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一般2024年05月08日 ESG法務(法苑WEB連載第5回)執筆者:枝吉経 法苑WEB  

 近時、「ESG法務」に関する議論が徐々に活発になっている。ここ数年では書籍も刊行されるようになってきた。当職が所属する第一東京弁護士会も2023年にESG法務に関する書籍を上梓したのであるが、弁護士会としての立場からESG法務を取り上げたという事実は、ESG法務の重要性を如実に示唆している。
 ESGとは、Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス)の頭文字を並べた標語である。これらは性質がそれぞれ異なるものであるが、共通するのは、財務諸表に直接には反映されないものの企業価値に重要な影響を与え得る要素である、という点である。今日では、財務諸表に直接には反映されない無形資産の価値が企業価値の少なからぬウェイトを占めており、そのような非財務情報の中でも、E(環境)・S(社会)・G(ガバナンス)の3つが特に重要であると考えられている。

 ESGは今日の企業活動に広く浸透しており、その重要性は言わずもがなであるが、投資あるいは経営の観点から論じられることが多く、法務の観点にフォーカスして論じられることは必ずしも多くなかったように思われる。もちろん、非財務情報開示、M&A、契約法務、資金調達などの場面を中心として、ESGに関する法的論点が問題となることはこれまでにもあったものの、ESGに関する一連の企業法務を「ESG法務」という一つの法務領域として体系的に整理・構成しようとする試みは、これまでの法曹界や企業法務の実務において当然には意識されてこなかったように思われる。
 そこで、本稿では、ESG法務を含む企業法務に企業内外から従事している経験を踏まえつつ、ESG法務について若干の所感を述べてみたい。なお、以下では、特に断りのない限り、企業内の法務部門と企業外の法律専門家(弁護士など)を総称して、単に「法務部門」と略記する。

1.ESG法務とは
 ESG法務の主要なテーマを挙げてみると、まず、G(ガバナンス)については、何と言ってもコーポレートガバナンス・コード対応と株主総会対応が中核的なテーマであるといえるが、その他にもサイバーセキュリティ、腐敗防止、税務ガバナンスなど多くのテーマが挙げられる。E(環境)については、気候変動対応、とりわけカーボンニュートラル目標達成に向けたストラクチャーに関する法的支援や情報開示が一入重要である。S(社会)については、近時ようやく我が国においても「ビジネスと人権」(人権デュー・ディリジェンス(人権DD)・サプライチェーン管理など)が広く注目を浴びるようになってきたが、人的資本投資・多様性、労働安全衛生、データプライバシーなどへの対応も従前どおり重要である。
 このようなESG法務には以下の特徴がみられる。第1に、ハードロー(法的拘束力を有する法規範)の解釈・適用が主たる検討課題となる伝統的な法務領域とは異なり、ソフトロー(民間策定のガイドラインなどをも含むハードロー以外の法規範)への対応が中心的な取組み課題となることである。ESG分野においては、必ずしもハードローが制定されているとは限らず、むしろ様々なソフトローによって企業の行動規範が実質的に規律されていることが多い。そして、個々のソフトローによって、実質的な強制力の程度にはグラデーションがある。例えば、コーポレートガバナンス・コードやTCFD(Task Force on Climate-related Financial Disclosures;気候関連財務情報開示タスクフォース)の開示枠組みのように、契約や既存制度に組み込まれているものは、実質的に強制力を帯びていると言っても過言ではない。
 第2に、ESGに関する諸規範、特にソフトローにおいては、原理・原則の提示がなされるにとどまること(プリンシプルベース)が多く、必ずしも具体的・細目的なルールの規定がなされる(ルールベース)とは限らないことである。例えば、コーポレートガバナンス・コードは、取締役会全体の実効性について評価・分析を行うことを取締役会に求めているが、具体的にどのような方法により評価・分析を行うかを規定した具体的・細目的なルールは存在しない。このため、コードの趣旨を踏まえつつ、企業が自ら適切と考える方法を設定していくことが必要となる。
 第3に、情報開示が企業のESGへの取組みのアウトプットとなり、その開示内容が企業評価を左右するという特徴である。情報開示が不十分である場合には、実際の取組み内容にかかわらず、適切な取組みを行っていないものと市場からラベリングされかねない。また、情報開示を通じて、企業が一定の取組みを事実上促される場合もある。特に、comply or explainの開示枠組みのもとでは、explainを回避するために、企業が一定の取組みを事実上余儀なくされているという実情があることは否定できないであろう。
 第4に、ESG分野のソフトローの内容は将来的にハードロー化する可能性があることである。例えば、サステナビリティ情報の開示についていえば、かつては法定開示の対象とされていなかった一定の事項について、法令(企業開示府令、女性活躍推進法など)の制定・改正により、現在では開示が法的に義務付けられることとなった。今後も法定開示の対象項目は拡大していくことが想定される。
 そして、第5に、ESGに関する規範への違反ないし不遵守が、企業や役員にいかなる法的責任・リスクを生じさせるかについて、的確に予見することが困難であるという特徴である。この点については一概には述べられないものの、役員人事や株主総会運営に支障を来すリスクが懸念されるほか、責任追及・事業の差止めを内容とする訴訟の提起や非司法機関への救済申立てを誘発する余地も否定はできない。

2.ESG法務の課題点
 次に、当職がESG法務に関して課題と感じている点を、簡単に3点述べてみる。
 第1の課題点は、現状、我が国において、必ずしもESGへの対応が法務部門の業務・役割であるとはみなされていない点である。G(ガバナンス)に関しては、いわゆるコーポレートガバナンス改革元年である2015年以降、法務部門が実質的な関与を果たす実例が相当程度多くなってきたように感じられるが、これに対し、E(環境)やS(社会)に関しては、個別の係争案件や法律相談を除けば、法務部門が実質的な関与を果たす実例はまだ少数であるように感じられる。例えば、GHG排出量削減や人的資本投資に向けた取組みについて、PDCAにおけるP(計画)レベルの段階から法務部門が積極的かつ主体的な関与を果たす実例は、現状ではかなり少数にとどまるのではないだろうか。
 法務部門の果たすべき業務・役割については、必ずしも正解があるわけではないが、殊にESG分野に関しては法務部門の影が薄いと感じられる。有価証券報告書等の作成に必要な範囲で所管部門(経営企画部門、IR部門、CSR部門など)から事後報告を受けるにすぎない、あるいはそのレベルですら法務部門の関与が及んでいないという実例も目にする。
 今でこそ法務領域として定着したG(ガバナンス)分野も、かつては、純然たる経営マターと捉えられており、法務部門が関与すべき業務であるとはみなされていなかった。規範の解釈・適用やリスクの評価・コントロールは法務部門が本来得意とする業務分野であって、G(ガバナンス)分野のみならず、E(環境)やS(社会)の課題に対しても法務部門がその本領を発揮していくことは大いに有益である。
 第2の課題点は、上記課題点の背景事情ともいえようが、現状、法務部門のESGに関する知見・研鑽が必ずしも十分ではない点である。前述したESG法務の特徴を踏まえると、ESG法務に従事するに当たっては、ハードローを基調とした伝統的な業務にとどまることなく、法務と経営の両方の観点を統合的に検討していくことが重要となる。そして、そのためには、知識として個々のソフトローの内容を把握していることはもとより、その背景にある考え方・経緯を的確に理解した上で、企業活動に適切に落とし込んでいくことが求められるが、思いのほかそのハードルは高い。ハードローや契約審査への対応だけでも法務部門の負担が大きいという企業や、そもそも法務部門の人材確保に苦心している企業が少なからず見受けられるところではあるが、専門人材の登用・交流や教育・啓発機会の拡充といった方法を通じて、法務部門のESGに対する見識の抜本的強化が必要である。
 そして、第3の課題点は、法務部門がある程度の関与を果たせる場合についてであるが、ESGの観点において問題のある事象に直面したときに、法務部門として実際にどのような対応をとるべきか(あるいはとらないべきか)、判断が難しい点である。3つほど事例を挙げてみる。①ESG分野においては、実質的には取組みを行っていない、あるいは取組み内容にいささか疑問符が付くにもかかわらず、取組みを適切に行っている旨の情報開示がなされることが少なからず見受けられるが、法務部門としては、自社の開示内容にこのようなウォッシュ(「うわべを飾る」「ごまかす」という意味のwhitewashに由来する俗称)が含まれることを検知したとき、どのような対応をとるべきか。②サプライチェーン上において人権侵害(児童労働、現代版奴隷労働など)が行われている、あるいは行われていた疑いを検知したとき、法務部門としては、取引の維持又は解消に関して、どのような判断をとることが最善の選択肢となるのか、また、その判断の前提として、事前にどのような内容の調査・証拠保全を行っておくべきか。③E(環境)の観点でのポジティブ・インパクトを企図したプロジェクトが、他方でS(社会)の観点でのネガティブ・インパクトを不可避的に伴うような場合、法務部門としては、そのプロジェクトについてどのような意見を表明し、どのような対応をとるべきか。
 これらの事例は非常に悩ましい論点を含んでいるが、法務部門としては、企業の社会的責任を十分に意識しつつも、企業経営の現実を踏まえた対応を講じなくてはならない。単に理想論を述べ立てるにすぎないのであれば、法務部門が関与する意味は乏しく、また、社内外からの信頼も到底得られないであろう。

3.ESG法務の展望
 規範の解釈・適用やリスクの評価・コントロールが法務部門の本分であることは前述のとおりである。法務部門がこれらの能力をもって企業のESGへの取組みに貢献していくことは、むしろ法務部門に本来期待された役割であるといえよう。
 ESG法務はまだ過渡期にある。法務部門が、上記役割を自覚するとともに、ESGに関するリテラシーの向上に努めることにより、ESG分野においてその本領を存分に発揮していくことを期待したい。

(弁護士・税理士)
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