消防2025年01月08日 消防法の遡及制度(法苑WEB連載第12回)執筆者:鈴木和男 法苑WEB

消防法による防火安全規制は、昭和23年に、前年に制定された消防組織法とあわせて、地方自治を基本とした自治体消防として施行されています。それまでの消防業務は、警察業務の一部とされ、専ら火災時の消火活動等を主たる業務とし、火災予防、防火対策等の業務は十分に行われていませんでした。
消防法では、「火災を予防し、警戒し及び鎮圧し、国民の生命、身体及び財産を火災から保護するとともに、火災又は地震等の災害による被害を軽減するほか、災害等による傷病者の搬送」と消防業務の目的を明確にしています。また、制定後76年が経過し、この間における多数の死傷者等や大規模な被害のあった数々の火災の教訓や社会情勢の変容、社会的要請を踏まえ、火災予防・防火管理制度・消防設備規制、危険物規制等を中心に充実強化するための法令改正が行われ、制定時の総条文数48条が270条と5.6倍になっています。
消防法の防火安全規制は、建物における火災予防を中心に多岐にわたりますが、ここでは、建物の防火安全を確保するための消防用設備等の設置維持義務・遡及制度の仕組み、意義等を紹介します。
なお、法の不遡及の原則は、法令が施行と同時にその効力が発生し、原則として将来に向かって適用され、法令施行前の出来事には効力が及ばないとされています。
また、法令の施行はその公布日以降とすることが通常であり、国民の権利義務に影響を与えることから、既に存在する状況に対して新しい法令を、その施行の時点よりも遡って適用することは、法的安定性を害し、国民の利益に不測の侵害を及ぼす可能性が高いため、原則として行うべきではないとされています。
しかしながら、消防法では、防火対象物(専ら個人使用でなく広く不特定多数の者が利活用するもの)にあっては、公共危険性、人命危険性等を排除するため、多数の死傷者が発生した火災等を教訓に、火災による人命危険性を排除するために消防用設備等の設置の義務付けを強化し、既存の建物についても一定の要件に該当するものは遡及の対象とする旨を法令で明らかにし、個別の改正時の基本としています。
この規定は、特に不特定多数の者が利用し、火災時における人命危険性が極めて高いと認められる用途として特定防火対象物に限定しており、公共危険性の排除という観点から社会的な合意がされているものとされています。
1 消防用設備等の設置維持義務
建物の防火安全対策は、建築基準法による防火規制に加え、消防法による防火管理、防炎規制、消防用設備等の設置等により担保されています。
特に、建築設備に含まれる消防用設備等の設置維持の義務付けは、消防法に規定されています。制定消防法(昭和23年7月24日法律第186号で公布、同年8月1日に施行)は、戦後における我が国の消防の基本をなすものとして、自治体消防を基本とする消防組織法と同じ年に施行されています。また、制定消防法では、火災予防に関する規制、危険物に関する規制、消防用設備等に関する規制等は、基本事項を法律で定め、具体的な規制等については市町村条例に委ねられていました。この場合に国は、火災予防条例に定める必要がある事項を「火災予防条例準則」として示し、市町村はこれを基本に当該市町村の気候風土等を考慮し、条例として定めることとなっていました。
しかしながら、市町村に委ねられていた火災予防条例は、未制定の市町村の存在、地域格差等の課題があり、全国統一的な規定・運用等が必要とされました。昭和35年に消防法が改正され、設置義務対象となる建物の用途及び規模、設置すべき消防用設備等の種類及びその数量、設置維持方法について政令で定め、原則として全国一律に規制することとされ、昭和36年4月1日に施行されています。これに合わせて、既存の防火対象物等に係る消防用設備等の取扱い、いわゆる不遡及の原則と遡及する場合の扱いの明確化が図られています。さらに、その後、大きな被害を出した火災事例等を踏まえ、遡及制度の強化が図られています。
(1)消防用設備等に係る規制の概要
設置義務対象となる建物の用途及び規模、設置すべき消防用設備等の種類及びその数量、設置維持方法について政令で定め、原則として全国一律に規制が行われています。
なお、市町村における気候風土等の特性により、政令で定める消防用設備等の設置に係る基準のみでは目的を達せない場合には、市町村条例により、上乗せ規制ができることとされています。
ア 防火対象物の用途区分の明確化
消防用設備等を設置すべき防火対象物については、学校、工場、事業場、興行場、百貨店、旅館及び飲食店等、当該防火対象物を特殊な用途が限定され、類似の用途ごとに20の項目に分類されています。特に「その他の事業所」の用途は、営利又は非営利であるかを問わず人の事業活動の行われる一定の場所が該当し、例示された用途以外の事業所として官公署、銀行、その他の事務所、一般小売店、理髪店その他の店舗など個人住宅以外のほとんどの集合住宅等が含まれています。また、複合用途防火対象物には、1の防火対象物が2以上の用途に使用されるものが該当しますが、主たる用途に従属する部分は、他の項に掲げる防火対象物の用途に該当する場合においても、独立した用途としない(従属用途)とされています。なお、仮設建築物も対象とされ、それぞれの用途別の項に含まれることとされています。
イ 消防用設備等の種類と技術上の基準
消防用設備等の種類と当該種類に応じた技術上の基準が政令・規則で定められ、新たに法律で設置及び維持義務が課せられています。
ウ 市町村条例による基準の強化
消防用設備等の技術上の基準については、気候又は風土の特殊性をも考慮して、政令又はこれに基づく命令の定めるところによるのみでは不十分と認められる場合には、市町村条例で基準を付加することができることとされ、実情に即した運用をはかり得るように措置されています。
(2)不遡及・遡及の明確化
消防用設備等のうち消火器、避難器具等簡易なもの以外のものを新たに設置するときは、既存の建築物等にあっては相当大幅にわたる工事が必要となり、経済的負担が大きくなる点をも勘案して、本来これらに適用せられるべき法規の適用を除外し、従前適用されていた法規を適用することとして例外を認め、切り替えに際しての負担をできるだけ軽減するための措置をとり得るようにされています。
法規改正の場合における措置と、防火対象物の用途の変更の場合における措置をそれぞれ規定しています。ただし、いずれもやむを得ず認める例外的措置であり、従来とも違法であった場合、大規模の工事を伴う場合等には、原則に戻って、本来適用されるべき法規を適用することとして措置されています。
(3)措置命令
消防用設備等の設置又は維持が、技術上の基準に従ってなされていないときは、消防長又は消防署長において、所要の命令を発し得るものとして、これら技術上の基準を順守させる措置が設けられています。
(4)罰則等
法令の違反に関する罰則等が設けられています。
2 消防用設備等に係る遡及制度
消防法では、既存の防火対象物に設置されている消防用設備等に係る技術上の基準が改正された場合を想定し、当該基準の適用の遡及・不遡及の取扱いが明確にされています。
これは防火対象物の用途、規模等を考慮し、火災発生時の人命危険性を優先に既存の防火対象物であっても、一定の要件を満たすものに適用することを明確にしています。
その制度は、次のようになっています。
(1)法令の施行又は適用の際、現に存する防火対象物の消防用設備等又は現に新築、増築、改築、移転、修繕若しくは模様替えの工事中の防火対象物に係る消防用設備等
施行又は適用される法令の規定に適合しない場合の原則は、不遡及とされ、従来の規定が適用されることとしています。ただし、消防用設備等のうち、その設置について建築構造の大幅な改造等を要さないものは、遡及の対象としています。この場合に遡及される消防用設備等は、次のとおりです。
ア 消防用設備等に着目したもの
消防用設備等のうち次表のもので、対象となる基準は、次のものとされています。
① 政令・規則で義務付けている設置の義務付けに関するもの及び設置上の基準に関するもの
② 規格省令、規則及び告示で規定される当該消防用設備等(全部又は一部に係るもの。消防用機械器具等を含む。)の性能機能等に係るもの

イ 防火対象物の状況に着目したもの
消防用設備等が設置されている防火対象物の状況に着目して、当該消防用設備等が遡及されるもので、次の状況に至ったものが対象とされています。なお、対象となる基準は、当該状況に至ったときに現に適用されている消防用設備等に係る技術上の基準とされています。
(ア)法令の施行又は適用の際、従前の規定に違反している防火対象物
(イ)工事の着手が法令の施行又は適用後である増築、改築又は大規模の修繕若しくは模様替えに係る防火対象物
① 工事の着手が基準時以降である増築又は改築に係る部分の床面積の合計が1,000㎡以上となることとなるもの
② 工事の着手が基準時以降である増築又は改築に係る部分の床面積の合計が、基準時における延べ面積の2分の1以上となることとなるもの
③ 大規模の修繕又は模様替えは、主要構造部である壁について行う過半の修繕又は模様替え
(ウ)法令の規定に適合するに至った防火対象物
(エ)特定防火対象物(令別表第1(1)項から(4)項まで、(5)項イ、(6)項、(9)項イ、(16)項イ、(16の2)項及び(16の3)項)
(2)用途変更をした防火対象物の消防用設備等
防火対象物の用途について、変更後の用途に適用される法令に適合しない場合、原則は、不遡及とされ、変更前の規定が適用されます。
ただし、前(1)と同様に、消防用設備等に着目した遡及対象や防火対象物の状況に応じて 遡及されることとなります。特に用途変更により、特定防火対象物に該当する用途となる場合の消防用設備等は、遡及対象となっています。
(3)既存の特定防火対象物に係る遡及の強化
特に昭和40年代の後半に発生した火災(大阪千日前デパートビル火災(死者118名、負傷者81名)、済生会八幡病院火災(死者13名、負傷者3名)、熊本太陽デパート火災(死者100名、負傷者124名)など)による教訓を踏まえ、火災時における人命の安全を確保するため、百貨店、地下街、複合用途防火対象物、旅館、病院等多数の者が出入りする防火対象物が特定防火対象物として指定されました。特定防火対象物は、既存のものであっても自動的に火災を感知し、かつ消火するスプリンクラー設備その他の消防用設備等の設置を義務付けるとともに、消防用設備等の維持管理及び防火管理体制の強化が図られています(昭和49年に消防法が改正)。
当時、経過措置として施行後3年間の期間が設けられたが、スプリンクラー設備の設置が経済、施工等から困難であるなどから廃業する施設が多数ありました。
(4)基準の改正の施行時の措置
個々の法令基準の改正は、火災被害を踏まえた予防対策、社会情勢、技術力の向上、新技術等の導入等を背景に調査、研究、検討等が行われ、具体的な検討が進められます。また、改正後における影響なども考慮され、特に、消防用設備等の設置義務付けの強化は、改正後の基準が適用されることとなる既存の防火対象物の数、改修工事に係る経費、期間や補助制度の有無なども考慮の対象となります。法令改正は、一般的に改正内容の周知期間を設けた後に施行されますが、遡及対象となる場合には施行された途端に違反状況となることとなり、不合理であることから経過措置として、一定の経過期間が規定されることとなります。
一般的に、「経過措置」は、多くの場合、法律等の附則で規定され、その内容は様々であり、新旧法令の適用関係や従来の法令による行為の効力、罰則の適用に関する経過的な取扱いなどがあります。消防関係では、①経過期間を設定する、②基準の特例として改正後の基準と同等の防火安全性を担保できる方策を提示する、等の方法があります。
むすびに
消防法の消防用設備等に係る設置維持の義務付けや遡及の適用は、公共危険性や人命危険性の高い防火対象物に対して行われています。防火対象物の防火安全性の確保は、本来であれば当該防火対象物の所有者等が率先して行うべきものであり、消防法では必要最小限度において設置維持を義務付けています。法令による義務付けは、個々の防火対象物の用途、規模や利用形態等に対し、必ずしも最善なものとなっていないことに留意する必要があります。
社会情勢の変化や建物の利用の多種多様化が進展しています。既存の防火対象物を増改築や用途変更することにより、本来確保されていた防火安全対策が想定していない危険性が内在することも考えられます。
法令の規制にとどまらず防火対象物の用途、規模やその特殊性に着目した最適な防火安全対策の確保、構築が望まれます。
(元総務省消防庁職員)
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