一般2026年09月09日 車の「表情」(法苑WEB連載第27回)執筆者:重富智雄 法苑WEB

車を運転していると、ときどき、前後左右を走る車と、もう少し会話ができればよいのにと思うことがある。
もちろん、運転中に窓を開けて話しかけるわけにはいかない。相手の顔が見えないことも多い。こちらから見えるのは、車体の形と、速度、車間距離、ウィンカー、ブレーキランプなどである。
それでも、道路の上では、車同士の間で実に多くのやり取りが行われている。
合流地点で速度を緩め、前に入れてくれる車がある。狭い道路ですれ違うために、少し手前で待ってくれる車がある。駐車場から道路に出ようとしているときに、車間を空けてくれる車もある。
そのようなとき、運転者としては、当然「ありがとうございます」と伝えたくなる。
そこで使われることが多いのが、いわゆる「サンキューハザード」である。道を譲ってもらった後、ハザードランプを一、二回点滅させ、感謝を示す。法令上、感謝を伝えるための装置として定められたものではないが、実際の道路では、かなり広く意味が共有されているように思う。
対向車同士でライトを短く点滅させる、いわゆるパッシングもある。道を譲るために使われることもあれば、「こちらが先に行く」という意思表示に使われることもある。夜間であれば、ライトを一時的に消すことで道を譲る意思を示すこともある。
こうした合図は便利である一方、意味が一つに定まっていない。
パッシングを「どうぞ」と受け取る人もいれば、「こちらが先に行く」と受け取る人もいる。同じ動作が正反対の意味に理解される可能性があるのだから、冷静に考えれば、かなり危ういコミュニケーションである。
クラクションも同様である。日本では、クラクションを鳴らすと、相手に抗議している、あるいは危険を警告していると受け取られることが多い。短く鳴らして感謝を示す人もいるが、鳴らされた側が、それを感謝ではなく威嚇と受け取る可能性もある。感謝を伝えたつもりが、相手を不快にさせてしまっては、何のための合図なのか分からない。
その点、東南アジアなどを訪れると、クラクションの使われ方の違いに驚かされることがある。
道路では絶えずクラクションの音が聞こえるが、必ずしも運転者同士が怒っているわけではない。狭い道や見通しの悪い場所で「これから通ります」と自分の存在を知らせる音、前を走る車や二輪車に「横を通ります」と伝える音、発進を促す音、知人に気付いてもらうための呼びかけの音など、同じクラクションが様々な意味で使われているように見える。
短く一度鳴らす場合と、二度続けて鳴らす場合、長く鳴らす場合とでは、受け取られ方も違うのだろう。現地の運転者は、音の長さ、回数、車の位置や速度、その場の状況を組み合わせて、自然に意味を読み取っているように感じられる。
日本の感覚で聞くと、道路全体が騒がしく、皆が苛立っているようにも思える。しかし、しばらく眺めていると、それらの音の多くは、怒りの表現ではなく、自分の存在や次の動きを知らせ、互いの行動を調整するための合図なのではないかと思えてくる。
一つの警音器だけで、それほど多義的なコミュニケーションが成り立っていることは、非常に興味深い。
もっとも、こうした交通文化を、そのまま日本に持ち込めばよいということではない。日本ではクラクションを鳴らすこと自体が強い意味を持つため、同じ音を鳴らしても、善意には受け取られないだろう。合図の意味は、装置の機能だけで決まるのではなく、その社会で長い時間をかけて形成された共通理解によって決まるからである。
考えてみれば、車には、人間でいう「表情」がほとんどない。
人と人とが向き合っていれば、軽く頭を下げるだけで感謝を示すことができる。手のひらを見せれば「どうぞ」と伝えられる。困ったような表情をすれば、相手も事情を察してくれることがある。
ところが、車を一枚隔てると、こうした微妙な表現はほとんど伝わらない。
後続車が車間距離を詰めてきても、その人が単に急いでいるのか、運転の癖なのか、こちらに何かを知らせようとしているのかは分からない。急病人を乗せている可能性もあれば、ただ苛立っているだけかもしれない。しかし、前を走る車から見えるのは、接近してくる無表情な車体だけである。
そこで私は、車同士がもう少し穏やかに意思疎通できる仕組みがあってもよいのではないかと思っている。
例えば、後方や前方に向けて、「ありがとう」「お先にどうぞ」「急いでいます。可能であれば道を譲ってください」「ライトが点いていません」「タイヤに異常があるようです」といった限られた内容を、簡単な記号で表示する仕組みである。
文章をそのまま表示すると、相手が読み取ることに意識を奪われるおそれがある。言語が異なれば通じない。好きな文章を自由に表示できるようにすれば、罵倒や挑発に使われる可能性もある。
したがって、表示内容は少数の定型的な記号に限定し、操作もハンドルから手を離さず、一度の操作で終わるようにする必要があるだろう。長く表示せず、周囲の安全を損なわない設計も必要になる。
そのようなことを考えるようになったきっかけの一つが、ハワイで見た「シャカ」の文化である。
親指と小指を立てたシャカのポーズは、ハワイでは実に様々な場面で使われている。ありがとう、こんにちは、気にしないで、大丈夫、よろしく、といった多義的な意味を持ちながら、どの場面でも、相手に対する親しみや善意が伝わってくる。
交通の場面でも、道を譲ってもらった運転者が窓から手を出してシャカを作る。譲った側もシャカを返す。そのやり取りには、堅苦しい礼儀でも、過剰な遠慮でもない、明るく感じのよい雰囲気がある。
東南アジアのクラクションと、ハワイのシャカは、一見すると対照的である。
一方は、街中に響く音によって自分の存在や意図を伝える。もう一方は、静かな手の形によって感謝や親しみを伝える。しかし、どちらにも共通しているのは、一つの簡単なサインに複数の意味を持たせながら、その場の文脈と共有された文化によって意思疎通を成立させていることである。
特に、シャカの優れているところは、意味が厳密に一つに定まっていないことが、かえって長所になっている点である。
法律文書であれば、一つの表現が複数の意味に解釈されることは避けなければならない。しかし、人と人との日常的なコミュニケーションでは、必ずしも意味を一つに絞る必要はない。「あなたに敵意はありません」「好意的に受け止めています」という大きな方向性さえ共有できれば、十分なこともある。
道路上のコミュニケーションにも、このようなサインが必要なのではないか。
車の運転では、わずかな行き違いが苛立ちを生み、その苛立ちが危険な運転につながることがある。相手の意図が分からないために、「割り込まれた」「邪魔をされた」「あおられた」と受け止めてしまうこともある。
しかし、相手から「ありがとう」という合図が一つ返ってくるだけで、受け止め方は大きく変わる。合流してきた車に対して一瞬抱いた不満も、感謝を示されれば、それだけで収まることがある。
逆に、道を譲ってほしい場合にも、威圧的に車間距離を詰めたり、何度もパッシングをしたりするのではなく、「事情があって急いでいます。可能であればお願いします」という意味の穏やかなサインがあれば、譲る側の受け止め方も違うだろう。
さらに、車の異変を知らせることができれば、安全にも役立つ。「給油口のふたが開いている。」「荷物が落ちかけている。」「タイヤの空気が抜けているように見える。」「夜なのにライトが点いていない。」などが伝われば、事故が起きる前に対処することも可能になる。
現在は、こうした異変に気付いても、相手に知らせる方法がほとんどない。クラクションを鳴らしたり、パッシングをしたりしても、相手には何を伝えたいのか分からない。むしろ、あおられていると誤解されるかもしれない。
もちろん、車同士の新しいコミュニケーション手段を作ることには、難しい問題が多い。
交通標識や信号と同様、地域ごとに意味が違っていては危険である。自動車は国境を越えて製造され、利用されるため、本格的に普及させるには、世界的に意味を統一することが望ましい。しかし、文化や交通事情が異なる国々の間で、共通の規格を作ることは容易ではないだろう。
同じクラクションの音であっても、ある国では日常的な呼びかけとして受け止められ、別の国では強い抗議として受け止められる。ハワイで自然に通じるシャカも、その文化を知らない地域では、同じ感覚では理解されないかもしれない。世界共通のサインを作るためには、形や色を決めるだけでなく、人々がそれをどのような感情で受け止めるかまで考えなければならない。
そもそも、安全運転のためには、運転以外の余分な操作や情報を増やさない方がよいという考え方もある。表示を見ることに気を取られたり、合図を送ることに夢中になったりすれば、本末転倒である。
また、どれほど感じのよいサインを作っても、使う側の善意がなければ、威圧や嫌がらせの道具に変わってしまう可能性はある。結局、必要なのは装置だけではなく、それをどのように使うかという交通文化なのだと思う。
それでも、私は、車が今より少しだけ「表情」を持つ未来に期待している。
自動運転や運転支援技術は急速に進歩している。車が障害物を検知し、周囲の車と位置や速度の情報を交換する技術も発展していくだろう。その技術の一部を、人の気持ちを伝えるために使うことはできないだろうか。
事故を防ぐための技術だけでなく、譲り合いや感謝を増やすための技術があってもよい。
いつの日か、国や言語を問わず、道路上で「ありがとう」「どうぞ」「困っています」が穏やかに伝わる共通のサインが生まれるかもしれない。
それが、東南アジアのクラクションのように状況に応じた意味を持ち、ハワイのシャカのように多少意味が曖昧でも善意として受け止められるサインであれば、道路の風景は今より少し優しいものになるのではないかと思っている。
(弁護士)
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執筆者

重富 智雄しげとみ ともお
弁護士(丸の内中央法律事務所)
略歴・経歴
平成20年 慶應義塾大学商学部卒業
平成23年 中央大学法科大学院卒
司法研修所 入所(第65期)
平成24年 東京弁護士会登録
平成25年 HOYAサービス株式会社入社
平成28年 丸の内中央法律事務所入所
[主な著書]
『不動産損害額・評価額算定事例集』(新日本法規出版)共著
『こんなところでつまずかない!弁護士21のルール』(第一法規株式会社出版、平成27年)共著
『取引先とのトラブル対応』(ビジネス法務平成27年10月号)
『Specialist Eyes』(法曹養成と臨床教育 No.9、平成28年)
『退職のプロが教えます!会社のきれいなやめ方』(自由国民社、令和2年)共著
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