一般2021年09月01日 アンチ・ドーピングについてJADA規程に準拠しない競技団体とその課題 一般社団法人日本スポーツ法支援・研究センターからの便り 執筆者:長谷川佳英

1. 2021年4月頃、前年12月31日のWBO世界スーパー・フライ級タイトルマッチでの井岡一翔選手に対するドーピング検査において禁止物質が検出されたとの報道が世間を賑わせました。このドーピング検査に関して、検査を実施したプロボクシングの統括団体である一般財団法人日本ボクシングコミッション(JBC)は、外部有識者を委員とする倫理委員会に諮問し、2021年5月18日、倫理委員会は、井岡選手の検体に禁止物質が存在することを認定するのは困難である旨の答申を行いました。これを受けて、JBCは、同月20日、「井岡選手がJBCルール第97条(ドーピングの防止)1に違反した事実はありません」とのリリースを出しました2

2. ドーピング検査で禁止物質が検出されたにもかかわらず、井岡選手がドーピング違反に当たらないと判断されたのはなぜでしょうか。本記事の執筆時点で倫理委員会の答申書は公開されていませんが、報道によれば、倫理委員会は、①ドーピング検査において採取した選手の尿を2つに分けた検体(A検体・B検体)のうち、簡易検査で禁止物質である大麻が検出されたA検体については管理方法と検査方法に問題があり、第三者機関による検査で大麻以外の禁止物質が検出されたB検体については管理方法に問題があったため、いずれの検体も採取時点で禁止物質が存在したと認定することは困難であること、②選手に弁明や再検査実施要請の機会を与えないまま再検査が不可能となったため、選手の権利が保障されていないという重大な手続上の瑕疵があることを、判断の理由としているようです3。これらの理由によりドーピング違反に当たらないとした倫理委員会の判断は、極めて妥当といえます。

3. ところで、アンチ・ドーピングに関しては、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)の策定した世界アンチ・ドーピング規程(WADA規程)に準拠して、日本アンチ・ドーピング機構(JADA)が日本アンチ・ドーピング規程(JADA規程)4を策定しています。JADAに加盟する国内競技団体やその会員等は、その団体自身が受諾することによって、JADA規程に準拠したアンチ・ドーピング規程の遵守が義務付けられます。そのため、JADA規程やそれに準拠したアンチ・ドーピング規程は、法律ではないものの、日本のスポーツ界に広く適用される事実上の強制力を持った法規範として機能しています5。そして、JADA規程は、ドーピング違反となる行為類型、違反の効果、検査や手続の方法等について、詳細なルールを定めています。もっとも、国内競技団体の中には、JADAに加盟せず、それゆえJADA規程に準拠しない団体も存在します。JBCも、その団体のひとつです6

4. JBCのリリース7によれば、JBCは、「JBCアンチ・ドーピング規定」という独自の規定を定めているようです。この規定は本記事の執筆時点で公開されていないため、その内容を確認することはできないものの、井岡選手のドーピング検査で実際に管理方法、検査方法及び手続に問題があったこと、倫理委員会の答申書で「JBCのドーピング検査における検査管理の杜撰さ」を指摘されていることからすると8、検査の運用実態に問題があっただけでなく、JBCの規定自体が、アンチ・ドーピング規程として適切な内容を備えていなかった可能性があります9

5. JADAに加盟しないことやJADA規程に準拠せずに独自のアンチ・ドーピング規程を定めること自体は、否定されるものではありません10。しかし、独自の規程を定める場合であっても、選手の健康の保護、スポーツ固有の価値の保護等といったドーピング禁止の趣旨を踏まえて、ドーピング検査の方法、ドーピング違反による制裁の手続の方法等について厳格な内容を策定すべきですし、適正手続の保障も必要ですから、これらの事項に関するJADA規程の内容は、大いに参考にされるべきではないでしょうか。もちろん、繰り返しになりますが「JBCアンチ・ドーピング規定」及び倫理委員会の答申書はいずれも公開されていないため、本記事においてJBCの規定の適否にまで踏み込むことはできませんが、今回の井岡選手の一件は、JBCと同様にJADAに加盟していない競技団体において、反面教師として意識しておくべき事案であるといえるでしょう。

1 「JBCの管轄のもとでおこなわれる試合に出場するボクサーは、リングにおける自らの能力を増強もしくは減衰させる麻薬、薬剤、薬物を摂取しもしくは身体に塗布してはならない。」(https://www.jbc.or.jp/info/jbc_rulebook_excerpt.pdf
2 https://www.jbc.or.jp/rls/2021/0520.pdf
3 https://boxingnews.jp/news/83424/
 https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2021/05/19/kiji/20210519s00021000415000c.html 等
4 本記事の執筆時点で最新のJADA規程は、2021年1月1日発効のものです
https://www.playtruejapan.org/entry_img/jadacode2021.pdf)。
5 浦川道太郎ほか編『標準テキスト スポーツ法学(第3版)』211頁(2020年)、スポーツ問題研究会編『Q&Aスポーツの法律問題〔第4版〕』229頁(2018年)。
6 ほかには、例えば、プロ野球を統括する一般社団法人日本野球機構(NPB)も、その団体のひとつです。
7 前掲脚注2のURL。
8 前掲脚注2のURL。
9 一部の報道では、「答申書では、ドーピング規定の見直しなどの提言もまとめられており」と指摘されています
https://news.yahoo.co.jp/articles/c28635b1bf52796476c6d630ca7c9a0acc008f3c)。
10 白井久明ほか「日本の競技団体のドーピング防止規程の現状と課題」日本スポーツ法学会年報17号222頁以下(2010年)は、次のように指摘しています。「JADA規程に準拠することとなると、『禁止薬物等の使用等』の違反の場合、1回目の違反で2年間の資格停止処分(第10.2項)、同じ違反行為について2回目の違反で8年間から永久の資格停止処分(第10.7項)という制裁措置が科されることとなる。しかし、その競技を行うことで生活しているプロ選手としては、このような制裁措置が科されると、生活の手段が事実上奪われることとなってしまうため、プロ選手を抱える競技団体がJADAに準拠せずに、独自のドーピング防止規程を設け、独自の制裁を行おうとすることにも理由がある。」。

(2021年8月執筆)

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  22. アスリート盗撮の実情とその課題
  23. アンチ・ドーピングについてJADA規程に準拠しない競技団体とその課題
  24. スポーツチームにおけるクラブトークンの発行と八百長規制の必要性

執筆者

長谷川 佳英はせがわ けえ

弁護士(横木増井法律事務所)

略歴・経歴

2012年 東京大学法学部卒業
2014年 東京大学法科大学院修了
公益財団法人日本スポーツ仲裁機構 仲裁人・調停人候補者

著書
『公認スタートコーチ(スポーツ少年団)専門科目テキスト』(共著)公益財団法人日本スポーツ協会(2020年4月)
『パワーハラスメント実務大全』(共著)株式会社日本法令(2021年4月)など

執筆者の記事

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