一般2017年09月14日 「どっちのコート?」(法苑182号) 法苑 執筆者:雨宮則夫
一 裁判官時代
私は、昭和四六年四月から二年間の司法修習(二五期、実務修習地は京都)を経て、昭和四八年四月に名古屋地裁に判事補として任官し、以後、浦和地家裁熊谷支部、浦和地裁、富山地家裁高岡支部、新潟地裁、横浜地裁、宮崎地家裁延岡支部長、東京家裁、浦和地家裁川越支部、浦和地家裁川越支部長、水戸家裁所長と、合計三四年半を裁判官として各地を転々として勤務し、民事、刑事、家事、少年事件とほぼあらゆる種類の事件を担当してきた。
ごく大まかにいえば、前半は民事、後半は刑事と家裁(家事)ということになる。そして、この間、新判例となるような事件や、あまり研究をされていない問題について参考図書も少なくて苦労した事件、テレビなどで連日取り上げられるような社会的に注目を浴びる事件などを担当することもあり、それらの事件を担当していた時は、夜中に判決書の起案が済んだ後にも一睡もできなかったというようなこともあったが、今となっては、ひとつひとつの事件が懐かしい事件として記憶に残っている。
特に、A信用金庫のパート社員の業務上横領被告事件の無罪判決は、裁判官となった動機が、もともと刑事裁判をやりたいということであった私にとって忘れられない事件である。パート社員であるにもかかわらず、窓口業務をしていた被告人が、顧客から預かったとする国民年金保険料の紛失の責任を上司から責め立てられ、捜査段階から一貫して身に覚えがないと争っていた事件であった。もともとA信用金庫はずさんな体質で、唯一の直接証拠が犯行場面が映っているとする防犯ビデオだけということだったので、法廷でそのビデオの再生をするということになり、傍聴席や被告人、弁護人、検察官と同じ画面で見る方がいいということで、裁判官三人とも法壇を降りて、肩を並べるような位置で、何度も何度も再生してみた。しかし、結局犯行の決め手となるような場面は写っていないというものであり、無罪の言い渡しをして、検察官も控訴せずに確定した。
そして、この他にも、合議単独合わせて三件の無罪判決の言い渡しをし、いずれも控訴されずに確定している。
また、五年間の東京家裁時代は、三年間の遺産分割事件の集中処理係を経験した上で、平成一〇年四月に遺産分割専門部(家事五部)の立ち上げに関与し、家事五部の初代の部総括を命ぜられた。遺産分割事件については、東京家裁でもそれよりも前の昭和四〇年代に、遺産分割事件を集中した専門処理係を作ったことがあったが、単に事件を集中しただけで、遺産分割事件処理のための新たな工夫をしたり全庁的な応援態勢も組むことがなかったということもあって、失敗に終わったことがあったということを、当時その専門処理係裁判官をしていたというご本人から聞いていた。そこで、今度は失敗するわけにはいかないというわけで、専門に処理する組織をただ作るだけではなく、それ以前の三年間の集中処理係時代の経験を踏まえて、遺産分割専門部として遺産分割事件を適正かつ迅速に処理することを目指すこととし、そのためのマニュアル(遺産分割事件処理要領)作りをした。当時は、所長を始めとして全庁的な応援態勢も組まれていたので、家裁調査官や書記官、調停委員、参与員、不動産鑑定士・公認会計士・税理士等の専門調停委員の方々とも連携し、いろいろな研究会や協議会を開催するなどして検討し、各職種が適切な時期に適切に関与することにより、チームとして事件に対応するという態勢を作ることができた。それと同時に理論的な面での検討、強化も必要だということで、当時の裁判官や学者に手分けして執筆してもらい、遺産分割や遺言・相続についての実務書の刊行をし、その後の実務にも一定の影響を与えることができたということも、楽しい思い出となっている。
二 公証人時代
水戸家裁所長を平成一九年六月に退官してからは、約一〇年間浅草公証役場の公証人をし、今年の三月に七〇才になったため、公証人を退職した。この間、約一〇年間という長い期間、転勤もせずに同一の職場に通い続けるというのは初めての経験であったが、公証人の仕事というのは、遺言、任意後見契約、離婚給付契約、土地建物の賃貸借契約、債務弁済契約、金銭消費貸借契約、銀行の貸金庫開披等いろいろな事実実験等の各種公正証書を作成したり、株式会社・一般社団法人、各種法人等の定款認証、宣誓認証や外国文認証等の各種認証、確定日付の付与等の嘱託を受けてその処理をしたりと、取り扱う法律の分野は非常に広いため裁判官時代の知識経験だけでは足りず、その都度新たな勉強をして嘱託事件の処理をしなければならないといった具合で、一部の人がいうように、署名だけをすればいい楽な隠居仕事などというものでは到底ない。特に、急を要する、病院や自宅への出張遺言作成などの嘱託があると、遺言者自身の遺言能力に問題はないか、遺言者の希望に本当に沿った内容になっているのか等に留意し、場合によっては休日や夜間にも作成に出かけるということもあり、一件一件が記憶に残るものとなっている。
そして、公証人会の会務として、日本公証人連合会の常務理事として執行部にも加わって運営の一部を担当したり、東京公証人会や日本公証人連合会の法規委員会などの委員会に属して、日々生起する各種法律問題の検討をしたり、全国の公証人からの法律問題等の照会や法務省からの立法にあたっての意見照会などについても限られた時間内で検討した上で回答をしたり、公証人にとっての教科書ともいうべき各種の文例集の改訂作業に携わったりしたことなども大変ではあったが、楽しい思い出となっている。
また、東京公証人会では、小笠原の父島母島へも年二回公証人を交替で派遣しており、遺言や離婚給付などの公正証書の作成をしている。私は、それにも合計三回参加し、実際に遺言や離婚給付の公正証書の作成などをした。
小笠原は、本土から一〇〇〇キロメートル離れているが空港がないので、竹芝桟橋から二五時間半(最近新しいおがさわら丸が就航して二四時間に短縮された)かかり、往復するには最低でも四泊六日の日程が必要になる。遺言を公正証書で作成する場合には家裁の遺言書の検認の手続きが不要となるので、小笠原においては、公正証書遺言をするメリットが特にはっきりしている。小笠原の島民は、島のそもそもの成り立ちや第二次大戦及びその後の本土復帰などの歴史的な特殊事情などから、相続人がいるかどうかわからない、相続人がどこにいるかわからない、あるいは相続人が外国にいるなどの事情がある人がいて、遺言書の検認の手続きに非常に苦労することが予想できる人もいる。そのような場合には、公正証書遺言であれば検認の手続きが不要であるということで、非常に感謝されるということもあった。
また、大陸と一度も陸続きとなったことがないため、競争相手が少ない中で進化した結果、アカガシラカラスバトやハハジマメグロ、オガサワラカタマイマイなど多くの固有種の動植物が見られ、小笠原諸島は、将来に引き継ぐべきかけがえのない自然遺産であるとして、二〇一一年六月に世界自然遺産に登録されている。仕事の合間には、南島や兄島海中公園で素晴らしい景色を堪能したり、シュノーケリング、スキューバダイビングをして、天然の水族館を楽しんだり、シュノーケリングをしながら野生のイルカの群れに接近し、すぐ近くで見るという幸運にも恵まれた。
そして、何よりも、一緒に行動していた司法過疎サポートネットワークの魅力あふれる人達との交流も忘れられない楽しい思い出となっている。
これらの仕事以外でも、職場である浅草という様々な伝統文化の残る地で、浅草ならではというような楽しい経験をさせてもらった。浅草演芸ホールで落語・漫才などをきいたり、関東大震災や東京大空襲も乗り越えて建物が残ったという神谷バーやホッピー通り、初音小路での交流等も得難い経験となった。また、年に一回行われる浅草寺伝法院の公開の時に、昔から伝わる巨大な絵馬の数々や由緒ある庭園を見学したり、三社祭、ほおづき市四万六千日、植木市、酉の市などの沢山の行事やお祭り、江戸情緒の残る屋形船、伝統芸能、伝統工芸にも触れることができ、大変楽しい思い出ばかりである。最近は、外国人観光客が増える一方で、外国語が頻繁に飛び交うようになり、レンタルの着物を着て記念写真を撮る外国人若者のカップルなども目立つようになり、人力車の数も格段に増える等一〇年前と比べるとすっかり様変わりといった状況も見受けられる。
屋形船については、桜の時期と花火の時期を除けば、だいたい乗り合いでも貸し切りでも利用が可能であり、風情があってなかなか楽しめる。私自身、同級会、同窓会やテニスクラブの仲間などと結構利用させてもらい、常連客として、いろいろとサービスをしてもらった。特に、日本公証人連合会の常務理事をしていたときに、モンゴルの公証人会や法務省の人達が、日本の公証制度、とりわけ電子公証制度の視察に来られたときに、屋形船を貸し切りにして、懇親会の場として利用したところ、大変喜んでもらえたということもあった。
そして、この三月からは、新橋にある虎ノ門法律経済事務所で弁護士をしている。弁護士の仕事は全く初めてなので、することなすこと全て新鮮で、現在のところ、未だ若葉マークがとれない状態である。
三 テニス生活
私は、自己紹介のときには、趣味はテニスと音楽鑑賞、旅行ということにしている。テニスといえば硬式テニスということになるが、私が一番最初にラケットを握ったのは、高校一年生のときであるから昭和三七年であり、天皇皇后両陛下が軽井沢のテニスコートで結ばれたということがきっかけとなり、当時は第一次テニスブームの真っ最中であった。したがって、テニス歴としては一番長い期間をとれば、五五年ということになる。
しかし、高校生時代は僅か三ヶ月くらいでやめてしまい、大学時代、司法修習生時代はそれほど熱心にはやらなかったので、趣味の域に達したというのは、裁判官になってからとなる。私が名古屋地裁に赴任したときには、名古屋の裁判官、弁護士が参加している法曹テニスが盛んで、毎年行われる全国法曹の東西対抗テニスの東軍のナンバーワンの兵藤、南ペアの全盛期であり、私などはとてもお相手をしてもらうようなことはなかった。ただ、このときに一度だけ優勝したことがあり、高橋杯の優勝カップをいただき、今も自宅に置いて飾っている。
それから、浦和地家裁熊谷支部と浦和地裁で勤務したが、当時は全国の裁判所にはだいたいテニスコートがあったので、昼休みや五時以後にはテニスをすることができた。手軽で費用もかかることがなく、職員の福利厚生、健康管理上も非常に有用であったと思う。私は、このころは、併せて職員の軟式野球チームにも所属していて、その合宿練習や新潟の裁判所の野球部との親善試合のための遠征をしたり、当時あった目白の国家公務員総合運動場での軟式野球の全国大会にも参加したりして、野球部とテニス部のかけもちという状態であった。
その後、富山地家裁高岡支部に赴任し、そこでは、弁護士のK氏が熱心にテニスや登山に誘ってくれ、私が夕食時に晩酌をしてくつろいでいるところにも、お誘いの電話がかかってきて、それからでかけるということもしばしばであった。そして、このときには民間のテニスクラブにも入り、裁判所以外の人達とも親しくつきあうようになった。裁判官というのは、だいたい二年ないし四年で転勤をしなければならないので、赴任した先々の地で地元の文化、人情等の背景事情を理解することも大事なことであり、それらをテニスクラブのつきあいの中で、ごく自然に接することができたと思っている。
これまた、テニスの効用である。
また、この高岡時代に思い出となっているのは、当時の富山県テニス協会の会長が、自宅に天然芝のコートを持っていて、そこでプレーをさせてもらったことである。当時、ウィンブルドンでボリス・ベッカーという選手が一七才七ヶ月で優勝し、豪快なサービスとダイビングボレーが注目されていたころで、芝のコートであれば飛び込んでもけがをしないということで、必要もないのにわざとダイビングボレーを試みたりして楽しんだこともあった。
その後、私のふるさとでもある新潟の裁判所に赴任し、そこでは新潟県テニス協会の会長を中心にして、新潟大学の先生やお医者さんのグループに裁判官が加わった早朝テニスクラブというクラブがあり、そこに頼み込んで加入させてもらい、新潟大学のテニスコートを使用して、朝六時から八時まで行われていた早朝の練習会に熱心に参加した。この当時、裁判所の所長や裁判官にも熱心な人が多く、この新潟時代に一番テニスが上達したのではないかと自分では思っている。また、このときの楽しい思い出としては、新潟早朝テニスクラブと東京法曹テニスクラブとの親善対抗試合というのが年中行事となっており、岩室温泉や胎内パークホテルなどで、昼間はテニスの対抗戦をやり、夜はじっくりと泊まり込みで懇親会をするという非常に楽しい行事があり、私も何度かその幹事をして皆さんのお世話をするということもあった。
その後、横浜地裁に赴任し、そこでは、裁判所のテニスクラブ(横浜セットポイントテニスクラブ)も非常に盛んで、年に二、三回合宿をするなど、活発にクラブ活動を行っており、若い人達も大勢参加していた。また、このころは、その他にも最高裁や東京高裁、東京地家裁などの職員で作っている在京の職員のテニスクラブ(ブルーダックス)からも声がかかり、官庁対抗テニスや実業団のテニスの試合などにも、都合がつく限りは参加していた。
また、この横浜時代には、横浜弁護士会のテニスクラブが熱心に活動しており、そこからもお誘いを受け、横浜法曹テニスクラブのいろいろな試合や合宿にも参加した。また、横浜法曹テニスクラブの海外遠征ということで、カナダへ行って、バンクーバーでカナダの弁護士と親善試合をしたこともあった。それは、観光を兼ねてということだったので、バンフ、ジャスパー、レイクルイーズ、コロンビア大氷原などカナディアンロッキーの雄大な自然や、美しい街ビクトリアを見てまわるということもあり、家族サービスの機会にもなった。
横浜時代の忘れられない思い出としては、湯河原のラケットクラブにビジターとして何度か行くことがあり、当時そのラケットクラブの支配人をしていた加茂公成さんと何度かお手合わせをしてもらったことである。加茂公成さん
というのは、早稲田大学の学生時代に宮城淳選手とペアを組んで、一九五五年の全米選手権で優勝したという、テニスをする者にとっては伝説的な人であり、お相手をしてもらって、ずいぶん勉強になった。また、夕食時に、その全米選手権(現在の全米オープン)優勝のときのお話をご本人から詳しくきくことができたというのは非常に幸運であったといわなければならない。残念ながら今年の一月六日に亡くなられた。
ご冥福をお祈り致します。
その後、宮崎地家裁延岡支部に赴任し、そこでは民間の延岡ロイヤルテニスクラブというクラブに入会して、地元旭化成の人事部長や県立延岡病院のお医者さんとペアを組んで宮崎にまで出かけたりして、いろいろな試合に出た。丁度、私自身四五才になるころであり、国体の壮年の部に出たいと思って何度か挑戦したが、結局それはかなわなかった。しかし、県民大会には延岡市の代表として出場したり、裁判所の全国大会に九州代表として出場したりした。
このころが一番テニスに打ち込んでいた時代であり、私自身も一番テニスに自信をもっていたころである。
その後は、東京家裁、浦和地家裁川越支部に赴任し、東京都内の官舎生活となり、テニス環境としてはあまり良くはなく、練習時間の確保が難しくなったが、どこへ行っても、なんとかテニスのできるところを探したり、あるいは自分でテニスをする環境を工夫して作り出してきた。
また、テニスフリークとしては、全豪、全英、全仏、全米の四大テニストーナメントも是非見に行かなければということで、川越支部長時代に全仏オープンを、裁判官を退官した翌年に全豪オープンをそれぞれ見に行った。いずれも、横浜法曹テニスクラブが計画したツアーに参加させてもらって、テニス観戦だけでなく、それぞれ、フランス観光、オーストラリア観光も兼ねた計画であり、いずれも楽しく思い出深いものとなっている。
四 どっちのコート?
こうして、今までの生活を振り返ってみると、なんとテニスの思い出が多いことかと思う。それに使った時間を別のことに使っていたらどうだったろうかとも思う。
しかし、テニスをしてきたおかげでいろいろな人と知り合うことができ、ずいぶんいろいろな経験をして自分の生活も豊かなものになったのではないかと思っている。そしてだいたい二年ないし四年で転勤をする裁判官の生活が裁判所の中だけの狭い世界だけではなく、赴任した先々の地でのテニスクラブのつきあいなどを通じて、地元の文化、人情等の背景事情を理解することが、ごく自然にできたのではないかと思っている。また、今でも各赴任地で親しくつきあわせていただいた人達と、年賀状などの交換をしたり、ときには出かけていって、旧交を温めるといったこともしている。
これまでにも、旧赴任地と新赴任地の交流会ということで、新潟と横浜、横浜と富山、延岡と熊本、川越と水戸のそれぞれ裁判所のテニスクラブの親善対抗試合などをしたというのも、私にとって楽しい思い出である。
また、テニスをしてきたことにより精神的にも肉体的にも健康を維持することができ、裁判官の仕事を続けることができたのではないかとも思っている。
こうして、テニスコートでのつきあいを大事にすることにより、本来のコート(裁判所)の方も無事に勤め上げることができたということで、私にとっては、どちらのコートも欠くことのできない大切なものであったのではないかと思っている。
今の住まいは、浅草の公証人となるということが決まったときに、浅草に通いやすいということで買い求めたところであるが、通勤に便利だということだけでなく、近くに、親しい人が入っている民間のテニスクラブがあり、時間ができたらいつ行ってもテニスができるということも、選ぶ際の重要な条件となった。
私も七〇歳となり、体力も年相応となってきて、テニスをした後の疲れがなかなかとれないといったこともでてきたが、無理をせずに、体力の続く限りテニスボールを追いかけて行こうと思っている。
(弁護士・元裁判官・元公証人)
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