民事2019年11月18日 税理士業務の中の民事信託(第3回) 本件信託における受益者・原告(長男)の受益権の評価 民事信託特集 執筆者:石垣雄一郎
あつものに懲りてなますを吹く?そうならないために
裁判年月日:平成30年9月12日
裁判所名:東京地裁 裁判区分 裁判
事件番号:平27(ワ)24934号
事件名:共有権確認等請求事件
裁判結果:一部認容 上訴等 控訴
これまでの経緯
原告(長男)は、本件信託(本件の民事信託契約をいいます。以下、同じです。)が遺留分を潜脱するものとして公序良俗違反により本信託そのものの無効を主張し、信託をなかったものとして遺留分減殺((現在は「遺留分侵害額」(民法1046条2項)です(前回参照)。以下、同じです。)請求をしました(※1)。
原告(長男)のこの主張に対し、標記東京地裁判決は、下記1、4および5の不動産について、公序良俗違反(民法90条)により、信託財産としては無効であると判断しました。そのうち、下記1の不動産はその価値に見合う経済的利益を生んでいないこと(東京地裁は、経済的利益を生むための計画も具体化されていないと認定しています。)、また、下記4と5の不動産は無価値であり、経済的利益を生むことがないことを理由にこれら不動産の信託財産としての有効性を認めませんでした。
公序良俗違反により信託財産として無効とされたかかる不動産は、原告(長男)、被告(二男)および二女の3名による共有となりました(旧民法の適用)。信託をすることにより、この事態(不動産を共有とすること)を避けることを意図したと推測される被告(二男)と委託者(兼当初受益者)・Bさんは、皮肉にも信託をしたことによりこの事態を招くことになったといえます。
※1「受益者の死亡により、当該受益者の有する受益権が消滅し、他の者が新たな受益権を取得する旨の定め(受益者の死亡により順次他の者が受益権を取得する旨の定めを含む。)のある信託」(信託法91条)の新たな受益権を取得する受益者は、下記の民法1048条の規定の適用を受けると解されます。したがって、ケースによっては遺留分権利者がその意思で遺留分侵害額を主張せずに、意図的にその権利を時効で消滅させることもあり得るわけです。
民法(遺留分侵害額請求権の期間の制限)
第1048条 遺留分侵害額の請求権は、遺留分権利者が、相続の開始及び遺留分を侵害する贈与又は遺贈があったことを知った時から1年間行使しないときは、時効によって消滅する。相続開始の時から10年を経過したときも、同様とする。
1 Bさんが居住していた居宅・物置とそれらの敷地(4筆・約538坪)/無効
2 アパート(aアパート、bアパート)の土地・建物/有効
3 売却済不動産(cアパート)/有効
4 葬儀社に無償で貸与している倉庫敷地とその付近の私道敷地(非課税)/無効
5 栃木県那須塩原市の山林/無効
上記3は、相続税を納税するため相続人3名(長男、二男、二女)の合意のもとに売却され、信託金銭(信託財産に属する金銭をいいます。)となり、相続税の納税に充当され、裁判でも信託財産として有効と判断されています(信託の目的の1つが達成されたと解されます。)。
その一方で、上記2の信託不動産(信託財産に属する不動産のことをいいます。以下、同じです。)に係る受益権は、信託法91条の規定の適用を受ける受益権としてその価値は評価され、相続開始時に「受益者(Bさん)の死亡により、当該受益者の有する受益権が消滅し、他の者(長男ら)が新たな受益権を取得する旨の定めのある信託(いわゆる後継ぎ遺贈型受益者連続信託)です。
この受益権は、受益者(長男ら)の生存中に限定された「条件付きの権利又は存続期間の不確定な権利」(民法1043条2項)に相当すると解されます(※2)。
本件信託の信託法91条(受益者の死亡により他の者が新たに受益権を取得する旨の定めのある信託の特例)の規定が適用される部分を再確認すると、下記ⒶとⒷのようになります。本稿は下記Ⓐに焦点を当てた内容となります。
※2 民法1043条2項は、「条件付きの権利又は存続期間の不確定な権利は、家庭裁判所が選任した鑑定人の評価に従って、その価格を定める。」と規定しています。遺留分侵害額については家庭裁判所の調停手続を利用することができます。そのとき、信託不動産に係る受益権の評価が必要となったときは、家庭裁判所が依頼した鑑定人(不動産鑑定士)の評価に従って、その価格を定めることになります。本件裁判が家裁の調停手続を経ている場合は、家庭裁判所が不動産鑑定士を選任し、その不動産鑑定士の評価に従い、受益権の価格が定められていることが考えられます。
Ⓐ Bさん(当初受益者)の死亡時
当初受益者・Bさん(受益権の全部を保有)の死亡により、当該受益者の有する受益権が消滅し、他の者、すなわち、本信託における第一順位・受益者(本信託における当初受益者の次の受益者)である長男(原告)、二男(被告)および二女が新たな受益権を取得します。
Ⓑ 第一順位・受益者の死亡時
上記第一順位の受益者が死亡すると、その死亡した者の受益権が消滅し、第二順位(本信託における第一順位・受益者の次の受益者)の受益者である二男の子らが「新たな受益権」(消滅した受益権に見合う分の受益権)を均等に取得します。
本件裁判の争点のひとつは、上記ⒶBさん(当初受益者)の死亡時における原告(長男)の取得する受益権価格の評価です。
以下、改めて【留意点①】と【留意点➁】を確認した上で、その後のⅧでは、本件信託の原告(長男)の受益権の評価する基準となった不動産鑑定評価基準(収益還元法)の内容を、それに続くⅨでは、受益権の相続税法における評価の取扱い(本件信託の争点ではありません。)を見ていきます。
【留意点①】遺留分侵害額(本件裁判では遺留分減殺額)に影響を与える受益権の価格(前回(第2回)末尾【信託メモ】算式参照)
前述のように原告(長男)は、本信託のすべての不動産(上記1から5参照)を信託財産として無効である旨の主張をしましたが、東京地裁は一部を有効としました(上記2、3参照)。そうなると、原告(長男)は有効とされた信託不動産に係る受益権価格が高く評価される場合とそれが低く評価される場合とでは、遺留分減殺額に違いが生じます。すなわち、原告(長男)は、その受益権が高く(低く)評価された場合は、それが低く(高く)評価された場合よりも、遺留分減殺額が少なく(多く)なります。
つまり、原告(長男)は、受益権価格を低く評価できればできるほど、それに見合った分の遺留分減殺額を多く請求することができます。原告(長男)の遺留分減殺額を計算する過程で、受益権の評価額は、遺留分(民法1042条)から控除されるため、受益権の評価額は、原告(長男)の遺留分減殺額に直接影響するのです。
この場合の受益権の価格は時価(本件信託では収益還元法に基づく収益価格)で評価されることになります。
【留意点➁】受益権の評価方法
東京地裁は、原告(長男)が取得する受益権の価格を、大手不動産会社が試算した収益価格(一定のレンジにおける最低額)としています(前回(第2回)Ⅳ5(2)参照)。収益価格は不動産鑑定評価基準に定められた収益還元法によるものです。この方法により評価された受益権の価格が上記【留意点①】原告(長男)の遺留分減殺額に直接影響することになるわけです。
Ⅷ 本件信託における信託不動産に係る受益権の評価
1 第一順位・受益者(原告・長男)の受益権評価
① 標記東京地裁の判断について
上記2の信託不動産として有効とされた2つのアパートについて、上述のように原告(長男)(本件信託のいう第一順位・受益者)(上記Ⓐ参照)の受益者の死亡時に消滅する受益権(信託法91条)を評価しなければなりません。標記東京地裁判決は、本件信託でいう第一順位・受益者である原告(長男)の取得した受益権について、大手不動産会社が試算した「収益価格」をその評価額としました(前回(第2回)Ⅳ5(2)参照)。この「収益価格」は、不動産鑑定評価基準における「収益還元法」(下記②参照)により不動産の価格を計算する方法により求められたものです。標記東京地裁判決は、大手不動産会社が試算した「収益価格」(下記②参照)を受益権の価格としました。
この判決の争点や認定事実を見る限りでは、「収益価格」がどのように導き出されたかのプロセスが明らかにされていないため、客観的にその価格の合理性や妥当性を見きわめることは困難です。この点が明らかにならないうちは、実務では相続人の間で遺留分侵害額をめぐる争いが生じないよう配慮されているか、遺留分侵害額を争うことがない限定的なケース(共同相続人が遺留分侵害を主張するつもりのないケース)でしか使えません(※3)。この点は、信託法91条に関する今後の課題として認識しなければなりません。
※3 拙著「問題解決のための民事信託活用法-不動産有効活用、相続対策、後継者育成・事業承継対策、空き家対策等の視点から-(新日本法規刊)」第1章ケース6を参照
② 不動産鑑定評価基準(国土交通省HPから一部抜粋・下線部は筆者)
ここでは、標記東京地裁判決が受益権の評価方法とした収益還元法について概観し、受益権の時価評価のあり方の議論を不動産鑑定士だけでなく、信託にかかわる多くの専門家の問題として捉えることができるよう基礎知識の一部を身に付けることにしましょう。
ア 収益還元法、収益価格とは
不動産鑑定評価基準における収益還元法について、下記は同基準の一部を抜粋したものです。不動産鑑定士がどのような理論的基準を拠り所に不動産価格を算出(査定、鑑定)しているのかは、仕事を依頼する側にとって、どのようなプロセスを辿って結果(価格)を導き出しているのか無関心でいるわけにはいかないばかりか、表計算ソフトで投資回収と事業収支のキャッシュフロー・シミュレーションを行うときの参考にもなります。この機会に、一度、不動産鑑定評価基準の一部を読んでみることにしましょう。
なお、詳しく知りたい方は法務省HP「不動産鑑定評価基準」
(http://www.mlit.go.jp/common/001204083.pdf)を閲覧してください。
● 収益還元法
「収益還元法は、対象不動産が将来生み出すであろうと期待される純収益の現在価値の総和を求めることにより対象不動産の試算価格を求める手法である(この手法による試算価格を収益価格という。)。収益還元法は、賃貸用不動産又は賃貸以外の事業の用に供する不動産の価格を求める場合に特に有効である。また、不動産の価格は、一般に当該不動産の収益性を反映して形成されるものであり、収益は、不動産の経済価値の本質を形成するものである。したがって、 この手法は、文化財の指定を受けた建造物等の一般的に市場性を有しない不動産以外のものには基本的にすべて適用すべきものであり、自用の不動産といえども賃貸を想定することにより適用されるものである。なお、市場における不動産の取引価格の上昇が著しいときは、取引価格と収益 価格との乖離が増大するものであるので、先走りがちな取引価格に対する有力な験証手段として、この手法が活用されるべきである。」
● 収益価格を求める方法
「収益価格を求める方法には、一期間の純収益を還元利回りによって還元する方法(以下「直接還元法」という。)と、連続する複数の期間に発生する純収益及び復帰価格を、その発生時期に応じて現在価値に割り引き、それぞれを合計する方法(Discounted Cash Flow 法(以下「DCF法」という(筆者・下記③イ参照)。))がある。」「復帰価格とは、保有期間の満了時点における対象不動産の価格」をいうとされています。
イ 純収益とは
不動産鑑定評価基準は、純収益の算定について次のように定めています。
「対象不動産の純収益は、一般に1年を単位として総収益から総費用を控除して求めるものとする。また、純収益は、永続的なものと非永続的なもの、償却前のものと償却後のもの等、総収益及び総費用の把握の仕方により異なるものであり、それぞれ収益価格を求める方法及び還元利回り又は割引率を求める方法とも密接な関連があることに留意する必要がある。なお、直接還元法における純収益は、対象不動産の初年度の純収益を採用する場合と標準化された純収益を採用する場合があることに留意しなければならない。純収益の算定に当たっては、対象不動産からの総収益及びこれに係る総費用を直接的に把握し、それぞれの項目の細部について過去の推移及び将来の動向を慎重に分析して、対象不動産の純収益を適切に求めるべきである。この場合において収益増加の見通しについては、特に予測の限界を見極めなければならない。」
上記「不動産鑑定評価基準」を読むと、受益権価格(本件裁判の収益価格)を試算するにあたり、下記の点が気になります。
ウ 筆者が気になる点・連続する複数の期間と復帰価格の発生時期をどう定めるのか
「不動産鑑定評価基準」にある上記「連続する複数の期間に発生する純収益及び復帰価格を、その発生時期に応じて現在価値に割り引き、それぞれを合計する方法」、すなわち、「DCF法」による収益価格を試算する場合に、「連続する複数の期間」と「復帰価格の発生時期」をどう定めるかです。
本件信託の原告(長男)の「条件付きの権利又は存続期間の不確定な権利」である受益権について、その期間をどう定めるかということです。その期間が「連続する複数の期間」であり、その終わりが「発生時期」に相当するといえます。ところが、この受益権は、原告(長男)の生存中に限定された権利で、生存期間は誰にもわかりません。そのわからない生存期間ですが、仮にでも定めなければ、収益還元法に基づく受益権評価をすることはできません。例えば、平均余命に基づき、原告(長男)の現在の年齢からその期間を定めるなどの方法によらなければ、上記「不動産鑑定評価基準」に定める収益価格について復帰価格を加え試算することはできません。原告(長男)にとってその期間の長短は、受益権の評価(収益価格)、ひいては遺留分減殺額に影響する重要な関心事項となっているはずです。
控訴審では、定期借地権のような権利とは異なり、期間の定めが明確ではない信託法91条の規定の適用を受ける本件信託の受益権価格をどのように評価したのかを争点とする審理を行い、裁判により一定の基準が形作られることを期待しています。
③ 不動産売買実務での利用例 (参考)
ア 直接還元法
不動産売買営業の現場では、投資検討の初期段階で、投資家は、投資判断をするときに「直接還元法」(一期間の純収益を還元利回りによって還元する方法)を用いて、さらに売買の交渉を進めるかどうかの目安とすることがあります。
この場合は、純収益の計算にあたり減価償却費を含めないことが多く、NOIキャップレートや単にキャップレートといわれます。算式は次のように表されます。
■ 純収益/還元利回り(%)=投資価格(収益価格)
例:300万円(=総収益―総費用)/5%=6,000万円
なお、Jリートは、投資主またはこれからの投資主に向け、運用する投資不動産について、不動産鑑定士の鑑定をもとにNOIキャップレートとして利回り(=純収益/投資価格)を有価証券報告書などで公表しています(不動産売買取引においても初期の検討段階で利用されています。)。
イ DCF法
投資の検討が初期段階からさらに進むと、投資家は「DCF法」(連続する複数の期間に発生する純収益及び復帰価格を、その発生時期に応じて現在価値に割り引き、それぞれを合計する方法)を使い、投資判断をします。
投資家は、将来、いつの時点(例えば、10年)で売却することを想定し、その時点までに、どの程度のインカム・ゲインを得ることができるのか、つまり、投資リターンを想定し、キャッシュフロー・シミュレーションを実施して投資価格(収益価格)を決めることになります。
投資判断シミュレーションをする前提条件の1つである保有期間の長短は、純収益の額に影響し、そのまま投資価格に影響しますので、投資判断を左右します。
④ 信託法91条における受益権評価に役立つ可能性のある改正民法
立法者は信託法91条における受益権評価を最終的には判例に委ねていると解されます。ここでその評価の参考になる可能性があるのが令和2年(2020年)4月1日から施行される改正民法で新設される「配偶者居住権」の制度があります。現状では必ずしも全容が明らかではないため詳述できませんが、配偶者が相続開始時に居住していた被相続人所有の建物を対象として,終身(または一定)期間,配偶者に建物の使用を認めることを内容とする法定の権利(配偶者居住権)が新設されます。遺産分割における選択肢の1つとして、被相続人の遺言等によって配偶者に配偶者居住権を取得させることができるようになります(※4)。
この権利は、生存する配偶者の死亡時に消滅する権利ですから「条件付きの権利又は存続期間が不確定な権利」(民法1043条2項)といえ、この点で本件信託でいう第一順位・受益者の有する受益権と共通しています。配偶者居住権の制度は、少なからず社会的ニーズがあるものと見られるため、生存する配偶者の死亡時に消滅する権利である配偶者居住権の評価(時価評価)が裁判で明らかにされるのでは制度として利用しにくくなってしまいます。したがって、そうならないよう相続開始時に一般的に利用可能な措置が取られた上で、改正民法は施行されるものと推測されます。このときの措置が受益権の評価の参考となり、役立つことになるのではないかと期待しています。
※4 法務省HP http://www.moj.go.jp/content/001263589.pdf 参照。この説明パンフレットには「配偶者居住権の価値評価」について「簡易な評価方法」の法制審議会民法(相続関係)部会において平成29年3月28日第19回部会会議資料より事務当局が示した考え方(注1)が示されています。配偶者居住権の価値(=建物敷地の現在価値−負担付所有権の価値(注2))を算出するにあたり、次のように記されています。
(注1)相続人間で、簡易な評価方法を用いて遺産分割を行うことに合意がある場合に使うことを想定したものであるが、不動産鑑定士協会からも一定の合理性があるとの評価を得ている(下線・太字は筆者)。
(注2)負担付所有権の価値は、建物の耐用年数、築年数、法定利率等を考慮し配偶者居住権の負担が消滅した時点の建物敷地の価値を算定した上、これを現在価値に引き直して求めることができる(負担消滅時までは所有者は利用できないので、その分の収益可能性を割り引く必要がある。)(下線・太字は筆者)。
上記(注2)の計算例として生存する配偶者の年齢から平均余命を考慮した期間を設定し、割引率を使って負担付所有権の現在価値を計算しています。
2 受益権
(1)定 義
「「受益権」とは、信託行為に基づいて受託者が受益者に対し負う債務であって信託財産に属する財産の引渡しその他の信託財産に係る給付をすべきものに係る債権(以下「受益債権」という。)及びこれを確保するためにこの法律の規定に基づいて受託者その他の者に対し一定の行為を求めることができる権利」と定義しています。受益権は、受益債権とそれ以外の受益権から成る権利であることがわかります。
この規定によれば、受益権の内容は、信託行為で定めることができますので、その内容によって受益権の価値は異なることになると考えられます。したがって、受益権の評価をするときは、一般的にその価値の違いを評価に反映させることになると考えられます。本件信託の受益権には次のような制約が付されています。
(2)本件信託の受益者(長男)が有する受益権に付された制約(裁判のサマリーからの抜粋)
① 長男は、その死亡時までという受益権、すなわち、その死亡時に消滅する受益権を有している。
② 原告(長男)の相続人は、受益権を取得することができない。
③ 受益者の意思決定は、信託法105条の規定にかかわらず、A(二女)が行う(信託法105条1項ただし書)。
④ 受益者が複数となった場合は、受益者が他の受益者にその受益権持分の一部もしくは全部の取得を請求するときの受益権の価格は、最新の固定資産税評価額をもって計算した額とされる。
⑤ 長男は、新受託者の選任に関する意思表示ができない。
⑥ 信託金銭の払渡請求は単独ではできない。
⑦ 信託の解約に関する意思表示ができない。
3 受益権を収益価格で評価することの難しさ
これまで見てきたように、後継ぎ遺贈型受益者連続信託(信託法91条)における受益権は、現状では一般的にその評価方法が確立されている状況にないことがわかります。聞くところによると、不動産鑑定士の間でも一般的にこの議論はこれからのようです。当事者およびそれを支援する専門家にとって、信託法91条を活用するには大きな負担とリスクをともなうものであることを標記東京地裁判決によって裁判前から既にわかっていたことが改めて判決で確認できたといえるのではないでしょうか。
したがって、繰り返しになりますが、現状では、信託法91条の規定の適用を受ける信託は、遺留分侵害の争いを生じさせないよう配慮されたケースか、遺留分侵害をめぐる争いが生じないケース(共同相続人が遺留分侵害を主張するつもりのないケース)以外は、実際の活用は難しいと言わざるを得ません(前掲※3参照)。
以上のように、改正信託法で導入された後継ぎ遺贈型受益者連続信託(信託法91条)は、今後、解決しなければならないことがあることを前提に、スタートした制度であることに留意しておく必要があります。
Ⅸ 相続税法における受益権課税の取扱い(※5)
まず、本件の被相続人Bさん(当初受益者)が死亡した時の信託財産に係る受益権は、第一順位・受益者(長男ら)の受益権の価格(収益還元法による収益価格)と第二順位・受益者(二男の子ら)の受益権の価格(評価額)の合計となることを確認しておきたいと思います。
次に、被相続人・Bさん(委託者兼当初受益者)の死亡時にその有する受益権が消滅し、その相続人である原告(長男)が取得した受益権の相続税法による評価(相続税法11条の2・22条)を見ていきます。
相続税法第1章第3節「信託に関する特例」の規定の中には「受益者等」と「信託に関する権利」という用語が出てきますが、以下、本稿で前者を「受益者(受益者としての権利を現に有する者)(相続税法9条の2第1項)」とし、相続税法(相続税法基本通達を除きます。)に受益権という用語は見当たりませんので、後者を「受益権」と考えていただければ結構です(※6)。
本件信託の後継ぎ遺贈型受益者連続信託の原告(長男ら第一順位受益者)の受益権は、相続税法9条の2第2項と同法9条の3の規定の適用を受けます(※7)。以下、これら各条文に本件信託を当てはめて見ていきます。
※5 相続税法に加え、所得税法、地方税法、消費税法における受益者への課税関係については、拙著「問題解決のための民事信託活用法-不動産有効活用、相続対策、後継者育成・事業承継対策、空き家対策等の視点から-(新日本法規刊)」第2章(信託税制)を参照
※6 詳細は前掲書・第2章・信託税制(相続税法)P308―309参照
※7 相続税法9条の2、9条の3において、信託法の定める受益権は「信託に関する権利」および「受益者連続型信託に関する権利」という形で表現されています(その理由は※5参照)。
1 相続税法9条の2(贈与又は遺贈により取得したものとみなす信託に関する権利)第2項の規定の適用
相続税法9条の2第2項の規定の適用要件(条文の抜粋)を、「◆印の右側」に、要件事実を、「⇒印の右側」に記載し、同規定の定める適用要件に要件事実その他をあてはめて検討してみます。
◆ 受益者等の存する信託について
⇒ 相続開始時にBさんという受益者は死亡していますが、下記➁(長男、二男および二女)や③(元本受益者(下記※11参照)であると推定した場合)という受益者が存する信託であり、受益者連続型信託(相続税法9条の3)として信託は終了せず、継続しています。相続税法9条の2第2項はかっこ書で「(当該受益者等であつた者の死亡に基因して受益者等が存するに至った場合には、遺贈)」と規定し、Bさんはかっこ書内の「当該受益者等」に該当すると解されます。
◆ 適正な対価を負担せずに新たに当該信託の受益者等が存するに至った場合(相続税法9条の2第4項の規定の適用がある場合を除く。)
⇒ 相続開始時には対価を負担せずに新たに受益権を取得する受益者(相続税法において受益者は「受益者としての権利を現に取得する者」をいいます。)・原告(長男)が存するに至ります。上記条文のかっこ書は、信託が終了する場合を意味し、この場合を除くことを意味しています。本件信託はBさんの死亡によっても終了せず、信託が終了する場合には該当しません。
◆ 当該受益者等であつた者の死亡に基因して受益者等が存するに至った場合
⇒ これは本件信託のBさんの死亡に基因して長男という受益者が存在するに至った場合に該当します。
◆ (当該信託の受益者等となる者は、)(かっこ書・筆者)当該信託に関する権利を当該信託の受益者等であつた者から遺贈により取得したものとみなす。
⇒ 原告(長男)は受益権(信託に関する権利)を受益者であったBさんから遺贈により取得したものとみなされます。
以上により、本件信託は相続税法9条の2第2項の規定の適用を受けることとなって、長男の取得した受益権(信託に関する権利)(※8)は遺贈により取得したものとみなされます。また、同項に該当する場合は、下記2の同条6項の適用を受けることになります(相続税法基本通達9の2-3(1)参照)。
※8 相続税法9条の3における「受益者連続型信託に関する権利」です。
2 相続税法9条の2第6項の規定の適用
相続税法9条の2第2項の規定により遺贈により取得したものとみなされる信託の受益権を取得した受益者(長男)は、「当該信託の信託財産に属する資産及び負債を取得し、又は承継したものとみなして、この法律(第41条第2項を除く。)の規定を適用する。」ことになります。なお、この場合、相続税法41条2項の「物納の要件」の規定は適用されません。
3 相続税法9条の3(受益者連続型信託の特例)の規定の適用による受益権の評価
上記1と同様、適用要件(条文の抜粋)を、「◆印の右側」に、要件事実その他を、「⇒印の右側」に記載し、同規定に定める適用要件に要件事実をあてはめて検討してみます。
◆ 受益者連続型信託(信託法91条、89条1項等の適用を受ける信託)に関する権利を受益者が適正な対価を負担せずに取得した場合において(下線部・筆者、以下同じです。)
⇒ 本件信託は信託法91条の規定の適用を受け、その受益権を長男が遺贈により取得(適正な対価を負担せずに取得)した場合(相続税法9条の2第2項)にあたります。
◆ 当該受益者連続型信託に関する権利(異なる受益者が性質の異なる受益者連続型信託に係る権利(当該権利のいずれかに収益に関する権利が含まれるものに限る。)をそれぞれ有している場合にあっては、収益に関する権利が含まれるものに限る。)
⇒ 上記条文の「当該受益者連続型信託に関する権利」に続くかっこ書を解釈するにあたり、次のことを確認しておきましょう。
⇒ 本件信託は「委託者の死亡の時以後に受益者が信託財産に係る給付を受ける旨の定めのある信託」(信託法90条1項2号)でもあります。この受益者(下記➁と③の受益者)は、同号の委託者が死亡するまでは、受益者としての権利を有しません(信託法90条2項本文)。委託者・Bさんの死亡により、長男を含む下記➁と③の受益者(異なる受益者)は、信託契約に別段の定め(信託法90条2項ただし書)がない限り、「受益者としての権利を現に有する者」となり、かっこ書内の「異なる受益者」となります(※9)。
⇒ 下記②と③により、「異なる受益者」が「性質の異なる受益者連続型信託に係る権利(中略)をそれぞれ有している場合」に該当し、「性質の異なる受益者連続型信託に係る権利」に係るかっこ書内のかっこ書「当該権利のいずれかに収益に関する権利が含まれるものに限る。」は下記➁に該当し、同➁は「収益に関する権利が含まれるものに限る。」にも該当します。
※9 本件信託に「別段の定め」はないものと仮定しています。
<信託に関する権利(受益権)>
①甲山Bさん(父)
収益受益権(※10)および元本受益権(※11)を有する受益者(推測)(※12)
※10「信託に関する権利のうち信託財産の管理及び運用によって生ずる利益を受ける権利」を収益受益権といい、この権利を有する者を「収益受益者」といいます(相続税法基本通達9-13)。信託法には収益受益権、収益受益者という用語はありませんが、このような権利を定めることができると解されます。
※11「信託に関する権利のうち信託財産自体を受ける権利」を元本受益権といい、この権利を有する者を「元本受益者」といいます(相続税法基本通達9-13)。本信託においてBさんが信託を終了させる権限を有し、残余財産の帰属先がBさんになっているとすれば、Bさんは元本受益権も有していることになります。信託法には元本受益権、元本受益者という用語はありませんが、これに相当する権利として残余財産受益権(信託法182条1項1号)が考えられます(相続税法基本通達9の2-1)。
※12 参考までに、税務上、収益受益者(※10)と元本受益者(※11)とが異なるものを「受益権が複層化された信託」といいます(相続税法基本通達9-13)。
②長男、二男(甲山家の後継ぎ)、二女
収益受益権と受益権を他の受益者に最新の固定資産税評価額をもって計算した額で譲渡する権利(上記Ⅷ2(2)④参照)を有する受益者
③二男の子ら
収益受益権(上記➁の受益者が死亡した時に取得する権利)および元本受益権を有する受益者(推測)
◆ 当該受益者連続型信託の利益を受ける期間の制限その他の当該受益者連続型信託に関する権利の価値に作用する要因としての制約が付されているものについては、当該制約は、付されていないものとみなす。
⇒ 上記②の受益者(長男ら)が有する受益権(受益者連続型信託に関する権利)は、上記Ⅷ2(2)①から⑦までのような制約が付されています。これらの制約は、当該受益者連続型信託に関する権利の価値に作用する要因となりますが、その制約は付されていないものとみなされ、その当該受益者連続型信託に関する権利は評価されます。
⇒ つまり、上記②の長男らの受益権は、信託財産の時価(相続税法22条)で評価されることになります(相続税法基本通達9の3-1(2)および(注)参照)(※13)。
⇒ このとき上記③の受益者の有すると推測される受益者連続型信託に関する元本受益権は、税務上「零」評価となります(相続税法基本通達9の3-1(3)および(注)参照)。
⇒ 相続税法9条の3は、課税上、受益権に付されるその権利の価値に作用する要因としての制約を1つひとつ分類して評価することの煩雑さを避けることを意図して設けられた規定と解されます。
※13 本件信託における長男の相続税の課税価格に算入される信託に関する権利(受益権)は、財産評価基本通達によることができます。すなわち、本件信託における信託不動産は、同通達に従って、信託されていない不動産と同様の方法で評価することになります。
最終回に向けて~筆者の考える気になる課題~
今後、控訴審で本件信託の有効性が争点となる可能性はあります。また、筆者は受益権価格の評価方法については、争点としてほしいところです。さらに、本件信託においては、委託者(Bさん)と受託者(二男)の合意によって定められた「信託の目的」を果たして達成できるのかという疑問がわいてきます。これも控訴審の争点としてほしいところです。
なぜならば、信託行為(本件は信託契約)に定めを設けているかいないかにかかわりなく、「信託の目的」を達成することができなくなったときに「信託は終了」することになっているからです(信託法163条1号)。
そこで、最終回となる第4回は、本件信託の目的の達成と信託の終了の関係について検討する予定です(2020年1月掲載予定)。
※この記載内容は、著者の個人的見解によるものであり、その内容について読者の皆様方に対し、責任を負うものではありませんので、あらかじめご了承ください。
(2019年11月執筆)
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執筆者
石垣 雄一郎いしがき ゆういちろう
税理士、信託ナビゲーター
略歴・経歴
税理士資格取得後、不動産会社で17年間上場企業の新規開拓や中小企業、個人不動産オーナー向けの営業や新規プロジェクトの立ち上げ支援業務を担当。ダンコンサルティング(株)の取締役を経て、現在は、不動産や株式を主とした民事信託等の浸透に関するコンサルティング業務に従事しながら全国各地からの依頼で信託の実践や活用に関する講演活動も行っている。民事信託のスキームの提案を実施し、不動産会社等にも顧問として信託の活用法を具体化する支援を行っている。
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