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一般2018年05月08日 これは必見!『否定と肯定』から何を学ぶ?(法苑184号) 法苑 執筆者:坂和章平

1. ホロコーストもの・アイヒマンもの・法廷モノ!
 二〇一六年の第九〇回キネマ旬報ベスト・テンの第一位に片渕須直監督の『この世界の片隅に』(シネマ39・41頁)が選ばれたのは、若者向けの純愛モノ、原作モノに席巻されている現在の邦画界で特筆モノだった。同作は、声高に「戦争反対!」を叫ぶ映画ではないが、戦後七〇年を迎えた二〇一五年八月に公開された原田眞人監督の『日本のいちばん長い日』(15年)(シネマ36・16頁)と共に、「あの戦争」を考えさせる契機となった。
 日本では毎年、広島と長崎で「原爆慰霊式」が、八月一五日には「全国戦没者追悼式」が開催されているが、「あの戦争」や「東京裁判」を考えさせる映画は近時めっきり減少した。しかし、ドイツでは一貫して「ホロコーストもの」「ヒトラーもの」「アイヒマンもの」が公開されている。古くは、『ライフ・イズ・ビューティフル』(97年)(シネマ1・48頁)、『聖なる嘘つき その名はジェイコブ』(99年)(シネマ1・50頁)、近時は『ふたつの名前を持つ少年』(13年)(シネマ36・49頁)、『あの日のように抱きしめて』(14年)(シネマ36・53頁)、『サウルの息子』(15年)(シネマ37・152頁)、等が「ホロコーストもの」だし、『帰ってきたヒトラー』(15年)(シネマ38・155頁)、『ヒトラーの忘れもの』(15年)(シネマ39・88頁)、『ヒトラーへの285枚の葉書』(16年)(シネマ40・185頁)等が「ヒトラーもの」だ。また、『ハンナ・アーレント』(12年)(シネマ32・215頁)以降、『アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち』(15年)(シネマ38・150頁)、『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』(15年)(シネマ39・94頁)等の「アイヒマンもの」も次々と公開された。これは韓国で、古くは『シュリ』(99年)、『JSA』(00年)(シネマ1・62頁)、『二重スパイ』(03年)(シネマ3・74頁)、近時は『レッド・ファミリー』(13年)(シネマ33・227頁)、『The NET 網に囚われた男』(16年)(シネマ39・145頁)等の「南北分断モノ」が多いのと同じだ。
 他方、弁護士兼映画評論家の私が『シネマから学ぶ法律』の出版という大目標の視点から注目している「法廷モノ」は、近時アメリカでは『リンカーン弁護士』(11年)(シネマ29・178頁)、『コネクション マフィアたちの法廷』(06年)(シネマ29・172頁)、『ジャッジ裁かれる判事』(14年)(シネマ35・93頁)等、韓国では『依頼人』(11年)(シネマ29・184頁)、『弁護人』(13年)(シネマ39・75頁)等、日本では『ゼウスの法廷』(13年)(シネマ32・221頁)、『白ゆき姫殺人事件』(14年)(シネマ32・227頁)、『三度目の殺人』(17年)(シネマ40・218頁)等がある。更に中国でも、『再生の朝に│ある裁判官の選択│(透析)』(09年)(シネマ34・345頁)、『我らが愛にゆれる時(左右)』(08年)(シネマ34・350頁)、『ビースト・ストーカー/証人』(08年)(シネマ34・453頁)等、インドにも『裁き』(14年)(シネマ40・246頁)等がある。しかして、今回私が「こりゃ必見!」と注目した『否定と肯定』(16年)はホロコーストもの、アイヒマンもの、法廷モノという「3つの顔」を持った見応えいっぱいの名作だ。

2. アーヴィングvsリップシュタット事件とは?
 トランプ大統領が今年一月三〇日(現地時間)に行った就任二期目の「一般教書演説」は意外にも「いい子」に変身した感があったが、昨年一二月六日の、エルサレムをイスラエルの首都と認め、アメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移転するという大統領選挙時の「公約」を実行に移す旨の発表は全世界に激震を与えた。イスラエルvsパレスチナ抗争と聖地エルサレムを巡るキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の対立は根深く、日本人には理解しづらい。そんな(タイムリーな?)時期に、アトランタのエモリー大学の教授で現代ユダヤとホロコーストについて教鞭をとるユダヤ人女性デボラ・E・リップシュタットと、ホロコーストはなかったと主張する英国人の歴史学者デイヴィッド・アーヴィングが争った「アーヴィングvsリップシュタット事件」を、本作でしっかり勉強することに。これは、デボラが一九九五年に出版した『ホロコーストの真実 大量虐殺否定者たちの嘘ともくろみ』で、アーヴィングをホロコースト否定論者であり、偽りの歴史を作り上げた人種差別主義者、反ユダヤ主義者であると断じたことが名誉棄損だとしてアーヴィングがイギリスの王立裁判所に訴えた民事訴訟だ。二〇〇〇年一月一一日に開始された同裁判は、三二日間の審理を経て、判決は四月一一日に下されたが、その展開と結末は?

3. 見どころは?俳優は?監督は?法的論点は?
 本作の新聞批評は概ね好評だったが、二〇一七年一一月二八日付朝日新聞は「フェイクとどう闘うか」と題して、本作の公開を機会に来日したデボラのインタビューを大きく掲載した。そんな応援もあって、本作はクソ難しい内容であるにもかかわらずかなりの入り。デボラを演じるのは『ナイロビの蜂』( 05 年)(シネマ11・285頁)等で有名な美人女優のレイチェル・ワイズだ。学生に熱く講義する大学内の姿もすばらしいが、はじめて体験する英国の法廷で身内のはずの弁護団との格闘にとまどいながらも真の敵と毅然と対峙する中で成長していく彼女の演技は素晴らしい。他方、アーヴィングは弁護士なしの本人訴訟。これはカネをケチったためではなく、元来の「頑固モノ」が「オレ流」を貫いたためだ。アーヴィングの法廷での舌鋒の鋭さはデボラの教室に乗り込んでケンカを売ったときと同じだが、さてその功罪は?『ターナー 光に愛を求めて』(14年)(シネマ36・156頁)で光の画家・ターナーを演じた英国の名優ティモシー・スポールが、本作ではターナーとよく似た(?)偏屈ながら強靭な自己主張を行う男アーヴィングを見事に演じている。監督は、ケビン・コスナーとホイットニー・ヒューストンが共演した『ボディガード』(92年)を代表作とする英国のミック・ジャクソンだ。
 本作は右のような映画としての見どころも満載だが、法的論点もテンコ盛り!(1)本訴訟の請求の趣旨は?(2)なぜイギリスの王立裁判所で審理を?(3)なぜ陪審制でなく一人の裁判官の審理に?(4)英国での法廷弁護士と事務弁護士の違いは?(5)準備手続の期間と審理期間は?(6)弁護士費用はHOW MUCH?(7)一審判決の勝敗は?(8)控訴は?最終結末は?、等々の疑問が次々と湧いてくる。最大の疑問は、「有罪と証明されるまでは無罪」(疑わしきは罰せず)という米国の法的信条とは逆に、英国の名誉棄損訴訟では被告側に立証責任があるとされていること。しかし、それって一体ナニ?
 ちなみに、司法試験用の勉強しかしていない多くの弁護士は大陸法(成文法)はそれなりに知っていても、イギリスのコモン・ローはほとんど知らないから、本作の法廷シーンを正確に理解するのは難しい。同時期に日本では大阪弁護士会が後援した『三度目の殺人』が公開されたが、これは福山雅治扮するエリート弁護士が役所広司扮する殺人犯(?)の二転三転する供述に翻弄される難しさはあるものの、日本人にはわかりやすかった。それに比べれば本作はクソ難しいことを覚悟してしっかり鑑賞したい。

4. 断固応戦!ユダヤ人の協力は?弁護団は?
 自己の信念を貫いて発表した著書に自信を持っていたデボラは、学会内での反論・批判は予測していたが、一九九六年九月、米国に住む自分に対してアーヴィングが英国の王立裁判所に名誉棄損の裁判を提起したことにビックリ。
 朝日新聞は昨年一二月『徹底検証「森友・加計事件」朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(飛鳥新社)によって名誉を棄損されたとして、同書の著者で文芸評論家の小川榮太郎氏に対し、五〇〇〇万円の損害賠償を求める訴訟を提起した。これに対し、同氏は「一個人を恫喝するのではなく、言論には言論で勝負していただきたい」と回答し、産経新聞論説委員の阿比留瑠比氏は、「報道・言論機関である大新聞が自らへの批判に対し、言論に言論で対抗することもせず、あっさりと裁判所へと駆け込む。何という痛々しくもみっともない自己否定だろうか」と批判。更に徳島文理大・八幡和郎教授は、「名誉を回復したいということが目的でなく、(中略)個人や弱小出版社などが、朝日新聞を始めとするマスメディア集団を批判すること自体をやめさせようとすることが狙いとしか合理的には理解できない」と批判した。私も同感だ。
 もっとも、これは日本国内のちっぽけな言論抑圧訴訟だが、本作が描くそれは世界的な大訴訟。英国で本格的法廷闘争に臨めば、その費用は膨大な額になるはずだ。更に、そもそも立証責任が転換されている本訴訟でデボラは勝てるの?ユダヤ人は中国人(華僑)と並んで世界中で固い連携を誇っているから、そこに支援を求めれば一介の学者からの提訴への対応なんてチョロいもの。デボラがそう考えたかどうかは知らないが、スクリーン上には広い人脈を誇るユダヤ人組織にまず相談するデボラの姿が描かれる。ところが、英国のユダヤ人コミュニティの指導者はこぞってデボラに
対して和解による解決、つまり名誉棄損を認め、一定の和解金を支払うことで円満・早期に解決することを提案してきたから、アレレ?「戦わなければ、私は確実に負けたことになる」。感情先行型で独立独歩、何事も自分でやらないと気が済まない負けん気の強いデボラはそこから「断固応戦!」を決意し、弁護団選びに。

5. 依頼者と弁護士との信頼は?その緊張感に注目!
 私は『いま、法曹界がおもしろい!』(04年・民事法研究会)で、弁護士を「依頼者迎合型」と「依頼者説得型」に分類した。弁護士が急速に増員した昨今は、依頼者獲得のためのノウハウ講座が大流行。そこでは前者が大勢だが、私は典型的な後者だ。依頼者が私の説得に従わない場合は、いくら金を積まれても依頼を断ることもある。英国には法廷弁護士(バリスター)と事務弁護士(ソリシター)があり、その役割は決定的に違うが、本作に登場する両弁護士は両者とも依頼者説得型だ。とりわけ、法廷弁護士はホロコースト被害者のユダヤ人の声を法廷に持ち込もうとするデボラを厳しく批判。そればかりか、法廷で自己の主張をまくし立てるアーヴィングとは対照的に、法廷での彼女の発言を禁じたから、デボラの心の中には弁護団不信の芽も。本作中盤は、そんな視点で依頼者と弁護団との信頼関係のあり方をしっかり学びたい。しかして、アーヴィングへの質問でみせる、法廷弁護士のなんとも鮮やかな尋問テクニックとは?また、アウシュビッツ収容所を詳細に事前調査したことの意図とは?なるほど、ここまでわかればデボラの弁護団に対する信頼は百点満点に。

6. ホロコーストはなかった!この主張をどう考える?
 西欧流の憲法や刑事訴訟法の大原則の一つに「無罪の推定」がある。つまり、刑事事件の被疑者や被告人には有罪の判決が確定するまでは無罪の推定が働くから、マスコミから「犯人はあいつだ!」と決めつけられている人間でも、法律上そう決めつけるのはダメ、ということだ。それと同じように、今ドキ「地球は平らだ」と主張すれば、「お前はバカか」と批判されるが、あなたは本当に地球が丸いことを知ってるの?また、ナチス・ドイツによるホロコーストの悲惨さは誰でも知っている(と思っている)が、あなたはホントにそれを知ってるの?
 本作にみるアーヴィングの「ホロコーストはなかった」「ガス室はなかった」等の主張やそれを裏付けるための「強制収容所のガス室は遺体の消毒のための部屋だった」等の主張を聞いていると、私でも「なるほど」と思ってしまう説得力(?)がある。よく考えれば、これは「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」問題等、今なお「論争」が続いている歴史的認識問題と同じような論点かもしれない。本作中盤の法廷シーンにおけるアーヴィングのアジ演説(?)ぶりを見ていると、本人訴訟を立派に遂行している彼の弁論術や訴訟戦術にも大いに感心させられる。しかし、約三年半の準備手続を経て、二〇〇〇年一月から始まった公判が一〇日過ぎ、二〇日過ぎてくると、さすがにアーヴィングとデボラの強力な弁護団との力量の差が歴然と…。

7. 公判三二日目の裁判官の発言をどう理解?
 日本でも二〇〇九年に始まった裁判員裁判はかなり定着してきた。しかし、連続審理、長期審理の大事件になると、裁判員の過大な負担問題が近時急浮上している。もっとも裁判官はそれが仕事だから、王立裁判所の裁判長は一人で連日、見事な訴訟指揮を続けていた。両弁護士は審理状況を有利と読み、終盤に向けて気を引き締めていたが、公判三二日目、裁判長が突然「アーヴィングの意図的な資料の改ざん・解釈は反ユダヤ主義とは関係ないのではないか」と述べ、さらに「反ユダヤ主義が信念を持つ発言なら、ウソと非難できないのではないか」と述べたから、被告側はビックリ。この裁判長の発言をどう理解すればいいの?
 日本でもアメリカでも、裁判長の訴訟指揮のやり方やちょっとした発言は裁判所の心証形成のあり方を探る重要なサインになるが、それは本訴訟でも同じ。裁判長の右の発言を額面通り受け取れば、ひょっとして本訴訟は被告敗訴?一気にそんな心配が広がったが…。

8. 判決は?控訴は?結末は?
 本作は『アラバマ物語』(62年)や『アミスタッド』(97年)(シネマ1・43頁)、さらにはジョン・グリシャム原作の『評決のとき』(96年)や『レインメーカー』(97年)のような弁護士の活躍が目立つ、丁々発止の血沸き肉躍る(?)法廷モノではない。鑑賞後の私ですら、英国流の法廷のあり方を十分に理解できていないかもしれない。しかして、本件は原・被告どちらが勝訴?それは読者自身の目で確認してもらいたいが、三二日間の審理終了から、約一カ月半後の四月一一日に言い渡された判決は三三三頁におよぶ力作だったそうだからすごい。何が真実かを発見することは、それだけ難しいということだ。ちなみに、本訴訟の弁護士費用は二〇〇万ドル(約二・三億円)だが、世界中の人々がそれを支援してくれたから、デボラと弁護団はウインウインの結末に。それに対して、控訴審まで闘ったアーヴィングの方は破産宣告を受けたそうだから、その明暗はくっきりと!
 第四一回日本アカデミー賞最優秀作品賞は『三度目の殺人』が、第九一回キネマ旬報ベスト・テンの第一位は『夜空はいつでも最高密度の青色だ』が選出された。両者とも多くの国民が納得する優秀作だが、たまには本作のようなクソ難しい映画でしっかり歴史と法律のお勉強を!


(注) 「(シネマ○・○頁)」の表記は、筆者出版物の『シネマルーム』I 〜40(二〇〇一年〜二〇一七年)の巻数と頁数を表す。

(弁護士・映画評論家)

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