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一般2023年11月15日 アメリカでのボランティア経験と新米 執筆者:冨田さとこ

最近、子ども食堂を運営している知人のSNSの書込みが目に留まりました。「秋になると、お米の寄付の申し出が増えます。古いお米が余っているから寄付したいという連絡です。でも、私たちも、子供たちに新米を食べさせたいのです。新米が出たら、前の年のお米の寄付はお断りしています。」という内容です。みずみずしく炊き上がった新米を美味しそうに食べる子供たちの顔と、「妥協しないで美味しいものを食べさせる」という知人の決意の顔が目に浮かびました。古米の寄付を申し出る側も悪意はないでしょうから、「読めば納得」というところでしょうか。それとも怒ってしまうのか。

アメリカに留学していたとき、Room to GrowというNGOでボランティアをしていました。知育に重点を置いて、貧困家庭の子供を支援する団体です。この団体は、支援をされる側のプライド・尊厳を守ることを、とても大切にしていました。子供を産んだ母親が、数か月に1回、Room to Growの保健師を訪ね子育ての相談をします。その機会に、母親たちは寄付された衣類や知育玩具、絵本を持ち帰ることができるのですが、それらは一方的に与えられるのではなく、母親が自らセレクトショップの中を歩いているような場所で選ぶことができるのです。

寄付されたものは、企業から寄付された一部の哺乳瓶などを除いて中古品です。それらをボランティアがきれいに掃除して、棚に陳列します。寄付された衣類は数多く、色ごと・サイズごとに棚にぎっしりきれいに並べると壮観でした。母親が来ると、私たちボランティアはバックヤードに移動します。被支援者である母親は、ソーシャルワーカーや保健師といった、その人を直接支援する人だけが見守る中で、ゆっくり「ショッピング」を楽しむことができます。母親の尊厳を保つことが、その手の中で育つ子供にとって、とても重要であるという考えに基づいています。

母親たちは、1回の訪問で12冊もの絵本を持ち帰ることができます。本を返す必要はありません。母親たちが暮すのは、たいてい貧困家庭が集中している地域です。その家庭で読み終わった本が、コミュニティの中で他の家庭に引き継がれ、直接支援されていない子供の手にも届くようにというのが団体の願いでした(素敵!)。そこまで気を配っているのに、受け取ったものを持って帰るための袋として母親に渡されるのは、ごみ袋のような何の工夫もない透明なビニールの大袋でした。団体のロゴを入れないようにするためのものだったのかもしれませんが、そんな、なんだかアメリカっぽい雑さも好きでした。

この団体に限らず、留学中、私はボランティアの機会を見つけてはせっせと申し込んでいました。子供の貧困問題に関するものでは、他に、ホームレスの母子が入っているシェルターで、母親たちがPCスキルなどの職業訓練を受けている間、子供と遊ぶというボランティアに通っていました。「子供とうまく遊べない英語の下手な外国人」の私は、先方からすればお荷物だったのでしょうが、私自身は、英語学校や大学院で触れる語彙と全く違う言葉のやりとりをを楽しんでいました(Night-night(ナイナイ)は、日本語の「ねんね」と大体同じ意味だな!語感も同じだ!とか)。

どちらの施設でも、ボランティアとして加わる前には講習がありました。地域の貧困家庭の実情や、幼児にとっての知育の大切さ、母親にとって貧困から抜け出すことの困難さと支援の必要性といったことを、時にクイズ形式も交えて教えてもらいます。利用者の尊厳を傷つけないようにするための注意事項も含まれていました。また、犯罪歴がないことを証明するために、個人情報の照会に関する同意書にもサインをしました。ボランティアといえども、一定の知識と問題意識、そして責任感を持って、利用者に接するように、楽しくシステマチックに講習を受けられる仕組みが作られていることに感心したのを覚えています。

「弁護士資格を持ち、どうやら実務経験もあるようなのに、わざわざアメリカの大学院で若い学生と一緒に刑事政策の修士課程にいる、英語の下手な変な日本人」という何とも中途半端な身分でいる間、私は様々なボランティアの機会に随分と気持ちを救われました。ボランティアを通じてアメリカ社会に触れることは、「人種や性別、出身地域、宗教、親の経済状況といった『個人を構成する社会的な要素』が、人々を社会の中で周縁化(marginalize)し、最悪の場合、『貧困から刑務所へのパイプライン』と呼ばれるものに乗せてしまう」という社会構造を学んでいた私にとって、生のケースに触れる貴重な機会でもありました。

そうなのです。別に「貧困家庭のために役に立とう」とばかり思ってボランティアをしていた訳ではないのです。大学院での勉強だけでは息が詰まる中、英語に触れる機会を増やし、アメリカ社会を知るために、インターネットを開いてはボランティアの機会を漁っていたのです(ビザの関係で有償の仕事はできませんでした)。私の師匠は「偽善も極めれば善だ」と言います。結果として利他になるなら、内心は利己が勝ってもいいと思うのです。

でも、「偽善」は時として相手を傷つける。結果的に利他であると言えるためには、自分のエゴが隠れるくらいに相手の尊厳を徹底的に尊重することが必要なのだと思います。「偽善なら極める。極めるなら新米を送ろう」と思う秋口でした。

(2023年11月執筆)

執筆者

冨田 さとことみた さとこ

弁護士

略歴・経歴

【学歴】
2002年(平成14年)11月 司法試験合格
2003年(平成15年)3月 東京都立大学法学部卒業
2013年(平成25年)9月 Suffolk大学大学院(社会学刑事政策修士課程(Master of Science Crime and Justice Studies))修了

【職歴】
2004年(平成16年)10月 弁護士登録(桜丘法律事務所(第二東京弁護士会))
2006年(平成18年)10月 法テラス佐渡法律事務所赴任
2010年(平成22年)3月 法テラス沖縄法律事務所赴任
2015年(平成27年)9月 国際協力機構(JICA)ネパール裁判所能力強化プロジェクト(カトマンズ、ネパール)チーフアドバイザー
2018年3月~現在 日本司法支援センター(法テラス)本部
2020年7月~現在 法テラス東京法律事務所(併任)
※掲載コラムは、著者個人の経験・活動に基づき綴っているもので、新旧いずれの所属先の意見も代表するものではありません。

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