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民事2018年07月06日 後見と民事信託 民事信託特集 執筆者:亀井真紀

 最近よく耳にするのが後見制度と民事信託を比較して民事信託の方が使いやすいという話です。本当にそうなのでしょうか?
 そもそも民事信託という言葉は法律用語ではないので正確な定義づけも難しいのですが、一般的には信託銀行に信託するような営利目的の信託を商事信託と言うのに対して、家族内で組み立てる信託を民事信託と呼んでいます。それ故に後見制度との比較がよくなされ、また「家族信託」と呼ばれたりもします。
 そして、よく言われるのが、後見制度では本人の財産が自由に使えなくなる、家族の希望とは異なる人が後見人に選ばれることがある、専門職であれば報酬をもっていかれるという不都合があるが、民事信託では節税も含めた本人の意思を反映させられる、本人の希望する人を受託者に設定できる・・ということのようです。
 しかし、どちらがいいとか悪いとか、これらを並立的に比べること自体ナンセンスだと思います。というのは、そもそも使える場面がそれぞれ違うということです。

 民事信託は、自分の意思で受託者を設定し、財産(多くの場合は不動産)の管理・承継について定めておくものです。当然ながらそれらについて認識・理解できる能力があることが前提になります。
 これに対し、法定後見制度は、後見・保佐・補助の3類型がありますが、基本的には判断能力が低下してから利用するものです。本人の意思により申立をすることもできますが、特に後見相当の場合は財産管理能力がないという診断が前提なので、親族又は各市区町村長(親族による申立ができない場合)が申立するのが一般的です。つまり、制度の利用開始自体に必ずしも本人意思が十分反映されているとはいえません。きちんと財産を管理するという面では制度の利用自体は本人のメリットを目指していますが、周囲の者がきっかけを作ることが多いのは事実です。

 そういう意味では、判断能力もあり、自身の財産についてどうしたいか明確な意思がある場合、元気なうちに民事信託をしておけば、仮に判断能力が低下したとしてもその意思を実現できるのでそれはメリットだと思います。例えば、障がいをもつ子がいる場合に、親である自分が亡くなった後はその子に、その後さらに子が亡くなればお世話になった福祉施設に寄付したいという希望を別の親族などを受託者として託すということが考えられます。
 一方、後見の場合、本人の判断能力低下を前提とした身上看護(どこに住むか、何が必要か等の環境調整など)面も重視されるのに対して、民事信託ではそういった面はありません。身上看護が必要であれば、別途サポートの方法を考える必要があります。先の例で言えば、民事信託を利用することで不動産の行き先についてはフォローできますが、親自身が認知症になってしまった場合、居住場所をどうするか(自宅か、施設か)、日々の生活費をどう管理するかなどはフォローできません。事実上、他の親族がサポートすることも多いですが、施設の入居契約、そのための多額の預金の払い戻しとなると後見人をつける必要が生じます。つまり、場合によっては民事信託を利用しつつ、後見制度も利用するというパターンもあり得るということです。

 以上のように、民事信託も後見もどちらがよいとか悪いとかいえるものではないのですが、このような議論になるのは、やはり後見制度が一般の方にとってわかりにくい、使いにくい、硬直的だという不満があるからなのだと思います。
 そういった批判も受けて平成28年に「成年後見制度の利用の促進に関する法律」が制定され、平成29年3月には内閣府が成年後見制度利用促進基本計画を示しました。その中で、強調されているのは、利用者がメリットを実感できる制度・運用の改善です。現在、そのために各自治体で中核機関づくり、地域連携ネットワークの具体的検討が進められています。
 民事信託のメリットも社会で広めつつ、後見制度もよりよいものにする努力が必要です。

(2018年6月執筆)

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