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一般2026年05月13日 契約に関わる文豪書簡(4)―お金の交渉に生真面目だった佐藤春夫と不真面目だった石川啄木―(法苑WEB連載第23回)執筆者:中川越 法苑WEB  

●礼儀正しくギャラの交渉に取り組み苦心した生真面目な佐藤春夫

 太宰治に師と仰がれた詩人、小説家佐藤春夫は、ギャラ、原稿料の交渉で苦心したようです。昭和4年37歳のときのことでした。福岡日々新聞での小説の連載を頼まれましたが、当初提示された原稿料にまったく納得できませんでした。
 新聞社側から出された条件は、連載1回につき、400字詰め原稿用紙3から4枚の原稿料が30円。今なら約25000円です。原稿用紙1枚につき、7、8千円となるので、決して安くはないと思われますが、当時の売れっ子作家の感覚としては、大いに不満だったようです。
 佐藤はあまりに安いので驚き、心底憤慨し、早速担当者に手紙で次のように訴えました。

 小生が御紙と取結んだ今日の稿料は少々低価かと思います。小生は報知では一回五十五円で書き、この次に書く大阪の新聞では六十円の筈であります。

 佐藤は納得できない訳を、具体的に冷静に説明しました。お金のことで感情的になるのははしたないと思ったからでしょうか。
 さらに、「低価」を裏付ける別な根拠を、次のようにつけ加え強調しました。

本日来訪した客の話によると、三年ほど前或る作家が御紙へ書いた時も一回三十円であったと伝えました。その作家は二流の人(その真価は別として市価に於て)であり、三年も前と今日とでは稿料は――特に新聞紙の稿料は約五割も上っています。

 努めて冷静にと自らを戒めて説明を続けていたのに、書き進むうちに感情が高まり、ついうっかり他人を「二流の人」と書いてしまったのでした。
 そして、自分の慢心、おごりに気づいたのでしょう、すぐに真価ではなく市価において二流という意味、と補足して失言をフォローし、原稿料相場という客観情報を加えましたが、結局のところ、自身の一流の看板を汚されたことへの憤りが露骨に表現される結果を招きました。
 そして、お金のことを突き詰めて話しているうちに、いささか自己嫌悪が兆してきたのでしょう。自分ははしたない強欲な守銭奴ではなく、あたたかな人情家であることを立証したくなり、次のように言い添えました。

小生は東京において最も貧乏な新聞よみうりのために先日短編を書きこれは一枚七円であり……小生は実際貧乏なところへならば、……稿料の問題など言わずに書くだけの考えもあります。

 自分は貧乏な者をいじめる冷血漢などではなく、器量の大きな人間であることを示しました。ところが一方で、「よみうり」を貧乏な新聞とさげすむ舌禍が加わることになってしまいました。
 冷静に論理的に淡々と、原稿料の契約交渉をするつもりだったのに、言い訳の言い訳が必要になるドツボにはまり、グタグタになりました。
 感情のコントロールを失うと、次々に失言を糊塗する必要が生じるという失敗例の見本となりました。しかし、佐藤の自分の仕事への誇りと、それを低いギャラによって汚された無念を、どうにかして傲慢さを消して伝えようとする姿勢は、ひしひしと伝わってきます。
 そうした誠実な姿勢が相手を動かしたのでしょう。契約はなんとか締結され、「更生記」というタイトルの連載が開始されることになりました。
 さて、結局原稿料はいくらになったのか。残念ながらその詳細は不明ですが、双方それなりに納得できる妥協点を見出し、契約に至ったに違いありません。

●できもしない返済の約束をいけしゃーしゃーとした石川啄木

 窮地に立つと人は平気でウソをつきます。だから借金をするときの説明は、十中八九ウソばかりです。困窮の理由も返済の見込みも、まずウソ八百と見てまちがいありません。これは私の狭い経験から得た教訓ですから、世の中のすべてのケースについても当てはまるとは限りませんが。
 ただし、石川啄木の件に関しては、私の持論は寸分たがわずピッタリと当てはまります。   
 貧しさにあえぎ肺病により、26歳の若さで逝った天才詩人石川啄木は、実ににしたたかな若者でした。明治37年12月、啄木18歳のとき、4歳年上の親友金田一京助に、こんな手紙を書きました。

拝啓
一昨日貴信に接して誠になつかしく拝見致候へ兄は羨ましく候、今日は二三の友の帰国を上野に送るべき日、朝来帰思動きて禁ぜず候、而して兄よ、生はこの日に於てこの不吉なる手紙を書かむ事は誠に心苦しき事に有之候、これから小石川迄ゆかねばならず候に付取急ぎ有体に申上候、それハ外でも無之候が、あゝ外でも無之候が.…
本月太陽へ送りたる稿〆切におくれて新年号へは間にあはぬとの事天渓より通知あり、この稿料(?)来る一月の晦日でなくては取れず、又、あてにしたる時代思潮社より申訳状来り、これも違算、かくの如くして違算又違算、自分丈けは呑気で居ても下宿屋が困り、故家が困っては、矢張呑気で居られず、完たく絶体絶命の場合と相成り申候、
一月には詩集出版と、今書きつゝある小説とにて小百円は取れるつもり故、それにて御返済可致候に付、若し ご都合よろしく候はゞ、誠に申かね候えども、金十五円許り御拝借願われまじくや、世の中には金で友情を破る様な事も沢山有之候事故、これは実に何とも申しかねる次第に候、然し乍ら この場合はあり丈けの路を講じて見ねバならぬ場合故、面皮を厚うして申上る訳に候、御都合わるければ、その御返事丈にて満足可致候、乱筆にて御申訳なけれど、先ハ御願事迄、取急ぎ早々

 現代語に訳せば、このようになります。
〈拝啓 一昨日のお手紙、たいへん懐かしく拝見し、あなたが羨ましく感じられました。今日は、二、三人の友人が帰国するので、上野まで見送りに行く日です。朝から、ふと故郷に帰りたい気持ちがこみ上げてきて、どうにも抑えられません。
そんな今日という日に、こんな縁起でもない手紙を書かねばならないのは、本当に心苦しいことです。これから小石川まで行かねばならないため、取り急ぎ、ありのままを申し上げます。実は、他でもありません。ああ、本当に他でもないのですが——
今月『太陽』へ送った原稿が締切に遅れ、新年号には間に合わないとの通知が天渓から来ました。この原稿料は、来年一月の晦日にならないと受け取れません。さらに、あてにしていた時代思潮社からは「今回は見送り」との返事が来て、これも当てが外れました。このように、当てが外れ、また外れ……
自分ひとりがのんきにしていても、下宿屋が困り、実家も困るようでは、もうのんきに構えてはいられません。まったく、絶体絶命の状況になってしまいました。
一月には、詩集の出版と、今書いている小説で百円ほどは得られる見込みですので、それでご返済できると思います。つきましては、まことに申し上げにくいのですが、もしご都合がよろしければ、十五円ほどお貸しいただけないでしょうか。
世の中には、お金のことで友情が壊れることも多くありますので、本当に何とも申し上げにくいのですが、しかしながら、この状況では考えられる限りの手を尽くさねばならず、厚かましくもお願い申し上げる次第です。もしご都合が悪ければ、その旨のお返事だけで十分です。乱筆にて申し訳ありませんが、まずはお願いまで。取り急ぎ、早々。〉
 友人の北原白秋は「啄木くらい嘘をつく人もいなかった」と証言しました。「稿料」も「時代思潮社の申訳状」も「小百円取れる」も、この手紙の内容は大方作り話のウソばかりでした。「故家」、すなわち実家が困り果て、「絶体絶命」ということだけがまぎれもない事実でした。
 しかし、どこか憎めない、なんとはない明るさ、呑気、もっといえばユーモアさえにじむ手紙です。
 啄木を心底敬愛し、裕福な自分にうしろめたさを感じていた金田一は、啄木から深刻に苦境を伝えられれば自分の幸福が一層際立ち苦痛だったようです。啄木は、そんな金田一の内心を見透かしていたと思われます。
 啄木の真意は計りかねますが、いずれにしても、なんとも淀みのない、疑念を差し挟みにくい迫真の、18歳の青年の仕業とは思えない老練でしたたかな借金の依頼状です。
 借金をしてまで遊興を重ねたくせに、あるときは、「はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり/ぢつと手を見る」と清貧と社会矛盾を歌い、またあるときは、「何となく、自分を嘘のかたまりの如く思ひて、目をばつぶれる。」と正直に告白し懺悔した啄木の虚実の振れ幅はあきれるほど大きく、親友金田一の親愛を手玉に取ったばかりではなく、後世の私たちまでも翻弄し続けます。
 さて、この借金の申し入れは成功したのでしょうか。結果を示す手紙は確認できませんが、その後の金田一の献身的な援助の続行を踏まえれば、15円の借金は、成功したはずです。そして、返済は? その事実を示す記録は見当たりません。
 この契約は、恐らく確実に踏み倒されたことでしょう。

(手紙文化研究家・コラムニスト)

【中川 越 なかがわ・えつ プロフィール】
手紙文化研究家・コラムニスト。東京新聞「文人たちの日々好日」連載中/日本絵手紙協会の「月刊絵手紙」〈手紙のヒント〉」連載中/「月刊日本橋」〈発掘!日本橋逸聞逸事〉連載中/〇主な著書 『すごい言い訳!―漱石の冷や汗、太宰の大ウソ―』(新潮文庫)/『文豪たちの手紙の奥義 ―ラブレターから借金依頼まで―』(新潮文庫)/『夏目漱石の手紙に学ぶ 伝える工夫』(マガジンハウス)/『漱石からの手紙 人生に折り合いをつけるには』(CCCメディアハウス)/『文豪に学ぶ 手紙のことばの選びかた』(東京新聞)/『NHKラジオ深夜便 文豪通信』(河出書房新社)など。

(本記事の内容に関する個別のお問い合わせにはお答えすることはできません。)

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執筆者

中川 越なかがわ えつ

略歴・経歴

コラムニスト、手紙文化研究家。東京都出身。書籍編集者を経て執筆活動に入る。
主な著書は以下の通り。
「改まった儀礼的な手紙の文例とポイント」(新日本法規出版)
「新版あいさつ・スピーチ全集(共著)」(新日本法規出版)
「気持ちがきちんと伝わる! 手紙の文例・マナー新事典」(朝日新聞出版)
「実例大人の基本手紙書き方大全」(講談社)
「文豪に学ぶ手紙のことばの選びかた」(東京新聞)
「文豪たちの手紙の奥義」(新潮文庫)
「すごい言い訳!―漱石の冷や汗、太宰の大ウソ―」(新潮文庫)
「高等学校国語表現Ⅱ」(第一学習社版)〈中川越「心に響く手紙」が3頁にわたり収載〉

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