法律により形成される公序に沿ったものが要求されることが大前提です。その枠組みとして、合意・人権・公序が示されているものと思います。
(2025年9月執筆)
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執筆者

大橋 卓生おおはし たかお
弁護士
略歴・経歴
1991.03 北海道大学法学部卒業
1991.04~
2003.01 株式会社東京ドーム勤務
2004.10〜 弁護士登録(第一東京弁護士会)
2011.11~ 虎ノ門協同法律事務所
2012.01~ 金沢工業大学虎ノ門大学院 准教授(メディア・エンタテインメントマネジメント領域)
2018.04~ 金沢工業大学虎ノ門大学院 教授(メディア・エンタテインメントマネジメント領域)
2021.08~ パークス法律事務所
【著書】
「デジタルコンテンツ法の最前線」共著,商事法務研究会,2009
「詳解スポーツ基本法」共著,成文堂,2010
「スポーツ事故の法務 裁判例からみる安全配慮義務と責任論」創耕舎、2013
「スポーツ権と不祥事処分をめぐる法実務―スポーツ基本法時代の選手に対する適正処分のあり方」共著,第一東京弁護士会総合法律研究所研究叢書,清文社,2013
「スポーツにおける真の勝利-暴力に頼らない指導」共著,エイデル研究所,2013
「スポーツガバナンス 実践ガイドブック」共著,民事法研究会,2014
「スポーツにおける真の指導力ー部活動にスポーツ基本法を活かす」共著,エイデル研究所,2014
「スポーツ法務の最前線ービジネスと法の統合」共著,民事法研究会,2015
「標準テキスト スポーツ法学」共著,エイデル研究所,2016
「エンターテインメント法務Q&A」共著,民事法研究会,2017
「スポーツ事故対策マニュアル」共著,体育施設出版,2017
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