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一般2015年05月01日 『江戸時代(揺籃期・明暦の大火前後)の幕府と江戸町民の葛藤』(法苑175号) 法苑 執筆者:栩木敬

 落語の熊さんやはっさんが暮した時代、古くて近い存在、懐かしくもあり不可解な(今となってはよく分からない)時代でもある江戸時代、天正一八(一五九〇)年に徳川家康の江戸入府、慶長五(一六〇〇)年の関ヶ原の戦い、徳川家康が征夷大将軍に任じられた慶長八(一六〇三)年を経て、慶応三(一八六七)年の徳川慶喜による大政奉還まで、約三〇〇年続いた泰平の時代、半鎖国の時代、良くも悪しくも日本独自の文化や生活習慣を生み出した時代、そんな江戸時代の初期に江戸で暮らした町民の生活に焦点を当て考察する。
 しかし、当然のことながら、そして、残念なことでもあるが、大店を除き町人が自らの手で残した生活の実態に関する記録はない。
 そこで、町人の生活の実態を垣間見るための史料を探そうとすると限界があり、幕府が発した「町触」と識者が残した記録のみが頼りとなる。
 それらのうち「町触」とは、町奉行(江戸町内の警察、司法の権限を有した江戸幕府の役人=武士)が、自己の権限で江戸の町中に発したお触れ(現在の政府や地方自治体が発出する通達に相当)を意味し、これらの町触は、町奉行→町年寄→町名主→月行事(家主)→町人という順序で伝達されたが、具体的には、町触は、町奉行が町年寄を召喚してその内容を伝え、町年寄は名主を自分の役所に集めてその内容を伝え、名主は町内の家主に伝え、更に、家主は店子に読み聞かせるという形で全町内に伝えられた。
 なお、この伝達方式が確立したのは江戸が世界でも稀に見る大都市に発展した時期である明暦三(一六五七)年の大火の後であるとされている。
 さて、この町触の内容に触れる前に、江戸という都市の発展をみることとする。
 江戸時代以前の江戸はどこにでも見られる寒村であったため、幕府は都市の整備を進めたが、その中でも大がかりなものとしては、現在の丸の内から日比谷に広がる湿地帯=日比谷入江と呼ばれていた海の埋立てであった。この埋立てにより、江戸の都市機能は江戸城の海側に広がり、江戸の都市としての発展に寄与し、人口も爆発的に増加した。
 一方、このような都市機能の発達により、幕府は町民の掌握の必要性に迫られ町触が発せられるようになった。
 町触を翻刻している『江戸町触集成〔第一巻〕』(近世史料研究会 代表 原島陽一(塙書房、平成六年))によると、最古の町触は、正保五(一六四八)年閏一月一日のもので、日光東照宮の造営に従事する奉公人の統制に関するものとなっている。
この町触を初めとし明暦の大火までの町触は一四九が確認されているが、その内容を分類すると(一つの町触で幾つもの内容となっているものがある。)、最も多いのは「火の用心と花火の禁止」である(ただし、明暦二年六月二一日の町触で大川(現在の隅田川)口での花火は除かれている。)。幕府も冬場の乾燥などによる大火を警戒していたことが窺える。次いで、第二位は、橋の上での商売の禁止等「商売(髪結いを含む)の規制」、次いで第三位は「町内の治安の維持」、次いで「風俗の取り締まり」、「奢侈の禁止」、「街道、下水の維持管理、ごみの処理」等々となっており、幕府が都市機能維持に躍起となっている様が見て取れるが、特に、世界の都市に先駆けて衛生管理を行っていることがわかる。
 しかし、「風俗の取り締まり」と「奢侈の禁止」を一体のものと考えると、このジャンルが最も多く、既にこの時代から武士を凌ぐ裕福な町人が多く存在していたことが分かる。幕府としては、武士の権威を守るため、町民の暮らしに様々な規制を加えようとしていたことが分かる。そのような町触の一つに慶安二(一六四九)年二月二五日があり、要旨、左記のとおりとなっている。
 「町人の絹の着物や合羽の着用、派手な振る舞い、蒔絵で飾った家具、金銀箔付の家財、三階建、蒔絵付の乗鞍、豪華な結婚式、大脇差、町人らしくない振る舞いを禁止する。」
 以上にみられるように、幕府が町民の掌握に躍起となっていた時に発生したのが明暦の大火である。
 町触によると大火は三度あったようで、明暦三年一月一八日の町触(聞書)では、要旨、
「本郷より出火し、大風により、湯島、神田、浅草、通町、鎌倉河岸通、八丁堀、霊岸島、鉄砲洲、築地の海までと佃島が類焼したとのこと。」
と伝え、翌日一九日の町触(聞書)では、要旨、
「小石川より出火、牛込門、田安門、本丸天守、大手神田門、常盤橋門、呉服橋門、八重洲、数寄屋橋が類焼」、「同日番町より出火、半蔵門、外桜田、虎の門、愛宕下、増上寺、芝札の辻から海まで類焼したとのこと。」
と伝えており、この大火により江戸の町の殆どが焼き尽くされ、江戸城も消失してしまい、 当時、財政がひっ迫しつつあった幕府は、最後まで本丸天守の再建は叶わなかった。
 なお、本郷の出火は、本郷本妙寺から出火したともいわれており、「振袖火事」とも呼ばれている。
 この大火は、幕府の政策にも大きな影響を与え、幕府に防火対策の必要性を認識させるとともに、町の復興のため諸物価の高騰を防止するための対策が必要となった。
 この中で町民に影響を与えたのは、物価対策で、その最初の町触である同年六月四日の町触に、要旨、
「このたびの火事以降、大工、木挽(こびき)、屋根葺き、畳屋、石切、鍛冶屋、その外の諸職人の手間料が値上がりしているので、常々やとわれている者の手間料については、今後は高賃金を取らないよう、幕府評定所(ひょうじょうしょ)から家持と借家店かりに申し伝えること。」
「以上の趣を町中の家持、借家店かりばかりではなく、裏店に住む者にまで伝えること。」
とあり、手間賃の上昇を抑え込もうとしたが、結局は市場原理で価格は決定されるため諸職人の手間料(賃)は下がらなかったと考えられ、同年八月一七日に、諸職人の手間料を直接規律する町触が、要旨、以下のとおり示された。
「一 腕の良い大工     一人 銀三匁(食事代込)
 一 腕の良い上木挽    一人 銀二匁(同上)
 一 腕の良い屋根葺き   一人 銀三匁(同上)
 一 腕の良い壁ぬり(左官)一人 銀三匁(同上)
 一 腕の良い石切り(石工)一人 銀三匁(同上)
 一 腕の良い畳刺し    一人 銀三匁(同上)
 以上の腕の良い職人の値段定めの通りとし、それより下の職人は相互の話し合いで値段を決めること。
 この町触は最初の政府による職人に対する賃金統制令となった。
 なお、この町触では、わざわざ食事代込とあるが、いくつかの史料で確認されているところによると、職人に対する手間賃の支給は、工料+飯米料として支給されることが多く、この中の飯米料は、戦中から戦後にかけて導入された生活給の先駆けとも考えられるが、幕府は飯米料を含めた額を示すことにより、手間賃の高騰を抑え込もうとしたものと考えられる。
 しかし、この町触の価格は守られなかったようで、同年九月一〇日には、要旨、
「大工、木挽、屋根葺き、石切、左官、畳屋、その他の諸職人が会所(会合)で高額の取り決めを禁じる。」
との町触が出されているなど、その後は職人の手間賃のみならず、諸物価の価格統制に関する町触は何度も登場するようになったが、当然のことながら、幕府による統制は失敗に終わっている。
 以上で、明暦の大火前後の町人・職人と幕府の攻防をみてきたが、江戸時代は勃興する町人層と没落し続けた幕府との葛藤の時代であったとも考えられる。
 なお、蛇足であるが、明暦の大火から二年後の万治二(一六五九)年八月二日の町触に、要旨、
「人の売買は一円(全ての地域)で禁止する。違背した者にはその罪に軽重により死罪から過料に処する。口入人(斡旋人)も同罪とする。」
とあることから、日本では、この年に人身売買が禁止されたこととなる。
 一方、アメリカのリンカーン大統領による奴隷解放宣言が一八六二年九月であったことと比較すると、日本の人身売買の禁止は二〇〇年以上も早くなっている。
 一般的に文化・文明の面において欧米諸国に劣っていたと考えられていた江戸時代であるが、この町触は、江戸時代の人権意識の高さを示している。
 お粗末様でした。お後がよろしいようで。

(元大分労働局長)

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