一般2018年01月09日 映画プロデューサー(法苑183号) 法苑 執筆者:都築敏
一 ロサンジェルス
今から二八年ほど前、勤めていた監査法人から、米国のロサンジェルス研修に二週間ほどであるが派遣されたことがあった。バブルの余韻が残る中、映画『ダイ・ハード』のナカトミ商事などで描写されていたように、日本企業が米国に進出し、それにつれ日本の公認会計士も対日本企業向けに米国でサービスを提供し始めた頃であった。その研修の一つとして、エンターテインメント・ロイヤーによる映画に係る法律実務の講義があった。そうである。ここロサンジェルスはハリウッドがある映画制作のメッカであった。そのエンターテインメント・ロイヤーによる講義内容はほとんど忘れてしまったが、映画に関わる専門弁護士が米国にいること、映画制作もビジネスであるらしいこと、について漠然とそれ以後も頭に残存した。
私にとって、映画は芸術であった。第七芸術論が主張されたように、芸術的表現形態としての映像が私の映画観であった。では芸術と非芸術の分水嶺はどこにあるのかといった答えを出さざるをえなくなるが、そんなことはどうでもいいのである。とにかく映画は芸術であって、映画に含まれる商業主義はその芸術性を堕す悪魔のような存在でしかなかった。
しかし、公認会計士となり、会計監査を通して様々な企業をみることができるようになった私にとって、ロサンジェルスのエンターテインメント・ロイヤーの記憶とともに、ちょっと待てよ、ということを思い始めた。ハリウッドでの映画は巨大な産業である。夢の工場と呼ばれたこともあったが、その中には、エンターテインメント・ロイヤーだけでなく、様々な職種の専門家が働いており、会計専門家ももちろんその中にいた。Film Accountantと呼ばれる職種である。では、芸術としての映画ではなく、ビジネスとしての映画はどのような仕組み、構造になっているのだろうか、という疑問が頭を離れなかった。それを本格的に調べだしたのは、監査法人を辞め独立した後であり、ロサンジェルス研修から約一〇年後であった。
二 映画ビジネス
独立開業して数年後、税務会計事務所も細々とであるが軌道に乗りはじめ、公開準備会社でその上場後も含め常勤監査役も兼務していた私は、ようやく気持ちの面で余裕が生まれ始めたという時期だったのだろうか、ビジネスとしての映画について知りたいという気持ちがより強くなっていた。映画好きとして映画関係の本はかなり持っていたが、書棚には監督論や作品論の本ばかりであって、映画ビジネスの本を探したのだが日本にはほとんど無さそうであった。その当時、子会社監査でニューヨークへ出張する機会が何度かあったので、その際に買おうかとも考えたが、どこの本屋へ行けばどんな本が買えるのかもやはり分からなかった。
米国でamazon.comというインターネットの本屋さんができたらしい、という雑誌の記事を読んだことがあり、とりあえず、米国アマゾンのサイトにトライし、多分、"filmbusiness"か"film accounting"辺りで検索したのだろう。瞬く間に、映画ビジネス関連の無数ともいえる本が羅列された。まだ日本のアマゾンはない頃であった。こんなにあるんだ、と驚くとともに、日米の映画ビジネスに対するスタンスの彼我の大きな差を感じた瞬間であった。
多くのビジネス本があるのは分かったが、米国アマゾンが日本に届けてくれるのかが分からない、ということで、とりあえず"The Movie BusinessBook"、"Film Scheduling"、"Film Budgeting"、"Film Scheduling / Film BudgetingWorkbook"の四冊を選び、指示される通りに入力し、最速の航空便で注文したが、その三日後には、米国から自宅に送られてきたのには驚かされた。
早速、自宅で四苦八苦しながら読み始めたのだが、薄々分かりはじめたのが、これらの本は米国での映画大学や専門学校の教科書や参考書なのではないかということだった。その当時、日本において映画業界人を育てていたのは
映画会社内部であって、専門の外部教育機関はなかった。米国ではロサンジェルスを中心としていくつかの映画専門教育機関があり、そのための文献として多数の書籍が発行されていたのだった。映画はビジネスであるといった前提での、企画開発、資金調達、法律関係実務、予算管理システム、資金回収、会計報告実務といった、通常の企業であれば当然すべき様々なことを当たり前のように学校で教えていたのである。それと比べれば、日本ではまだ旧態依然とした閉鎖的な徒弟制、職人芸のアンシャン・レジームであって、そもそもビジネス面で米国にかなうはずがないように思えた。
しかし、困ったのが独特な映画業界英語の習得である。例えば、Negative Costの意味がお分かりだろうか。一般的には「負のコスト」と訳すのかもしれない。しかし映画書籍の中ではそれでは意が通じない。答えを言えば、Negativeとはネガフィルムのことであって、完成したネガフィルムを制作するための全てのコストをいうのである。映画作品は、制作↓配給↓興行(映画館)のルートを通る。制作段階で最終的に作成するのは、映像と音を記録したネガフィルムであって、それを配給側に渡すのであるが、Negative Costはそれまで発生した全てのコストの累計なのである。ちなみにポジフィルムをPositiveという。では、Box Office Grossはどうだろうか。Box Officeは映画館のチケット売場のことである。チケット売場での売上の総合計をいうのであるから、日本での「興行収入」(興収)に当たる。
このような独特な業界用語が数多く出てきて手に負えないなということで、探してみるとやはりありました映画業界用語の辞典、"Film Finance &Distribution : a dictionaryof terms"。この辞典を片手に三か月ぐらい読み進めると、嘘のようにすいすいと文書が理解できるようになり、今思い出しても、私の知らない映画産業への扉が次々に開くような新しい発見ばかりで、面白くて面白くてまさに至福の時であった。
三 ホームページ
一人だけハッピーな時間を過ごしていると、人にもお裾分けをしたくなるのが常である。しかし、最も身近にいる家内はまたおかしなことをしてるとしか思っておらず、話しても白い目で見られるだけのようである。
その当時、NPO法人の理事長もしていた私は、同じく理事であった大学時代の映画研究会の先輩である後藤さんによく会う機会があり、その際に、主に米国の撮影期間における予算編成の方法の概略はこうやってやるらしいよと、その代表的な専用アプリケーションである"MovieMagic"の存在も含め熱弁を振るっていた。
映画の脚本は、場所と進行時間が異なるごとにシーン(Scene)に分けられる。各シーンにNo.が振られるが、そのシーン順にもちろん撮影されるわけではない。各シーンには撮影場所と昼夜ぐらいの区分が付される。例えば、映画『ベン・ハー』でエキストラ一〇〇〇人のシーンがあるとする。このエキストラには衣装がいり、弁当もいるし、日当も支払う。準備やコントロールするだけでも大変であるが、この撮影期間が長ければ長いほど出ていくお金もばかにならない。夜の屋外撮影のシーンでは、多数の照明器具や大容量の電源を現場に持ち込むことになり、費用も当然かさ上げされる。よって、できるだけ短期間で低コストで済ますために、同じ場所のシーンはまとめて撮影することになる。例えば、シーンNo.10とNo.102を同日に撮影するといったことである。ここからが予算編成者(ProductionManager)の腕の見せどころとなる。昔は、シーン順に並べた大きな表を作成し、これを短冊のようにシーンごとに縦に切って、並び替えながら撮影順をまとめていたようだが、さすがにコンピュータの時代であるということで、作られた専用市販ソフトが"Movie Magic"であった。今だとエクセルでも可能かもしれない。大雑把だが、このような作業がFilm Schedulingであり、これを基に業界特有な手法により予算編成(Film Budgeting)が行われる。
「面白いねー」と、以前に映画を制作したこともある後藤さんは述べ、加えて「それ文書にしてよ、ホームページに載せるから」と私に言った。もちろん書かせていただきますということで、米国におけるプロデューサーの役割をメインにおいた文書データを少しずつ渡していった。力を込めて書いたこともあって、ホームページ上に自分の文書を見ることは楽しかった。
ところがある日、自分の文書を探しても該当ホームページがなくなっていることに気がついた。ないのである。後藤さんに電話すると、「だってホームページ閉鎖したからなー」という。そんなアホな、せっかく一所懸命に書いたのに…、ということで、自分でホームページを立ち上げ、そこに載せることにした。それが今でも見ることができる『都築敏の映画マネージメント講座』である。
四 新大学設立
私のホームページを見た方からたまにはメールもくる。ある日、高橋さんという方から、連絡をいただけないか、というメールをいただいた。書かれた携帯番号へ電話をかけると、映画大学設立の準備をしているのだが、その件でお会いしたい、名古屋まで行くので時間をとっていただけないか、ということであった。聞けば、東京からこのためだけに来名するとのこと。いいですよ、ということで名古屋駅のマリオットを待ち合わせ場所とした。
当日、フロント前のラウンジに座り、高橋さんの内容をうかがうと、海外に通用するような映画を日本でも制作できるようにしたいが、監督等のクリエーターはいるにもかかわらず、それを形にし海外に持って行けるようなプロデューサーがいない。世界に通用する映画プロデューサーの育成のためにその専門の大学の設立を準備している、とのことであった。
当時、日本経済の強みであった物作り産業が国際競争力を徐々に低下させていくなか、経済産業省が目をつけたのがコンテンツ・ビジネスであった。日本産のテレビゲームやアニメ、漫画の世界での人気は高い。しかし、更に分析してみると、コンテンツの質は高いのだが、これをビジネス化する機能が弱い、ということが分かってきた。この機能を「コンテンツ・プロデュース機能」と名付け、政策的に強化を図ろうとしていた。今も私の本棚にある『コンテンツ・プロデュース機能の基盤強化に関する調査研究 プロデューサー・カリキュラム』(経済産業省商務情報政策局メディアコンテンツ課制作:二〇〇三年版)はその成果の一端である。このような流れの中で、プロデューサーの養成機関の設立も検討されるべきことであった。
高橋さんの調べたところでは、公認会計士として映画制作に詳しそうなのが日本に二名いるようで、光栄にもその一人が私であり、いま一名は海外に行ってしまった、ということであった。そういった会計士は他にいませんか?、というお尋ねであるが、日本の映画制作では残念ながら会計士の出る幕はまずなく、いないのではないですか、ということと、今後何かあれば協力させていただきます、ということを述べてその場は別れた。
後日、高橋さんから連絡があり、設立準備する大学院大学での「映画制作のための会計」講座の教授就任予定ということでお願いしたい、そのために書類を提出することが可能か、という問い合わせであり、私でいいのかという思いとともに、映画会計といった金にもならない分野に興味をもって調べている公認会計士は私以外にはほぼいないのではないかとの考えもあって、引き受けることにした。
その当時は、新日本法規出版から出版予定の『資本・法定準備金減少と自己株取得等の実務』(栄税理士法人編集)の原稿をまとめている最中であり、もちろん仕事もあってかなり忙しかったのであるが、その合間を縫うようにして、文部科学省の設立許可を得るための教授候補の一人として履歴書・職歴等の書類を作成し提出したのであった。
五 大学院教授
大学院大学の設立は認可された。私が教えるのは二年生であるため、実際の教授就任はその翌年となる。東京新宿の新校舎での設立パーティでは、何人かの著名な映画プロデューサー等も教授陣として出席されており、煌めくようなメンバーであった。多くの方は現役の職業人であるため、もちろん専任ではない。私は週に一度、大学のある東京新宿の校舎にうかがい講義するとともに、終日私の教授室にいればよいとのことであった。その他、教授会は別にあったが。その就任までに、新日本法規出版から出版した二冊目の本が『増資・株式発行と新株予約権の実務』(栄税理士法人編集)であった。その出版後に、大学授業の準備を開始したのであるが、初めて耳にする授業計画を記載したシラバスという書類作成から始まり、全くゼロの状態から徐々に講義資料を作成していった。
翌年四月、私の半年間の大学講義が始まったが、土曜日午後からの講義であったため、月曜夜から講義レジュメの作成を始め、金曜は仕事の後に徹夜のままレジュメを何とか完成し、土曜朝に愛知県の三河安城駅から新幹線に乗るといった生活を半年続けることになる。土曜夜の帰りの新幹線で飲むビールの何とうまかったことと、その際に連続して読んだ向田邦子の小説とエッセイを思い出す。
本当に優秀な学生たちであった。大卒の社会人のみを対象とした映画大学院であり、自己又は勤務先負担で学費を支払っていることもあって、その熱心さは通常の大学の学生の比ではなかった。かつ、東大を始めいわゆる一流大学卒が多く、映画人では門外漢であるような私の会計や税務の講義にも、まさに真綿に水のように見事に吸収していくのであった。学期末の答案採点でそれを再確認することになる。
詳細は省略するが、結局、私の講義はその半年間で終わり、翌年三月に退任することになり、また、大学もその三年後に閉校となる。退任することが決まってから書き出した三冊目の新日本法規出版の本が『新結合会計対応 会社合併の会計と税務』(都築敏編著)である。
講義が半年だけで終了したのはしょうがないが、精魂込めて作成したレジュメが再び日の目に当たらないのでは可哀想である、ということで弊税理士法人のホームページにPDFとして掲載することにした。何かしら参考にされたい方がいらっしゃればどうぞ御自由に利用していただければ、との意図であった。内容は、任意組合、匿名組合、特定目的会社等のそれぞれの法務・会計・税務をまとめた、講義レジュメのそのままとなっている。映画の資金管理主体として任意組合、匿名組合等がよく利用されるが、その税務や会計も、映画プロデューサーにとっての必要な知識である。
後々、ホームページの資料を参考にさせていただきましたと、東京からお礼にいらっしゃった方もいたが、日本のどこかで何かしらの役には立っていたのではないかと思う。また、これが現在の会計監査や弊税理士法人の実際の業務につながっているところもある。
六 現在
そこから九年ほどが経ち現在にいたる。還暦にもなり、さすがに九年前までのように毎日が就寝時間三、四時間といった生活はもうできない。世間からそろそろグッド・バイもしたいのであるが、それも周りがなかなかそうしてくれそうにもまだないようである。
振り返ると、何かのことを一人でコツコツとしているとき、それをどこかで見ていてくれる人がいる、ということを感慨をもって思うのである。運は人が持ってきてくれ、不運は自分が生み出す、というのが私の人生の端的な結論である。
大学院教授となって、半年の間、映画制作の会計と税務の講義を行った三〇名ほどの映画プロデューサーの卵がいた。日本映画を映画館で見終わったとき、銀幕にプロデューサーの名前をじっと追うことが今でも多い。私の教えた学生たちの中から、一人でも二人でも日本映画を世界に運ぶ大プロデューサーが生まれることを願うばかりである。
(公認会計士・税理士)
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