一般2007年07月04日 司法より行政に権力がある 日本人弁護士が見た中国 一般社団法人日中法務交流・協力日本機構からの便り 執筆者:菅原哲朗
1 【法規範の意識】
法は裁判官が判決を下す際の基準たる「裁判規範」としての役割だけでなく、庶民が日々の生活を安心して過ごす常識(ルール)としての「行為規範」の役割もある。
日本人の生活行動パターンを見ると、国が立法した法律や規則を厳格に守るべきだ、との意識が社会に根付いているのが分かる。例えば、車も歩行者も赤信号は止まれであり、青信号は進めだ。契約書面が無くても、言葉で一々確認しなくても、自分は法律を守るし、全く知らない取引相手も法律を守るはず、との無意識の相互信頼が日本人同士にはある。
上海の合弁企業で働く日本人ビジネスマンから私が最初に教えられた言葉が「上有政策、下有対策」(上に政策有れば、下にも対策がある)だった。その意味するところは、国家が法律で国民に義務を強制しても、庶民の知恵で抜け道を見つけ出し、理不尽な義務を逃れる生きる術をあらわしている。一例を挙げると上海だけでなく、中国各都市で何時でもどこでも見かける光景だが、自動車のために信号があると言わんばかりに中国人歩行者は赤信号でもお構いなく、車を避けながら平然と道路を渡るのだ。
大連駐在の日本人はトラブルを解決するには、中国人弁護士に依頼して法廷で解決するより、行政機関で働く中国人友人に頼んだ方が早くて役に立つ、と体験を述べた。中国ではビジネスを円滑に進めるには現実的な人脈が重要だ。人間関係も大切だが、まず法律を守ろうという日本的な商慣習は役に立たない、と同じ合弁企業で働く中国人ビジネスマンから教えられた、という。
2 【債権回収】
中国では債権を回収することが至難の業だ。中国司法が未だ払拭できない問題、つまり識者が異口同音に指摘する裁判官の資質の欠如と「地方保護主義(いわばサッカーの敵地での対戦の如く、地元の利益が最大限優先する)」を乗り越え判決を得ても、次の高いハードルは強制執行である。中国では強制執行は判決が確定後、双方が企業など法人組織の場合は6ヶ月以内に申し立てなければならない(民事訴訟法第219条)。強制執行を断行するか、否か、短期間の決断だ。もちろん勝訴判決を得て、強制執行が成就するに至るまでには、日本の常識を遙かに超える予想外の障碍に直面する。
ある不動産強制執行事件に立ち会う機会を得て、中国人弁護士および中国人裁判官と一緒に不動産登記局窓口に同行した日本人ビジネスマンは、裁判書類の不備、訂正を指摘してテキパキと処理する登記官吏の窓口嬢と男性裁判官のやり取りを見て、つくづく中国では「司法より行政に権力がある」との実感を述べていた。
後日談として、私は中国行きの航空機に搭乗した瞬間から日本人の常識を捨てる。もちろん法の下にはいかなる者も平等・対等であるという法の下の平等の理念に反しない限り、適正な法手続きを受ける権利が個人にある。しかし、郷にいれば郷に従うべし、中国では中国人の常識で行動すべきだと話す。中国は女性の社会進出が当たり前の男女平等の国、司法官たる裁判官も行政官と同じく対等の公務員だと頭では理解しつつも、日本人ビジネスマンは、日本人の常識からか「偉い裁判官の権限も権威もない不思議な国だ」との意識が拭いきれない様子であった。
3 【司法の独立】
直接的に宣言はしていないが、大統領制の米国や王室を有する英国など欧米諸国と同様に日本国憲法は議院内閣制での立法権・行政権・司法権の三権が均衡して分立している。
そして司法権の独立に関して日本国憲法76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と日本の裁判官一人一人に職務上の独立を定める。
これと異なり、中華人民共和国憲法は三権分立の国家体制ではない。中国憲法第2条「中華人民共和国のすべての権力は人民に属する。」「人民が国家権力を行使する機関は、全国人民代表大会および地方各級人民代表大会である。」と宣言するとおり、人民民主集中を堅持している。中国憲法第3条には「中華人民共和国の国家機構は民主集中制の原則を実行する。」「国家の行政機関、裁判機関、検察機関はいずれも、人民代表大会によって選出され、それに対して責任を負い、その監督を受ける。」と定める。もとより中国憲法第126条(人民法院)と、同第131条(人民検察院)には、独立して裁判権や検察権を行使できるもので、「行政機関、社会団体および個人の干渉を受けない。」と明記してある。
これを受けて人民法院組織法(2007年1月1日施行)第4条にも「人民法院は、法律の定めるところによって、独立して裁判権を行使し、行政機関、社会団体および個人の干渉を受けない。」と規定する。裁判官法(2002年1月1日施行)第8条2項も「法により事件を裁判する際には、行政機関、社会団体、個人の干渉を受けない。」と定める。
しかし、中国では人民法院は全体として独立しても、問題は個々の裁判官一人一人が独立した地位に立脚していないことだ。
(2007年6月執筆)
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