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一般2022年01月11日 ハロウィンには「アケオメ」と言おう!(法苑195号) 法苑 執筆者:相場中行

1 元号の法的根拠
 こういう不可解なタイトルを付けたにもかかわらず、まず、「元号」の話をしてみたい。私が弁護士になってから三〇年余りがたつが、弁護士になった当初は、国家という組織や行政行為の根拠は、当然のことながらすべて法律(委任された政令等を含む。)を根拠として定まっているのだと思っていた。ところが、年を経て様々な問題に出くわしてみると、そうとばかりは限らないことがわかってきた。
 例えば、「元号法」という法律があることは広く知られているが、元号法(昭和五四年法律第四三号)は一条のみで、「一 元号は、政令で定める。二 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。」という二項のみからなる。なお、附則として「昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。」とされている。
 まず、この附則はどういうことか、というと、明治、大正、昭和という元号はいずれも「勅令」によって定められている。勅令とは、明治憲法(大日本帝國憲法)第九条に「天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス」と定める「命令」である。明治憲法下では天皇は国家の主権者であるから(第一條 大日本帝國ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス)、勅令は明らかに法源たりうる。ところが、現行の日本国憲法が昭和二三年五月三日に施行されて明治憲法は効力を失ったので、それ以降、厳密には、一九七九年(昭和五四年)までは、「昭和」という元号に法的根拠はなかったことになる。そこで、遡及して「昭和」の元号に法的根拠を与えるために元号法の附則が定められたのである。
 ところが、元号法には「元号」なる言葉の定義はなく、元号法にいう「元号」とは何かは理論的には解釈に委ねられる問題である。しかし、その他の法律にも一切元号に関する規定はなく、元号とは暦年の呼称についての我が国の習俗であると解するしかない。したがって、元号法の存在意義は、勅令に代わって政令で元号を定められるようにしたところにあり、「平成」についても、「令和」についても、新たな元号を定める政令が内閣から発出されている。
 他方、元号法には元号の使用に関する規定も一切ないので、元号法は元号の使用を義務付けたり原則化したりするものではなく、「元号の使用」についての法的根拠とはなりえない。だから、元号法があるからと言って、その制定によって何ら有意な法的効果を見出すことができない。ただ「元号を使う奴は反動的だ!」なんていう非難をかわすことができる、ということなのかも知れない。

2 一年の始期はいつか?
 以上のとおり、元号自体、及びその使用についての法的根拠はないのであるが、元号法一条二項によれば、天皇が薨去又は退位された日(というか新天皇の即位の日)の翌日から新元号になると思われる。平成であれば一九八九年一月七日である。
 では、理屈っぽく考えると、「一九八九年一月七日」ってどういう根拠で決まっているのだろうか。また、そもそも令和三年(二〇二一年)一月一日ってどうやって決められているのだろうか。簡単に言えば、いわゆる「グレゴリオ暦」に従っているということになるが、わが国におけるグレゴリオ暦の導入は、明治五年(一八七二年)太政官布告第三三七号により、同年一二月三日を明治六年一月一日とすることなどが定められたことによる。この改暦(いわゆる「明治改暦」)は、明治政府の財政状況が大きく影響しているらしい。当時利用されていた天保暦は、「天地明察」(沖田丁)で有名な渋川春海(二世安井算哲)が定めた享保暦をベースとするが、いわゆる太陰太陽暦であり閏月がある。だから、明治政府は、官吏に対して、閏年には年一三回棒給を支払う必要があったのである。この年(明治五年)も閏年であり、明治改暦によって政府は合法的に一回分の給与を不払としたのである。どちらにせよ、約三〇日に一回は支払う必要があるじゃないか、と思われるかも知れないが、当時の主たる財源である「地租」の方は年一回だから、国家財政としては、支出を一三分の一抑制することができる。まことにせせこましい話というか、涙ぐましい話であるが、当時の明治政府の財政はそれほどひっ迫していたのである。
 そうなると、明治改暦以前は、西暦一八七二年一二月三一日は明治五年一二月二日ということになり、我々が当たり前のように考えている「今日は二五日だから給料がもらえる!」とか、「今日は結婚記念日だから早く帰らなきゃ!」とか言っているのは、グレゴリオ暦という習俗に基づく単なる共通認識でしかないということになりそうだ。
 ちなみに、当時の明治政府の主たる財源は地租(実質的には年貢を金納化したもの。)であるが、これも明治六年七月二八日に太政官布告で定められた「地租改正法」と「地租改正条例」によっている。
 法律家としては、この「太政官」の根拠も気になるので調べてみたら、慶応四年太政官達第三三一号に基づく「政体書」によって太政官が創設されているのだが、自分で自分の設置を定めていることになる。よく考えてみると、明治二三年一一月に旧憲法が施行されるまでの約二三年間は、近代的な法体系そのものが存在していない。だから、慶応三年にいわゆる王政復古が宣言されたのちは、天皇親政であって天皇が行政権も立法権ももっていたのである。そうなると、この「政体書」は、明治憲法第九条後段の「天皇ハ・・・命令ヲ・・・発セシム」に相当するように思われる。さらにトリビアをご紹介すると、真偽のほどは明らかではないが、明治天皇の先代(父)孝明天皇は慶応二年一二月二五日(旧暦)に急死しているが、これは暗殺(毒殺?)されたという説がまことしやかに唱えられている。あまり合理的根拠はないようだが(原口清「日本近代史の虚像と実像」大月書店)、孝明天皇は、日米通商修好条約の勅許を拒絶したり、第二次長州征伐の勅命を下したり、なにかと政治に口を出す天皇であったことがこの暗殺説の根底にある。赤坂憲雄氏あたりの著作を読むと、天皇は無色透明であるがゆえに永続する政治的装置であるらしいが、そういった理解がこの孝明天皇暗殺説に信憑性を与えている。江戸から明治へ、という歴史の転換点との関係では、このあたりで攘夷運動の理論的バックボーンとなってきた水戸学がその役割を終わらせたということなのかも知れない。

3 メートル条約の拡大解釈?!
 話を元に戻すと、さらに、グレゴリオ暦の採用に何か法的根拠はないのかと思って調べてみたのだが、「時間」については、現在、「国際度量衡局」という機関が定める「協定世界時」によっており、閏年も閏秒もこの機関が定めている。国際度量衡局は、メートル条約(一八七五年)に基づく国際度量衡委員会の下部組織であり、我が国もメートル条約に加盟しているので(一八八五年批准)、これが国際法上の根拠になりそうにも思われる(但しアフリカの一部の国はメートル条約未加盟)。ところが、メートル条約は、「第六条 度量衡万国中央局ハ左ノ事務ヲ担任スヘシ 第一 新製メートル及キログランム原器ノ比較監査ニ関スル事」とあるように、本来重さと長さの統一に関する条約であり、時間について定めることは約されていない。ちなみに、世界で初めてメートル原器とキログラム原器が作成されたのは、一七九九年のフランスにおいてらしい。フランス革命真っ最中にもかかわらず、こんなことをしているのはびっくりというほかない。他方、メートル条約においては、「第一条 締約諸国ハ共同ノ費用ヲ以テ度量衡万国中央局ヲ設立維持シ巴里府ニ之ヲ常置シテ以テ学術上ノ事ヲ司トラシムヘシ」とあるので、この「度量衡」の拡張解釈として時間も定めているという拡張解釈は不可能ではない。このあたりは調べてもよくわからないが、アインシュタインの一般相対性理論によると、時間と空間は不可分らしいからよくわからないが時代には合致しているのかも知れない。
 いろいろ調べてみたが、一年とか、暦日とかが現在のように定められた(実は「定め」はないのだが・・・)のは、一五八二年一〇月一五日にユリウス暦の改定の結果としてグレゴリウス暦が制定された、という歴史的経緯に基づくものというほかない。だから、一年の始まりが一月一日となっているのも、地球が太陽の周りを公転する位置と言った科学的根拠に基づいて定義することは難しそうだ。
 結局、元号についても、グレゴリオ暦についても、いずれも習俗であって、何ら法的根拠も歴史的根拠も見出すことはできない。実際に、いわゆる旧暦(太陰太陽暦)の新年は「春節」であるが、春節なら習俗にすぎないが、我々弁護士が準備書面とか訴状に記載している日時も、実際は習俗に基づくものだ。グレゴリオ暦と全く異なるものとしてイスラム暦があるが、これは完全太陰暦で、一か月は二九日の小の月と三〇日の大の月が交互にあらわれ閏年も閏月もない。したがって、一年は三五四日しかないから、太陽と地球の相関関係という観点からすると、毎年元旦つまり新年の初日は変わっており、三〇何年かたつとグレゴリウス歴との乖離が一周して、一年くらいの差になってしまう(イスラム歴の方が一年多い・・・)。

4 ハッピー・ハロウィン!
 話は突如雑駁になるが、最近では一一月になると渋谷のハロウィンが世界的に有名になっていて、コロナ禍前は世界中から観光客を集めていたようだ。ということで、渋谷では若者たちが凝ったコスチュームに身を包んで「ハッピー・ハロウィン!」などと言い合っているが、これは本来「ハッピー・ニュー・イヤー!」という意味らしいから、最近の若者の言葉で言えば、「アケオメ!」(もちろん、「明けましておめでとうございます。」の短縮形です。)と言うべきなのである。
 東京女子美術大学教授の鶴岡真由美氏の「ケルト 再生の思想」(ちくま新書)によると、ハロウィンの原型はケルトの「サウィン」という習俗にある。そもそも、ケルトの暦では一年を四つの季節に分け、サウィン(ハロウィン)である一一月一日は、死の季節である冬の始まりとされ、かつ新年の始まりである。だから、我々にとっては、一一月一日はハロウィンだが、ケルト暦では、ハロウィン(サウィン)は一月一日なのである。
 ケルトの人々にとっては、一年の始まりは生者と死者が混在する闇から始まるのであり、生者と死者が「共食」することによって生者は死者から活力を付与され、冬至を境として世界が再生され豊穣がもたらされる。これが、ハロウィンにおける「トリック オア トリート!」の起源らしい。ケルト人の一部族といわれるブリトン人の遺跡としては、ストーンヘンジが有名であるが、どうも墓地であったという説が有力である。そして、ストーンヘンジは冬至の日に太陽が昇る方向を向いているらしく、このあたりにもケルト人の死と再生の思想を読み取ることができる。
 他方、イギリスには本来ブリトン人が居住していたが(フランスでブリトン人が居住していたのが「ブルターニュ」である。)、アングロサクソン人の侵入を受けて(いわゆるノルマンコンクエストの前に!)、ウェールズとかスコットランドに押し込まれたという歴史がある(桜井 俊彰著「物語 ウェールズ抗戦史」集英社新書)。鶴岡前掲によれば、有名な「アーサー王」もブリトン人であり、ケルト文化の中では冥界の王たる立場にあるらしい。ハロウィンの宗教上の根拠としては、ローマ教会によって「諸聖人の日」と定められたことにあるが、その起源は結構古くて四世紀くらいまでさかのぼることができる。ところが、英国国教会成立後であるが、エリザベス女王(一世)はハロウィンを禁止する勅令を出している。さらには、この当時プロテスタントでは、ハロウィンは異教の習俗であるとしてこれを認めていなかったらしい。このことは、アングロサクソンとかノルマン人が(異教徒である)ブリトン人の居住圏を征服した、という歴史を考えるとよく理解できる。

5 火あぶりにされたサンタクロース
 ところで、社会学者のレヴィ・ストロースに「火あぶりにされたサンタクロース」(角川書店)という著書がある。この本は、講演録に基づいたわずか七〇頁ほどの書籍であるが名著というほかない。中沢新一氏が翻訳し、二〇一六年に同氏の肝いりで再版されている(原著は一九五二年出版。)。この書籍は、一九五一年にフランスのディジョンにおいて、聖職者(多分カソリック?)が、クリスマスの日にサンタクロースが子供にプレゼントするという習慣は異教的な習俗であるとして、サンタクロースの人形を火あぶりにしたことを契機として起草された小論文である(講演を依頼したのは、なんとサルトル!)。
 クリスマスが、民俗的な冬至における習俗を宗教化したものであることは広く指摘されているが、レヴィ・ストロースによれば、クリスマスはハロウィンと対をなす行事であるらしい。ハロウィンは死者を饗応することにより世界の秩序を維持する祭祀であり、それ故聖的な存在である子供が死者に成り代わって饗応を強要する。これに対して、死者の世界からは、冬至の日に現世に祝福を与え、再生のエネルギーをもたらすことにより、太陽再生のサイクルが維持されることになる。だから、サンタクロースは、黄泉の大君であり、死者の世界に饗応をもたらした子供に祝福を与えることによって世界に秩序をもたらす(ためのエポックを担う)トリック・スターなのである。そういう意味ではケルト神話のアーサー王、秋田のナマハゲも同義の存在であり、すべて「鬼」にカテゴライズされる存在である。ちなみに、「火あぶりにされたサンタクロース」は、サンタクロースはそのような存在であるがゆえに、火あぶりにされることは本来の存在理由に合致するのであって、フランスの聖職者たちは、サンタクロースを糾弾するためにサンタクロースの希望を叶える結果となったのだ、という落ちで終わっている。
 こういった一年という周期の中での死と再生は、ケルト文化においては、サンタクロースのように象徴的存在ではなく、リアルに想像できる観念だったようだ。すなわち、ケルト人の居住地区であるガリア・ブリテンにおいては、おそらく十分な人口を維持できるだけの生産力はなく、サウィンにおいて「共食」した共同体の構成員が、春の訪れまで全員生き延びることは期待できなかったらしい。鶴岡前掲によれば、サウィンはまた戦争の開始を告げる季節だったらしい。マーヴィン・ハリス著「ヒトはなぜヒトを食べたか」(早川書房)にも、ある未開(あまり好きではない言葉だが・・・)の部族においては、集落が発展してある聖域に達すると、なんら理由はないまま隣の部族に戦争を仕掛けるという話が収録されている。これは、聖域の内側が当該部族を維持する生産性の限界であることを意味しており、トリック・スターである首長と戦士たちは、義務として聖戦を行わなければならない。つまり、戦士たちは、死ぬために戦争をするのである。別に戦争に賛成するわけではないが、国家という呪術的装置の利益のための近世・近代の戦争とは全く異なっており、上述の戦争は、生物学的にも民俗的にも部族の維持のための機能(目的ではない!)を担っている。「楢山節考」のような姨捨に比してはるかに複雑な文化的仕掛けであると言わざるを得ない。
 そう考えてみると、ケルトの人々が死の季節である冬の始まりをもって新年とすること、さらには、その開始時点において、死者と共食することはよく理解できる。ケルトの人々にとっては、死の季節の始まるサウィンの時点で、共同体にはまさに死者と生者が入り混じっていたと認識されていたのである。だから、死は始まりでありそれによって共同体が維持されるのであって、死者は生者のためにあり、生者は死者のためにあるということになる。ハロウィンで「トリック オア トリート!」というのも、深読みすれば、戦士は共食によってはじめて共同体を維持するための聖なる職務を遂行することができるのだから、饗応がなければ「トリック」となるのも理の当然である。

6 ワルキューレの騎行
 以上の話を読んだときに、直ちに思い出したのが「ワルキューレの騎行」である。
 このワーグナーの楽劇は、北欧のエッダやサガからモチーフを得ているらしいが、ワルキューレは、本来北欧神話における「戦死者を運ぶ者」であり、戦場における死者を定める女神である。ニーベルンゲンの指輪についてはギリシャ神話からの影響などが広く指摘されているが、ノルド人の神話とケルト神話との親和性があったとしてもなんの不思議もない。そう考えると、ハロウィンにおける子供たちは、死の女神の同義体であり、サンタクロースと表裏一体の存在ということになるのだが、このあたりを民俗学の文献に遡って論証する知力がないことを恥じ入るばかりである。
 ワルキューレの騎行というと、もう一つ思い出すのがフランシス・フォード・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」である。この映画自体は、コンラッドの「闇の奥」が原作であるが、名優ロバート・デュヴァル扮するキルゴア中佐の騎兵隊(と言ってもヘリコプター部隊)が、むやみやたらにベトコンの潜むジャングルに向かって発砲するシーンで、ワーグナーのワルキューレの騎行が印象的かつ効果的に使われている。確かに、このシーンでキルゴア中佐は死を運ぶ女神であり、天空からランダムに死をばらまいており、ワルキューレの騎行はうってつけの楽曲である。おそらく、コッポラの意図もそのあたりにあると思われる。このパラダイムからすると、大帝国アメリカに果敢に立ち向かったベトコンや北ベトナムの兵士たちは、「サウィン」における戦士の役割を担っていることになる。そう考えると、いまさらケルト神話の普遍性に驚くほかない。我々日本人が平和ボケして久しいが、つい五〇年前のベトナムのジャングルの片隅では、生者と死者の共食が現実に行われていたのである。

(弁護士)

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