企業法務2026年02月16日 退職合意の有効性が問題となる場合について 執筆者:大西隆司

1 退職合意を争う事例
退職合意は、使用者と労働者が労働契約を終了させる合意をいい、解雇のように予告義務や解雇権濫用法理の適用がなく、辞職のように2週間前などの期間制限も定められていません。
そのため、使用者が退職勧奨を行い、労働者がこれに応じる場合は、退職届を提出させる、退職合意書に署名押印させるなどで退職合意の形をとることが多くなります。
一方、労働者側からは、書面提出後に、使用者に無理やり辞めさせられたとして、退職合意を争うという紛争類型が存在します。
以下、退職合意が争われた裁判例を中心に退職合意の有効性を見ていきたいと思います。
2 民法の規定による主張
この点、退職勧奨の使用者の言動をとらえ、民法の意思表示の瑕疵の規定による取消を主張する例があります。
まず、懲戒解雇事由が存在しない(又は権利の濫用で無効となる)のに、懲戒解雇等になると告知し提出させたことが強迫にあたるとして退職の意思表示の取り消しを認める事例があります。
経理事務に従事する従業員2名が、会社幹部から、「事務所経費で会社の許可していないコーヒー類やおやつなどを購入して飲食したことなどが横領罪に当り、退職しなければ懲戒解雇や告訴も考えている」などと言われて退職届を提出した事案(大阪地決S61.10.17)では、金額も僅少であり、横領をもって論ずる性質のものとは到底いい難いこと、同種の行為を放置し、徒らに証拠の収集にのみ専心していたものであって解雇等として取り上げることは信義に反することから濫用であり、これを告知して意思表示をさせたことが強迫にあたるとしています。
また、解雇事由や懲戒解雇事由がないのに、解雇となると誤信して行った意思表示を錯誤によるものとして無効(改正前の民法95条で、改正後は取消の主張となります。)となるとした例があります。
出退勤時間を一定期間にわたり繰り返し虚偽申告し、旅費や交通費を不正請求する等で「職を辞して懲戒解雇を避けたいのか、手続を進めるのか、そこをやるだけだ」などと言われ退職の意思表示をした事案(東京地判H23.3.30)では、懲戒解雇は重きに失し、懲戒解雇することは社会通念上相当であると認められないことから、本件退職意思表示には動機の錯誤があり、上記動機は被告に表示されていたといえるから、本件退職意思表示には要素の錯誤が認められ、また、重過失も認められないとして、錯誤の主張を認めています。
これら取り消しの主張をするには、民法所定の各要件に当てはまることが必要ですが、解雇権濫用等で有効な解雇事由が存在しないことが重要なポイントとなるところです。退職勧奨の際にも、解雇権濫用とならない十分な証拠がないのに、解雇等を告知することのないよう注意が必要でしょう。
3 自由な意思がないとして退職の合意としなかった例
また、退職の意思表示自体が自由意思に基づいたものでなく、退職の合意自体が存在しないとする裁判例も出ています。
退職勧奨に応じて退職合意書に署名した事案(東京地判R3.10.14)において、使用者と労働者との間の交渉力に差異がある一方で、退職が労働者にとって大きな不利益を生じさせ得ることに照らせば、当該退職の意向が示されるに至った経緯等を踏まえ、労働者の自由な意思に基づいて退職の意思が表示される必要があり、自由な意思に基づくといえるか否かは,当該意思表示をした動機,具体的言動等を総合的に考慮して判断するのが相当であるとしています。
同事例では、実際には記録されていなかった防犯カメラの映像に本件暴行の場面が記録されており、これを前提として懲戒解雇や損害賠償請求が認められると言われ、在職を希望する言動から退職を前提とした退職条件の交渉に移行して退職合意書等に署名したものであるとして、自由な意思に基づいて退職の意思表示をしたものとは認められず、退職合意の成立は認められないとされました。
使用者側が退職勧奨をする際は、労働者の自由な意思を確保するよう、前提となる事項について虚偽の情報を開示することのないよう注意が必要であると考えます。
(2026年1月執筆)
(本記事の内容に関する個別のお問い合わせにはお答えすることはできません。)
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執筆者

大西 隆司おおにし たかし
弁護士(なにわ法律事務所)
略歴・経歴
なにわ法律事務所URL:http://naniwa-law.com/
「大阪産業創造館 経営相談室「あきないえーど」 経営サポーター(2012年~2015年3月、2016年~2019年3月、2020年4月~)」、関西大学非常勤講師(2014年度〜2016年度)、関西大学会計専門職大学院非常勤講師(2017年度〜)、滋賀県商工会連合会 エキスパート登録(2013年~)、大阪弁護士会遺言相続センター登録弁護士、大阪弁護士会高齢者・障害者支援センター「ひまわり」支援弁護士。
著書
『特別縁故者をめぐる法律実務―類型別のポイントと書式―』(新日本法規出版、2014年)共著
『法務・税務からみた相続対策の効果とリスク』(新日本法規出版、2015年)相続対策実務研究会代表大西隆司(なにわ法律事務所)編著
『事例でみる事業承継の実務―士業間連携と対応のポイント―』(新日本法規出版、2017年)編著
『〔改訂版〕事例でみるスタンダード相続手続―士業間連携による対応方法―』(新日本法規出版、2018年)編著等
『事例でみる スタンダード債権回収手続―専門家の視点と実務対応―』(新日本法規出版、2019年)編著
『相続対策別法務文例作成マニュアル―遺言書・契約書・合意書・議事録―』(新日本法規出版、2020年)著等
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