一般2022年01月07日 スポーツにおけるパワーハラスメントについて考える 一般社団法人日本スポーツ法支援・研究センターからの便り 執筆者:小林聖子
1 〇〇ハラスメントという言葉がたくさん生まれている昨今、日常生活の中でも、「それってパワハラじゃないの?」などという会話がなされたりすることもしばしばである。
スポーツの世界でも、レスリングや体操、アメフト、ボクシングなどの団体内でのパワハラがニュースとなったことは記憶に新しい。しかし、元競泳選手である私自身の経験を通して考えてみても、まだまだ実際のスポーツの現場で選手たちが「これはパワハラではないか」と感じているものの、何らの対応もなされないまま泣き寝入りとならざるを得ない事案も多くあるように感じている。
2 そこでまず、パワーハラスメントの定義とはどのようなものかを改めてみてみたい。
⑴ パワーハラスメントとは、「職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって,業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されること」(労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律第30条の2第1項参照)ⅰと定義される。
⑵ そして、スポーツ界におけるパワーハラスメントとは、「同じ組織(競技団体、チーム等)で競技活動をする者に対して、職務上の地位や人間関係等の組織内の優位性を背景に、指導の適正な範囲を超えて、精神的若しくは身体的な苦痛を与え、又はその競技活動の環境を悪化させる行為・言動等」であるとされている(文部科学省「スポーツを行う者を暴力等から守るための第三者相談・調査制度の構築に関する実践調査研究協力者会議報告(2013年12月19日)のスポーツ指導における暴力等に関する処分基準ガイドライン(試案)」ⅱ)。
公益財団法人スポーツ仲裁機構のJSAA-AP-2020-001事案ⅲにおける仲裁判断においても、被申立人である日本パラ水泳連盟のコンプライアンス規程及び処分規程にパワーハラスメントの定義がないこと、被申立人が前記の定義を前提として申立人に対する処分の決定を行ったことや両当事者が仲裁において前記の定義を前提に主張を行っていることを理由として、前記の定義を前提にパワーハラスメント該当性を判断している。
3 これらの定義に該当してもさらに当該パワーハラスメント行為が違法なものであるとまでいえるかについてはさらなる考慮が必要となるが、まずはこれらの定義に該当するかどうかということが重要となる。
そこで、このような定義が実際のスポーツの現場におけるパワーハラスメントを考えるに当たって十分なものとなっているのかどうかについて、以下で検討を行いたい。
⑴ まず、「同じ組織(競技団体、チーム等)で競技活動をする者に対して」という部分についてであるが、同じ組織で競技活動をしない場合にはどうなるのかという問題がある。例えば、選手と遠征や合宿などで同行するコーチについてはこの文言に当てはまるのか悩ましいところがある。
また、とある選手とライバル選手のコーチではどうだろうか。これを同じ組織で競技活動をするものとみることはなかなか難しいように思われる。
まだ私が高校生で現役選手だったころ、ライバル選手のコーチとホテルが同じであった際、夕食会場から誰もいない場所に1人呼び出され、翌日の決勝でライバル選手に負けることを約束しない限り夕食会場に戻らせないと告げられ困惑した経験があったが、このような行為がパワーハラスメントに該当しないことになるのであれば、一般的に考えてこの定義は射程が狭すぎるように感じられる。
⑵ 次に、「職務上の地位や人間関係等の組織内の優位性を背景に」という部分についてであるが、この部分についても上記の私の体験のような場合には該当しない可能性が高い。
特に未成年の選手からすれば、コーチという存在は大人であるというだけでも立場的な優位性を有することを考えると、労働者のようにわかりやすく組織内での優位性をもたない関係性にある場合でも、パワーハラスメントに該当する行為がありうることが認識されるべきである。
⑶ そして、「指導の適正な範囲を超えて、精神的若しくは身体的な苦痛を与え、又はその競技活動の環境を悪化させる行為・言動等」についてであるが、まず、「指導の適正な範囲を超えて」という部分については、どこまでが適正といえるのかという判断に難しいところはあるが、誰が見ても適正な指導については除外されるべきであるから、妥当な文言であるようにも思われる。「精神的若しくは身体的な苦痛を与え、又はその競技活動の環境を悪化させる行為・言動等」に該当するかどうかについては、職場におけるパワーハラスメントでは平均的な労働者を基準として判断されるため、スポーツにおいては一般人が基準となるように思えるが、そもそも、一般人を基準として精神的・身体的な苦痛を与える行為や競技活動の環境を悪化させるような行為・言動はなされるべきではなく、これらの行為に適正な範囲があるような文言には問題があるのではないだろうか。
そもそも、スポーツ選手と指導者の関係は、労働者の場合とは大きく異なる。労働者は、雇用主との関係でも立場さえ抜きにすれば対等の関係になり得る。つまり、雇用契約から脱したときには、その関係を清算して同じ社会人として違う場所で働くことができうる。しかし、スポーツ選手は当該所属先を辞めたとしても、同じスポーツを続ける限りその指導者と対峙しなければならない可能性を有するし、特に未成年の場合には競技を抜きに考えても大人である指導者と対等になるような関係にはない。それだけ立場に格差が大きく存することから、スポーツ選手と指導者との関係においては、指導において選手に精神的・身体的な苦痛を与える行為に適正な範囲などというものを観念すべきではないと思われる。
また、競技環境を悪化させる行為はすなわち選手生命そのものを揺るがす行為なのであり、そのような行為に適正な範囲などというものがあるのかということ自体が疑問である。この点については、当該指導者の元でなくても競技はできるということも考え得るかもしれないが、そもそもスポーツ選手の多くは未成年や成人したばかりの選手であることが多く、自身の学校や居住地から選べる競技環境は限られていることが多いし、自身の財政状況でなんとかすることができる場合はあまり多くない。このことも併せて考えると、やはり、競技活動の環境を悪化させる行為を許容するような例外をそう簡単に認めるべきではない。
4 以上のことからすると、スポーツ界におけるパワーハラスメントの定義については、より実態に即したものになるよう再考される必要があると言わざるを得ない。
スポーツを行う選手たちが現場で感じている感覚をもって、パワーハラスメントの成否を判断することができるような基準を考えることが必要であると、このコラムを書くにあたって改めて強く感じた。
ⅰ 労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律 | e-Gov法令検索
ⅱ 【参考資料4】報告書 (mext.go.jp)
ⅲ AP-2020-001.pdf (jsaa.jp)
(2021年12月執筆)
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執筆者
小林 聖子こばやし せいこ
弁護士(弁護士法人みやこ法律事務所)
略歴・経歴
3歳から水泳を始め競泳選手となる
1999年度 競泳世界ランキング 女子200m背泳ぎ 7位
1999年度 競泳世界ランキング 女子100m背泳ぎ 8位
筑波大学(第一学群社会学類) 卒業
関西大学法科大学院(法学未修者コース) 卒業
日本スポーツ法学会会員
公益財団法人スポーツ仲裁機構仲裁人・調停人候補者
一般社団法人日本パラ陸上競技連盟理事
一般社団法人なでしこケアお悩み相談窓口アドバイザー
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