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一般2015年05月01日 法律学に学んだこと~大学時代の講義の思い出~(法苑175号) 法苑 執筆者:岩﨑隆二

 高校時代に法学部に進学することを全く考えていなかったせいか、大学の法律学の講義は、ある種の衝撃を受けるような出会いであり、四〇年以上経った今でも鮮明な記憶として残っているものが多い。

 まず、星野英一教授が民法第Ⅰ部の講義の冒頭で縷々法解釈の在り方について熱く語られたことは、法律学を学び始めたばかりの時期だっただけに、とても強い印象と大きな驚きを覚え、忘れ難い思い出となっている。
 教授は、戦後の法解釈論争を紹介し、その成果として、①法解釈が価値判断を含む「実践」であること、②価値判断の面において法律家が特に権威があるわけではないこと、の二点を強調された。教授の民法解釈論は、「利益考量論」と称され、利益考量だけが強調されがちだが、その利益考量の前提として、もちろん文理解釈・論理解釈や立法者意思の探求などが重要であることを指摘されていることは忘れてはならない。ただ、法解釈を突き詰めていくと、最後は価値判断を避け得ないということは、法律学を学び始めた人間にとっては、法律学に対するある種の頼りなさを感じざるを得なかったのだ。法解釈の争いがあっても、どれが正しいか突き止めることはできないのではないか。自分の法解釈が正しいということを、結局は証明できないのではないか、と。

 そういうもやもやした気持ちを抱えながら、法律学の勉強を続けていくと、この星野教授の利益考量論は、法哲学にいう価値相対主義に裏打ちされていることを知る。価値相対主義とは、ごく簡単に説明すれば、「究極的な価値判断の正しさを科学的に証明することは原理上不可能である」ということだ。
 おそらく人がある価値判断をするときには、その人の持つ価値基準(=価値の物差し)に依るのだろうが、確かにその価値基準は人によりバラバラのような気がする。単純に物の好き嫌いを考えてみれば、「人により物差しが違うから」という以外に説明のしようがないものが多いことに気付く。ただ、法哲学は、そんな日常の卑近な価値判断を問題にしているわけではなく、究極的な価値判断を問題にする。例えば「環境汚染対策としてエコ・カーの普及はよいことだ」という判断は一つの価値判断だが、突き詰めて考えると、その背後には「人間の生命・健康を守ることはよいことだ」という基本的な価値判断が、当然のこととして前提とされている。この基本的かつ究極的な価値判断それ自体の正しさは、果たして科学的に証明できるものだろうか。証明できるという説もあるが、価値相対主義者は、こうした可能性を否定する。ラートブルフによれば、究極価値についての判断は、「認識」の問題ではなく、「帰依」の問題なのだと。しかし、すんなりそういう考えを受け入れられるだろうか。価値相対主義は、ちょっと考えてみても、なかなかに悩ましいのだ。価値相対主義は、絶対的・客観的な物差しを持たないわけで、ある種の頼りなさがあることは否定できない。さらに、そもそも価値相対主義に立つと、価値相対主義そのものの正当性を主張することも自己矛盾となってしまうではないか。価値相対主義者は所詮「無責任な虚無主義者」「日和見主義者」だと非難される所以である。

 ただ、二〇世紀前半の思想史を眺めると、コミュニズムやファシズムといった左右両翼の絶対主義者からの民主主義・自由主義への激しい攻撃に対し、一身の利害を顧みず敢然と闘ったのが価値相対主義者だったことは見落とせない。その代表がケルゼンだ。ケルゼンは、価値相対主義こそ民主制の根拠を提供し得ると主張する。価値相対主義に立つ限り、どんな天才も偉人も英雄も自分の価値判断を「絶対のもの」として他人に押し付ける特権を許されない。これに対し哲学上の絶対主義は、ある特別な人間に対して絶対的な「真理」と「正義」の独占を認める。そうなると、この絶対的な「真理」と「正義」に反対する人々の実力行動はもとより、言論の自由も認められないことになる。そういう事態が民主主義・自由主義とは相容れないことは明らかだ。ケルゼンの言うように、民主主義論には、その根底に価値相対主義を内在していると考えるべきなのだろう。とりわけ議会制民主主義を考えた場合、多数決制原理の陥穽を明らかにする。「多数ゆえに正しいとは限らない」とか「少数意見にも耳を傾けよ」という主張は、価値相対主義に立ってこそ説得力を有するではないか。万人は自説と異なる価値判断に対しても寛容でなければならないという謙虚な態度は、学生時代の私にとっては、とても魅力的なものに見えたのである。私は、価値相対主義によって「寛容と忍耐」という態度を学んだといえよう。

 ところが、卒業を前にした最後の学期で受講した芦部信喜教授の「国法学」の講義で、教授が「私は、価値相対主義の立場をとらない」と宣言するように述べられたのである。日本のケルゼン学派の代表のような宮沢俊義先生を師に持つ芦部教授だけに意外感は拭えず、そのときの驚愕の記憶もまた鮮明だ。ドイツの法実証主義の歴史を詳細に紹介される中での発言で、今の私がその趣旨を正確に再現することはできないが、要は、人類が獲得してきた人権の歴史を踏まえると、「一定の価値体系を表明した規範が憲法である」し、「憲法の規範の背後にはユニバーサルな政治理念・法理念の存在が認識されねばならない」というご主張であった。確かに、価値相対主義だと「ユニバーサルな政治理念・法理念の存在」を否定せざるを得ず、憲法学という学問そのものが成り立たなくなってしまうように思えるのだ。
 法律学の入り口で叩き込まれた価値相対主義の立場だったが、法律学の出口で見事に足を掬われた思いであった。当時の私が如何に困惑したか理解していただけようか。

 うまく自分の中で決着できないままに、しかし、私は、価値相対主義について学んだことを、自分の意識の奥底にずっと抱えて生きてきたように思う。それは、日々思い悩むときに、自分が考える場合のよすがとなり、また、社会の様々な問題を眺めるときのベースとなっている。
 例えば、世の争いごとの多くは、価値相対主義で眺めると冷静に分析できることを知った。正義についての古典的定義として、古代ローマの法学者ウルピアヌスは「各人に彼のものを与えんとする恒常的意思なり」という。各人にそれぞれ与えられるべきものが与えられている状態が「正義」ということになるが、「各人にそれぞれ与えられるべきもの」という判断が、各人で異なることは容易に想像できる。世人の多くの不満や妬みは、あるべき正義の在り様が人によって異なるからに他ならない。「こんなに働いているのに給料が少ない」とか、「お金持ちからもっと税金を取るべきだ」とか、「あんなにひどいことをしたのなら死刑は当然だ」とか・・・。そういう思いは、すべてその人の正義感が言わせることだろうと納得する。世の中の意見の対立や利害の対立は、すべて正義の争いと言っても過言ではない。その上で、そうはいっても全く各人の主観に委ねてしまっては埒が明かないのであって、より上位の客観的な基準を探ろうとする第三者的な意識が働く。こういう思考を自分がするのは、正に大学で星野教授や芦部教授の講義に触れた影響に他ならないと、つくづく思うのである。
 二一世紀初年の九・一一以来、欧米を中心とした世界は、イスラム世界とのやっかいな関係に苦慮することになった。日本人の被害者も出て、今後は、否が応でも我が国も巻き込まれざるを得ないのではないか。あまりにもイスラムのことを知らなさ過ぎる我々は、芦部教授のいう「ユニバーサルな政治理念・法理念の存在」が疑問に思えてくるような絶望的な気分にさえなる。いや、それでも我々はイスラム世界を含む真の「ユニバーサルな政治理念・法理念」を見出していかなければならないのだろう。しかし、それは極めて困難な途であるに違いない。今、我々は、改めて価値相対主義というものに思いを致す必要があるのではないだろうか。

今年になって、新訳リニューアルされたハンス・ケルゼン『民主主義の本質と価値』(岩波文庫)が刊行された。それを手に取ったせいであろうか、学生時代に聴いたお二人の教授の講義を、またしきりに思い出す今日この頃なのである。

(参議院法制局長)

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