一般2015年01月05日 チーム・デンケン(法苑174号) 法苑 執筆者:橋本雄太郎
筆者は、『救急活動の法律相談』という加除式の本の責任編集をさせていただいている。
約一五年前に、偶然のきっかけで病院前救護(プレホスピタルケア)の公的な仕事をお手伝いさせていただくようになってから、それまで、この分野について法律学の視点から殆ど論じられてこなかったことを知り、次第にこの「隙間」の分野の研究にのめりこみ始めた。そして、自分なりにこの分野を総論として五つの範疇に、各論として五つの範疇に分類し体系化して論じた単行書を他の出版社から刊行(『病院前救護をめぐる法律問題』)していたが、現場の救急隊員に直ぐに役立つ予防法学的な視点からの実務的な本を書きたいな、と思うようになっていた。そこで、密かに企画を練り、項目を挙げ、設問等を練っていたところ、神様のお導きがあったのか、自分が思い描いていたのと同じ企画が、突然、新日本法規出版さんから提案され、二つ返事でお引き受けしたのが、この本の誕生秘話である。
しかし、国やいくつかの自治体・消防本部の委員を務め、そこでの議論に加わりながら、そして、講演・研修・講義を依頼され現場の救急隊員と接して質疑応答を繰り返し、さらに、講演やシンポジウムの後の懇親会等で、現場の救急隊員や救急医とお話ししているうちに、これだけでは「足りない」と、編集を始める頃から感じ始めていた。
それは、特に、救急救命士の資格を有する救急隊員が、講義や研修会の折に、「この事案の場合、救急隊員の取るべき対応は、法的に考えると、AですかBですか?」と、よく質問してくることに気付いたからである。彼らは、公務員試験や救急救命士国家試験に合格しているが、その試験方法は、マークシート方式である。問に対する答えは一つしかない、という解答方式が身についてしまっている。そこで、何事においても正解を求める傾向が見受けられる。いわゆる〇×教育に慣れてしまっているのである。しかし、救急業務をめぐる問題は、人が相手の仕事である上に、背景事情、傷病の状態は千差万別であり、一律に単純明快に論じることのできない領域である。そのために、すべての事案にあてはまるような法令や実施基準を設けることは不可能なことと言い得る。しかも、正解と考えられるものが複数存在することも少なからずある。
こうした複数の対応が考えられる事案に遭遇した場合でも、無用な紛争に巻き込まれないで、あるいは仮に不満を訴えられたとしても毅然とした態度で、臨機応変な対応ができるようになることが救急隊員には期待されるのである。
そこで、筆者は、セミナー等で、次のような問いかけを彼らにする。「こんな事案に遭遇したら、どうしますか?
夏の猛暑日に、ゴルフ場のプレーヤーから直接一一九番通報。八番ホールで仲間が熱中症になって倒れ、意識が少し不鮮明になっている。そこで救急出場して、カート道を走っていると現場に向かう途中の二番ホールで熱中症になって倒れているプレーヤーを現認した。こういう状況になった時、救急隊長のあなたはどうしますか?」
これは、実際に起きた事案で、救急隊員は、人の生命を助けるという義務がぶつかり合う場面において、現行法令や実施基準の範囲内において、どのように考えて行動を選択しておけば、法的に責任を問われることがないのか、という問題である。刑法学上、義務の衝突といわれる論点である。
前述のように、救急隊員は、まず「正解」を求める癖がついている。その時に、正解を求めなければならない〇×教育に慣れている救急隊員はこのような事案に接すると、慌ててしまう、パニックに陥ってしまう、という虞があり、そうなると、心に余裕がなくなり、正しい判断ができなくなり、ミスが生じる可能性が出てくる。
そこで、あらかじめ策定された実施基準や法令に中で臨機応変に対応できるように「考える」救急隊員であることが求められる。
正解がどれかではなく、正解を求めるための「考え方」が重要であり、いわゆる「考えるプロセス」が大切なのである。
そこで、こういう「考える」救急隊員、救急現場を日常から考えておく救急隊員になることを目指して、草の根的に、自らボランティアで「救急現場を考えるセミナー」を企画し、主催して、救急隊員自ら想定される救急現場の問題について、主体的に参加して意見を述べ合う勉強会を全国で始めている。
このセミナーに参加された救急隊員が、指導的立場で、同僚や後輩に「考える」習慣をつけるように働きかけるようになれば、考えることの拡がりを期待できる。これが「『救急活動現場学を考えよう』セミナー」と称したセミナーの目的である。職場のノウハウが伝わりにくくなってきた近時の環境の中で、救急隊員の自律性を求めて、新日本法規出版さんにもご協力を頂きながら、全国の開催を希望される地域を巡り歩いている。
安心・安全な職場環境の下で、迅速・的確な救急活動ができ、結果的に市民が安心して生活ができ、市民に喜んでいただければ、こんな嬉しいことはない。そんな目標を持ったセミナーと、自分では位置づけて活動している。
デンケンとは、ドイツ語で「考える」という意味の動詞である。このセミナーを通して「考える」救急隊員になってほしい、という願いを込めて、救急隊員の皆さんと、「チーム・デンケン」を作っていきたいと思っている。
所属する消防本部は異なっていても、救急現場の課題は全国共通であり。セミナーに集まった所属という垣根を越えた皆で考えることで、自分では気づかない知恵が得られ、他の地域の情報が得られる。セミナーの参加者が、「変わった自分」を感じて帰られれば、主催者の目標は達成である。
『救急活動の法律相談』の編集にあっても、そのことを踏まえているのは勿論である。
各地で実施しているセミナーを通して「考えること」の必要性と大切さが拡がり始めている現在、筆者の「『チーム・デンケン』の旅」は、ライフワークとして、終わりのない旅になりそうである。
(杏林大学教授)
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