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一般2026年05月25日 アスリートの「性別」と遺伝子検査――国内法制との抵触を中心に 一般社団法人日本スポーツ法支援・研究センターからの便り 執筆者:山下胡己

1.はじめに

 2025年9月、東京・国立競技場で開催された世界陸上競技選手権大会において、世界陸連(WA)は女子種目に出場するすべての選手を対象にSRY遺伝子検査を導入した1)
 また、2026年3月には、国際オリンピック委員会(IOC)が2028年ロサンゼルス五輪でも同様の検査を実施すると発表している2)。Y染色体上に存在し男性化に関わる「SRY遺伝子」の有無を調べるこの検査は、口腔粘膜の採取または血液検査によって行われる。WAやIOCは「女子種目における公正さ」や「安全性」の確保を実施理由として挙げている。
 しかし、この検査は、かつて人権上の理由から廃止された性別確認検査の「復活」と評価できるものである。性別確認検査は1960年代に本格化し、1968年メキシコ五輪では全女子選手に義務化されたが、医学的正確性への疑問と人権侵害の批判を受け、国際陸上競技連盟(現WA)は1991年に、IOCも2000年シドニー五輪以降、全選手への実施を廃止した経緯がある3)
 WAやIOCの規則に基づき、JOC及び日本陸連が国内においてこのSRY遺伝子検査を実施・協力するにあたっては、国際スポーツ団体の規則と日本の国内法制との間に抵触が生じないかが問題となる。本稿では、WAの例をベースに、主に個人情報保護法及びプライバシー権の観点から抵触の有無を検討する。なお、2026年4月7日付で「個人情報の保護に関する法律等の一部を改正する法律案」が閣議決定されているが、本稿執筆時点では改正法は施行されていないため、本稿は当該改正を前提とはしていない点に留意されたい。

2. 遺伝情報の個人情報保護法上の位置づけ

 SRY遺伝子検査の結果は、特定の選手に紐づけて取得・管理・利用される情報であり、個人情報保護法上の「個人情報」(個人情報保護法2条1項)に該当する。検査を実施する機関やその結果を取り扱うWA、日本陸連、JOC等は、個人情報取扱事業者として、利用目的の特定・通知(同法17条・21条)や適正取得(同法20条1項)、個人データについては、安全管理措置(同法23条)や第三者提供の制限(同法27条)等の義務を負う。また、仮に日本の検査機関や日本陸連等が取得した検査結果をモナコに本部を置くWAに提供する枠組みとなる場合、同法28条が制限する「外国にある第三者への提供」として、移転先国の個人情報保護制度等の情報提供を伴う本人の同意を得る必要性の有無を検討する必要がある。
 一方で、現行法上、遺伝情報が当然に「要配慮個人情報」(同法2条3項)に該当するわけではなく、法及び施行令が限定列挙する類型に該当する場合に限られる(なお、仮に、該当する場合には、「あらかじめ本人の同意」(同法20条2項)を得て取得する義務がある。)。出場資格の判定を目的とするSRY検査結果は、「要配慮個人情報」の類型から漏れ落ちる可能性がある。しかし、個人情報保護委員会及び経済産業省が策定した「経済産業分野のうち個人遺伝情報を用いた事業分野における個人情報保護ガイドライン」4)が定義する「個人遺伝情報」の要件には実質的に該当し得る。同ガイドラインは遺伝情報を用いる事業者に対し、通常の個人情報保護法とは異なる厳格な取扱いを求めている。SRY検査は直ちに同ガイドラインの適用対象ではないと考えられるが、国内規範が遺伝情報に特別な保護を要請している点は留意に値する。

3. 個人情報保護法上の具体的論点

(1)適正取得と「同意」の真正性
 個人情報保護法20条1項は、「偽りその他不正の手段」による個人情報の取得を禁じている。ここにいう「不正の手段」は、偽りに限定されず、広く社会通念上適正とは認められない方法を含むと解されている。
 この点、本件のSRY遺伝子検査について、選手は形式上、検査の実施及び結果の提供に「同意」した上で受検することになる。しかし、検査を拒否すれば「大会出場権」というアスリートにとって極めて重大で根幹的な利益を失う構造のもとでの同意は、事実上の強制を伴っており、真に任意のものとは評価しがたい。つまるところ、アスリートがアスリートである限りにおいて、「同意」しないという選択肢は事実上取りえないのではないだろうか。
 このように、真に有効な同意を得ることが構造的に困難な状況のもとで遺伝情報を取得する仕組みは、同法20条1項が禁じる「不正の手段」に該当するおそれがあるといえよう。
 日本陸連は2025年8月のステートメントにおいて、「選手に検査を強制せず、その意思を最大限尊重する」としつつ、「検査を拒否し、結果として東京2025世界陸上に出場できない場合でも、当該選手をアスリートとしてサポートする」としている5)。選手の人格を尊重する姿勢として評価はできるが、「強制ではない」という形式と出場を断念せざるを得ないという実質的不利益との乖離の大きさは、同意の任意性をめぐる懸念を完全に払拭するものとはいい難い。
 なお、同意の瑕疵の問題は、取得の場面にとどまらない。個人情報保護法は、個人データの第三者提供(同法27条1項)や外国にある第三者への提供(同法28条)においても本人の同意を要件としているが、上記の構造のもとで得られた同意にはいずれも同様の疑義が及ぶことになる。

(2)検査結果の管理・廃棄
 WAは検査結果について「WAの医療チームのみが入手し、検査後は速やかに廃棄する」としている1)。個人情報保護法22条は、利用する必要がなくなった個人データの遅滞ない消去の努力義務を定め、同法23条は安全管理のために必要かつ適切な措置を講じることを義務づけている。WAの説明は同法22条の趣旨に沿うが、廃棄の具体的な時期・方法・確認手段は明らかにされておらず、同法23条が求める安全管理措置が実効的に講じられているかは検証を要する。

4. プライバシー権侵害の問題

(1)SRY検査結果のプライバシー該当性
 遺伝情報は「究極の個人情報」と呼ばれ5)、個人の生物学的特性の根幹に関わるものとして、プライバシー権の中核に位置づけられる。SRY遺伝子検査の結果も当然にプライバシーとして保護されるべき情報である。
 「宴のあと」事件(東京地判昭和39年9月28日)は、私人間のプライバシー侵害に法的救済が与えられる要件として、(ア)私生活上の事実又は私生活上の事実らしく受け取られるおそれのある事柄であること、(イ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められる事柄であること、(ウ)一般の人々にいまだ知られていない事柄であること、(エ)公開によって当該私人が現実に不快・不安の念を覚えたこと、の4つを挙げており、SRY検査結果が公開された場合にこれらの要件を充たすことに争いはないであろう。

(2)制度構造に内在する推認可能性
 問題は、SRY遺伝子検査の結果それ自体は公開されないとされているものの、本件の構造のもとでは検査結果が直接公開されなくとも、選手の遺伝情報が事実上暴露されてしまう可能性がある点にある。
 WAの規則のもとでは、SRY陽性であれば原則として女子カテゴリーに出場できない6)。このルールが公知である以上、従来女子カテゴリーに継続的に出場してきた有力選手等が突然出場しなくなれば、外部からSRY陽性であることがほぼ一義的に推認されることになる。
 従来のテストステロン値に基づく規制の下では、規制値以下への調整によって出場が可能であり、出場の有無は選手自身の対応にも関わる変動的な事柄であったといえる。しかし、SRY遺伝子検査は変更不可能な二値判定であり、排除は永続的である。「出場しない」という観察事実と「SRY陽性」という生物学的事実とがほぼ一対一で対応することになり、守秘義務を制度上定めたとしても、制度構造そのものに内在する推認可能性によって、選手の遺伝情報が公衆の推測の対象となり続ける。
 このような事実上の暴露を踏まえると、WAの規定は、女子カテゴリーへの出場を希望する選手のうち、検査を受けない又は検査により出場不可となった選手に対するプライバシー侵害を構成し得るものと考えられる。

(3)違法性阻却の可否
 もっとも、WAの側には、女子カテゴリーにおける競技の公平性の確保という目的があり、SRY検査はその達成手段であるとされる。この観点からプライバシー侵害の違法性が阻却される可能性がある。
 この点、競技の公平性確保という目的の正当性自体は否定しがたい。しかし、手段の相当性には疑問が残る。性別確認検査には「競技への有利さがまったくない場合にも不適格者として判断される」という問題が導入当初から認識されていた7)。SRY遺伝子はY染色体上に存在し、通常は男性型の身体的発達を促すものであるが、SRY遺伝子を持っていても身体が男性ホルモンに反応しない体質(完全型アンドロゲン不応症(CAIS))の場合には、男性型の身体的発達が生じず、競技上の優位性も生じない。WA自身、この点を認め、CAISの選手については例外的に女子カテゴリーでの出場を認めている8)。しかし、CAIS以外のDSD(性分化疾患)については、個別の競技上の優位性の有無を問うことなく、SRY陽性であれば一律に排除されることになりかねない。WA自身がSRY陽性と競技上の優位性が同義でないことを認めているにもかかわらず、CAIS以外を一律に排除する仕組みは、目的との関係で手段が過剰であるといわざるを得ない。また、SRY検査は推認構造を通じて選手の最もセンシティブな遺伝情報を事実上暴露するものであり、プライバシー侵害の程度は極めて重大である。過去にもマリア・パティノ選手が、性別検査結果が社会に知られたことにより「陸上競技も、恋人も友人も奨学金も失った」と述べており9)、性別確認検査による精神的苦痛の深刻さは歴史的に裏付けられている。従来のテストステロン値に基づく規制と比較しても、より侵害性の高い手段を選択したことの合理性が問われる。
 なお、WAやIOCはSRY検査の正当化根拠として「安全性」の確保も挙げるが、コンタクトスポーツのような身体的接触のある競技以外については、この論拠は妥当しづらいだろう。
 以上を踏まえると、競技の公平性確保という目的の正当性を認めたとしても、SRY検査という手段の相当性には疑問が残り、プライバシー侵害の違法性が阻却されるとは直ちにいい難い。

5. 今後の課題

 本稿で検討したように、SRY遺伝子検査の国内実施には、適正取得や同意の自由意思性をめぐる個人情報保護法上の問題と、制度構造に内在する推認可能性によるプライバシー権侵害の問題が存在する。とりわけ、検査を拒否すれば出場できないという構造のもとで真に有効な「同意」を取得することが難しいと考えられる以上、WAの規則をそのまま国内で実施することが国内法制と整合するかについては、日本陸連及びJOCにおいて改めて慎重な検討がなされるべきである。
 国際スポーツ団体の規則に従うことと国内法制を遵守することは、いずれも放棄できない要請であり、その両立のための制度設計が求められている。

1)「論点 アスリートの『性別』検査」毎日新聞2025年9月10日東京朝刊。同記事においてセバスチャン・コーWA会長は「女子種目における公正さを保ち、それを推進していかなければならない」と述べ、検査結果については「WAの医療チームのみが入手し、検査後は速やかに廃棄する」としている。(https://mainichi.jp/articles/20250910/ddm/004/070/010000c
2)「五輪女子種目で遺伝子検査導入 IOC、トランス選手の参加認めず」日本経済新聞2026年3月27日。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOKC26C010W6A320C2000000/
3) 性別確認検査の歴史的経緯について、前掲注1)毎日新聞2025年9月10日「論点」所収の解説を参照。
4) 個人情報保護委員会・経済産業省「経済産業分野のうち個人遺伝情報を用いた事業分野における個人情報保護ガイドライン」(平成29年制定、令和6年最終改正、https://www.ppc.go.jp/personalinfo/legal/gentec_data_guideline/#a2-1-1-5)。同ガイドライン第2の1(5)は「個人遺伝情報」を、個人情報のうち試料を用いて実施される事業の過程を通じて得られた個人の遺伝的特徴やそれに基づく体質を示す情報を含むものと定義する。
5)日本陸上競技連盟「『女子カテゴリー』参加資格に関するワールドアスレティックスの新しい規則への対応について」(2025年8月26日、 https://www.jaaf.or.jp/news/article/22466/)。なお、4(1)における「究極の個人情報」の表現は、建石真公子の発言(前掲注1)毎日新聞2025年9月10日「論点」)による。
6)World Athletics, Eligibility Rules (C3.3A), effective 01 September 2025, 規則3.5.4(b)。SRY陽性の選手は、さらなる医学的評価(further medical assessment)を経るまで女子カテゴリーへの出場が認められないとされている。
7)來田享子・田原淳子「トランスジェンダー/インターセックス・アスリートのスポーツ参加をめぐる課題」來田享子ほか『スポーツ指導に必要なLGBTの人々への配慮に関する調査研究 第1報』日本スポーツ協会(2017年)43頁。
https://www.japan-sports.or.jp/Portals/0/data/supoken/doc/lgbt_studyreports/2017/2017_prologue.pdf
8) World Athletics, Regulations for the Implementation of Eligibility Rule 3.5 (C3.5A), effective 01 September 2025。なお、完全型アンドロゲン不応症(CAIS)により男性型の性的発達を経ていない選手及びWAが定める経過措置規定の条件を満たす選手には女子カテゴリーでの出場が認められている。もっとも、経過措置規定については、文字通り「経過的」な性格のものであり、今後の見直しにおいてこの道も閉ざされる可能性は否定できない。
9) 來田・田原・前掲注7)43-44頁。

(2026年4月執筆)

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