一般2020年05月12日 「高座」回顧録(法苑190号) 法苑 執筆者:田中敦
一 はじめに
令和初の四月下旬をもって、三九年余の裁判官生活を「卒業」した。この間、民事を中心に数多くの事件を担当してきた。裁判官の代表的な仕事は、判決書等の作成と並んで、公開の法廷で行う弁論や証拠調べである。これから法廷を「高座」と呼んで、これまでの思い出を記してみたい。本稿で法廷を「高座」と呼んでいるのは、裁判官が裁判を行う公開の法廷が、噺家が噺をする場である高座と、ある意味で似ていることによっている。理由は後で述べるとして、まずは一席お付合いをお願いしたい。
二 さまざまな「高座」
「高座」の思い出は、ほとんどが民事事件であるが、初任の神戸地裁や名古屋高裁金沢支部では、合議の左陪席として刑事事件も担当した。また、以前は家庭裁判所が、一定の成人の刑事事件を取り扱っていた(注1)が、初任明けの高知家裁で、これを一件だけ担当した(労働基準法違反事件)。一方、家庭裁判所移管前の離婚訴訟などの人事訴訟は、大阪地裁と東京地裁で担当した。「高座」では、婚約に始まり、挙式、婚姻、不和、別居、訴訟に至る経緯、子の監護状況、財産関係などの細かな供述を本人から聞いていた。この経験が自分の家庭生活に生かせたかどうかは、よく判らない。
「高座」の設備も様々であった。初任(昭和五六年)当時の神戸地裁は、レンガ造りの旧庁舎(明治三七年築。戦災で被害を受けたが修復。昭和六三年取壊)であり、法廷もレトロな雰囲気であった(注2)。すなわち、法廷に入廷するための裁判官専用廊下がなく、一般観客の出入りする廊下から出入りした。法壇に文鎮が置いてあるので不審に思ったところ、その答えはすぐに判った。天井に古風な扇風機が付いていて、優雅に回っていたのである。文鎮は、机の上の書類が風で飛ばないための道具であった。また、東別館(昭和三年築)にある旧陪審法廷(二一号法廷)が、当事者や傍聴人多数の事件で「大法廷」として用いられており、何度か使用した。天井や照明器具等の意匠は時代を感じさせ、法壇は高く威厳を感じさせ、陪審員用の席が当事者・代理人席として利用されていた。その後、裁判員制度導入に当たって整備された裁判員事件の「高座」にも一度だけ上がった。神戸地家裁姫路支部長時代に右陪席に代わって、刑事事件の審理に加わったときのことである。前記陪審法廷のことを思い出して、時代の変化を感じた。地裁刑事の右陪席経験は、後にも先にもこの一件だけであった。
この他、東京地裁の民事単独法廷は、法壇の下に丸テーブルがあった。当時は現行民訴施行直前で、弁論兼和解手続が広く行われていた。事案に応じ、ときには同じ事件でも場面に応じて両方を使い分けていた。
「高座」での衣装は、噺家は着物、裁判官は法服と相場が決まっているが、法服を着用せずに「高座」に上がったことがある。地方裁判所における審理に判事補の参与を認める規則(昭和四七年最高裁規則八号)に基づく参与である。これは、いわゆる未特例判事補を単独体裁判官の法廷の審理に参与させることを認める制度であるが、いわゆる「東京研さん」(新任判事補全員が、初めの一年に三班に分かれて四か月ずつ東京地裁の民事・刑事部で職務代行として研さんをする制度。昭和四〇年代後半から五七年三月まで)で、同刑事部で実施されていた。当方は、この研さんの最後の班として研さんに参加し、参与判事補として「参与」した。単独裁判官の法廷に、法服を着ずに法壇に登って審理を傍聴し、意見を述べたりした。この制度には、当時から様々な意見があったが、やはり「高座」には、法服がよく似合うことを痛感した。
なお、訴訟以外にも「高座」を用いる手続は少なくない。人身保護事件は、審問期日が公開の法廷で行われる(人身保護法一四条)。多くは子の引渡をめぐる紛争であるが、大阪地裁の民事通常部裁判長時代に関与した事件で、印象深いものがあった。離婚した夫婦のうち母親が子を監護していたところ、父親(拘束者)が子(被拘束者)を連れ帰ったため、母親(請求者)が人身保護を請求した事案である。人身保護命令を発付して審問期日に臨んだが、父親(本人で審理を遂行)は、その後数回の審問でも子を連れて来なかったため、拘束して勾留した(同法一八条)。その後審理を終結し、約一〇日後に判決言渡期日を指定したところ、数日後の午後、父親の母(子の祖母)から裁判所に、孫を裁判所に連れていくから、息子を釈放してほしいとの連絡が突然入った。その時は、合議の証拠調べ中であったため、これを知ったのは午後三時三〇分頃であった。進行について検討をした結果、子を連れて来てもらった上、本日中に判決を行い、子の引渡を行おうとの結論に達した。そこで、当事者双方に連絡をし、関係者全員が集まれる最も早い時間であった午後七時三〇分に審問期日を指定した。父親の釈放や判決書の準備をして、予定どおり子の引渡を受けて別室で保護し、同時刻に審問を行った上で判決を言い渡し、これに基づき、子を母親に引き渡すことができた。
このように、この事件は、紆余曲折を経たが、子の引渡という、裁判の目的を実現することができた。当時は任官後二〇年を経て、気力・体力が充実していたこともあろうが、何よりも、子の国選代理人の熱心な活動、部の職員が一丸となって事件に関与する雰囲気があったこと(部に所属していた速記官も、判決言渡しまでの間に子を留めていた部屋で、子と遊んでくれた。)、さらには総務課や民事訟廷などの後方支援等の賜物であろう。
また、勾留理由開示も法廷で行われる手続きである(刑訴法八三条一項)。初任で一件だけ経験したが、そこそこ傍聴人もいて緊張した。開示手続では、ベテラン弁護人から種々の求釈明があった。捜査の秘密もあるので釈明をかなり自制したつもりであったが、後日談では当該弁護人が「裁判官は結構答えてくれた」などと修習生に語っていたということを人づてで聞いた。弁護人が練達であったのであろうか、それとも当方が正直者であったのであろうか。
三 「高座」としての法廷
では、前述した裁判官と噺家の類似点は、どこにあるのであろうか。まず、いずれも、話術を用いてその場の人(裁判官では当事者・傍聴人、噺家では観客)に接することでも共通している。また、噺家には経験や芸の実力に応じて前座、二つ目及び真打の区別があるし、裁判官にも裁判長、右陪席及び左陪席という立場があり、しかも、技能の習得は、部総括や先輩裁判官から教わる(噺家は師匠から教わる)という点でも類似している。裁判官の中には、大学の「落研」(落語研究会)出身者や、落語ファンが意外に多いが、これも、こうした両者の類似性によるものであろうか。もっとも、『広辞苑』第七版が、「噺家」の項で、戦前の社会思想家・作家であった木下尚江の小説「良人の自白」の「裁判官なんてものア、落語家(はなしか)か幇間(たいこもち)の茶番だと思って居りや済むはネ」との一節を引用している(二三七二頁)のには、苦笑を禁じ得ない。
近時は報道のためのビデオ等が「高座」に入るようになった。もっとも、後で放映された「高座」姿をみると、様になっていないことが少なくない。とある高名な刑事裁判官が、「裁判官は法廷における俳優であるべし」と述べておられたが、このことも、噺家の高座とも共通するものであろう。
四 むすび
「高座」における訴訟指揮は、真剣勝負であるが、裁判官としての「やりがい」、「醍醐味」を実感することができる。噺家が高座で鍛えられていくのと同じく、裁判官もまた、法廷で鍛えられ成長していく。
過去に「実演」した「高座」の中には、現在登壇できなくなっているものがある。すなわち、事務の見直しにより、従前の合議取扱支部(旧甲号支部)の中には、非取扱庁となったり、事実上行われなくなった庁がある。初任時に左陪席のてん補裁判官として「高座」に上がった神戸地裁洲本支部は前者、同豊岡支部は後者に当たる。後者では、社会的耳目を浴びた事件に関連する民事損害賠償事件を二年間、常てん補した。当事者の対立が激しく、傍聴席もまた、双方二分されていた。国鉄ディーゼル特急を代表したキハ一八一系による神戸・豊岡間の片道三時間弱の行程における四季折々の沿線風景も、忘れられない。
今後、「高座」の設備や在りようは、IT化の進展等に伴い、大きく変化していくであろうが、司法部門の先輩が長年にわたって培って来られた良き伝統だけは、残していただきたいものである。種々の「高座」の思い出は、その時々の年齢、勤務地、季節、事件の性格・内容などと相まって、自分が、裁判官として、事件や当事者に向き合っていることを実感させてくれた。稚拙な「想い出の記」になってしまったが、「卒業記念」としてお許し願えれば幸いである。
(元大阪高等裁判所判事)
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