相続・遺言2020年06月22日 民事信託こぼれ話 第6話(前編) 効力を発生しない信託契約を締結した事例 民事信託特集 執筆者:澁井和夫
~今すぐ財産の移転はしないが、将来を考えて 信託契約は締結したいという要望に応えて~
1.事案の内容
甲さんは、独身女性で60歳。自宅をはじめ、父から相続した不動産を複数お持ちです。自宅敷地の一部を利用して小さなブテイックを建て、趣味と実益を兼ねて装飾品を作成・販売したり、少人数のワークショップで製作指導を行っていますが、収入の柱は、相続により引き継いだ賃貸不動産の賃貸収入です。今般、その一つを取り壊して建替える計画を立て、現入居者の退去交渉を本格化させると同時に、斬新な共同住宅とSOHOを組み合わせた建築設計を進め、付き合いのある金融機関に建替え事業資金について融資の相談をしたところ、連帯保証人が必要との回答でした。唯一の肉親は兄ですが、自分と同様に相続資産の運用を手掛け、かなりの借金を抱えている兄の世話にはなりたくないとのこと。兄とは疎遠というほどではありませんが、お互いに不動産資産の運用には口を出さず、それぞれ独自の道を進んできました。連帯保証人を頼みたくないのです。しかし、先々のことを思うと、自分名義の不動産の承継をどうするのか考えなければいけないとも思うようになりました。元気なうちは自分の裁量で不動産の管理運用を思い通りに遂行し、衰えた後は誰かに(と言っても兄や兄の子しかいませんが)財産管理を任せる方法はないものか、建替えの資金調達の件と将来の財産の安全な承継を確実にする方法はないか、これが甲さんの相談の核心です。
2.停止条件付の信託の提案
甲さんはまだ60歳であり、すぐに意思能力が衰えてしまうような歳ではありません。しかし、不慮の事故や、病気にかかる(本事案では、実際、信託契約締結後2年ほどを経過した時に、甲さんは舌癌の手術をすることになりましたが、現在では復帰して経過観察扱いになっています)というリスクは視野に入れるべき年代です。
そこで、委託者兼受益者を甲さんとし、兄、及び兄の子の一人を共同受託者とする民事信託契約を締結し、当面はこの信託契約が発行しない旨を契約条文に明記する方法を提案することとしました。すなわち、「自分から兄へ信託発動の依頼状が到達したとき」もしくは、本人の意思能力が著しく低下してしまったことを判定する「判定人」を「当該賃貸事業の収支管理を担当する会計法人、または会計法人の代表者」と定め、当該判定人から兄に「本人の意思能力が著しく低下してしまったことが知らされたとき」に信託契約が効力を発すると定めることにしたのです。
つまり、甲さんがこの賃貸不動産事業の執行が重荷になり、受託予定者に任せてしまおうと思ったら、受託予定者である兄と兄の子に、その旨通知して、その通知が受託予定者に届いたときに、信託契約は効力を発し、信託財産である不動産の所有権が甲さんから受託者に信託を原因として移転し、速やかに登記されることとなるわけです。
また、甲さんが自ら通知をする前に、認知症などで著しく意思能力が衰えてしまったときは、自ら通知ができなくとも、契約上に定められた「判定者」によって、その事態が受託予定者に通知され、この通知が受託予定者に届いたときに信託は効力を生じることにしたのです。
この信託契約を締結し、将来、甲さんにこれに該当する事態が生じたときは、共同受託者である兄、及び兄の子が事業運営を継続していくことが将来的に有効に約束されますので、この信託契約締結を前提に、連帯保証人なしの融資を世田谷信用金庫は実行することにしました。
これにより、建替え後、元気なうちは甲さんが賃貸事業の陣頭指揮を執り、認知症になってしまった後も、信託財産から終身配当を受け取ることが出来ますし、世田谷信用金庫は甲さんが認知症になってしまっても、信託受託者を相手に融資取引を継続していけます。(甲さんが亡くなった後は相続権者である兄が、兄が既に亡き時は兄の子が信託残余財産を引継ぎます。)
3.停止条件付信託契約作成の根拠法文
そもそも、停止条件付信託契約を作成することは可能なのでしょうか?
ここで、大きな論点になるのが「信託契約の要物性」です。信託は「モノを信託」するのであり、モノ=信託財産がない、すなわち財産権の移転を伴わない信託など、ナンセンス、無意味ではないか。この論点は大変重要なものであり、「信託の要物性」をめぐっては様々な意見があることはご存じのとおりです。
しかし、この論点をめぐる話は次回に解説するとして、具体的に実務を進めるうえで根拠となる信託法の条文を見てみましょう。
【信託法の参考条文】
(信託の方法)
第3条 信託は、次に掲げる方法のいずれかによってする。
1 特定の者との間で、当該特定の者に対し財産の譲渡、担保権の設定その他の財産の処分をする旨並びに当該特定の者が一定の目的に従い財産の管理又は処分及びその他の当該目的の達成のために必要な行為をすべき旨の契約(以下「信託契約」という。)を締結する方法
2 特定の者に対し財産の譲渡、担保権の設定その他の財産の処分をする旨並びに当該特定の者が一定の目的に従い財産の管理又は処分及びその他の当該目的の達成のために必要な行為をすべき旨の遺言をする方法
3 特定の者が一定の目的に従い自己の有する一定の財産の管理又は処分及びその他の当該目的の達成のために必要な行為を自らすべき旨の意思表示を公正証書その他の書面又は電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものとして法務省令で定めるものをいう。)で、当該目的、当該財産の特定に必要な事項その他の法務省令で定める事項を記録し又は記録したものによってする方法
(信託の効力の発生)
第4条 ①前条第1号に掲げる方法によってされる信託は、委託者となるべき者と受託者となるべき者との間の信託契約の締結によってその効力を生ずる。
②前条第2号に掲げる方法によってされる信託は、当該遺言の効力の発生によってその効力を生ずる。
③前条第3号に掲げる方法によってされる信託は、次の各号に掲げる場合の区分に応じ、当該各号に定めるものによってその効力を生ずる。
1 公正証書又は公証人の認証を受けた書面若しくは電磁的記録(以下この号及び次号において「公正証書等」と総称する。)によってされる場合 当該公正証書等の作成
2 公正証書等以外の書面又は電磁的記録によってされる場合 受益者となるべき者として指定された第三者(当該第三者が2人以上ある場合にあっては、その1人)に対する確定日付のある証書による当該信託がされた旨及びその内容の通知
④前3項の規定にかかわらず、信託は、信託行為に停止条件又は始期が付されているときは、当該停止条件の成就又は当該始期の到来によってその効力を生ずる。
以上の内容を搔い摘んでまとめると次のように整理されます。
① 信託の方法は、契約、遺言、意思表示(自己信託)の三種類。☛信託法第3条
この中で、本事案が該当するのは、第3条第1項です。☛契約
② それぞれの方法ごとに効力の発生の要件があります。☛信託法第4条
この中で、本事案の信託行為は契約ですから、原則として第4条第1項により、契約の締結で効力を生じます。すなわち、原則として信託契約は諾成契約とされています。信託財産権の移転を効力発生の要件とはしていません。信託財産権が移転する前でも、信託は成立していることになります。
③ その例外が、第4条第4項の定めです。すなわち、「信託は、信託行為に停止条件又は始期が付されているときは、当該停止条件の成就又は当該始期の到来によってその効力を生ずる。」のです。
よって、信託契約の中に、停止条件を付せば、停止条件付信託契約を作成することが出来ることになります。
4.甲さんのもう一つの願い
信託契約の案文作成の最終段階に至って、甲さんからプラスαの要望が出てきました。それは次のようなことでした。
甲さんが事故や病気で一旦は意思能力が著しく衰えてしまい、判定人がこの状況をもとに信託受託(予定)者に通知をしたことにより、信託が効力を発した後に、予想を裏切って幸運にも、甲さんの意思能力が十分に回復した場合には、効力を生じた信託を取り止めて再び自分が事業運営者の当事者に復帰できるようにしてほしい。つまり、一旦有効となって開始された信託を終了して、元へ戻すことができるように契約を工夫してほしいというのです。
しかも、そのようにして一旦終了させた信託について、それで終わってしまうのではなく、停止条件付信託の状況は継続してほしいというのです。信託が終了してしまうと、再び停止条件付信託を行うには、もう一度、新たな契約を改めて締結しなおさなければならないことになりますが、それは手間がかかるのでやりたくない。初めの契約さえしておけば、もう一度契約をし直さなくても、一旦終了した信託が停止条件付信託として一旦終了した以前の状況に戻って継続する契約にしてほしいということです。
随分と念の入った話ですし、我儘と言えば我儘かもしれませんが、それだけ、甲さんの建替え事業に対する真剣な思いの表れでもあります。自分でできるうちは兄の世話にはならず、親から委ねられた資産の管理を全うしようとする意志の表れです。
これに応えるのがコンサルタントの役目と考え、これも実現すべく取組むことにしました。
次回は、具体例として出来上がった信託契約の条文について解説いたします。
(2020年6月執筆)
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執筆者
澁井 和夫しぶい かずお
世田谷信用金庫顧問
略歴・経歴
三井信託銀行(株)(現・三井住友信託銀行(株))入社後、不動産開発部長兼不動産鑑定部長を最後に退社、その後㈱鑑定法人エイ・スクエアを設立し、取締役副社長を務め、(社)日本不動産鑑定協会(現公益法人日本不動産鑑定士協会連合会)主任研究員を経て、世田谷信用金庫顧問に至る。 世田谷信用金庫では、2007年6月のコンサルティング・プラザ玉川(最寄駅:東急田園都市線「二子玉川駅」)開設を機に、信託・不動産に精通するスタッフを投入して、高齢者の不動産を主とした資産の管理に、信託スキームを提案するコンサルティング業務を手がけるなど、金融界における民事信託の先駆者でもある。
不動産鑑定士、資産評価政策学会理事。
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