民事2018年12月17日 身体拘束をしないこと 発刊によせて執筆者より 執筆者:厚東知成
平成30年11月、国立ガン研究センターと東京都医学総合研究所の研究チームは、全国937カ所の一般病院で認知症かその疑いのある入院患者2万3539人のうち、45%の1万480人が身体拘束を受けていたと公表し、全国紙の紙面でも大きく取り上げられた。拘束の理由としては、転倒や転落のリスク、チューブを抜くリスク(あるいは実際に抜いた)等が挙がっている。精神科と違い一般病院での身体拘束に関して法律上明確な規定がなく、これまで現場での医師や看護師の判断に委ねられてきた。その実態については不透明だったが、認知症者への身体拘束が常態化している現状が浮き彫りになった。この調査結果を踏まえて、一般病院での身体拘束の要件についても、今後は法制化の議論が活発になされるだろう。しかし法律等による「お墨付き」を得たとしても、それは認知症者に対する医療の質を向上させることに直結しないと考えられる。
たとえば一般病院ではなく、筆者のような精神科医が勤務している精神科病院ではどうか。精神科病床における身体拘束は、「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(以下、精神保健福祉法)」によって規定されている。すなわち精神保健指定医が診察し、①自殺企図又は自傷行為が著しく切迫している場合、②多動又は不穏が顕著である場合、③①又は②のほか精神障害のために、そのまま放置すれば患者の生命にまで危険が及ぶおそれがある場合に、患者は身体拘束の対象となる。そして身体拘束は、代替方法が見出されるまでの間のやむを得ない処置で、できる限り早期に他の方法に切り替えるよう努めることが求められている。
しかし法律上の規定と現実の運用には、乖離がないとは限らない。精神科病床では法律の規定あるがゆえに、むしろ身体拘束を許容するような空気はないだろうか。精神保健指定医の判断に客観性や公平性は保たれているか?現場の都合に合わせた拘束になっていないか?精神科病床で行われている身体拘束には、これまでも疑念が向けられてきた。これに対して第三者の目を確保し、精神科医療の透明性を公に示すことが喫緊の課題になっている。一般病院での身体拘束でも同様に、根拠となる法律の有無だけではなく、法を公正に行うためのシステムを構築することが大切である。そして何よりも大切なのは、「どのような条件で拘束を許可するか」ではなく、「どのようにして拘束をなくすか」が問題だということである。
とくに認知症者が置かれている立場は、現在の医療体制の中で極端に弱いと言わざるを得ない。仮に不服申し立ての制度があったとしても、自らの意思と能力でそれを利用することが可能な人はほんの一握りだ。精神保健福祉法に基づいた入院では、自分の置かれた処遇に納得がいかない場合、患者は地域の精神保健福祉センター等に電話で苦情を訴えることができる。また書面をもって、都道府県知事に退院請求や処遇改善請求を行うことができる。しかし記憶や理解、言語に障害があり、そもそも電話機のボタンが押せない、字を書くことができない認知症者にとって、これらは意味がある制度とは言えない。権利の侵害があった時に、それを回復する手段を持たないのが、認知症者の抱えている「弱さ」の最たるものである。そうである以上、認知症者に対しては、最初から行動に制約を加えないような制度設計が求められているのではないか。
認知症病棟に関して言えば、そもそも拘束具を置かない、隔離室を作らないことがもっと評価されて良い。現在筆者の勤務する病院には、そのどちらも置いていない。身体拘束や隔離の手段が無いなら無いで、それを前提に医療・ケアのスタッフが患者の不穏への対応に知恵を絞ってきた歴史がある。当然、歩行機能が低下しているにもかかわらず、精神症状が活発で落ち着かない患者も数多く入院している。身体拘束をしない以上、転倒や転落、患者同士のトラブルといったリスクがゼロにはならない。大事なのは入院時から、これらのリスクについて患者本人や家族と十分に話し合っておくことだと考える。誰しも身体を結え付けられて、気持ち穏やかに苦痛なく過ごすことはできない。むしろ拘束具に抵抗してさらに興奮もするし、認知機能の低下は進み、四肢の筋肉も萎えていく。
議論の前提に据えるべきことは、認知症者の身体拘束や隔離について、認知症でない人以上に厳重な妥当性のチェックが必要だということ。また身体拘束ができないような環境自体を整備していくことである。法律から拘束具まで、手段が目の前にある以上、最後はそれに依存してしまうのは人の常なのだから。
(2018年12月執筆)
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