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一般2023年07月26日 「失踪実習生」のレッテルの裏に
~技能実習生チャンとその家族の話~ 執筆者:冨田さとこ

技能実習生のチャンさんは、来日後わずか2か月で亡くなりました。以下は、そこに至る経緯と、残された家族の想いです。

1.日本で技能実習生として働くことを決意した背景

チャンは、ベトナム共和国に暮らす、小さな子ども2人を抱えたシングルファザーでした。看護師として働きながら両親とともに子どもを育てていました。忙しく働くことで何とか生活はできていましたが、子どもたちの将来のことを考えると、大きく稼いで貯金を作りたいという思いが募っていきました。周囲で出稼ぎの話はたくさん聞きます。でも、旅行のためにすら外国に出たことのない30代のチャンにとって、出稼ぎはハードルの高いものでした。

ある日、チャンの生活をよく知る近所の人が、日本には「技能実習」という制度があり、日本語ができなくても、大学を卒業していなくても働くことができると教えてくれました。チャンは、これこそ自分のための制度だと思い、紹介されたベトナム側の送り出し機関であるA社に申し込みました。チャンの父親は、チャンを日本に送り出すための費用として、160,000,000 ベトナムドン(日本円にして約91万円)を、A社から請求されたとおりに支払いました。※1

2.来日するまでの様子

チャンは送り出し機関 Aから送られてくるテキストなどで日本語の勉強を始めました。でも、毎日の生活に忙しく、勉強はあまりはかどりませんでした。日本に行くと決めたものの、子どもたちと離れて暮らすことや、知らない人や場所に不安は募ります。時折暗い表情を見せるチャンを、両親や妹は心配していました。その間にも、日本で働くための手続は進みます。建設会社Bでの採用が決まり、ビザもとることができました。チャンは、「自分で決めたことなのだから頑張ろう」と気持ちを切り替えて、子どもたちとのベトナムでの時間を大切にすることにしました。

出発の日、送り出し機関A社のバスが迎えに来ます。家族も一緒に空港まで行くことができますが、チャンは子供たちと空港で別れるのは辛すぎると思い、両親だけを連れてバスに乗り込みました。両親が最後に見たのは、空港で言葉少なく不安な様子で別れを告げるチャンの姿でした。

3.来日直後の生活

日本に着いて1か月は、監理団体Cの寮で日本語や生活のルールを学びました。チャンと同時に来た建設会社Bに採用されたベトナム人技能実習生のグエン(仮名)とは、いつも一緒で、2人で1つのアパートを割り当てられました。1か月後、いよいよ仕事が始まりました。この日まで、チャンは、建設会社Bに行って仕事をするものだと思っていました。でも、実際は、毎日近所の指定された道端でグエンと待っていると、Bの社長がバンで迎えに来て、他の外国人とともに建設現場に連れて行かれるのでした。チャンは、職場での交流がないことに寂しい思いを抱えていました。

4.職場でのトラブルと逃避

仕事を始めて2週間ほどしたとき、チャンとグエンは、「日本語ができないから使えない」と現場から追い返されてしまいます。プリペイドSimのスマートフォンしか持たないチャンは、SNSを使って監理団体Cの職員兼通訳のベトナム人フォイ(仮名)に連絡をします。「どうやって帰ったらいいですか?」。フォイの返事は「歩いて帰るしかない」というものでした。チャンとグエンは、田んぼの中の道を歩いて寮に戻りました。

この日から、建設会社Bの社長の「日本語教室」が始まりました。「日本語ができない奴は現場に出せないから」と言われ、毎日倉庫での勉強が続きます。数日経ったある日、グエンが「このままでは日本に稼ぎに来ている意味がない。ずっと無給でいるのか?」と言い出しました。チャンが困っていると、他の国でも働いたことのあるグエンは「仕事先なんていくらでもFacebookで見つかる。逃げよう」と言います。家族にお金を送りたいチャンは、「そんなものか」と思い、グエンについていくことにしました。

5.逃避先の工場にて

グエンについて電車を乗り継いでいった先には、アパートと工場がありました。工場の中では、たくさんの外国人がソーラーパネルを作っていました。彼らの多くは、実習先から逃げ出してきた技能実習生のようでした 。チャンは、その作業の列に加わり、パネルを組み立てました。でも、「こんなことをしていて大丈夫か」「警察に見つかったらどうなるのだろう」という疑問が心の中に渦巻いていました。

困ったチャンは、妹に電話をします。海外経験の豊富な妹は、チャンに対し「兄さん、我慢できなくてもルールには従わなきゃダメだよ。転職したいなら、きちんと手続をとらないと」と諭します。子供たちの顔を思い浮かべ「そのとおりだ」と思い直したチャンは、職場から離れて1週間後、寮に戻るとグエンに告げました。これを聞いたグエンは「裏切るのか?」と怒り出し、2人に割り当てられていたアパートのカギを捨ててしまいました。

6.懇願

チャンはグエンを説得することを諦め、電車を乗り継ぎアパートに戻ろうとします。その途中、監理団体Cの職員フォイに連絡し、「アパートの鍵がない」「職場に戻りたい。社長に謝るからとりなして欲しい」と伝えます。フォイからは色よい返事はありませんでした。チャンは、何度も何度もフォイに連絡します。やがてフォイから返ってきたのは、「C社の社長はチャンとグエンが暮らしていたアパートを解約してしまった。残っていた荷物は捨てられた」というものでした。

グエンについていった時、チャンは「すぐに帰るかもしれない」と思い、大きな荷物は寮に残していました。それが全てなくなったと聞いて、チャンは絶望的な気持ちになりました。でも、C社に戻る他に選択肢が思いつきません。何度もフォイに 「お願いだから社長に伝えてくれ。日本に来るために大きなお金がかかっている。せめてこの分は稼がなきゃいけない」と懇願します。
しかし、フォイから届くのは、「C社から出て行った時点で、戻れないと覚悟すべきだった。在留期限はまだ先だから、それまでどこかで働いて稼いだらいい」という冷たい返事だけでした※2。技能実習生は、決められた実習先以外で働くと不法就労とされてしまいます。チャンは「適法に働きたいんだ」と訴えましたが、その願いは聞き届けられませんでした。

7.事故死

チャンは、その日寝る場所さえも失っていました。この間、ベトナムの家族や送り出し 機関Aに対しては、ずっと状況を伝えていまし た。送り出し機関Aは、追加のお金を支払えば住み込みで働ける場所を紹介すると言います。チャンも、チャンの父親も、それが不法就労になってしまうことは分かっていました。しかし、チャンの父親は、遠く日本でホームレスになってしまったチャンが危険な目に遭うことに比べれば背に腹は代えられないと、日本円で約30万円をAに支払い、チャンに仕事を紹介するように依頼しました。

それから数日後、ベトナムの家族のもとに届いたのは、チャンの訃報でした。送出し機関Aが、チャンが交通事故で死んだこと、約40万円を支払えば遺体を引き取るために職員を日本派遣することを、チャンの両親に告げたのです。チャンは、失踪した技能実習生が数多く日雇いの農作業に従事している地域で、非正規滞在のベトナム人が無免許で運転する車の助手席に乗っていて、亡くなりました。チャンが来日してから、わずか2か月後のことでした。

8.家族の思い

その後、遺族(チャンの母と妹)は、送り出し 機関Aに見切りをつけ、自分たちで日本に出向き、チャンの遺体を荼毘に付しました。そして、日本で運転手の刑事裁判に参加しました。遺族の一番知りたいことは、チャンに何が起きたのかということです。刑事裁判で事故の様子はある程度分かりましたが、チャンが最後の数日をどう過ごしたか、どこに寝泊まりしていたのか、パスポートを含む彼の僅かな手荷物がどこにあるのかは、いまも分かりません。

遺族は繰り返し話します。「チャンは、とても優しい自慢の家族だった。その優しさ故に流されやすいこともあったし、海外での経験が少ないために甘いところもあったのかもしれない。チャンがどの程度日本語を使えたかは分からない。でも、日本語ができることは日本に来るときの要件ではなかったはずだ。チャンは死ななければならないようなことをしましたか。子どもたちは、愛する父親を永遠に失いました。なぜ、こうなったのですか」。
チャンの父親は、息子を失った現実を受け止めきれず、家から出ることすら難しい状態が続いています。子どもたちは、母と妹が持ち帰った骨壺を見て、「これはパパ?なんでこんなに小さいの?」と聞いたそうです。

9.最後に

これは、チャンさんの実話です。ご遺族の同意をいただき書きました。チャンさんが亡くなっているため分からない経過もあり、ところどころ推測が混ざっていますが、具体的に書かれているところ(例:送り出し機関 に支払った金額、監理団体職員の言葉)は客観的な証拠に基づく記載です。
本件でチャンさんに非があるとすれば、数日間、無断で職場や寮から姿をくらましたことでしょう。しかし、1年間の雇用契約では、「やむを得ない事由」が無い限り解雇できません(民法628条)。日本に不慣れなチャンさんが、無給状態に不安を感じて数日間無断欠勤したことが、解雇を適法にするほどの「やむを得ない事由」になるとは言えません。
実習生を支援するはずの監理団体からも適切な支援を得られず、「不法就労」へと追い込まれ、ついに亡くなってしまったチャンさん。統計の中での彼は、日本で亡くなった数多くの技能実習生の1人として埋もれてしまいます。でも、残された家族にとって、かけがえのない父であり、子であり、兄でした。
最近、「不法滞在のベトナム人を逮捕した」というニュースを多く目にします。その多くが失踪した技能実習生のようです。ネットニュースのコメント欄では、「ベトナム人は犯罪ばかりする」といったひどいコメントも見かけます。
こういった失踪実習生の背景には、家族のために出稼ぎにきて、ひどい労働条件や、約束と異なる低賃金に苦しみ、助けを求めても即時の支援が得られず、やむなく実習先から逃げて怯えながら暮らす、私たちと全く変わらない「普通の人」がいることを知ってほしいです。

※1

ベトナムの新法により2022年1月以降、高額の手数料をとることは禁止されています。チャンの来日はこの新法が適用されたあとなので、違法な手数料の可能性が高いものです。

※2

監理団体には、実習生が失踪などする必要ないように、支援する義務があります。このとき、フォイがやるべきことは、安全な場所の提供や、転籍先を探すこと、それが無理なら帰国を支援することなど、監理団体としての支援を申し出ることだったはずです。

(2023年7月執筆)

執筆者

冨田 さとことみた さとこ

弁護士

略歴・経歴

【学歴】
2002年(平成14年)11月 司法試験合格
2003年(平成15年)3月 東京都立大学法学部卒業
2013年(平成25年)9月 Suffolk大学大学院(社会学刑事政策修士課程(Master of Science Crime and Justice Studies))修了

【職歴】
2004年(平成16年)10月 弁護士登録(桜丘法律事務所(第二東京弁護士会))
2006年(平成18年)10月 法テラス佐渡法律事務所赴任
2010年(平成22年)3月 法テラス沖縄法律事務所赴任
2015年(平成27年)9月 国際協力機構(JICA)ネパール裁判所能力強化プロジェクト(カトマンズ、ネパール)チーフアドバイザー
2018年3月~現在 日本司法支援センター(法テラス)本部
2020年7月~現在 法テラス東京法律事務所(併任)
※掲載コラムは、著者個人の経験・活動に基づき綴っているもので、新旧いずれの所属先の意見も代表するものではありません。

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