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一般2025年02月07日 対人支援の苦しさと、その魅力 執筆者:冨田さとこ

 弁護士の仕事にも色々あります。私がいま行っている仕事は、「対人支援(援助)」に分類することができるようです。そして、対人支援の苦しさは、これを乗り越えるまでに一定の時間を要することに、最近気がつきました。
 きっかけは、海外の制度作りをフィールドにしていた友人が、第二の人生として、NPOで働き始めたことです。行き場のない方々の支援現場に飛び込んだ友人は、「ストレスの種類が違う。すごく疲れる」と話していました。途上国や紛争地で様々な現場を見て、相手国政府と粘り強く交渉してきた経験まで持ち合わせる人なのに…?と、私は不思議に思いながら聞いていました。
 この「なぜ」を紐解いていくと、結局、「対人支援」の大変さに行きつくのだろうと思い至りました。自分自身を振り返ってみても、弁護士数年目まで、かなりストレスを抱えていました。同じ状況でも、いまなら淡々とこなせることが、当時は、心のエネルギーを持っていかれて辛かったのを覚えています。
 前置きが長くなりましたが、今回は、いま「人を相手にする仕事が苦しい」と思っている人のヒントになりそうなことを書いてみます。なお、「対人支援(援助)」で調べてみると、福祉職や心理職の方が書いた専門的な文献もあるので、是非そちらもご参照ください。以下は、私の個人的な経験に基づく非専門的な分析です。

 対人支援のストレスで一番大きいのは、当事者が合理的に行動してくれないことにあると思います。弁護士の場合は、何度も何度も打ち合わせをして、フォローして、やっと自己破産申立の書類が揃ったと思ったら、「実は、話していない負債があります」と全てがやり直しになったり。「絶対に別れたい。怖くて仕方ない」と言うから、依頼者に代わって粘着質なDV夫からの電話に耐えていたのに、いつの間にか同居を再開していたり。
 相手のことを思って頑張った時ほど徒労感は強まります。でも、これを何度か経験すると、心の中の相手への期待値が下がり、少し楽になります。自分のなすべきことは行った上で、相手に期待をせず、自分の心を守るために引きはがしておくようなイメージです(相手への期待値が低いからと言って、こちらの仕事のクオリティまで下げちゃダメ)。

 また、当事者の言葉に傷つくこともあります。「何もできないんですね」「子どものいないアンタに、私の苦しみなんか分からない」「税金から給料をもらっているくせに」等々。このような、こちらの感情を傷つけるための攻撃的な言葉はもちろん、自分が支援すべき相手(被支援者)が発する、こちらの規範を超えた発言に傷つくこともあります。
 思い出すのは、離婚相談に来た女性の「親権?要りません。子供は全員置いて行きたい」という言葉です。その女性は日々の生活が限界を超えていたのでしょうが、私は、親の口から、「子供を捨てる」という趣旨の言葉が出るのを目の当たりにするのが初めてで、そのことに深く傷つき、それからしばらくの間、その女性が言葉を放つ瞬間がまざまざと頭の中で再生されるようになってしまいました(なお、相談者に対しては、その是非を問うことはしなかったと記憶しています)。

 被支援者は、生きるために、あるいは自分の希望を叶えようとがむしゃらになるあまり、時に周囲を誰彼構わず傷つけることがあります。支援をしていると、この傷は避けようがありません。でも、物理的な傷が、やがてカサブタになり、その皮膚が厚くなるように、心も一定程度慣れていくことができます。私は、上記の言葉のほとんど全てを(あるいはもっと)言われ続けていますが、それにいちいち悲しんだり、怒ったりすることは減りました(「なくなりました」ではない。相手も傷つくことを考えて欲しい、本当は)。
 良くも悪くも、同じようなことを言われるうちに、鈍感になっているのだろうと思います。自分の心を守るために、「目の前の相手は何を求めているのか。それに対して自分は何ができるのか」を、心と少し離れたところで考えることができるようになりました。なお、制度の欠陥や不正義により当事者が苦しんでいる場合に燃やすべき怒りとは違う話です。念のため。

 被支援者を救えなかったという自分自身の無力さに傷つくこともあります。各人ができることには限界があります。その時で精一杯やるしかない。でも、一人で頑張る必要はありません。周囲の人と協力することにより、支援の選択肢や範囲が広がることもあります。自分の能力を磨くことはもちろん大切ですが、周囲の支援者とつながり、使える制度の情報に高くアンテナを張っておくことで、できることが広がるかもしれません。

 さらに、対人支援をしていると、当事者や周囲の人々の情動に巻き込まれることがあります。その中でも、依頼者に代わって恨まれたり、怒られたりするのは、なかなかキツイものがあります。ある事件の国選弁護人だった時、被害者の母親から、「あなたに言うべきことじゃないのは分かっている。でも相手が憎くて仕方がないから、あなたのことも殺してやりたい位に憎い」と言われたことがあります。依頼者がしたことの凄惨さからすれば、むしろ理性的な発言だと頭では理解できていたものの、向けられた言葉の鋭さに心では強い痛みを感じ、泣いていることを悟られないように電話を続けるのが大変でした。
 ただ、これも、何度も怒鳴られたりしているうちに、どこか鈍感になっていく自分がいました。また、件数をこなし、事件の筋や落としどころが見えるようになってくると、仕事として支援をする「過程」の出来事であり、当事者でない自分は、この感情のしがらみから、やがて離れていくことができると分かりました。それが心のプロテクターのような役割を果たしています。

 ここまで読んで、「結局、まずは数をこなすしかない」という話に尽きるじゃないか…と、思いましたか?私も書きながら思いました。それは、きっと自分の心を鍛えることであり、支援の中に自分を没入させないトレーニングなので、ノウハウを知識として得るだけでは足りず、多かれ少なかれ経験するしかないためだろうと思います(だから、私の友人は経験し始めの今がつらい)。まず、数年間やってみてください。その先に、対人支援の面白さが待っています。

 虐待を受けて倉庫の隅で表情を失っていた高齢者が、安全な場所に逃れ、清潔で温かい服をモコモコに着せてもらい、幸せそうにご飯を食べている様子を見たとき。鑑別所に入れられた少年が、勉強の楽しさに気づき、それを目の前で熱く語ってくれたとき。妊娠後期に飛び込んできて、何度も振り回された依頼者が、無事に子供を産んで「どうだ!」という笑顔を見せてくれたとき。ひどいDVを受けて何とか離婚した外国人女性が、折々にかけてくる電話で、明るい声で近況を知らせてくれたとき。つい先日まで支援される立場だった依頼者が、あっという間に周囲を支援する立場になって、過去の自分と同じ立場に立った人を、私の前に連れてきてくれたとき。依頼者の支援を通じて、自分なんかよりも遥かに献身的に支援に取り組んでいる心優しい人達に出会ったとき。

 どこかで聞いたような言い回しになってしまいますが、人間の可能性や豊かさを肌で感じることができることが、対人支援の面白さだと思います。また、対人支援に取り組むことは、被支援者の人生に寄り添い、それを追体験しているような側面もあると思います。それは、各人に一度しか与えられていない人生に幅を与えてくれ、生きる力を強くしてくれるような気がします。他人だから、その気持ちの奥のほうなんて絶対に分かりっこないし、それが当たり前。でも、だからこそ面白い。面白いと感じ始められたら、こっちのものです。

(2025年1月執筆)

(本記事の内容に関する個別のお問い合わせにはお答えすることはできません。)

執筆者

冨田 さとことみた さとこ

弁護士

略歴・経歴

【学歴】
2002年(平成14年)11月 司法試験合格
2003年(平成15年)3月 東京都立大学法学部卒業
2013年(平成25年)9月 Suffolk大学大学院(社会学刑事政策修士課程(Master of Science Crime and Justice Studies))修了

【職歴】
2004年(平成16年)10月 弁護士登録(桜丘法律事務所(第二東京弁護士会))
2006年(平成18年)10月 法テラス佐渡法律事務所赴任
2010年(平成22年)3月 法テラス沖縄法律事務所赴任
2015年(平成27年)9月 国際協力機構(JICA)ネパール裁判所能力強化プロジェクト(カトマンズ、ネパール)チーフアドバイザー
2018年3月~現在 日本司法支援センター(法テラス)本部
2020年7月~現在 法テラス東京法律事務所(併任)
※掲載コラムは、著者個人の経験・活動に基づき綴っているもので、新旧いずれの所属先の意見も代表するものではありません。

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