一般2015年01月05日 労働基準法第10章寄宿舎規定から ディーセント・ワークへの一考察(法苑174号) 法苑 執筆者:鬼頭統治

1 光明寺村女工焼死事件の概要と背景
一九〇〇年(明治三三年)一月二三日午前三時頃、木曽川に面した愛知県葉栗郡光明寺村本郷(現在の一宮市光明寺)の織物工場から出火し、寄宿舎で就寝していた一三歳から二五歳の機織り女性三一人が焼死した事件である。
この事件が労働基準法の前身の「工場法」制定のきっかけの一つとなった事件である。明治三〇年頃は、尾西地方では手織機による絹綿の交織りが盛んに行われていた。三河地方の農漁村から多くの女工が集められ、織物工場で働き、構内の寄宿舎住まいをしていた。生活は悲惨なもので朝五時には起こされ、一日の労働は一五〜一六時間に及び、休日は月に二回だけ、麦と米の混じったご飯に漬物といった粗末な食事と監視下での過酷な労働であった。賃金は一日平均一六銭で作業の多寡により高低のある「受負法」制度で盆と暮の年二回払いであった。
彼女たちが火事に気付いた時はすでに一階は火の海だったという。そのため一階には降りられず、窓を破って飛び降りようにも二階の窓には、男が入ってこないように、又、女工の逃亡防止のため、鉄格子がはめられていて逃げるに逃げられなかったのである。二階の便所の窓をたたき割って外へ飛び降りた一八名がかろうじて助かったという。当時の新聞は「旧正月にふるさとへ帰るため、新調した着物や家族へのみやげを心配しているうちに煙にまかれてしまった」とも伝えている。そこには、大事なふるさとへのお土産を捨てては逃げられないという、彼女たちの家族への切ない思いがあった。
光明寺村ではその後、光明寺墓園の一角に犠牲となった女工たちの墓石が集められ、中央に「織姫の碑」が立てられた。現在一宮市光明寺と西尾市葵町に墓と慰霊碑があり、二〇〇〇年(平成一二年)には一〇〇周忌法要が営まれた。
2 その後の顛末
この惨事の後、労働者の人間性を無視した労働環境を非難する世論が沸き上がった。県は三か月後に避難階段や消防器具の設置を定めた「工場及び寄宿舎取締規則」を制定し、窓の鉄さくも禁止し、九月一日から施行した。この事件は、当時の繊維工場の労働環境を調査した政府の報告書「職工事情※1」にも掲載され、この事件を契機に「工場寄宿舎規則」が改正され、労働者を監禁する形の寄宿舎は禁止となった。その一一年後、現在の労働基準法の前身である「工場法」が明治四四年帝国議会で制定され、一九一六年(大正五年)に施行されることとなった。
※1 農商務省編「職工事情」一九〇三年刊
3 イギリスの工場法
一八世紀から一九世紀にかけて(一七六〇年〜一八三〇年)、イギリスで産業革命が起こり、児童や婦人労働の強要、成人労働においても労働時間が一日一二時間以上となるなど労使関係の中で労働者は生命や体力を搾取され、労働者の健康保持が問題となってきた。政府は一八三三年に九歳未満の児童の労働禁止、九歳〜一八歳未満の労働時間を週六九時間以内に制限、その監督をする工場監督官の配置を義務化した工場法を制定した。その後、一八四四年に女性労働者の労働時間を一八歳未満の労働者なみに制限した改正をし、一八四七年に若年労働者と女性労働者の労働時間を一日あたり最高一〇時間に制限した改正をし、一八六七年に繊維産業のみならず、五〇人以上の工場全般が対象とした改正が行われ、さらに一八七四年に週五六時間労働制の実施(月曜から金曜までは一日一〇時間、土曜は六時間まで)が行われ、労働日・労働時間の短縮と少年婦人労働の制限などが柱となった改正が行われた。
4 日本の工場法
第二次桂太郎内閣にて農商務省による「職工事情」を参考に同法が制定され、一九一一年(明治四四年)に公布、一九一六年(大正五年)に施行された。その内容は、①一五人以上の工場に適用、②指定就労年齢は一二歳、③最長労働時間は一二時間(一五歳未満及び女性に限る)、④休日は月二回(一五歳未満及び女性に限る)、⑤深夜業の禁止(二二時から四時、一五歳未満及び女性に限る)等であったが、製糸業では一四時間労働、紡績業では女子深夜業が認められていたため不徹底であった。一九二三年には最長労働時間が一時間短縮、適用年齢が一五歳未満から一六歳未満へ引き上げられた。更に一九二九年の改正では、年少者や女子の深夜業が全面的に禁止された。そして、一九四七年(昭和二二年)の労働基準法制定により同法は廃止された。
5 ルーズベルト政権の労働長官フランシス・パーキンスの人生
ニューヨーク市マンハッタン南部のトライアングル・シャツウエスト縫製工場で若く貧しい移民労働者が苦汗労働に耐えていた。一九一一年三月二五日、その縫製工場で大火災が発生した。工場では逃亡防止のため、外部から施錠されていたため避難ができず、工員たちが高層階から飛び降りるなど一四六人が犠牲となった。
この大惨劇を目撃した群衆の中に、当時、コロンビア大学院生であったパーキンスがいた。この強烈な実体験が人生の転機となって、後にルーズベルト大統領の政権に加わり、ニュー・ディール政策を支持して、ワグナー法(全国労働関係法一九三五年制定)や公正労働基準法など米国労働保護法制の重要な基盤策定に貢献した。そればかりか、大統領を説得して米国とILOとの関係を修復し、政府に「フィラデルフィア宣言」署名を果たさせるなどILO活動に積極的に協力をした。
ILOは、一九一九年の創設当初から「ディーセント・ワーク」の実現を目指している。一九三九年九月一日ドイツのポーランド侵攻に始まった第二次大戦によって、労働者の基本的人権は無視された。一九四四年に採択されたのが「ILOの目的に関する宣言(フィラデルフィア宣言)」であった。宣言の中の「労働は商品ではない」、「一部の貧困は全体にとって脅威となる」、「男女平等処遇」などはディーセント・ワークの基本理念を示すものである。この「フィラデルフィア宣言」の起草について、フランシス・パーキンスという米国初の女性労働長官が深く関わっていた。ルーズベルトがニューヨーク州知事だった時代、産業局長に任命されたパーキンスは州の労働法改革の中心となり、労働環境や雇用条件の改善を実現させた。労働長官に就任する条件として同様の政策の推進を支えることを大統領に約束させ、それがニュー・ディール政策の原案になったとダウニー※2は言っている。週四〇時間労働、労災保険制度、失業手当、児童労働の禁止、社会保障などを実現させ、国民健康保険にも取り組んだパーキンスの精力的な働きの原点にあるのは一九一一年三月ニューヨークで起こった工場火災で一四六人の工員たちが犠牲になった悲惨な事件であった。
トライアングル・シャツウエスト工場の一〇階建て建物は、現在では、ニューヨーク大学の校舎の一部となっており、その壁面には銅板にこの惨劇の事実と教訓が刻銘され、労働者の人権尊重の大切さを市民に訴え続けている。
※2 カースティン・ダウニー(Kirstin Downey)「ニューディール政策を支えた女性:フランクリン・ルーズベルト政権の労働長官で彼の良心の支えとなったフランシス・パーキンスの人生」の著者。
(特定社会保険労務士)
人気記事
人気商品
法苑 全111記事
- 裁判官からみた「良い弁護士」(法苑200号)
- 「継続は力、一生勉強」 という言葉は、私の宝である(法苑200号)
- 増加する空き地・空き家の課題
〜バランスよい不動産の利活用を目指して〜(法苑200号) - 街の獣医師さん(法苑200号)
- 「法苑」と「不易流行」(法苑200号)
- 人口減少社会の到来を食い止める(法苑199号)
- 原子力損害賠償紛争解決センターの軌跡と我が使命(法苑199号)
- 環境カウンセラーの仕事(法苑199号)
- 東京再会一万五千日=山手線沿線定点撮影の記録=(法苑199号)
- 市長としての14年(法苑198号)
- 国際サッカー連盟の サッカー紛争解決室について ― FIFAのDRCについて ―(法苑198号)
- 昨今の自然災害に思う(法苑198号)
- 形式は事物に存在を与える〈Forma dat esse rei.〉(法苑198号)
- 若輩者の矜持(法苑197号)
- 事業承継における弁護士への期待の高まり(法苑197号)
- 大学では今─問われる学校法人のガバナンス(法苑197号)
- 和解についての雑感(法苑197号)
- ある失敗(法苑196号)
- デジタル奮戦記(法苑196号)
- ある税務相談の回答例(法苑196号)
- 「ユマニスム」について(法苑196号)
- 「キャリア権」法制化の提言~日本のより良き未来のために(法苑195号)
- YES!お姐様!(法苑195号)
- ハロウィンには「アケオメ」と言おう!(法苑195号)
- テレビのない生活(法苑195号)
- 仕事(法苑194号)
- デジタル化(主に押印廃止・対面規制の見直し)が許認可業務に与える影響(法苑194号)
- 新型コロナウイルスとワクチン予防接種(法苑194号)
- 男もつらいよ(法苑194号)
- すしと天ぷら(法苑193号)
- きみちゃんの像(法苑193号)
- 料理を注文するー意思決定支援ということ(法苑193号)
- 趣味って何なの?-手段の目的化(法苑193号)
- MS建造又は購入に伴う資金融資とその担保手法について(法苑192号)
- ぶどうから作られるお酒の話(法苑192号)
- 産業医…?(法苑192号)
- 音楽紀行(法苑192号)
- 吾輩はプラグマティストである。(法苑191号)
- 新型コロナウイルス感染症の渦中にて思うこと~流行直後の対応備忘録~(法苑191号)
- WEB会議システムを利用して(法苑191号)
- 交通事故に基づく損害賠償実務と民法、民事執行法、自賠責支払基準改正(法苑191号)
- 畑に一番近い弁護士を目指す(法苑190号)
- 親の子供いじめに対する様々な法的措置(法苑190号)
- 「高座」回顧録(法苑190号)
- 知って得する印紙税の豆知識(法苑189号)
- ベトナム(ハノイ)へ、32期同期会遠征!(法苑189号)
- 相続税の申告業務(法苑189号)
- 人工知能は法律家を駆逐するか?(法苑189号)
- 土地家屋調査士会の業務と調査士会ADRの勧め(法苑189号)
- 「良い倒産」と「悪い倒産」(法苑188号)
- 民事訴訟の三本の矢(法苑188号)
- 那覇地方裁判所周辺のグルメ情報(法苑188号)
- 「契約自由の原則」雑感(法苑188号)
- 弁護士と委員会活動(法苑187号)
- 医療法改正に伴う医療機関の広告規制に関するアウトライン(法苑187号)
- 私の中のBangkok(法苑187号)
- 性能規定と建築基準法(法苑187号)
- 境界にまつわる話あれこれ(法苑186号)
- 弁護士の報酬を巡る紛争(法苑186号)
- 再び大学を卒業して(法苑186号)
- 遺言検索システムについて (法苑186号)
- 会派は弁護士のための生きた学校である(法苑185号)
- 釣りキチ弁護士の釣り連れ草(法苑185号)
- 最近の商業登記法令の改正による渉外商業登記実務への影響(法苑185号)
- 代言人寺村富榮と北洲舎(法苑185号)
- 次世代の用地職員への贈り物(法苑184号)
- 大学では今(法苑184号)
- これは必見!『否定と肯定』から何を学ぶ?(法苑184号)
- 正確でわかりやすい法律を国民に届けるために(法苑184号)
- 大阪地裁高裁味巡り(法苑183号)
- 仮想通貨あれこれ(法苑183号)
- 映画プロデューサー(法苑183号)
- 六法はフリックする時代に。(法苑183号)
- 執筆テーマは「自由」である。(法苑182号)
- 「どっちのコート?」(法苑182号)
- ポプラ?それとも…(法苑182号)
- 「厄年」からの肉体改造(法苑181号)
- 「現場仕事」の思い出(法苑181号)
- 司法修習と研究(法苑181号)
- 区画整理用語辞典、韓国憲法裁判所の大統領罷免決定時の韓国旅行(法苑181号)
- ペットの殺処分がゼロの国はあるのか(法苑180号)
- 料理番は楽し(法苑180号)
- ネット上の権利侵害の回復のこれまでと現在(法苑180号)
- 検事から弁護士へ― 一六年経って(法苑180号)
- マイナンバー雑感(法苑179号)
- 経験から得られる知恵(法苑179号)
- 弁護士・弁護士会の被災者支援―熊本地震に関して―(法苑179号)
- 司法試験の関連判例を学習することの意義(法苑179号)
- 「スポーツ文化」と法律家の果たす役割(法苑178号)
- 「あまのじゃく」雑考(法苑178号)
- 「裁判」という劇薬(法苑178号)
- 大学に戻って考えたこと(法苑178号)
- 生きがいを生み出す「社会システム化」の創新(法苑177号)
- 不惑のチャレンジ(法苑177号)
- タイ・世界遺産を訪ねて(法苑177号)
- 建築の品質確保と建築基準法(法苑177号)
- マイナンバー制度と税理士業務 (法苑176号)
- 夕べは秋と・・・(法苑176号)
- 家事調停への要望-調停委員の意識改革 (法苑176号)
- 「もしもピアノが弾けたなら」(法苑176号)
- 『江戸時代(揺籃期・明暦の大火前後)の幕府と江戸町民の葛藤』(法苑175号)
- 二度の心臓手術(法苑175号)
- 囲碁雑感(法苑175号)
- 法律学に学んだこと~大学時代の講義の思い出~(法苑175号)
- 四半世紀を超えた「渉外司法書士協会」(法苑174号)
- 国際人権条約と個人通報制度(法苑174号)
- 労働基準法第10章寄宿舎規定から ディーセント・ワークへの一考察(法苑174号)
- チーム・デンケン(法苑174号)
- 仕事帰りの居酒屋で思う。(健康が一番の財産)(法苑173号)
- 『フリー・シティズンシップ・クラス(Free Citizenship Class)について』(法苑173号)
- 法律という窓からのながめ(法苑173号)
関連カテゴリから探す
-
-
団体向け研修会開催を
ご検討の方へ弁護士会、税理士会、法人会ほか団体の研修会をご検討の際は、是非、新日本法規にご相談ください。講師をはじめ、事業に合わせて最適な研修会を企画・提案いたします。
研修会開催支援サービス -
Copyright (C) 2019
SHINNIPPON-HOKI PUBLISHING CO.,LTD.