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一般2016年05月04日 「あまのじゃく」雑考(法苑178号) 法苑 執筆者:山本紀明

 何時の頃か判らないが、四天王の足の下にいるあまのじゃくに興味を持った。
 学生の頃、お寺廻り、特に、仏像を見るのが好きで良く京都や奈良にでかけたものだ。そんな時にあまのじゃくと出会った。四天王の足の下にいるあまのじゃくを見て、その悲しそうであるがどこかユーモラスで憎めない表情に興味を抱いた。それ以来、四天王の足の下にいるあまのじゃくを注目するようになった。そして四天王に踏みつけられてもがき苦しんでいるあまのじゃくに圧政に苦しむ農民をイメージしたのかも知れない。
 四天王は偉そうな顔をして筋骨逞しく力み返っているが表情とか態度は型にはまっている。それに較べて、あまのじゃくは、顔、表情、体型から手足の指まで千差万別で実に表情豊かである。
 そもそもあまのじゃくとは何者であるか。
 広辞苑によれば、あまのじゃくとは「[天邪久・天邪鬼]<1>わざと人の言に逆らって、片意地を通すもの。<2>昔話に出てくるわるもの。あまんじゃぐめ。→うりこひめ。<3>仁王の像がふまえている小鬼。」(第二版)のことを言うとされている。
 夏目漱石の二つの作品に登場するあまのじゃくを紹介する。
 まず、「吾輩は猫である」である。
 『「只怒るばかりぢやないのよ。人が右と云へば左、左と云へば右で、何でも人の言ふ通りにした事がない、―それや強情ですよ」「天探女でせう。叔父さんはあれが道楽なのよ。だから何かさせ様と思つたら、うらを云ふと、此方の思ひ通りになるのよ。此間蝙蝠傘を買つてもらふ時にも、入らない、入らないつい、態と云つたら、入らない事があるものかつて、すぐ買つて下すつたの」』とある(二〇〇五年一一月二四日中日新聞朝刊「吾輩は猫である―一七三―」)。面白いのは、あまのじゃくに「天探女」の漢字を宛てていることである。そして「天探女」には「あまのじゃく」とわざわざルビがふってある。
 次に、夏目漱石は「夢十夜」の中の「夢五夜」にもあまのじゃくを登場させている。
 敵に捕らえられた若者の『死ぬ前に一目思う女に逢いたい』という望みを聞いて、敵の大将は、若者の恋人が『夜が明けて鶏が鳴くまでに』ここに来たら、若者を殺さずに助けると約束した。恋人は若者を助けたい一心で白い裸馬に跨がり黒髪を吹流しのようになびかせて疾駆させた。『すると真闇な道の傍で、忽ちこけこっこうと鶏の声がした。女は身を空様に、両手に握った手綱をうんと控えた。馬は前足の蹄を堅い岩の上に発矢と刻み込んだ。こけこっこうと鶏がまた一声鳴いた。女は「あっ」と言って、緊めた手綱を一度に緩めた。馬は諸膝を折る。乗った人と共に真向へ前へのめった。岩の下は深い淵であった。蹄の跡はいまだに岩の上に残っている。鶏の鳴く真似をしたのは天探女である。この蹄の痕の岩に刻みつけられている間、天探女は自分の敵である。』(ワイド版岩波文庫、「夢十夜」二一頁)。ここの「天探女」にも「あまのじゃく」とルビがふってある。
 夏目漱石は「あまのじゃく」に「天探女」の漢字を宛てているが、これは江戸時代の国学者本居宣長に由来しているようである。
 本居宣長は古事記伝の中で、『天探女は、「名ノ意は或人の、探女探他心多邪思(探女は他の心を探りて邪思多き)と云る。此意なるべし」とあり、「今の世の諺に、天之佐古と云て、此の名り。其も、左右に人に悖て、心悪き者をなむ云める。」とありあまのじゃく(天之佐古)と同じだというのである。落窪の物語に、なさぐりそ云々、あこぎと云さぐりし云々などある。あこぎは女の名なり。あこぎを指て、さくじりといへるなり。源氏物語にも、さぐりしおよすげとあり。これらさくじりと云こと、さぐめの名義にかなへり。今ノ世の諺に、天之佐古と云は、此の名なり。其も、左右に人に悖て、心悪き者をなむ云める。』(本居宣長撰、倉野憲司校訂「古事記伝(三)」二六九頁、岩波文庫)と言っている。なお、「天探女」は日本書紀における宛字だが、古事記では「天佐具売」となっている。
 ここから、あまのじゃくの源泉は「天探女」であると言われている。ちなみに、長崎県壱岐地方では、あまのじゃくのことを「アマンシャグメ」と言っている(妖怪事典、村上健司著、毎日新聞社、『折口信夫全集』一五『壱岐民間伝承探訪記』折口信夫著)。同著に「アマンシャグメという名は、神話に登場する天探女の名前からきているものと思われる」とある。
 夏目漱石の作品から見ると「あまのじゃく」には、性格の異なる二つの種類があるようにみえる。
 一つは、「吾輩は猫である」の中の「天探女」である。
 こちらは、人の意に逆らって、片意地を通す者である。俗に、臍曲がりである。お前はあまのじゃくだと言う場合には、少々、侮蔑の意味を含んでいるようだが、逆に、俺はあまのじゃくだとか、臍曲がりだとか言う場合には、俺は皆に迎合せずに我が道を行くのだと言う、所謂、得意の意識が強いように思う。
 仏教では、あまのじゃくは仏教の教えとその信者に害を与える邪悪なものであり、人間の最大の敵である煩悩の象徴である。そして人の心に棲みついた邪悪な煩悩を具体的に表したのがあまのじゃくである(「知っておきたい仏像の見方」瓜生中著、角川ソフィア文庫)。簡単に言えば、人の反対ばかりする邪な心を持つあまのじゃくをやっつけるのである。だから、あまのじゃくは四天王の足下に踏みつけられ苦悶の表情を浮かべているのだと説明されている。
 反対に、あまのじゃくは四天王の眷属であり仏教の敵ではないとの説もある。即ち、須弥山の東西南北の四方を守護する四天王(持国天、広目天、増長天、多聞天)は、それぞれ眷属を引き連れているのであり、その足下にいるのは眷属の家来であるというのである。
 これはインダス文明人(ムンダ人、ドラヴィダ人)を侵略した騎馬民族アーリア人が起こしたバラモン教から、仏教、ヒンドゥー教などの歴史の流れから自明であり、そして四天王とその眷属は、元々、インダス土着民の信仰した自然神であるヤクシャ神であると言うのである。
 「人の意に逆らって、片意地を通す」という、現在の典型とされるあまのじゃくにも、それを内容とした伝説や民話がある。恐らくこちらのあまのじゃくに対する解釈が定着してから出来たものであろうと考えられる。
 伝説は、広島県の津久根島にある「湯蓋道空伝説」がある。伝説としては判明しているのはこれ一つであるので紹介しておく。
 「湯蓋道空(ゆぶたどうくう)には子供(道裕)がいましたが、いつも親の
言うことにさからう言動をしていました。
 「おとなしくしろ」といわれれば大暴れをしたり、「海で魚を捕れ」といわれれば山で鳥を撃つなどといった具合でした。
 ある日、道空さんは死期に臨んで、心の中では海老山(かいろうやま)にお墓を建ててほしいと思っていましたが日頃の子供のことを考えて「私が死んだら墓を津久根島(つくねじま)に建ててくれ」と遺言しました。道空さんの死後、子供・道裕は今まで自分は父の言葉に背いた行動ばかりしていた親不孝者だった。せめて親の残した遺言だけは守ってつぐないをしようと思いました。
 そして遺言のとおりに津久根島にお墓を建てました。これより以後、親の言葉にさからう者を『あまんじゃく』とよぶようになりましたとさ・・・」(五日市町誌より)。
 津久根島に塩屋神社があり、そこにあまのじゃくの父道空を祭った道空社がある。立て札に「湯蓋道空社 あまのじゃくの父」とある。
 民話は全国に語り継がれている「雨蛙不幸」、「鳶不幸」である。島根県の民話「かえる不幸」があり、沖縄県の「ふいんじ者とうあまがく(へそまがりと雨蛙)」、韓国の「チョンゲグリとオンマ」等と言う民話があるが、内容はほぼ同じである。
 他の一つは、妖怪としてのあまのじゃくである。夏目漱石の「夢五夜」の「天探女」はこちらに属すると思う。
 こちらのあまのじゃくは極めて日本的である。と言うのは、その性格が伝説、民話として古くから登場するあまのじゃくだからである。
 伝説に登場するあまのじゃくは各地方に存在する。主に、山を削ったり、堤防を築き橋を架けたり、お寺を建てたりするのを邪魔したりするが、概略、土木、建築関係に多いように思う。
 代表的なのを一つ紹介する。
 橋杭の立巖
 三重県の串本町の橋杭岩にまつわる伝説。
 昭和四四年/串本町公民館発行「串本町民話伝説集」
 『昔々、弘法大師と天の邪鬼(あまのじゃく)が熊野地方を旅したときのことである。
 天の邪鬼は弘法大師と話をしているうちに次第に大師の偉大さに圧迫されるように感じた。我こそは世界一の知恵者であると自負している天の邪鬼は、何とかして弘法大師の鼻をあかしてやりたいものと考えた末、妙案が浮かんだ。
 「弘法さん、大島はご覧の通り海中の離れ島で、天気の悪い日には串本との交通が絶え島の人は大変困るそうですが、我々はひとつ大島と陸他との間に橋を架けてやろうじゃありませんか。」
 と誘いをかけた。
 「それが良い、それが良い。」
 と弘法大師も早速賛成した。
 「ところで二人いっぺんに仕事するのもおもしろくない。一晩と時間を限って架けくらべをしましょう。」
 と天の邪鬼は言った。いかに偉い弘法大師でも、まさか一夜で架けることはできまい。今にきっと鼻をあかしてやることができると天の邪鬼は内心喜んでいた。
 いよいよ日が暮れて弘法大師が橋を架けることになった。一体どうして架けるのだろうと、天の邪鬼はそっと草むらの中から窺っていると、弘法大師は山から何万貫あるか分からない巨岩をひょいと担いできて、ひょいと海中に立てている。二・三時間のうちに早くも橋杭はずらりと並んだ。天の邪鬼はこの様子を見て、
 「大変だ!大変だ!この調子でいくと夜明けまでには立派な橋ができあがる。」
 とびっくりして、何か邪魔する方法はないかと考えた末、
 「コケコッコー」
 と大声で鶏の鳴き真似をした。すると弘法大師は、
 「おやもう夜が明けたのか?」
 と自分の耳を疑って聞き耳を立てていると
 「コケコッコー」
 やはり鶏の鳴き声がする。弘法大師は本当に夜が明けたのだと思ってついに仕事を中止した。』
 民話の代表的なのは「瓜子姫物語」である。
 「瓜子姫物語」は日本全国に存在する。この物語は各地方によって微妙に異なるが、特に、結末は東日本と西日本とでは大きく異なるようである。
 瓜から生まれた瓜子姫が美しく成長し、機織りをする娘になる。そこに、あまのじゃくがやってきて、姫をだまし、姫になりすまして嫁入りしようとするという話である。
 東日本は、瓜子姫があまのじゃくに殺される。西日本は、木に縛り付けられていた姫が助けられ、逆にあまのじゃくが退治されるというパターンである。そして、西日本型は、概ね、助け出された姫は目出度く若君と幸せな結婚をしたというハッピーエンドで終わっている。これは、室町時代に作られた絵入り物語や絵巻にも見られ、王朝物語の影響を色濃く受けた都の人々にとって、好みのストーリーであったことは想像に難くない(「異界百夜語り」堤邦彦、橋本章彦編・三弥井書店の中の「瓜子姫の誕生」雨野弥生著一一八頁)。
 また、「瓜子姫物語」では、その結末の多くは、瓜子姫を騙して虐待し、その姿になりすましていたあまのじゃくが、正体を暴露されて捕まり、「天ん邪鬼の体を三つに切って、粟の根へ一切れ、蕎麦の根へ一切れ、黍の根へ一切れ埋めました。それから粟の根と蕎麦の根と黍の根は、天ん邪鬼の血に染まって赤いのだそうです」(島根県邑智郡の話)と言うことになっている。
 そこから「瓜子姫物語」は、日本の神話を含めて、インドネシア(セラム島)、メラネシア、ポリネシアからアメリカ大陸にかけて広大な地域に分布している農耕作物起源神話に極めて類似していると言われている。
 以上、あまのじゃくについて色々考えてきたが、柳田国男は以下のように言っている。
 『日本の昔話としてわれわれの最も注意するのは、瓜子姫の敵の名がアマノジャクであったという点である。アマノジャクが神の計画の妨害者であり、しかも通例は「負ける敵」であったことは、広く他の民間伝承にも認められている』。
 『しからばそのアマノジャクは何者であったろうか。われわれの同志者には、これについてあらかじめ学者の説明を聞こうというような希望もあるらしいが、それは不用心なことだからぜひ諫止したい。アマノジャクを知ろうと思えば、アマノジャクの口碑を集積し、比較してみるより他の途はない。現在でもすでにだいぶん明らかになっていると思うが、要するにアマノジャクはこんなところへ出てきそうな魔物であった。意地が悪くて常に神に逆らうとはいうものの、もとより神に敵するまでの力はなく、しかも常に負ける者のにくらしさとおかしみとをそなえていた。おそらく善神・悪神の二元論から出たものでなく、むしろ「灰蒔き話」の隣の爺などと同じく、神の正しさと最後の勝利
とを鮮明に理解せしめるために仮設せられたる対立者であって、神を神人が扮装して説明した時代には、これもいま一人のワキ役によって代表せられ、それゆえに人は漸次にその実在を感じはじめたのであろう。諸国の古い神社の言い伝えを見ると、神の業績はたいていは征服であった。その敵する普通には鬼といい、鬼もまた後にはその御社に仕えている。すなわち大昔火闌降命が契約せられしごとく、永く俳優の技をもって、その屈従の状態を公示しようとしたことを意味するのであった。』(桃太郎の誕生、柳田国男著、角川文庫、一三三頁、一三四頁)。
 なお、「あまのじゃく」については、結構、フアンが多いように感じるが、これについては紙面の都合上、機会があれば紹介したいと思っている。

(弁護士)

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